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季節だより

2016年~2017年

2016年~2017年お知らせ



2017年12月1日 70号


            

 写真は今年も見事に咲いているご近所さん宅で撮らせていただいた。 キクは春のサクラに対して日本の秋を象徴する花である。自生種もあるが、よく目にするのは観賞用としてつくられた園芸品種である。一般的に大菊,中菊,小菊に分け,大菊は、咲き方で、厚物(あつもの)、管物(くだもの)、平物(ひらもの)などに分けらるとか。写真上は大菊・厚物、写真下は大菊・管物となるのか。原産地は中国で、日本には奈良時代末から平安時代初めに渡来した。江戸時代に入ると菊作りが流行し、さまざまの色や形の菊が誕生した。
 天皇家と言えば菊の御紋。鎌倉時代に後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後の天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着したそうだ。また、法令上明確な国章は定められていないが、十六八重表菊は慣例として日本の国章に準じた扱いを受けている。


  厚物:太い管弁がたくさん集まってこんもりと盛り上がって咲くもの
  管物:細長い管弁が放射状に伸び、傘を広げたように咲くもの


■今月の歌   

 『 我ら人生60から 』
 (鉄道唱歌の替え歌)


我ら人生60から
心も体も元気です
70で迎えにきたならば
ただいまお留守と言いなさい


我ら人生60から
いつもニコニコ朗らかに
80で迎えにきたならば
まだまだ早いと言いなさい


我ら人生60から
そんなに不足は言いません
90で迎えにきたならば
そんなに急くなと言いなさい


我ら人生60から
いつも感謝で暮らします
100で迎えにきたならば
頃みて行くよと言いなさい


 先月号の歌 ”鉄道唱歌” の替え歌である。見た方に替え歌があると教えてもらいネットで見つけた。

元歌は
 『 汽笛一声 新橋を
  はや我(わが)汽車は離れたり
  愛宕(あたご)の山に入りのこる
  月を旅路の友として 』



■タゲリ


                          11月21日

 ハト大(全長32cm)でチドリの仲間。背、翼は金属光沢のある緑黒色。トレードマークは寝癖のように跳ねた冠羽。冬鳥として北方から渡って来て、積雪のない地方で冬枯れの田んぼの刈りあとや湖沼畔に群れをつくっている。高槻南部の同じ田んぼに毎年十数羽がやって来る。


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2017年11月1日 69号
ダリア

               10月17日 玉川にて 

 夏から秋にかけて開花し、大きな花輪と色鮮やかな花色と咲き方が特徴。メキシコ原産でメキシコの国花でもある。1789年にメキシコからスペインにもたらされて以来、長い間をかけて品種改良が行われて、多種多様な、花色、花容の品種が作り出されてきた。日本には1842年(天保13年)にオランダから長崎に持ち込まれた。


■今月の歌     
            昨年4月 京都鉄道博物館にて
 『 鉄道唱歌(東海道篇) 』

1 汽笛一声 新橋を              東京
 はや我(わが)汽車は離れたり
 愛宕(あたご)の山に入りのこる
 月を旅路の友として


34 名だかき金の鯱(しゃちほこ)は      名古屋
 名古屋の城の光なり
 地震のはなしまだ消えぬ
 岐阜の鵜飼(うかい)も見てゆかん


50 夏は納涼(すずみ)の四条橋        京都
 冬は雪見の銀閣寺
 桜は春の嵯峨御室(おむろ)
 紅葉(もみじ)は秋の高雄山


56 おくり迎うる程もなく           茨木・吹田・大阪
 茨木吹田うちすぎて
 はや大阪につきにけり
 梅田は我をむかえたり


57 三府(さんぷ)の一(いつ)に位して    大阪
 商業繁華の大阪市
 豊太閤(ほうたいこう)のきずきたる
 城に師団はおかれたり


65 おもえば夢か時のまに           神戸
 五十三次はしりきて
 神戸のやどに身をおくも
 人に翼の汽車の恩


66 明けなば更に乗りかえて
 山陽道を進ままし
 天気はあすも望(のぞみ)あり
 柳にかすむ月の影


 作詞:大和田建樹 作曲:多梅稚
 「鉄道唱歌」は、明治32年に発表された東海道編に続き、山陽・九州篇、奥州・磐城篇、北陸篇、関西・参宮・南海篇、北海道篇と次々と発表され、全6集・374番からなる。第1集の東海道編は66番まであり、1番の出だし「汽笛一声新橋を…」は皆さん口ずさめるのでは。昭和62年までは日本一歌詞が長い歌だった。第1集66番をすべて歌うことができるカラオケもあるようで、時間は約16分とか。地理の勉強にもなりますね。
 写真は京都鉄道博物館にて撮ったもの。蒸気機関車から新幹線まで53両収蔵されている。


         


■コサメビタキ ノビタキ


        10/27 新川桜堤                   10/8 塚脇の田んぼ

■コサメビタキ(左) スズメより小さい。体の大きさの割に目が大きめで、可愛らしい。アジア北部の森林と、ヒマラヤ地方に分布してる。日本では夏鳥として北海道から九州の平地から山地の、広葉樹や針広混交林にすんでいる。関西では越冬記録もある。
■ノビタキ(右) スズメより小さい。本州では夏鳥として南の国から飛来し高原に生息するが春秋の渡りの時期は平地の草地や農耕地などで見られる。



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2017年10月1日 68号
ヒガンバナ(彼岸花)

                 9月25日と14日 新川桜堤

 背景を暗めに撮って枠に入れてみた。ヒガンバナというと赤をイメージするが、白もある。何かクシャクシャに見える花だが、秋のお彼岸の頃に咲くことや、別名のマンジュシャゲ(曼殊沙華)は仏教の経典からとか、天が釈尊に供養した花に由来するとかいわれると、なにかありがたい花にも見えてくる。
 この花は日本各地の田のあぜや土手・墓地など、人里に群生している。葉は花の咲いている頃には見られず、花が終わる頃から伸び出し、春が来ると枯れるが、8月下旬に花になる芽を伸ばし始める。球根には強い毒性分が含まれているが、食料になるデンプンも含まれる。水にさらすと毒性分がなくなるので飢饉のときの食料にしたようだ。あぜや土手に植えるのは、土どめや、毒があるためあぜに穴を開けるモグラを遠ざけるため。墓場にヒガンバナが多いのも、有毒性を利用して遺体を動物から守るためとか。



                       9月20日 原地区


                 9月25日 津之江公園(芥川・女瀬川合流点)


■今月の歌     
                  三島江
 『 秋桜(コスモス) 』

淡紅(うすべに)の秋桜が秋の日の
何気ない 陽溜(ひだま)りに揺れている
この頃 涙脆(なみだもろ)くなった母が
庭先でひとつ咳(せき)をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話 くりかえす
独り言みたいに 小さな声で
こんな小春日和の 穏やかな日は
あなたの優しさが 浸みて来る
明日(あした)嫁ぐ私に
苦労はしても
笑い話に時が変えるよ
心配いらないと笑った


さだまさし作詞・作曲

 「秋桜」(コスモス)は、昭和52年にリリースされた山口百恵の楽曲。本作は元は「小春日和」というタイトルだったが、曲を聴いたプロデューサーの提案で「秋桜」に変更となった。当初、さだまさしはタイトルの「秋桜」を、「コスモス」と読ませるつもりはなく、本来の和名である「あきざくら」とするつもりであった。本作のヒットにより「コスモス」というそれまでになかった読み方が広まるようになったようだ。



■ナガサキアゲハ(長崎揚羽)


       9月24日 萩谷公園

 アゲハチョウの仲間。江戸時代に九州以南に限られていた分布域は拡大し、1960年代には淡路島へと徐々に北上、近年では東北でも確認され、温暖化の指標種として注目されているそうだ。



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2017年9月1日 67号
ムクゲ(木槿)



                  8月16日 清水池(津之江北町)

      「 それがしも 其の日暮らしぞ 花木槿 」
                小林一茶(1763-1828)


 ムクゲは早朝に鮮やかに開花し、夕方にはいしぼんでしまう「一日花」で、「槿花(きんか)一朝の夢」(人の世ははかない、の意)に例えられていることから ”其の日暮らしぞ”と。一方で、次々に別の花が咲くため長く咲くように見える。韓国では、花が次々と開花して絶えないことから、繁栄を意味する花として国花になっている。
 花期は6月下旬頃~10月中旬頃。中国・インド原産で平安時代に薬用として渡来した。”木槿”の漢字は中国名がそのままあてられている。乾燥に強く、荒れ地にも耐えるので庭木の他、道路側帯などに植栽される。
 「一日花」と言われているが、「たいていはそのまま翌日も開花し続け、一重のもので2〜3日花を楽しめる」と記述してあるものもある。どうなのだろうか。確かめてはいない。



                      ムクゲと清水池


                    城跡公園の八重咲き種ムクゲ


■今月の歌

 『 虫のこえ 』

あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ


きりきりきりきり こおろぎや(きりぎりす)
がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ


 明治43年『尋常小学読本唱歌』に初出。昭和7年に2番の「きりぎりす」が「こほろぎや」に改められた。これは歌詞にある「きりぎりす」がコオロギを指す古語であり、「きりきり」という歌詞もまたコオロギの鳴き声を表現したものであることから、虫の名と鳴き声とを整合させるためであった。しかし、そのために「きりきり きりきり きりぎりす」という韻は失われた。


  ハラオカメコオロギ  昨年9月20日 自宅にて


■バン(鷭)


                    8月16日 清水池にて

 ハト大で額が赤く、くちばしの先が黄色。クルルッと鳴く。
西日本では年中見られる。湖沼、川、水田、湿地などに生息するが、公園の池などにも生息することがある。清水池では繁殖している。



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2017年8月1日 66号
キョウチクトウ(夾竹桃)

          7月28日 高西町の児童遊園


          7月23日 槻の木高校(八重咲き種、なぜか花が少ない)

 広島市の花はキョウチクトウである。
市のホームページには『75年間草木も生えないといわれた焦土にいち早く咲いた花で、当時復興に懸命の努力をしていた市民に希望と力を与えてくれました。開花は夏で特に8月6日の平和記念日のころに花の盛りを迎え、咲き競う美しさはひとしお感慨を新たにさせます。』とある。
 夾竹桃と書くが、葉が竹に、花が桃に似るところから命名された。インド原産。日本へは、中国を経て江戸時代中期に伝来したという。開花期は6月~9月。ピンク、黄色、白など多数の園芸品種があり、八重咲き種もある。
 乾燥や大気汚染に強く、防音効果も期待できるため、工場や車の往来が多い幹線道路の緑化に利用される。また、強健で育てやすいところから、校庭や公園にもよく利用される。しかし、強毒で心臓発作や下痢、痙攣などを引き起こすとのことで注意を要する。



          7月17日 芥川桜堤公園


■今月の歌     
               校区盆踊り大会
 『 炭坑節 』

月が出た出た 月が出た(ヨイヨイ)
三池炭坑の 上に出た
あまり煙突が 高いので
さぞやお月さん けむたかろ(サノヨイヨイ)


あなたがその気で 云うのなら(ヨイヨイ)
思い切ります 別れます
もとの娘の 十八に
返してくれたら 別れます(サノヨイヨイ)


一山 二山 三山 越え(ヨイヨイ)
奥に咲いたる 八重つばき
なんぼ色よく 咲いたとて
サマちゃんが通わにゃ 仇の花 (サノヨイヨイ)


 オリジナルは、三井田川炭鉱の女性労働者が歌っていた『伊田場打選炭唄』。後に編曲され、昭和7年に初めてレコード化された。その後、昭和23年には、芸者歌手の赤坂小梅がレコードを出してさらに広まっていった。もともとは盆踊り唄ではなかったものの、戦後全国的に流行してからは盆踊り唄として唄われるようになり、現在では盆踊りの最もスタンダードな楽曲として全国に広く浸透している。


■コシアキトンボ(腰空蜻蛉)


          7/14 新川桜堤
 全身は黒色で、腹部の白い部分が空いているように見えるために名づけられた。新川では20mくらいの範囲を延々と往復している。シオカラトンボがすぐ止まるのに対してコシアキトンボはなかなか止まってくれず、カメラマン泣かせである。


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2017年7月1日 65号
キキョウ(桔梗)
        
                       6月19日  自宅にて


     「 桔梗の花 咲く時ぽんと 言ひそうな 」
               加賀千代女 (1703~1775)


 朝八時過ぎに庭のキキョウを見ると、つぼみが青紫で今にも破裂しそうであったのでパチリ。千代女の気持ちがよく分かる。いったん家に入って40分後に再び見たところもう花開いていた。今年の一番花である。花開く瞬間を見てみたいものだ。
 キキョウはつぼみの状態では花びら同士が風船のようにぴたりとつながっている。そのため "balloon flower" という英名を持つ。つぼみが徐々に緑から青紫にかわり裂けて写真のように星型の花を咲かせる。秋の七草のひとつであるが開花期は6月から10月とのこと。昔から武士に好まれたようで、家紋に取り入れられたり、江戸城には「ききょうの間」や「桔梗門」の名前がある。



            6月20日                       6月26日


■今月の歌

『 あの町この町 』

あの町 この町
日が暮れる 日が暮れる
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ


お家(うち)がだんだん
遠くなる 遠くなる
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ


お空に夕(ゆうべ)の
星が出る 星が出る
今きたこの道
かえりゃんせ かえりゃんせ


作詞 野口雨情
作曲 中山晋平


 大正13年に児童雑誌に発表された。このコンビは多くの童謡を発表している。『シャボン玉』、『証城寺の狸囃子』、『こがね虫』、『兎のダンス』 などが広く知られている。



■夏鳥たち


            アオバズク                       ツバメ
 アオバズク(青葉木菟)はフクロウの仲間。ツバメ(燕)と同様にアジアに分布していて、日本には夏にやってくる。街の中の神社・仏閣の樹林、時には街路樹などで見ることの多い種である。
 写真は6月10日大阪府豊能郡能勢町にて。



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2017年6月1日 64号
紅一点
        
                 5月24日 庄所町

                                        2015年9月15日

 ネットにある”語源由来辞典”によると
『 紅一点の意味は、多くのものの中で、ただ一つ異彩を放つもの。多くの男性の中に混じっている、ただ一人の女性。
 語源・由来は、中国の王安石の詩『詠柘榴』の「万緑叢中紅一点」(ばんりょくそうちゅうこういってん )の句に由来する。
 万緑は一面の緑、叢中は草むらの中、紅一点は紅色の一輪の花(ザクロ)の意味で、一面の緑の中に咲く一輪の紅色の花が本来の意味である。 日本では明治以降、沢山の中で一つだけ異彩を放つものの意味として用いられた。 その後、「紅」という色や鮮やかに咲く花の印象から連想され、紅一点は男性の中に混じる唯一の女性の意味で用いられるようになり、現代では特にその意味で用いられるようになった。 』
 ということで、紅一点のもとの意味はザクロの花を指している。ザクロの実は独特の形をしているので分かるが、花を見ただけでは連想できない。秋に何か所か果実を見ていたので、花の写真を撮ることができた。母の実家の庭にこの木があり子供のころかじったことがある。今でもザクロの実を見ると口の中が酸っぱくなる。



■今月の歌

『 雨降りお月さん 』

雨降りお月さん 雲の蔭
お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
お馬にゆられて 濡れてゆく


いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
お袖でお顔を 隠してる
お袖は濡れても 干しゃ乾く
雨降りお月さん 雲の蔭
お馬にゆられて 濡れてゆく


作詞 野口雨情
作曲 本居長世


 大正14年に発表された。お嫁さんのモデルは、一説によれば、作詞者である野口雨情の妻ヒロの嫁入りではないかと考えられているようだ。明治38年、喜連川藩の元士族・高塩武の三女ヒロが野口雨情に嫁いだ。ヒロは白無垢で馬の背にゆられながら、雨の中、花嫁行列で野口家の大門の前までやって来た。大門の前には、大きな菊水のちょうちんを掲げて、英吉(雨情)をはじめ多くの村人がヒロの到着を「今か今か」と待ちわびたという。


■チョウゲンボウ(長元坊)   淀川にて


           5/29 親鳥                  5/29 捕らえたネズミを運ぶ親鳥


        5/29 巣で親鳥を待つヒナ                次の日に巣立った

 ハヤブサの仲間であるチョウゲンボウはハト大。スマートで長い尾をもつ。本州の崖、ビルや橋の隙間で繁殖し、冬は雪の少ない地域の河川、草地、農耕地などで見られる。停飛をよく行い、急降下してネズミ、小鳥、虫などを捕える。淀川でよく見かける。


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2017年5月1日 63号
ハナミズキ(花水木)



                      4月23日 南庄所町

 ハナミズキは高槻市内でも庭木や街路樹として各所で見られる。開花期は4月~5月。阪急高槻駅の北側道路は”みずき通り”と呼ばれハナミズキが植えられている。しかしこの木は日本に昔からあるものではない。明治45年(1912年)に当時の東京市長が、アメリカのワシントン市へソメイヨシノ3000本を贈った返礼として、大正4年(1915年)に贈られたのが始まりということで、原産は北アメリカである。しかし原木は第二次世界大戦中にほとんどが伐採されるなどして、贈られた苗木40本のうち、現存が確認できるのは東京都立園芸高等学校で育っている1本のみだそうだ。
 花びらは正確には苞(ほう)と呼ばれる葉っぱ。苞は丸みがあり、先端がくぼんでいることが多いようだ。花の本体はその中心に丸く集まった部分とのこと。秋には赤い実をつける。


   
     秋・みずき通りにて(2016年11月18日)


■今月の歌

『 青い眼の人形 』

青い眼をした お人形は
アメリカ生まれの セルロイド


日本の港へ ついたとき
一杯涙を うかべてた
「わたしは言葉が わからない
迷子になったら なんとしょう」


やさしい日本の 嬢ちゃんよ
仲よく遊んで やっとくれ
仲よく遊んで やっとくれ


作詞 野口雨情
作曲 本居長世


 大正10年(1921年)12月、雑誌『金の船』に発表された。第二次世界大戦中では、童謡『赤い靴』と同じように、敵国の歌とみなされて歌う事が禁じられた。なお、『青い眼の人形』はキューピー人形から発想を得て作られた歌であり、昭和初期にアメリカから日本に贈られた友情人形が「青い目の人形」と呼ばれたのはこの歌に因(ちな)む。


■淀川にて 4/25


          カンサイタンポポ                       キジ


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2017年4月14日 特別号
新川桜堤







2017年4月1日 62号
ツクシ(土筆)

          3月24日 芥川

 その形状が「筆」に似ていることから、「土筆」という字を当てられるようなったと言われているツクシ。芥川の土手でも見つけることができた。
 春の風物詩として春の野を描く際には必ずと言って良いほど描かれる。山菜としても親しまれており、写真を撮りに行った時も、何人かの方が摘まれていた。はかまを取って茹でて灰汁を抜き、だしで軟らかく煮たり、佃煮にしたりして食用にできるようだ。このツクシに引き続いて、スギナ(杉菜)と呼ばれる細い線状の緑の葉っぱが出てくる。ツクシが出ている期間は短いが、スギナはその後、秋まで茂っているので、スギナが多い場所を覚えておけば春にはそこで沢山ツクシを収穫することができると。なるほど。



■今月の歌

『 ちょうちょう 』

(明治14年 小学唱歌集)
蝶々 蝶々 菜の葉に止れ
菜の葉に飽たら 桜に遊べ
桜の花の 栄ゆる御代に
止れや遊べ 遊べや止れ


(昭和22年 改作)
ちょうちょう ちょうちょう
        菜の葉にとまれ
菜の葉にあいたら 桜にとまれ
桜の花の 花から花へ
とまれよ遊べ 遊べよとまれ


 ドイツの古い童謡が原曲とされている。
 明治14年に日本初となる「小学唱歌集」が刊行されたときに、外国曲のメロディに日本語の歌詞をつけた和洋折衷の楽曲が数多く取り入れられた。『ちょうちょう』はそのなかのひとつである。他に『蛍の光』『むすんでひらいて』などがある。
 太平洋戦争終結後の昭和22年に文部省が発行した『一ねんせいのおんがく』において、原曲を改作した。「栄ゆる御代に」はGHQが教育現場からの排除を主張していた皇室賛美と取られるフレーズであるとされたため。


■菜の花


        3月27日 三島江

 残念ながらちょうちょは見つからず。


■河津桜その後   3月20日

 先月号で一分咲きと紹介した富田町筒井池の河津桜は満開に。
鳥はメジロ。





■梅とメジロ

        
            3/4 天神町乾性寺


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2017年3月1日 61号
♪梅は咲いたか 桜は・・・♪
   咲いています。早咲きでピンク色になる河津桜。
  2/21 富田町筒井池にて。

        



        

 ”高槻市 河津桜” で検索して見つけた場所は筒井池。高槻市役所・富田支所の東隣にあった。河津桜は4本あったが2/21現在、花はまだ1本のみで、それもチラホラ(一分咲き)と言ったところ。しかし、花は確かにきれいである。一方、富田支所の西隣には歴史を感じさせる大きな寺院(本照寺)がある。門は開いており,手入れされた境内には梅が何本も咲いていた。富田支所周辺は梅と桜が同時に見れる絶好のエリアと言える。来月号で満開の写真を載せられたらと思う。
 河津桜とは、静岡県賀茂郡河津町で毎年3月上旬に満開になるピンク色の桜である。伊豆の温暖な気候と早咲きの特色を生かし、毎年2月上旬から開花しはじめ約1ヶ月を経て満開になる。河津桜の原木は、昭和30年頃に苗が見つかり、昭和41年から開花がみられ、1月下旬頃から淡紅色の花が約1ヶ月にわたって咲き続けて近隣の注目を集めた。昭和49年にカワヅザクラ(河津桜)と命名された。こぢんまりと始まった河津桜まつりが近年はまつり一ヶ月間に100万人近い観光客が来るそうだ。


  2/21 富田町本照寺の梅
        




■今月の歌

『 梅は咲いたか 』

梅は咲いたか 桜はまだかいな
柳ャなよなよ風次第
山吹や浮気で 色ばっかり
しょんがいな


浅蜊(あさり)とれたか 蛤(はまぐり)ャまだかいな
鮑(あわび)くよくよ片想い
さざえは悋気(りんき)で 角(つの)ばっかり
しょんがいな


柳橋から小船を急がせ
舟はゆらゆら波しだい
舟から上がって土手八丁
吉原へご案内


 明治時代に流行した俗謡『しょんがえ節』を基にした江戸端唄(はうた)・小唄。花柳界の芸妓たちを季節の花々や貝に例えて歌っている。今日ではお座敷唄として有名とあります。最初の一行だけは口ずさめるがあとはよくわからないですね。


■ユリカモメ(百合鴎)

  2/19 芥川にて




 ユリカモメは国内の海岸や河川、沼地などに冬鳥としてやって来る、普通に見られる小型のカモメ。赤いくちばしと脚が特徴で、群れになって行動する。古来から詩歌や絵画の題材となり、ミヤコドリの通称で知られている(正式名がミヤコドリという鳥もいる)。また東京都の鳥に指定されている。繁殖はユーラシアの北部。


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2017年2月1日 60号
ツバキ(椿)
        
                       万博記念公園(吹田市)
 ツバキと言えば思い浮かぶのは映画”椿三十郎”である。椿の花を決起の合図にするシーンがある黒澤明監督、三船敏郎主演の時代劇映画で、高校時代に見た覚えがある。この映画はモノクロだったため、赤いツバキを本当に赤であるように見せるために黒く塗ったそうだ。
 万博公園(吹田市)には約80品種、250本のツバキ・サザンカが植えられている。花期は1月中旬~4月中旬。訪れたのが1月のため、まだつぼみしかない木も沢山あった。
 ツバキとサザンカはよく似ている。見分け方として、ツバキは花弁ががくと雌しべだけを木に残して丸ごと落ちるが、サザンカは花びらが個々に散る点である。ツバキの花は丸ごとおちるため、それが首が落ちる様子を連想させるために、入院している人へのお見舞いに持っていくことはタブーとされているようで、それを聞いて以来、落ちている花を見るたびに”おっ”と思う。馬の世界においても落馬を連想させるとして、競馬の競走馬や馬術競技馬の名前としては避けられるそうだ。



 品種は”桃割れ”。花の形が日本髪の一種”桃割れ”に似ていることから名づけられた。蜜を吸っているのはメジロ。



 品種は”虹王(こうぎょく)”。松江市内の民家で栽培されていたそうで、紅地に白斑が入る八重咲き。咲き始めは中央の花びらが玉状になる。



 品種は左が”太郎冠者(たろうかじゃ)”、右が”月影(つきかげ)”。

 ツバキの花は古来から日本人に愛され、江戸時代には江戸の将軍はじめ大名、京都の公家などが園芸を好んだことから、庶民の間でも大いに流行し、たくさんの品種が作られた。16世紀に西洋に伝来すると、冬にでも常緑で日陰でも花を咲かせる性質が好まれ、大変な人気となり、いろんな品種が作られたそうだ。

■今月の歌   

 『 雪 』

雪やこんこ あられやこんこ
降っては降っては ずんずん積もる
山も野原も わたぼうしかぶり
枯木残らず 花が咲く


雪やこんこ あられやこんこ
降っても降っても まだ降りやまぬ
犬は喜び 庭かけまわり
猫はこたつで丸くなる


作詞者、作曲者ともに不詳。

 明治44年の『尋常小学唱歌(二)』が初出。平成19年に、「日本の歌百選」に選ばれた。私の街では巡回灯油販売でおなじみの曲でもあり、出だしはてっきり「雪やこんこん」と思っていたが、実は「雪やこんこ」であった。「こんこ」の正確な意味・語源は不明で諸説あるが、「来む」(来い = 降れ)と関係がある言葉といわれている。「こんこ」については別の曲の歌詞の最初の部分と一緒になる事を避けたという説があるそうだ。別な曲とは、10年前の明治34年出版の「幼稚園唱歌」にある瀧廉太郎作曲、東くめ作詞の「雪やこんこん」という曲。

『雪やこんこん あられやこんこん
もっとふれふれ とけずにつもれ
つもった雪で だるまや燈籠
こしらへましょ お姉様』

ややこしいですね。



■キンクロハジロ(金黒羽白)


        
                      1/18 淀川

冬にやってくるカモの仲間で目の色が黄色。水深10m以上まで潜る事ができる。


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2017年1月1日 ---
あけましておめでとうございます



     12/21 滋賀県、彦根市の彦根城と湖北町のコハクチョウ

 コハクチョウは全長120cm。ユーラシア大陸北部で繁殖し、冬季に渡って来る。琵琶湖の北部では見れるが、大阪府まではやって来ない。


        12/31 城内町 道路脇の花壇              12/31 野見神社


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2016年12月1日 59号
皇帝ダリア
        
                       11/25 2階の窓から



 一昨年に苗を購入した皇帝ダリア、昨年に地植えして4m強も伸びたが、今年も4.5mほど伸びた。皇帝ダリアは秋深い11、12月頃にピンク色の花をいっぱい咲かせるが、花が終わると地上部は枯れて、翌年また芽が出る。また株分けか挿し木で増やすことができる。昨年12月に挿し木に挑戦してみた。皇帝ダリアは竹のように節がある。枯れる前に根元の2~3節を残して茎を切り、それを節ごとに輪切りにして土に埋めておくと春に芽が出る。(下記写真参)。今年は挿し木を3本して順調に成長した。メキシコ地方原産で正式名はコダチ(木立)ダリア。


      ------------------------------------- 昨年 12月16日 -----------------------------------------


     今年 4月19日            -------------------- 今年 4月27日 --------------------


                 左は3年目、真ん中と右は今年挿し木したもの

■今月の歌  

 『 お正月 』

もういくつねるとお正月
お正月には 凧あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやくこいこいお正月


もういくつねるとお正月
お正月には まりついて
おいばねついて 遊びましょう
はやくこいこいお正月


作詞 東くめ
作曲 瀧廉太郎(明治12年 - 明治36年)


 明治34年に共益商社書店から刊行された『幼稚園唱歌』が初出。
荒城の月などで有名な滝廉太郎は、23歳という短い生涯で30数曲を作曲した。



■コガモ(小鴨)


       12/1 芥川  奥がオス
ほぼハト大で、カモのなかまでは最小。
湖沼や河川などに多数飛来し、秋早くから春遅くまで見られる。



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2016年11月1日 58号
秋空

             10/26 淀川                     10/27 芥川 夕方

 今年は駆け足で過ぎてゆくような秋ですが、晴れ間をさがして空を撮ってみました。秋が深まるにつれ、夏の高い湿度から開放され、大陸の乾燥した空気が日本を覆い澄み渡るようになる。入道雲に代わり、積雲、いわし雲(巻積雲)など秋特有の雲が多くなり、空の色は青さを増し、高く見えるようになるため、中国の諺である「天高く馬肥ゆる秋」の表現が、しばしば使われる。ところが、低気圧と高気圧が日本の上空を交互に通るため、お天気が変わりやすいのもこの時季の特徴で、これを変わりやすい人の心になぞらえ「女心と秋の空」なんて言われる。しかし江戸時代に言われていたのは「男心と秋の空」であり、女心・・・と言われるようになったのは大正デモクラシーで女性の地位が向上するようになってかららしい。


    10/30 京都市清水寺                 10/11 市内街角にて


■今月の歌      

 『 秋の夜半 』(あきのよわ)

秋の夜半(よわ)の み空澄(す)みて
月のひかり 清く白く
雁(かり)の群の 近く来るよ
一つ二つ 五つ七つ


家をはなれ 国を出でて
ひとり遠く 学ぶわが身
親を思う 思いしげし
雁の声に 月の影に


作詞 佐々木 信綱
原曲は、ドイツの作曲家ウェーバー


 明治43年に中学唱歌として発表された。佐々木 信綱は歌人としての活動の他、全国の小中学校・高校の校歌の作詞も手掛けているほか、いくつかの童謡・唱歌の歌詞も創作しており、今日では唱歌『夏は来ぬ』が特に有名。



■カワセミ

     
                    10/19 芥川

 全長17cm。くちばしは体の割りに長い、魚取りにすぐれた鳥である。日本では全国にすんでいる。巣は土崖に横穴を掘ってつくる。渓流や池沼などを見下ろす木の枝に静かにとまっていて、水中の獲物をとったり、水面をかすめて一直線に速く飛んだりしている。


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2016年10月1日 57号
かかし(案山子)

               9/10 庄所町

 案山子は、古くは鳥獣に田畑を荒らされるのを防ぐために、髪の毛やボロ布を焼いたものを置き、鳥獣が嫌がるにおいを出して近づけないようにした。これを「かがし」といった。においを嗅がせる意の動詞「かがす(嗅がす)」の名詞形。現在もそうしたものを用い、それを「かがし」と呼ぶ方言もある。やがて、竹やわらでほぼ等身大の人形を作り、弓矢を持たせたり、蓑笠(みのかさ)をかぶせたりして田畑に置き、人間が見張りをしているように見せかけ、鳥獣の侵入を防ぐようにした。この人形も「かがし」、または清音化して「かかし」というようになったそうだ。


          9/27 三島江                     9/21 郡家新町


■今月の歌 (一部略)

  『 案山子 』

元気でいるか 街には慣れたか
友達できたか
寂しかないか お金はあるか
今度いつ帰る


城跡から見下ろせば 蒼く細い河
橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突
この街を綿菓子に 染め抜いた雪が
消えればお前が ここから出て
初めての春


手紙が無理なら 電話でもいい
金頼むの 一言でもいい
お前の笑顔を 待ちわびる
お袋に聴かせてやってく


山の麓煙はいて 列車が走る
木枯しが雑木林を 転げ落ちてくる
銀色の毛布つけた 田圃にぽつり
置き去られて 雪をかぶった
案山子がひとり


お前も都会の 雪景色の中で
ちょうどあの案山子の様に
寂しい思い してはいないか
体をこわしてはいないか


作詞・作曲 さだまさし
 都会で一人暮らしをする弟(あるいは妹)を雪の中にぽつんと立つ案山子になぞらえ、故郷にいる兄が気遣うメッセージを送る歌。「お金はあるか」「『金頼む』の一言でもいい」という歌詞は、親からの仕送りだけが頼りだったさだ自身の経験が基になっているそうだ。



■ハラオカメコオロギ(動画 ▷をクリック)



 庭で捕まえた二匹のコオロギを、空いていた金魚鉢に入れた。調べてみるとハラオカメコオロギのオスとメスであった。鳴くのはオスでリリリリ、リリリリと4・5音で区切って鳴く。




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2016年9月1日 56号
シオカラトンボ(塩辛蜻蛉)

                  8/6 シオカラトンボの交尾 新川桜堤


          8/16 オス 淀川                   8/7 メス 自宅

 身の回りで、最もよく見られるトンボのひとつがシオカラトンボである。平地で普通に見られ、4月から10月ごろまで、よく飛んでいる。オスは老熟するにつれて体全体が黒色となり、胸部から腹部前方が灰白色の粉で覆われるようになってツートンカラーの色彩となる。この粉を塩に見立てたのが名前の由来である。メスは黄褐色で、俗に「ムギワラトンボ」と呼んでいる。また未成熟なオスも、メスと同様の黄褐色である。
 トンボは、昆虫の中でも非常に飛行能力が高い。細長いからだについた4枚のはね羽と、大きな複眼が特長である。トンボは前羽と後羽を互い違いに打ち下ろし高速で飛びつつ空中を自由に動き回る。頭部には1万個以上の個眼から形成される大きな複眼があり、速いスピードで、飛んでいる小さな昆虫を見つけて、捕らえることができるほどの視力を持つ。日本には約180種類のトンボが住んでいる。

■トンボの産卵(動画 ▷をクリック)

8/10 シオカラトンボの産卵 新川桜堤
8/17 ギンヤンマの産卵   岡本町


 散歩コースの新川桜堤で一瞬、胸部が青いトンボを見かけ、調べてみるとギンヤンマのオスと分かりギンヤンマ探しを始めた。日本最大のトンボであるオニヤンマは、子供時代の夏休みに田舎にある母の実家に行くと、開けっ放しの縁側から家の中に入ってくることがあり知っていたが、ギンヤンマは見た覚えがなかった。市内の何ヶ所かのため池を回り見つけることができた。オニヤンマも何回か見かけたが一瞬であった。どちらも市街地では見かけない。シオカラトンボはすぐ止まるが、ギンヤンマはため池のまわりを延々と飛び続けており、私のカメラでは飛翔中のものは難しく、なかなか撮れない。今回は運よく産卵中のものを見つけゆっくり撮れた。下の左の写真は唯一撮れた止まったギンヤンマのオス。右は産卵中のもの。


          8/17 岡本町                   8/30 産卵中 南平台

 動画の中でもコメントしたが、ギンヤンマはオスがメスの首をはさんで連結したまま産卵する。これはオスがパートナーとなったメスをとられないようにるため、産卵が終わるまでメスを守るためらしい。シオカラトンボはメス一匹で産卵するのだが、同じ理由でオスはメスの上空を飛びながら見守る。


■今月の歌     

  『 月 』

出た出た 月が
まるいまるい まんまるい
盆のような 月が


隠れた 雲に
黒い黒い 真っ黒い
墨(すみ)のような 雲に


また出た 月が
まるいまるい まんまるい
盆のような 月が


作詞・作曲 不詳

1910(明治43)年に『尋常小学読本唱歌』に発表された文部省唱歌。この曲と歌詞が紛らわしいのが、「月が出た出た月が出た」の歌い出しで有名な『炭坑節』である。



■オクラ


            8/24 自宅

 オクラの種をもらったのでプランタに植えてみたところ次々と実がなり美味しくいただいている。原産地はアフリカ北東部。日本へは幕末にアメリカから入ってきたが、一般家庭の食卓に並ぶようになったのは1970年頃から。それまではおもに花を鑑賞するのが目的であったようだ。「オクラ」という名前は現地語からきていて、英語でも「okra」と書く。


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2016年8月1日 55号
アサガオ(朝顔)

                        7/25 自宅


          7/23 夜8時                     7/24 朝8時

 アサガオの日本への到来は、奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。
 アサガオは昆虫を介して受粉もするが、つぼみの中で雌しべと雄しべが成長する途中でも受粉する。花びらの中に1本の雌しべがあり、それを囲むように5本の雄しべが並んでいる。初めは雌しべのほうが長いが、開花が近づくと雄しべがのびてきて同じ高さになる。そのころ花粉の入った葯がさけて、中の花粉が雌しべの先の柱頭について受粉する。
 花はまだ暗い夜明け前に開くが、朝の光を感じて開くのではなく、前の日の夕方、周囲が暗くなることでスタートする。翌日の開花は日没時刻から計算すると約10時間前後とのこと。夏至を過ぎると日没時刻が少しづつ早くなるため、アサガオの花は秋になればなるほど朝早く暗い時刻に咲くようになる。朝、見事に咲いた花も、昼にはしぼんでしまい、一度しぼんだら花はもう開かない。


    
            7/7 自宅

 今年初挑戦した小玉スイカの横にアサガオの鉢を置いてパチリ。


■今月の歌

  『 海 』

海は広いな 大きいな
月がのぼるし 日が沈む


海は大波 青い波
ゆれてどこまで続くやら


海にお舟を浮かばして
行ってみたいな よその国


作詞:林柳波
作曲:井上武士


 日本の童謡で文部省唱歌。
2007年に日本の歌百選に選出されている。1941年(昭和16年)3月に発行された『ウタノホン(上)』にて発表。初出時の題名は片仮名の「ウミ」で、後に「うみ」に改訂され、さらに「海」と表記されるようになった。
先月も”海”であったが同名異曲。
   (先月は”松原遠く・・・”)



■ハグロトンボ(羽黒蜻蛉)


                       7/24 新川桜堤

 写真は雄。体色が全体的に黒く緑色の金属光沢がある。対して雌は黒褐色である。他のトンボのように素早く飛翔したりホバリングしたりせず、チョウのようにひらひらと舞うように羽ばたく。留まって羽根を休める際もチョウのように羽根を立てた状態で、四枚の羽根を重ねて閉じるという特徴がある。


■ネットメロン・ころたん

     
            7/25 自宅  直径13cm

 ころたんは、㈱サカタのタネで開発された家庭菜園に適したネットメロンで、昨年に続いての2回目の栽培。釘等でひっかくようにしてお絵かきができる。昨年は孫の名前を書いたが今年は漫画を書いてみた。




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2016年7月1日 54号
アジサイ(紫陽花)

          6/4 アジサイとタチアオイ  新川桜堤


     6/6 ガクアジサイ 新川桜堤               6/11 アジサイ 新川桜堤

 ガクアジサイ(額紫陽花)には二種類の花がある。まわりの大きな花は飾り花で,種ができることはほとんどない。真ん中に集まっている小さな花に種ができる。一方、アジサイ(紫陽花)はおしべとめしべが退化して飾りの花しかない。
 アジサイの花はガクアジサイが飾りの花(装飾花)だけに変化したものだと考えられており、種でなく挿し木で増やす。
花は咲いてから日がたつと次第に濃くなる。また、植えた場所の土の性質によって赤っぽくなったり青っぽくなったりするようだ。
 日本、ヨーロッパ、アメリカなどで観賞用に広く栽培され、多くの品種が作り出されているが、原産地は日本である。


      
          6/16 自宅にて


■今月の歌

  『 海 』

松原遠く消ゆるところ
白帆(しらほ)の影は浮かぶ
干網(ほしあみ)浜に高くして
かもめは低く波に飛ぶ
見よ昼の海
見よ昼の海


島山闇に著(しる)きあたり
漁火(いさりび)光り淡し
寄る波岸に緩くして
浦風軽(かろ)く沙(いさご)吹く
見よ夜の海
見よ夜の海



作詞・作曲者不詳。
大正2年(1913)に『尋常小学唱歌(五)』に発表。
言葉がむずかしいこともあって、音楽の教科書には載らなくなったとのこと。


「島山」とは、全体が山である島。
「闇に著き」とは、夜の暗い闇の中でも形がはっきりと分かる様子。
「浦風」とは、浜辺を吹く風で、浜風と同じ。
「沙(いさご)」とは、ごく細かい石、砂。



■オオルリ(大瑠璃)


          6/26 北部の森
 オオルリは春に南の国からやってくる夏鳥。高い木のこずえなどの目立つところで高く澄んだ美しい声でさえずる。オスは濃いブルーの背中、白いおなかというはっきりしたコントラストをもつ。この日やっと見つけた1羽だが,正面なので残念ながら背中のブルーが少ししか見えていない。


■カルガモの子育て奮闘記(動画 ▷をクリック)
 5/20に自宅横の河川で見かけたカルガモ親子を6/4に再度ビデオに撮ることができた。雛が8羽、子育てが大変そうでハラハラドキドキ、またそれがほほえましい。その後、見かけていない。




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2016年6月1日 53号
キジ(雉)


                5/12 淀川

 キジは日本の国鳥。また国内の多くの自治体で「市町村の鳥」に指定されている(大阪府では交野市)。全長♂80cm、♀60cm。狩猟鳥に指定されており、人為的に放されることもある。
 昔から日本人とかかわりの深い鳥として、「桃太郎」をはじめいろいろな物語に登場する。オスは濃い緑色の体で、繁殖期になると、ハート型の赤い顔になり、「ケーンケーン」と鳴きながらメスを求める(縄張り宣言)。その後両翼を広げて胴体に打ちつけてブルブル羽音を立てる動作が「母衣打ち(ほろうち)」と呼ばれる。「けんもほろろ」という言葉は、鳴き声「ケーン」に由来している。また、「頭隠して尻隠さず」ということわざは、草むらに隠れたつもりになったキジの様子に由来している。


母衣打ちの写真と動画(5/18 淀川)





■今月の歌

  『 桃太郎 』

桃太郎さん 桃太郎さん
腰につけたキビダンゴ
一つわたしに 下さいな


やりましょう やりましょう 
これから鬼の征伐に
ついて行くなら やりましょう


行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
家来になって 行きましょう


そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 鬼が島


おもしろい おもしろい
のこらず鬼を攻めふせて
分捕物(ぶんどりもの)をえんやらや


万万歳 万万歳
お伴の犬や猿キジは
勇んで車を えんやらや


作詞者 不明、作曲 岡野貞一
 文部省唱歌の1つ。1911年(明治44年)の「尋常小学唱歌」に登場した。暴力性を感じさせるという理由から、現在では歌詞が改変されたり、後半部を削除したりする場合があるそうだ。作曲した岡野は『故郷(ふるさと)』、『春が来た』、『春の小川』、などで知られる。



■カルガモ親子がかわいい(写真と動画)







 5/20、住宅街の小さな川にどこからやって来たのか親鳥1羽と雛が8羽。カルガモは全国の水辺で1年中見られるカモである。



■ユリ(百合)

   
               5/26 自宅
 昨年に大阪舞洲ゆり園に行った時に買った3株のユリが今年も何とか咲いてくれた。


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2016年5月1日 52号
カタクリ(片栗)


 左の写真は我が家の居間の端に(孫の写真に追いやられて)飾られている。実は実家のもう亡くなった母から何十年か前にもらったものだ。どうも近所のパーマ屋さんかに行った時に飾られていたのをお願いして焼き増してもらったものらしい。カタクリとは聞いていたが実物は見たことがなかった。たまたま高槻市の広報紙にて”神峯山の森・自然園 春の自然観察会カタクリ編”が開催されることを知り、4/9に出掛けてきた。5人一組くらいでボランティアの方に案内していただいた。ミツバツツジが満開で、またいろいろな野草がある。お目当てのカタクリは巡回路沿いの一角にあった。
 カタクリは高さ20~25cmで先端に花を1個だけ下向きにつける。温帯地方の落葉樹林に自生するユリ科の多年草で、林床が明るい春先に地下の鱗茎から葉をのばして花をつける。林床が暗くなる(木々の葉が茂る)初夏のころには葉はすっかり枯れて地上部は全く見られなくなってしまう。
 カタクリは20年以上もの長い寿命をもっている。とはいっても、種子から葉を出し鱗茎を太らせ、成熟個体になるまでには7~8年かかる。長い準備期間を経て、初めて花をつけるそうだ。

 昔はこの球根から片栗粉を採っていたが、明治以降に北海道開拓が進み、ジャガイモが大量栽培されるようになると、原料はジャガイモに切りかわっていったが、名称はそのまま残った。


     自然園内                      カタクリ(片栗)

     ユキモチソウ(雪餅草)               ヤブレガサ(破れ傘)

     ヤマブキ(山吹)                  コバノミツバツツジ(小葉の三葉躑躅)


■今月の歌     

  『 四季の歌 』

春を愛する人は 心清き人
すみれの花のような ぼくの友だち


夏を愛する人は 心強き人
岩をくだく波のような ぼくの父親


秋を愛する人は 心深き人
愛を語るハイネのような ぼくの恋人


冬を愛する人は 心広き人
根雪をとかす大地のような ぼくの母親


作詞・作曲:荒木とよひさ

 荒木とよひさは昭和46年に、四季の歌』の作詞・作曲でプロ・デビューした。当初、この歌はあまり注目されなかったが、昭和51年に芹洋子のレコードが発売されるや、一挙に火がつき、数百万枚を売る大ヒットとなった。 中国でも、『四季之歌』というタイトルで広く愛唱され、千昌夫の『北国の春』と並んで、日本の代表的な歌の1つとして記憶されているそうである。30代半ばから作詞に専念するようになり、テレサ・テン『愛人』『時の流れに身をまかせ』『つぐない』、堀内孝雄『恋唄綴り』、 森昌子『哀しみ本線日本海』など、多くのヒット曲を生んだ。



キビタキ(黄鶲)

   
          4/23 摂津峡
 キビタキはツバメのように春に南の国からやって来る夏鳥


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2016年4月1日 51号
スミレ(菫)


       
               3/12 タチツボスミレ 新川桜堤

 『岸のすみれや れんげの花に』と歌にあるように、スミレは図鑑では道ばたに普通に見られるとあるのだが、近くの水田のあぜや河川敷を探しても、意外と見つからない草花である。写真は散歩コースの新川桜堤で見つけたタチツボスミレ(立坪菫)。新川桜堤は約1kmあるが一ヶ所のみで、小さな花なのでうっかりしていると通り過ぎてしまう。
 日本にはスミレのなかまが多く、およそ50種が知られているが、日本を代表するスミレがタチツボスミレである。春、6~10cmの長さの茎に2cmほどのうす紫色の花をつける。花びらは5枚。下の花びらにあるしま模様は蜜標である。花粉を運んでもらうために昆虫をさそい、昆虫の体に花粉をつけやすくするため、蜜のありかを教える目印である。園芸種のパンジーやビオラはヨーロッパに分布する数種のスミレ類を掛け合わせたものだそうだ。


       
           ビオラ 3/8 自宅  よく見るとスミレと似ている


■今月の歌   

 『 春よ来い 』

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている


春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている


作曲:弘田 龍太郎
作詞:相馬御風


 大正時代後期に作曲された童謡。歌詞に登場する「みいちゃん」とは、相馬御風の長女「文子(ふみこ)」がモデルとされている。「じょじょ(草履)」「おんも(表・外)」などの幼稚語をうまく取り入れつつ、「あるきはじめた」ばかりのみいちゃんの視点を通して、雪に閉ざされた越後の冬で静かに春を待ち望む人々の強い思いが表現されている。


■春をさがして


  カンサイタンポポ 3/11 淀川               ツクシ 3/17 芥川

  ホトケノザ 3/11 淀川                  ナノハナ 3/8 三島江

 
 ウグイス 3/4 淀川(動画が見れます)



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2016年3月1日 50号
おしどり夫婦


 仲が良い夫婦を『おしどり夫婦』と呼ぶが、鳥類のオシドリ(鴛鴦)は、冬ごとに毎年パートナーを替える。抱卵はメスのみが行い、育雛も夫婦で協力することはないようだ。オスが美しく目立つこと、相互羽づくろいなどのしぐさが愛情豊かに見えることなどで特に仲睦まじいと思われたようだ。写真は2/17に豊中市の千里中央公園の池で撮ったものである。オシドリは高槻市内ではあまり見かけない。




        ヒドリガモ 2/10 芥川            オナガガモ 2/10 芥川

        トモエガモ 1/4 郡家新町            コガモ 2/24 芥川

 カモ類では、年中見ることができるカルガモは雌雄同色であるが、オシドリはじめ他の多くはオスの方がよく目立つ。

■今月の歌    

 『うれしいひなまつり』

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひなまつり


お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉様に
よく似た官女の 白い顔


作詞:サトウハチロー
作曲:河村光陽


 昭和10年にサトウハチローが娘に雛人形セットを買ってやった前後に作詞したとされる。それに河村が曲をつけ、昭和11年1月にレコードが発売されている。



■研究木の『記憶の継承』

 八丁畷町にある京大農場にて、研究木であった果樹の『記憶の継承』として、1500本のぶどうの木の枝が配布されると高槻市の広報誌で知り、2/21に出掛けてきた。希望者にはドングリも配布された。京大農場の移転(3月)に伴い、安満遺跡公園として整備が進められている。この公園は平成31年に一次開園する予定だが、その1年前にドングリの苗木の植樹が予定されており、配布されたドングリを育てて、植樹会に参加してくださいということである。この公園の面積は20.9haと甲子園球場約5個分に相当するそうだ。


     大勢の市民が



     さっそく植えた 手前ドングリ 奥ブドウ

 頂いたドングリは、高槻市内に昔からあった木から拾ったもので
(落葉樹) アベマキ クヌギ コナラ
(常緑樹) シラカシ アラカシ マテバシイ スタジイ
      ツブラジイ ウバメガシ
が混ざっていますとの。頂いた育て方解説書に写真まで載っているが判別がむつかしいものもあった。植え方はとがった方を上にと思ったが、解説書を見ると「横向きに寝かせて2センチ程度土を被せる」とあった。



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2016年2月1日 49号
ロウバイ(蝋梅)

          1/15 市内にて


 ロウバイはロウバイ科・ロウバイ属に属する広葉の落葉低木の一つである。早生種では12月頃に、晩生種でも2月にかけて半透明でにぶいツヤのある黄色く香り高い花がやや下を向いて咲く 。名前に梅がついているためバラ科サクラ属と誤解されやすいが、別属である。
 中国原産で日本には17世紀頃に渡来した。中国名も蝋梅であったことにちなむ。半透明でにぶいツヤのある花びらがまるで蝋細工のようであり、且つ臘月(ろうげつ、旧暦12月)に咲くからこの名がついた。唐の国から来たこともあり唐梅(カラウメ)とも呼ばれる。上の写真は「素心蠟梅(そしんろうばい)」。花の外側だけでなく内側も黄色いのが特徴。ふつうの「蠟梅」は内側がちょっと赤っぽい。(下の写真)


       
        1/24 市内にて
■今月の歌     

  『 冬の夜 』

燈火(ともしび)近く衣(きぬ)縫う母は
春の遊びの、楽しさ語る。
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数(ひかず)かぞえて喜び勇む。
囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
外は吹雪。

囲炉裏のはたで縄なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る。
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る。
囲炉裏火はとろとろ
外は吹雪


 1912年(明治45年)に「尋常小学唱歌 第三学年用」で発表された文部省唱歌。作詞・作曲者は不明。歌詞の「いくさの手柄を語る」という部分が、戦意高揚であると一部の人々に否定されたことから,戦後に発行された教科書や各社の「唱歌・童謡集」では「過ぎし昔の思い出語る」と改変された。しかし,そうなると,なぜ子どもたちが「こぶしを握って」興奮するのか,意味が不明となる,とする意見も提示され、再度、オリジナルの歌詞に戻す動きが出てきて現在に至っている。

歌が聞けます  (YouTube)


■メジロがやって来た 1/27


     「ちょっと待っててね」

      「もうちょっと横よ」                  「おっとっとー」
メジロの羽繕いがかわいい


 昨年4月にメジロ親子が我が家のヒバスギに来たのを見かけた。もしかしてと思いサザンカの枝にミカンをぶら下げたところ、やって来たので家の中からパチリ。今回は親子なのかカップルなのか大変仲良しである。相手に羽繕いするし、ミカンを食べるときは、競わず食べるのには感心する。全長約12cmでスズメよりも小さく雌雄同色である。食性は雑食だが甘い蜜を好み、里山や市街地でも庭木や街路樹などの花を巡って生活している。



 昨年4月にやってきたメジロ親子。


■イチゴがなりました 1/30

     


 昨年11月に、八丁畷町にある京大農場へイチョウ並木の写真を撮りに行ったときに、イチゴを2鉢買った。日当たりのよい室内に置くだけで、手がかかることなくうまくなってくれた。ちなみに品種は”さがほのか”。この農場はとれた農産物などを玄関口で販売していることがある。しかし残念ながら近々、京都府木津川市に移転する。高槻市は跡地を「(仮称)安満遺跡芝生(しばふ)公園」としての整備に取り組んでいる。


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2016年1月1日  ---
あけましておめでとうございます


12/24 新幹線の車窓から


12/21 柴又帝釈天                    参道の突き当たりにある二天門の装飾彫刻の一部


12/22 浅草 浅草寺                  浅草寺からスカイツリーを望む

千葉に用事があって行ったのを機会に東京見物。





       
        12/1 姫路城


姫路城は別名が白鷺城                          ダイサギ(大鷺)高槻市の芥川にて

       

 昨年3月に「平成の修理」が完了した姫路城を12月1日に見学してきた。さすが世界遺産。


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