メモ帖ー’02

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2002/08/31-霧の海

ー 帰らざるものを霧笛の呼ぶごとし ー

 海の町だから、良く霧がかかり風景が消失した時が流れる。船に乗って
いた頃にもおなじみの時間だが、霧の中ではどこかで自分に立ち返るとい
うような気分になる。船はそろそろと進むしかないのだが、人も流れる時
間を遅くするのではない だろうか。

 ボーーボーーという霧笛を聞きながら自分を形作ってきたものに意識を
傾けていく内に、今度はその音に今という時を自覚させられる。奇妙な時
間が在るもので浅い夢見といえばいいのか、夢を見ながら今は夢の中と、
どこかで自覚しているのに似ている。

 石碑に刻まれたこの句が、どのような背景で生まれどのような人が作っ
たのかも知らないで、ある日自分の心にとどまっていることに気づいた。
帰らざるもの、例えば過去というやつもそうなのか・・・。
 気の利いた過去なぞは無いが、確かに通り過ぎていった事物は少なくな
い。

 

2002/09/02-草むらで

 金のなかった学生時代、時間だけがあって勉強嫌いの身には生産的と思
える活動は殆どなかった。札幌の街をうろついて、結局は疲れてぼんやり
と座り込む場所に落ち着く。

 よく行ったのは植物園、大通公園、道庁前庭など草むらのある場所で、
或る友人と二人とりとめのない会話をしながら草の上で横になる。
 一人の時は大抵寝入ってしまい、植物園などは人気も少なく昼寝を求め
て行ったことさえあった。
 ホームレスという存在が話題になった頃、日中から植物園のベンチで眠
りこけていた自分を、ふと思い出していた。

 

2002/09/03ーチシマオドリコソウ

 家の近所の道端に雑草のように在った。それでも小さな花が目について
何枚かシャッターを押していた。
 しばらく忘れていたのだが、取り込んでいた画像を整理していると、妙
な形をした花がくっきりと写っていて面白いと思った。保育所の子どもた
ちが紙を切り抜いて作った不細工な人形のように見える。

 

2002/09/04−日高山脈

 時々朝早くに目が覚める。外へ出てみると今朝は山がくっきりとその稜
線を見せていた。すぐに着替えてバッグを取り出して車庫に向かう。この
2・3日続いていた異常な暑さも今日はさほど感じなかった。

 いつもより早めの約束が一つあったが時間はたっぷりある、この1週間
ほど狙っていた日高の山を撮るチャンスが巡ってきた。いつもの街道を走
り、決めていたポイントを確かめながらあっという間に50枚ほどを撮り
きっていた。

 

2002/09/05−トリカブト

 夏の終わりというか秋初頭のころ、道端に鮮やかな紫色の花が目につく。
丈高く強い青みを帯びた花が房になっているため、車を走らせていても目
に飛び込んでくるような存在感がある。

 タカノハは、所構わず車を停めては夢中でこの花を撮っていた、青系の
色で釣り鐘状の形とくれば好みの花なのだ。

「マア、今咲いてる紫の花あるしょー、あれ何て花か知ってる?」
「紫って言えばトリカブトじゃないの?向かいのおばさんがきれいだって
植えてた けど・・・。」
「へー、あれがトリカブトかー」
 かの有名な毒草の名前にデジカメおじさんも毒気を抜かれたという気分。

 

2002/09/06-イモ堀りとツユクサ

 雨で2週間延びたジャガイモの収穫に妻と出かけた。朝方海霧(じり)
めいた小雨が道路を濡らしていたのだが、農協さんの読みは正しくて晴れ
とはいかないまでも天気は回復。

 オーナー制という奴で、あらかじめ希望する区画数の代金を払い収穫だ
け(つまりイモ掘り)自分でやることになる。夫婦二人とジジ・ババ合わ
せて4人の1年分が、千円の1区画で足りる、この4年間ジャガイモはそ
れで良かった。

 駐車場から自分の区画まで歩くのにデジカメおじさんの目が光り、足が
止まった。畑の畦に、青く光る小さな蝶がとまったようにツユクサが咲い
ていた。

 

2002/09/07-くさかげの

 くさかげの なもなきはなに なをいひし はじめのひとの こころを
ぞおもう (伊東静雄) 

 この歌も記憶に残っている一つだが、好悪相反するような気分でもある。
基本的には好の方が優っているのだが、どこかに媚びの様なものが感じら
れるのだ。

 それはさておき、自分ではやはり、草陰の名も無き花を、追っかけてい
るなあと思う。きれいに整備された花壇のような所のものは興味が湧かな
い。
 気がつけば道端の花ばかり撮っているという感じで、それが好みだとい
うしかないのだが・・・。

 名前はどうでもいいといったら申し訳ないのだが、ほとんどの花は名を
知らない。あんなヤツ、こんなやつとマアに言っている。
 人がものを認識するということはどういうことなのだろう?あの黄色く
て、小さい花をつけるヤツといいながら、自分の頭の中にだけはその花の
姿が浮かんでいる。

 

2002/09/08−くさかげの2

 藪を漕いだりするとどうしても虫が着く。当然それなりの支度は可能だ
が、いかんせん散歩のつもりで出掛けたときなどは、無理を承知で踏み込
むこともある。

 「イヤー、何それー」 風呂に入ろうとシャツを脱ぐと、マアが目を丸
くして胸のあたりを見ている。
「ん〜」と自分も胸に目を落としてみると、点々と虫の噛み痕が赤い斑点
になっている。そういえばさっきからかゆみを感じて何回か掻いたような
気がした。

 

2002/09/09−花の盛り

 花の姿を見ていると静かに営まれる様々な変化が目に入る。あっさりと、
咲いて散ると言ってしまえばそれまでだが、花という形がその生命にとっ
ては最後でも最初でもないことは自明のことである。
 生命活動は生殖を行う花の時期に或る何かを顕在化させる。

 

2002/09/11−ある日・・・

 仕事をさぼって、ふらっと出掛ける。それは天気に呼ばれるようだ。ど
こかで人間の深い記憶にあるに違いない、自然との良い関係。
 こじつけるような言い訳を自分にしながら、デジカメおじさんはその一
日を休暇にし、安売りで気紛れに買ったバッグを手にして車に乗り込む。

 行き先はもう決まっていて、何時か来ると決めていた「何時か」をその
日にしたというだけのことなのだ。
 冷やかすような笑いで見送るマアの目を意識しながら、さりげなく発進
させて山を見る。勿論きれいな輪郭をを見せる稜線に心はもう日常を飛び
越えている。

 

2002/09/13−名も無き花に

 名も無き花、と言いながら野花を追いかける時々に思い出す人たちがい
る。

 今日は、そんな友人の一人の命日になる。遠方で病に臥したその友を見
舞うことも出来無かったという痛恨の思いはあるのだが、病んだ姿を見な
かったためか、いつも身近にいた当時の姿を思い浮かべている。

 

2002/09/14−日高山脈-0914

 マアと二人、早朝から札幌へ向けて車を走らせる。十勝と日高を結ぶ天
馬街道を抜けていくのだが、十勝側の最後に近い牧場にさしかかったあた
りで茜雲を反射する山巓が目に入って車を停めた。

 

2002/09/21−日高山脈-0921

 たっぷり寝て自然のままに目覚めた朝、カーテンを開けるときれいに晴
れ上がった日だった、本当に久しぶりの休日。ゆっくりと朝食を摂り身支
度を整える時間もある。多忙に過ぎた一月、日常的な感覚を放棄したよう
な部分があったために、朝のゆっくりした時間の流れが充足感さえ与える。

 すでに日が高く、日高の山並みは陽光の散乱反射に霞むような影となっ
て十勝晴れの空に稜線を描いている。道端の草も枯れたものが目立ち、紅
葉の季節が近いことを知らせている。

 

2002/09/22 日高山脈-夕焼けに

 人がつけた道が、おそらく柏の原生林であっただろう土地を変貌させて
いる。だが静かな夕暮れだった。夕日を迎える日高の山を撮ってみようと
思って走ってきた。

 車を乗り捨てて道端を歩いていると、否応なく人の汚れが目に入る。海
洋深層水さえつまらぬ商品に仕立てようという人間どもだ、車から数十グ
ラムの鉄のかたまりを草むらに投げることなど意に介さないか・・・・・。

 その一方、別の場所では牧草畑で首だけ覗かせている鹿の群も見た。5
頭ほどいたようだが、時に農産物を荒らすと理不尽なことを言われる彼ら
の汚れはあるのだろうか?

 そんな時間が経過するうち空が変わってきていた。牧草の向こう、林の
向こうに連なる山並みに日が落ちてゆく、雲が赤く染まっていく。急いで
いつもの場所に車を向けながら知恵の足り無さを思い知る、きれいな夕焼
けになったのは計算通りだが、山の上には厚い雲が懸かっている。

 写真を撮るのは殆ど諦めて、いつもの場所から黙って夕焼けを見ていた。
この土地を切り開いて逝った多くの人々も眺めただろうその光景。

 

2002/09/23 日高山脈-0923

 山に日が落ちていくのをじっと眺めながら、いつしか怖れのようなもの
に浸されていた。人に対して怖いと思ったり、機械などの不具合や変調に
怖いと思うことは幾度もあったが、暮れてゆく山塊を見ながら感じる恐怖
感はまた別のものだ。

 何物かが自分の感情を揺さぶってくる、初めての経験ではないのだが、
久しぶりの感覚だった。ただ風景を眺めるだけで存在の根幹を卑小なもの
と感じてしまう。
 黒い山腹が、禍々しいというのではないが自分を圧倒する巨大な存在と
なってのしかかって来る。

 

2002/09/30 十勝平野

 柔らかな小麦の芽が、あるいは濃密に生い茂る牧草が、うねるように大
地に広がっている。飛行機の上から見る十勝平野は緑色の絨毯が整然と敷
かれたような眺めだ。

 それらの境は道路と丈の高い林と時折川筋が担っている。機械化が進ん
だあおりで、今は昔から見ると畑を区切る防風林も随分少なくなったとい
う。
 それでも時折目にできる林は十勝平野の昔を想像させる風貌を残してい
ると思う。

 とりわけ柏林が好きで、こんもりした茂みを見ると十勝の原野を被って
居たのはこの木ではなかったかと思える。
 夏、青々と繁る柏の木は荒々しい木肌と広がりのある葉とで、十勝らし
いおおらかさを感じさせてくれる。そして地を埋め尽くすような枯れ葉は
命の源と言っていい豊饒を約束する。

 

2002/10/01 包装紙・・・

 頻繁に東京へ出張し、商社マンに毛の生えたような活動をしていた時期
があった。2〜3日、場合によってはさらに1〜2日長くなることもあり、
慣れない東京を歩き回ったものだ。

 なぜか、得意先への手みやげは決まっていて、帯広の某有名菓子店の折
を数個手にして行く。
 ある時いつものように得意先で事務の若い子にその折を差し出した時、
「私たちこれ楽しみにしてるんです、いつも有り難うございます」と思い
がけない感謝の言葉を貰った。
 不躾といってもいいかもしれないのだが、本心から言っていることが感
じられる爽やかな言葉に聞こえて自分も清々しい気分になったことを覚え
ている。

 そんな思い出のある菓子折、自分では独特の味わいがあるその包装紙が
好きなのだ。フキノトウなどの野草のスケッチを並べているのだが、力強
いタッチが野生を感じさせると同時に柔らかな生命の躍動感を伝えてくる。

 坂本直行という画家の名を知ったのは、その包装紙のスケッチからだ。

 

2002/10/09 鮭の遡上

 一口に鮭と言っても沢山の種類がある。日本で一般的なのはシロザケと
いう種で英語でドッグサーモンである。北海道の夏の終わりから秋に各河
川に遡上する通称アキアジ(秋味)ももちろんこれである。

 タカノハも10月のある休日、カメラを抱えて孵化場のある川に走った。
ちょうど紅葉が始まった時期で上流に向かって目に入る山も両岸の木立も
秋色になっていた。

 河原に降り立ってそっと近づいていくと、水面の波立ちで見難いが上流
に体を立てている魚の姿が確認できる。3年から5年で母川に帰ってきた
鮭(シロザケ)をアキアジと呼ぶのだが、旅の終わりを迎えようというこ
の時期はすでにボロボロの姿になっている。

 

2002/10/11 鮭の繁殖

 ある意味で鮭に感動を覚えるのはその生殖のあり方だった。3〜5年を
生きてただ一度の生殖を行うために母川に帰る生涯で、川にいるのは卵か
ら孵化して降海するまでと、親になって遡上する時期だけで、通算しても
一年に満たない。

 雌一匹が抱える卵数は約3000個、この3000の生命がどうなるか
でその過酷な一生を語ってみよう。現在のところ日本総体の回帰率は2〜
3%といわれている。
 地域・河川によっては一定した数字とはいえないが、概ね5%に満たな
いと考えて間違いない。従って、母一匹が産んだ3000の卵の内、成熟
して日本の沿岸に戻ってくるのは約100匹程度ということなのだ。

 そこから人間様の食う分を抜いて、さらに川を遡上して無事ペアリング
までとなるとどれだけの数が全うできるのだろうか。現実は人間が親魚を
確保して人工採卵・受精させてしまうのだが・・・。

 

2002/10/12 鮭の味覚ー1

 アキアジ(秋味)に対してはトキシラズ(時不知)と呼ばれる鮭がある。
初夏に日本沿岸に来遊するシロザケなのだが、味覚の上では明らかにアキ
アジと違っている。

 脂ののりが違う。同じシロザケなのに、と考えては駄目なのだ。時期が
違えば当然のことで、例えば肉料理でも子羊など若い肉は別ランクにして
いるではないか。
 あれと同じで、捕れる時期が違うだけでなく、生涯の時期もアキアジと
トキ(トキシラズ)は違うのだ。アキアジは僕のようなおじさん(或いは
おばさん)、トキはそう・・・エネルギーに満ちた青年と考えていればいい。

 

2002/10/20 ブナ鮭のこと

 ブナ鮭というのは、沿岸に戻ってきた鮭が川水に触れて皮膚の色を変え
た状態を指す。一種の婚姻色と考えても良いのだが、海から川での生活に
備えて必要な体の変化なのだ。

 沿岸域で多少体を真水に慣らした鮭は、過酷な最後の行程である遡上を
開始する。それは海水から淡水での生活に変わるという生理的にも大変な
環境の変化なのだ。背びれが出るような浅い場所では川底の石で腹をこす
りながら、ひたすら産卵の場所を求めて泳ぎ続ける、生殖そして死へ向か
って。

 この間の魚体の変化は誰が見ても分かる。銀白色に光る筈の腹部に黒い
縞模様が浮き、その色が徐々に濃くなる。更に赤味を帯びたりして海を泳
いでいたときの端正な姿は失われ「ブナ」と蔑称される。
 これだって人間だけの価値観だ、不味い、金にならない、という・・・。

 

2002/11/09  旅の終わりに

 秋も深まった河原を歩いていて、ゴミのように引っかかっているのが目
についた。こうして秋味の旅は終わりを迎える。生涯一度の生殖を終えた
鮭は力尽き、もはや川の流れに逆らうことなくボロボロになった体を横た
える。

 やがてその死骸も自然の中に取り込まれていくのだろうが、北洋ベーリ
ングの海を大回遊してきた勇姿をしのぶ縁といえば、川では珍しい体の大
きさぐらいか・・・。

 さて、自分はこの年まで北海道が彼(彼女)らの故郷だと疑いも無しに思
っていたのだが、長年月を過ごしたベーリング海を懐かしむことはないの
だろうか?
 ふと、そんな想いに囚われて我が身を振り返ると、故郷で過ごした年月
をこの地での年月が遙かに上回っていることに気づいた。

 故郷とは何だろう?考えるものじゃなくて体に染みこんだある感覚、と
取り敢えず言っておこうか。何かはある・・・。

 

2002/11/20 秋色

 十勝平野の秋色は、防風林の落葉松の印象が深い。列をなして縦横に走
っている黄金色の葉が太陽に輝くとき、何とも言えない柔らかな曲線が現
れる。

 遠くまで連なる一列が切れると、例えばその向こうの畑には垂直に交わ
る別の一列があり、更に視線を走らせると、やがて日高山脈を眺めること
になっていく。

 この頃には奥深い山は既に真っ白な雪をかぶり、青空と白い山と黄金色
の落葉松との淡色世界がこの平野の広がりを改めて強調しているようだ。

 

2002/12/09 還ること

 人気ない荒地に在って時々想うことがある。人間が切り開いた畑、道路
などが再び元に戻ることはあるのだろうか?

 もちろんあり得ないと考えた上で夢想しているのだが、人間が開いた土
地に繁茂する雑多な草を見ているとそのままに任せた結果を見たいという
気分になるのだ。
 人が削りえぐり取った剥き出しの土もある意味ではあっという間に草に
覆われる。

 安定した、或いは固定した状態というのは生命活動にはあり得ないとい
った方が良い。生命活動の活発な状況を維持できたとき、その生物は安定
したかに見えるのだろうが、全体の中ではその突出がバランスを崩す。

 良い悪いという前に、生命の棲み分けというのは常にそうした運動の中
で行われていると考えるべきなのだろう。

 

2002/12/10  ナチュラリスト

 腹立たしい想いをすることがある。時にメディアに登場するナチュラリ
ストと訳の分からない肩書きをつけた連中の存在だ。人の知らない、踏み
込まない場所を知っているとか、山菜をとことん楽しむとかという輩だ。

 白樺の樹液を採取して楽しんでます、などと得々と新聞に書いてる奴な
どにはタカノハ、殆ど頭に血が上ってしまった。
 木が枯れない程度だからという言い分が幼稚すぎるし、自然と親しんで
いることを強調しながら、実は自分が自然にとっての邪魔者という自覚が
全くない。
 自然を知ってるということには2重の意味があって、侵略し略奪するた
めの知識・知恵にもなるのだよ。

 海洋深層水の利用なんてのもあるけれど、安直に自然物を金に換算しよ
うという考えが気に入らない。おそらくは地球の気象に重要な役割を果た
している偉大な海洋深層水だぜ!
 ちんけな人間の、美容だの健康などと引き替えにして欲しくない。

 

2002/12/20 みんな雪の下

 雪原に草ぐさいのち伝え逝く

 或る友人の母上が亡くなってお悔やみメールを送った時、ふと脳裏に浮
かんで書き留めた一節。

 生物種としての人間を考えれば、立派な子と孫を残したその婦人は十勝
の雪原に消えていったのだと思える。その風格は十勝の風雪、豊饒の野生
が刻まれて力強くも穏やかなものに見えた。

 社会的動物としての人間といいつつ、否!と言いたくなるのはこうした
人々を目にすることがあるからだ。

 

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