1. 『教師と猫と怪談話』
「ええっと……こりゃ本当にひどいな、かすれて全然読めないや」
乱雑に書籍が積まれた机で、黒髪の男が溜息と共に呟いた。
彼の左手には古ぼけた指輪がつままれ、右手の下には古い大版の本が開かれている。少しずれていた黒縁眼鏡をかけなおすと、男は再びぺらぺらと頁を捲った。そしてううん、とひとつ唸ると、くしゃくしゃの頭に手をやった。
机に面した窓からは、ちょうど空の中天を過ぎたばかりの日の光が差し込んでいる。その白い光に、さほど広くない部屋の中を舞うほこりがきらきらと白く輝いていた。部屋には男の机の上と同じように、ところ狭しと大小とりどりの書籍がつみあげられて塔を作っていた。その書林の奥で、黒縁眼鏡の男がまた唸る。
「南東部で発見された指輪……。材質からして先史時代、しかも前200年前後だと思うんだけど……うーん、無いなあ」
男は黒いローブの肩に白い右手をやり、首を左右交互に倒してこりこりと音を鳴らす。男はもうかれこれ3時間、休みなしに調べ物を続けていた。
「ひょっとしたら……あぶりだしとか。そんなわけないか」
右手の指でぼさぼさの黒髪をさわりながら、左手の人差し指と親指で支えた指輪を日の光に透かす。何かの金属でできているらしい指輪は黄土色で、ところどころに青い錆びが浮かんでいる。表面には文字らしき模様が並んでいるが、長い年月の賜物なのか磨り減ってしまっていて模様が判然としない。指輪を半回転したところで、指輪を覗く男の目に、輪から太陽が直接に飛び込んできた。その眩しさに目を細めながら、男は指先で古い指輪を弄ぶ。
「……また魔力でも注いでみるか」
男は指先に魔力を集中させると、それを指輪に伝えた。が、しかし、指輪は起動の兆しどころか何の変化も見せない。相変わらず沈黙したままだった。
「とぼけた古ぼけた指輪。……つまらないか」
言って、黒縁眼鏡の男――アッシア=ウィーズは椅子から立ち上がり、指輪をローブのポケットへと落とした。
「さて……と。休憩でもするかな」
そう言って、アッシアは外の空気を吸いに出るべく部屋の扉へと体を向けた。
私立セドゥルス魔術学院。七賢者の一人に数えられる「雲のセドゥルス」がわずか16年前に創始した、浅い歴史ながら大陸屈指と数えられる魔術の最高学府である。パルオニス大陸の中央に位置する山間部に自治領的に置かれたこの学院は、大陸西部にある五カ国のうちの四カ国とその境を接している。
このセドゥルス魔術学院の売りは、立地条件に由来する権力と無関係でいられる研究環境と、特殊な設立理念にある。すなわち、「魔術を恒久の平和たる目的に練使しもって累代の繁栄に資」そうという理念。平たく言えば、魔術の平和利用を目的として掲げたのであった。
二千年の古きより人間の力であった魔術。
魔術は主に武力として用いられ、研究されてきた。大きな武力が自衛のための武力を呼び、武力によって流された血がさらに大きな武力と争いを呼んだ。この大陸における魔術の歴史は、抗争の歴史と等しい。
魔術は効率的な攻撃手段であり巨大な火力であり、ひ弱な人間が行使できる最強の武器だった。広大な森を燃やし尽くす炎。巨石大地を粉々に砕く衝撃波。魔力は武器だという積年の常識。そんな既成概念を覆そうとしたのが学院創始者であるセドゥルスだった。少なくとも、世間ではそう言われている。
環境と理念に惹かれ、山深い不毛で辺鄙な土地に、まず優秀な魔術研究者が集まった。そして魔術を志す少年少女が集まった。前者たちは優れた教師となり、後者たちは熱心な生徒となった。そしてセドゥルス魔導学院では学びたい教師たちの下に生徒が集まってその教師に学ぶ、いわゆる教室受け持ち方式が採用された。こうした教育システムが功を奏したのか、第一期生の卒業から9年、セドゥルス魔導学院の構成員と言えばエリート魔術技能者を指す言葉にまでなった。
アッシア=ウィーズは、そのセドゥルス魔術学院の教師だった。
けれど彼は古代学というマイナーな学問を専門にし、学院最小とも言われる人数の教室を担当している、はっきりと言ってしまえば日陰者の存在であった。さらに十人並みの容姿と櫛を通さないくしゃくしゃの黒髪と黒縁の眼鏡とが元々冴えない風貌に拍車をかけて、彼の印象を決定付けていた。
冴えない男。
それが、この学院でアッシア=ウィーズを知るものの大半が持っている印象であった。
緑の芝生が敷かれた中庭に降り立つと、アッシア教師はまず伸びをした。うーんと体を伸ばすと、ぽきぽきと体中から音がした。そして肺の空気を入れ替えるかのように、大きく息を吸っては吐き、吐いては吸った。
中庭にはひと気はほとんどなかった。今が授業時間中ということもあるだろうが、この中庭は生徒たちがいる宿舎や教室棟からは遠く、ロケーションの割には人が少ないので絶好の休憩場所だった。
さくさくと草を踏みながら、アッシアは中庭を歩く。
暦は春の中途、もうすぐ初夏を迎えようかというところで、気候は寒くもなく暑くもなく、空も晴れやかで、アッシア教師にも実に心地良い具合だった。ちょうどいいところを見つけると、そこにごろりと転がった。顔に当てた指の股から差し込む光が眩しい。
「……いーい天気だなあ」
両手を枕に草を敷布に、アッシアはゆっくりと目を閉じた。瞼に太陽が透けて見えた。そうして、教師は思考を止める。頭の中を白くして、なるべく何も考えない。それがアッシア教師の休憩のやり方だった。この方法が一番自分をリフレッシュさせてくれることを経験的に学んでいた。
そうしてぼうっとしていたところに、ふと何かが動く気配を感じて、アッシアは薄く目を開けた。眠気を感じ始めた体に命令を与えて、アッシア教師は視線だけで気配の正体を探す。
彼が顔を横に倒すと、そよぐ緑の草の中に、一匹の黒い猫が立っていた。黒い生き物についた金色の目が、アッシア教師に向けられていた。
高貴そうな猫だ。アッシアはまだ痺れのように眠気の残る頭でぼんやりと感じた。
黒猫は、アッシアからほんの数歩という距離しかないというのに、逃げようとするどころかその場にゆっくりと腰を下ろすと、悠然と緑の草はらを背景にしてじっとアッシアを見つめていた。
黒猫は艶やかな毛皮を暖光にまかせ、畳んだ後ろ足に寄り添う長い尻尾の先を、上下に僅かずつ、動かしている。起こした首は真っ直ぐで、まるで物怖じしていなかった。
黒い小動物は大きな金の目で、真っ直ぐにアッシアを見詰める。とうとう黒猫は腹までをくさ原につけて横たわった。
人ならぬ身ながら、凛とした強い視線だった。アッシアは、上半身をそっと起こした。その動きに黒猫は逃げるどころか、アッシアの動きに合わせて視線を上げた。
アッシアが手を伸ばせば届きかねない距離に、黒猫はいる。それなのにちっとも怯まない猫に、アッシア教師は好意に近い感情を覚えて、眼鏡の奥の薄茶の目を綻ばせた。
良い天気だった。太陽が与えてくれる熱が、黒猫の体温なのかもしれないとアッシアに感じさせてしまうほどに。ここには綺麗な光素が満ちているのだとアッシアは思った。
そして何の気もなしに、アッシアは、やあ、と黒猫に声をかけた。
すると、ああ、と低い声で返事が返って来た。
そこでアッシアは顔に浮かんでいた笑顔を止めた。
そして、きょろきょろと辺りを見回した。誰もいない。ただ、綺麗に刈り込まれた芝生が見えるだけだった。アッシアは再び曖昧な笑いを顔に浮かべると、ぼさぼさの頭に手をやった。
疲れているからな、などと独り呟いてうんうんと頷くと、アッシアはまた黒猫に視線を向けた。
そして、念のためにもう一度、話掛ける。
「……やあ、こんにちは」
「挨拶はもう済ませただろう」
黒猫は、泰然と答えた。そして感慨深そうに続けた。
「お前は私の言葉が通じるみたいだな。探した甲斐があったというものだ」
あぐあぐと、黒縁眼鏡の教師は口を動かした。無意識に手に握った草がくしゃりと音を立てる。
ね、猫が喋った。
ようようそれを認識して、冴えない教師は驚きの声を春の空に放った。
■□■
「ふあぁ……」
口も抑えずに大あくびをして、赤毛の少年が机に張り付くようにして体を伸ばした。それを見て、隣の席に座っていたポニーテイルの少女が、眉を顰めて少年に言った。
「やーね、パット、また昨日も夜更かし?」
「るさい。昼飯食べたばかりで眠いんだよ」パットと呼ばれた少年が、唇を尖らせる。「あくびぐらい自由にさせろよ、リーン」
言い返されたリーンと呼ばれたポニーテイルの少女は、色素の薄い黒髪をまとめる細い緑地のリボンを触りながら反論する。
「そんなこと言って、また授業中居眠りするんでしょ。まったく、たった六人しかいない教室で、よくもまああんなにぐーすかぐーすか眠れるわね。」
そこまで言って、リーンは横目でちらりと、パットとは反対側にあたる隣の席に座っている、金髪の小柄な少女を見遣る。
「ヴェーヌちゃんなんて、教室に入ってきてまだひと月も経ってないのよ? なのにそんなだらしないとこなんて見せて。あんた一応先輩なんだから」
パットはふわりとした赤毛をかきあげた。応戦すべく唇を皮肉げに開く。彼の碧眼がいたずらっぽく光った。
「リーン、おまえだってこの前の講義で、退屈そうに大あくびしてたじゃないか。六歳のときの奥歯の虫歯の治療痕まで見えてたぜ」
「っ、っなんですってぇ? そんなことしてないわよ!」
リーンが白い顔を朱く染めて形のよい眉を吊り上げて机を叩く。教室の備品として備え付けられている安物の机が、ばんと音を立てた。
「おふたりとも、ほんとうに、仲がいいんですねぇ」
先程ヴェーヌと呼ばれた柔らかそうな金髪の少女が、可愛く小首を傾げて言う。
「「よくない!」」
ほぼ同時、パットとリーンが答える。
「はいはい。もうわかったから、双子漫才はそのくらいにしておいて」
そう会話を制すると、リーンの対面に座っていた角眼鏡の女が食後のお茶を啜った。
四人の生徒が、自分たちの教室で、少し遅い昼食を食べ終わって食後の取り止めの無い会話をしていた。本来この時間帯は午後一番の授業がある時間帯なのだが、たまたま授業の無いメンバがこの時間に揃って昼食を食べることを習慣にしていた。
教室は他の教室と較べやや小さめであるほかは、特に特徴らしい特徴もない教室だった。部屋の中には二十は越えない程度の木製の椅子と机が並んでおり、壁の一面には巨大な黒板が備え付けられている。教壇があり、壁の一面を占める窓にはくすんだベージュ色のカーテンがかけられている。春の柔らかい風が、その窓から流れ込んできていた。
そんな教室の窓際に生徒たちは机を寄せ集めて、気だるい午後を満喫していた。
「レクシア女史、俺たち双子じゃないって」「イトコなんだってばレクシアさん」
双子と名指しされたパットとリーンが、割台詞で角眼鏡の女生徒に向けて不満を言った。
「生まれ年が同じで家名も同じならもうそれで充分よ」
レクシア女史、と呼ばれた女生徒が、もう打ち切り、とばかりに白い手を振る。しかし、他称双子たちは引き下がらない。
「生まれ月が違うわ」
「生まれた家だって違うし」
「そりゃ確かに家はお隣だったし」
「初等学校でも一緒だったけど」
「ほんとうに、おふたりは双子みたいですねぇ」
そう会話を締めくくったのは、金の髪の新入生だった。擬似双子たちはうんざりとしたような表情を見せて、がっくりと肩を落とす。その様子を見て、レクシア女史は角眼鏡を指で直した。そして、口を開く。
「いいじゃないセットだと覚えやすくて。アッシア先生だって喜んでたわよ」
「たった6人しかいない教室で、覚えやすいもにくいもないと思うんだけどな」
そう言ったのは双子の兄の方だった。まあ確かに、とレクシアが認めると、パットは言葉を続ける。
「けれど6人に増えただけましなんだな。去年はこの教室の新入生、ゼロだったもんな」
あれは寂しかった、とパットは腕組みをすると、自分で自分の言葉に納得したのか、感慨深げに数回首を縦に振る。その隣で、双子の従妹が、
「だから今年は本当に嬉しかったのよぉ。私たちの初めての学院での後輩が、ヴェーヌちゃんみたいな可愛い子で」
と言うと、小柄な新入生に向けて片目を軽く瞑ってみせた。リーンの隣に座っていた新入生の少女は、わたしもうれしいですぅ、と舌足らずの口調で言って、微笑みを返した。
「今年はきちんと新入生が入ってくれて、ほっとしただろ?ウィーズ教室副クラスリーダを務めるレクシア女史としてはさ」
机の上に両腕を重ねその上に顎を乗せた姿勢で、双子の兄がレクシア女史に呼びかけた。呼びかけられた女史は、もちろん、と頷いた。そして、新入生の少女にセピア色の眼を向ける。
「私も後輩が貴方みたいな素敵な子でよかったと思っているわ、ヴェーヌ」
そう言われて新入生の少女は背中まである長い金髪に触れて、はにかむような笑顔を見せた。
「ね、そう言えばさ、知ってる?」リーンが机の上に身を乗り出して、話題を変えた。「地下図書庫の怪異の話」
「何それ?」
きょとんと、そう言ったのはレクシア女史だった。それを見て、なんだ女史は知らないのか、とパットがにやにやと笑う。
「最近流行ってる、学校怪談の類いだよ。地下図書庫から夜な夜なすすり泣きが聴こえるとか、誰もいないはずなのに頁を捲る音が聴こえて来るとか、そういうやつさ」
「そーそー。一説には、このセドゥルス学院ができるまえはここは処刑場で、処刑された人たちの霊が夜な夜な地下図書庫に現れると言われているの」
リーンが立てた人差し指に力を込めて力説した。
「なんだ、くだらない」レクシア女史は一蹴した。「こんな山奥に処刑場なんてあるわけないじゃない。一体誰が建てたっていうのよ」
くだらなくないよ、とリーンが胸元で両拳を握ってさらに身を乗り出した。
「だって私、昨日聞いてきたんだもん。図書庫の管理人のおじさんに」
「そういうくだらないことに情熱燃やすよな、おまえって」
呆れたように、パットが同い年の妹を見た。
擬似双子の兄の視線には構わずに、リーンは椅子に座りなおすと、繊い拳を口に当て、こほんと咳払いをした。そして、言う。
「図書一筋34年、図書庫管理人、ガヴリーロ=ギューマさん(56)の証言。」
「あ、あの人もうそんな年なんだ」
見えないね、とパットが言う。
「一昨年、お孫さんが生まれておじいちゃんになったんだって。……まあ、そんなことはいいのよ。黙って聞きなさいよパット」
リーンは同い年の従兄を軽く睨むと、口を開いた。
儂ァ聞いたンだ。え? 何をかって? そりゃあ決まってんべさ。
幽霊の声だ。――うん、そう、幽霊。
ある晩な、ありゃぁ――たしか四日前だったかな。新月の晩だったから。儂ァ忘れモンしたことに気が付いた。娘夫婦の肖像画。そう、これこれ。端ンとこが擦り切れてる?そらあそうさ。儂ァいっつもこれを持ち歩いていてのぉ。
でだ。夜中寝る前になってこいちを失くしていることに気が付いた。どこかに忘れたとしたら、そりゃ一日中居る地下図書庫の管理人室しか無い。ん? まあ、確かに地下図書庫は広いが、見回りなんてそうそうせんからなぁ。別に明日の朝でもよかったんだが、そのときはどうにも落ち着かなくて、取りにいくことにした。そう、夜の学院にさ。
長い階段を下りて、がちゃりと図書庫の扉の鍵を開けたそのときさ。真っ暗な図書庫の奥の方から、唸り声がすんのさ。うぉぉぉぉぉ。うぉぉぉぉぉ。ってな。獣の声みたいだった。うん? 気の所為なんてことはないよ。はっきりと聴こえる声だったな。こう、広い図書庫にわぁんと響いてね。
そしてとにかく儂は叫んだんだ。『誰だ!』ってね。うん、まあ、怖かったね。なにせ暗くて、何が居て何が起こってんだかわからないわけだからさ。
でも儂が叫んだ途端に、声は止んだ。ぴたりと。あとは、何ァんも音なんてせなんだ。儂は唸り声が聞こえて来たほうに、こう、魔術の灯りを掲げて行って見た。そしたらばだ。分厚くて重たい、本という本が棚から出されて、ばらばらに散らばってなっていたのさ。うん、開いているのもあれば、閉じているのもあった。
だから次の朝、儂ァ教師長さんにご注進したんだ。うん、そう、ファッグさんだ。けんどあんひとは面倒くさがりだから。ろくに調べずに、誰かのいたずらだろうということんなった。まあ、唸り声がして本が散らばっていたってだけだしなぁ。実害はないと判断したんじゃろうて。
うん、あれから、朝に図書庫に行くと、ときどき本が床に落ちていたりするんだ。おかしい?うんそう、おかしいんだ。あんな分厚くて重たい本、勝手に落ちたりするわけないからね ――
ありゃあ幽霊だよ。間違いない。居るんだよ。そういうの。
ほら――あんたの後ろにもっ!
「きゃっ――」
ヴェーヌが声をあげた。
しかしそれはリーンの話に驚いたのではなく、リーンが隣にいたヴェーヌに抱きつき、くすぐりだしたためだろう。きゃっきゃっと絡み合う二人の少女を眺めながら、パットは頬杖をついて、溜息と共に言う。
「凄い熱演だったけど――ガヴリーロはそんな話し方しないだろ」
「演出だもの」動きを止め、あっさりリーンが認めた。
どう思うレクシア女史。そんなパットの誘い水に、角眼鏡の女生徒は首を横に振った。
「興味無いわね。幽霊なんて、いるわけないじゃない」
「でもぉ、そうだとしたら本がちらばっていたのはどうしてなんでしょうねぇ」
くすぐり合う動きを止めて、ヴェーヌが言った。彼女はいつの間にかリーンの膝の上にちょこんと乗せられていた。リーンとて細身であるし決して大柄なわけではないのだが、ヴェーヌはさらに小柄なので、このように子供の如く扱われてもさほど不自然さはない。
「さっきの話にはちょっと脚色もあるんだけど、うん、本が散らばっていたっていうのはホントらしいよ。」
リーンがヴェーヌの腰を抱いたまま言った。
「誰かの悪戯でしょ?どうせ」
首を傾けて、副クラスリーダは角眼鏡に触れた。
「でもぉ。だれが。どうして。どうやって。」ヴェーヌが自分の桜色の唇に白い指先を当てる。「こーいうの、すごく気になるんですぅ、わたし」
「そーいや、なんでだろーな。ガヴリーロに嫌がらせでもしたいのかな?」
そう言ってパットは椅子で船漕ぎを始めた。赤い前髪を弄んで、考えている様子を見せた。
「……しらべてみましょぉ」
「へ? 調べるって――」
小柄な新入生の宣言に、年長の副クラスリーダが驚きの声をあげた。
「今夜、地下図書庫に行ってみる。ってことかな、ヴェーヌちゃん?」
赤毛の少年の言葉に、金髪の小柄な少女が頷く。
「それってつまり、肝試しよね!夜の学院探検だもの!」リーンが嬉しそうな声で言った。「私も行く!みんなで行こうよ!」
リーンの提案に、ヴェーヌが嬉しそうに明るい表情を見せた。そしてまた二人がじゃれ合いだす。
「俺もいいぜ。今ここにいないワスリーとエキアも誘っとくよ。――レクシア女史はどうする?」
パットの言葉に、やや呆然としていたレクシアが反応した。
「へ、私? わ、私はちょっと――」
「別にいいじゃないか。それともレクシア女史は――」
幽霊が怖いんだ?
パットのそんな安い挑発に、角眼鏡の女生徒は簡単に乗った。
「こ、怖いわけなんてないじゃない。肝試しなんて子供っぽい行事に参加するのに抵抗があっただけよ。でも、いいわよ、別に。参加してあげるわよ。」
そう言ってつんと唇を尖らすと、副クラスリーダはすっかり冷めてしまったお茶の残りを啜った。
あー、とヴェーヌ少女が突然声をあげた。
「何?どうしたの、ヴェーヌちゃん」
リーンが膝上の少女に尋ねる。傾げた首に、真っ直ぐな黒髪の房が跳ねた。
「いつも、ごはんをあげてる中庭の猫さんがいるんですけど、今日はごはんあげるのすっかりわすれてましたぁ」
「でも、もう昼休み終わっちゃうよ?」
「つぎの時間もじゅぎょうがないからだいじょうぶですぅ。けど、おなかをすかせていたらお気のどくですしー」
「じゃ、急がなきゃね」
はいー、と頷くと、ヴェーヌはリーンの膝から降りて、教室から出て行った。たたた、と軽い足音が遠くなって消えた。
膝が軽くなったリーンは、ずい、と再び机の上に身を乗り出した。
「それじゃあさ、名前を決めようよ」
「名前? 何のさ」
突然の同い年の妹の提案に、パットが尋ねる。双子の妹は、私たちのよ、と言い返した。
「幽霊を調査するわけだから、その調査隊の名前決めなきゃじゃない。当然でしょ」
「いや、そんなのは要らない――」
そうパットは抗弁しかけたが、まったく意に介した様子も無くリーンは続けた。
「『幽霊何でも調べ隊』ってのはどうかな。調べたいと隊とがかけてあるんだけど」
「却下」
パットは首を横に振る。
「じゃあ『若さ一杯元気溌剌!オロロン調べ隊(仮)』ってのは?我々調査隊員の若さをアピールしつつ、幽霊をオロロンという擬態語で表現してみたんだけど」
「却下。だから要らんってば――」
「んーじゃあこれは?『闇。それは恐怖そして畏怖。調査団』。哲学的で、レクシアさん好みかなぁって思うんだけど」
「何がなんだかわけわからんし。ねえ女史――」
とパットは否定の言葉を求めようとしたが、レクシア女史の反応は意外なものだった。
「……確かに、その名前、ちょっといいかも」
「嘘ォ?」
パットが驚きの声をあげている間に、今度はレクシアが名前の案を出す。リーンが腕を組んで首を傾げる。そしてリーンが対案を出す。レクシアの角眼鏡が光る。名前談義は、女二人の間でさらに進行する気配を見せていた。
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