2. 『今日はカモミールとセージのブレンドティを』
魔術は3つの要素から成り立っています。魔術の効果を規定するプログラムである「文様」。魔術のエネルギー源である「魔力」。そして魔術の発動要件である「言霊」です。魔術を使うとき、術者はまず「文様」を作ります。そして出来上がった文様に「魔力」を注げば、もう準備完了です。あとは、「呪文」、これはつまり言霊を込めた言葉のことです。言霊を込め、何かしらの言葉を発することによって魔力を発動させることができるのです。……<中略>……この世界において魔術とは物理力の行使に過ぎず、術者の願望を直接に具現化する術のことではないとよく言われます。魔術とても自然法則は越えることはできませんし、構造のわからない鍵を開けられないなど、理解していないものには魔術の作用を及ぼし得ません。……<中略>……またたとえば、あなたが部屋で暖をとりたいと願うとき、どうするでしょうか。部屋の空気を温める魔術を使いますか?しかしながら直接に「部屋を『適度に』暖かくする」という効果をもった魔術は不可能です。あなたは、熱魔術を適正に放ち、部屋の空気に熱量を与えることで暖をとらなければならないのです。もちろん、加減が過ぎれば今度は暑すぎるようになってしまうでしょう。しかもこういった方法は失敗すれば火事を引き起こす危険性がありますから、魔術に自信がある人でも、暖炉でもって部屋を暖めるのが望ましいと言えるでしょう……<中略>……繰り返しになりますが、魔術とは単純な物理力の行使に過ぎません。ですから、望ましい結果を得るためには、充分に注意して適切な魔術を適切な威力で行使しなければなりません。……<中略>……この世界には魔術とよく似た、「魔法」という言葉があります。魔法とは、通常在り得ない、または起こり得ないことのことです。「まるで魔法のような」なんて、日常でもよくある言い回しだと思います。杖を一振りするとお菓子の家が出てくるなんていう「魔法」は、魔術とはまったく違った、まさにお伽噺の世界のものなのです……
<ラージィ=ターディ著 3日でわかる初学者のための魔術 タッド出版>
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春を過ぎても、風は柔らかい。まだ若さを残す草をさあっと撫でて、駆け抜ける。この草たちはもう少し経てば烈しい陽射しに鍛えられてその色を濃くするのだろう。
そんな草たちに囲まれて、人間の男と黒猫が向かい合って行儀よく座っていた。
ずり落ちた黒縁眼鏡を左手で押し上げて正しい位置に落ち着けると、アッシアは半信半疑ながらも一通り聞いた黒猫の話を自分の中でまとめた。
目の前に座る、高貴そうな雰囲気をもった黒猫。
この猫は、実は元人間であるということ。性悪の魔術士によって猫にされてしまったということ。そして当然元に戻る方法を探していること。学院にはその手懸かりを求めて来たということ。しかしほとんどの人間には言葉が通じないということ。だがアッシアには言葉が通じてしまったということ。そして、今のところ唯一言葉が通じる人間である自分に元の人間の姿に戻ることの手伝いを依頼したいということ。
以上七つのことを胸中で確認すると、アッシアは上目を使って黒猫を見ると、猫は「どうか」といわんばかりに、ぱたりと大きく尻尾をふった。黒猫の話を行儀よく正座して聞いていたアッシアは、さかんに首を捻り、手の平で膝を擦り、眼鏡を押し上げかけなおして、また聞く。
「あの、ちょっと確認したいんですけど」
「ああ」
どうやらあまり感情を表に出す性質ではないらしく、黒猫は淡々とした相槌を打った。
「黒猫さんは、元人間で、悪い魔術師に魔術をかけられて猫になったとおっしゃいましたよね」
「ああ」
「その、それは確かなことなんでしょうか。現在の魔術技術では、人間を猫にするというのは、控えめに言っても限りなく不可能に近いことのように思えるんですが」
「では、嘘か冗談のように思えるか?」
ぱたり。黒猫が尻尾の先を振った。黒縁眼鏡の教師は、素直に首を横に振る。
「けれど、素直には信じられない話です。こんな――魔術で、人が猫になるだなんて」
ぱたり。また猫が尻尾を振る。アッシアは話し続けた。
「何かを作り出す魔術というのは、形成魔術と呼ばれ、歴史的にずっと研究が続けられているにもかかわらず実現が難しいと言われている魔術です。なにせ、無から有を作り出すのですから、形成魔術の概念そもそもが自然法則に反しているんです。現在、医療魔術の分野で肉組織片を――しかも皮膚片など簡単なものだけ――増殖させて作り出すのがやっとだと聞いています。それなのに――」
黒縁眼鏡の奥の眼を細め、アッシアは猫を見る。
「――人を、猫にしただなんて」
そう言って、アッシアは押し黙った。
「確かに、私は信じ難い話をしている。その自覚はあるし、アッシア教師の動揺はもっともだと思う」
黒猫は、淡々と話した。やや低い声が、アッシアの耳朶に染み込むように響く。
「だが、私はとにかく魔術をかけられ、結果、猫になった。その事実は揺るぎようもない」
静かに、だがきっぱりと、黒猫はそう言いきった。
「確かに……既に起こってしまった事実の前では、可能性がどうであれ、僕が主張するのはへ理屈にすぎませんね……」
素直に首肯すると、アッシアは俯き加減の顔をあげて、僕は、と繋げた。
「あなたの言うことを信じます。そして、あなたが元の姿に戻るために協力します。だから、あなたのことをもっと話してください。今のままでは情報が少なすぎてどうすることもできません」
感謝する、と黒猫は頭を下げた。
「では、そうだな……私を猫にした魔術士のことから話そう」
「相手が誰だかわかっているんですか?」
「私を猫にしたのは、ピエトリーニャだ」
「ピエトリーニャ?」アッシアが驚きに眼を丸くした。「ピエトリーニャって、七賢者の一人である、『奇術師』ピエトリーニャのことですか?」
「そうだ。まともに生きていればもう200歳くらいになるはずだが」
「そうですよ! 今ではすっかり伝説上の存在ですよ! 独自の発想で百を越えるオリジナル魔術を創り出した天才魔術士じゃないですか!彼のおかげで魔術文様構成学は100年は進んだって言うくらいの――いや、それよりも彼はまだ生きている?」
「ああ。生きていた。名乗りもしっかりとこの耳で聞いた」
「それは――何処で」
「このセドゥルス学院近くの山中だ。そこに隠れ家があった。もういないと思うが」
「じゃあ、あなたが猫になったのは――」
「ああ。その奇術師ピエトリーニャの隠れ家でだ。もう四年も前のことだが」
「では、猫になったのはピエトリーニャの独創魔術によるんですかね」
「恐らく。二百年も生きているくらいだ、そのくらいはやっても不思議ではないような気はするな」
「そうですか――なるほど」学院教師は頷いた。「では、学院にあるピエトリーニャの研究記録を後で調べてみましょう。猫化の魔術についてなにかわかるかもしれません」
よろしく頼む、と黒猫は再び頭をさげた。
ところで――とアッシアは話題を変えた。
「あなたは、その、猫になる前はどのような方だったんですか?……その、名前とか、職業とか。そういったことを、全然聞かせて貰っていないんですけど」
黒猫は、ああそうだな、と言ったあとしばらく考えるように空を見た。そして、ゆっくりと口を開く。
「私は……傭兵だった」
「傭兵、ですか。」
「戦いを求めて大陸の西方5国を旅してまわった。南の神巫女の国ミティアとリーティア、北の騎士の国ベルファルト、魔術の国アーンバル、そして豊穣の国ダーダリン大公国。……東の果ての国と呼ばれるトジャにも、一度だけだが行ったことがある。アッシア教師、出身は?」
「……。僕は、ベルファルト王国です」
「そうか。私と同じだな。そして猫になってからは、とにかく生きることで精一杯だった。このセドゥルスに来たのも最近のことだ。教育機関でありながら魔術研究機関でもあるここでなら、何か手掛かりがつかめるんじゃないかと考えてな。ひと気の無い夜間にこっそり学院に忍びこんで、調べ物をしていた。文字は前と変わらずに読めるからな」
そうだったんですか、と言って、アッシアは何度か頷いた。そして、また口を開く。
「僕は六年前にこの学院の教員採用試験に合格して、以来ずっとここで働いているんです。僕は、古代学が専門ですので研究の傍ら古代学の教師をしています」
「六年前」猫が、記憶の糸を辿るべく視線を伏せる。「というと――ちょうど北王戦争が終わった時分だな」
ええ、とアッシアは頷く。そしてなんだか眩しそうに、眼を細めた。
「北王戦争が終わったと同時、こちらに来たんです。今思えば幸運でしたね。戦争が終わってすぐ職が見つかったんですから。北王戦争のときは、ベルファルト王国のヨゼフ=スイマール大公の下で働いていました」
「そうか、君も、ヨゼフ大公の下で働いていたのか」
猫の言葉に、えっじゃああなたも――と教師は驚きの声を発した。猫は頷いて、一度金の眼をまばたかせた。
「そ――それじゃあ、僕の名前を聞いたりしたことが――」
あったりしますか、と黒縁眼鏡の教師が訊いた。
猫は首を横に振った。
「いや、すまないが」
そうですか――と、黒猫の返事に教師は何故か嬉しそうな表情を見せた。そして、滑らかに言葉を続けた。
「ヨゼフ大公の配下と言っても、僕は木っ端文官で、補給部隊で働いたんです。来る日も来る日も帳簿と睨めっこですよ。それでも目が回るような忙しさでしたけど――ええと」
言い澱む教師に、事情を察した黒猫は素早く補う。
「――レン。そう呼んでくれ。」
「レン。家名は?」
アッシア教師の問いに、ついと黒猫は視線を逸らした。
「……すまない。言いたくない。」
「はぁ」
急に肩透かしを喰らったようで、アッシアは間抜けな音を口から漏らした。
「それでついでと言ってはなんだが、もうひとつ頼みがある。」
「はあ、なんでしょう」問い返しながら、今自分は間抜けな表情をしているだろうなとアッシアは思った。
「私のことを、あまり余人に話さないで欲しいのだ。その、やはり理不尽な頼みだとわかってはいるのだが」
「……」
アッシアは沈黙する。じっと、目の前の黒猫を見つめる。黒猫は伏目がちになりながら言葉を付け加えた。
「短い間の会話だったが、私はアッシア教師を信頼に足る人間だと判断した。いずれ、時が来ればすべてを話す。だが今は」
すまない、と三度目、黒猫は頭を下げた。
そんな黒猫の様子を眺めながら、アッシアは想像する。ひょっとしたらこのレンを名乗る猫は、人間時代はそれなりに地位のある人間だったのではないだろうか。もしそうだとしたら、猫になどなったことが知れ渡りなどしたら、それは随分と不名誉なことなのではないだろうか。
そんな考えに至り、アッシアは大きく頷いた。
「わかりました。約束しましょう。」
そんな教師の言葉に、黒猫は明らかに安堵の表情を見せた。そして笑ったようにも見えた。相手は猫だからアッシアには表情はよくわからないのだが。
「では、もう少しアッシア教師のことを聞かせてくれないか」
「僕の話ですか? ……ええと、一体何を話したものかな……」
困ったようにくしゃくしゃの頭に手をやると、アッシアは正座を崩して草の上にあぐらをかいた。纏っている黒のローブを振って、袖にぶわりと風を入れる。そうして訥々と、彼は自分のことについて語りだした。
■□■
シアル=ブラウン教師は、『お茶の伝道師』と呼ばれている。
誰が呼び出したか定かではないが、いつの間にか教師の間で定着したシアル教師の代名詞である。その名の由来は簡単だ。シアル教師は友人知人とささやかなお茶会を開くことを無上の楽しみにしているため、同僚教師たちの暇な時間を見つけてはお茶セットを持って押しかけて、ささやかなお茶の時間を提供しているのである。
シアル教師の淹れるお茶は美味しい。お手製のお茶受け菓子も美味しい。一口啜り一口齧れば、甘いものに疎い男性教師たちは「ほう」と感嘆の声を漏らし、お茶菓子にはうるさい女性教師たちは「あら」と口を押える。
お茶好きの女性と言えばかしましい中年婦人を想像する向きもあるかもしれないが、彼女はどちらかと言えば静かな話の受け手役、聞き上手な女性である。そして、まだ若い。まだ二十歳を越して半ば、と言ったところだろうか。アッシア教師よりも1つだけ若い。ウェーブがかった茶の髪は肩の辺りで切られ、黄が混じった茶の目はおっとりとしている。そんな麗しいとも言える若い女性教師には、決め台詞がある。にっこりと笑って僅かに首を傾けて、彼女はいつものおっとりとした口調でこう言う。
「だって、皆で楽しんだ方が、お茶が美味しくなるでしょう?」
この言葉に女性教師たちは微笑みを返しながら頷き、男性教師たちは顔を赤らめて必要以上に大きく頷く。
このように教師たちは、『シアル教師のお茶の日』を楽しみにするようになった。そしていつしか、敬意とユーモアと親しみとを込めて、彼女を『お茶の伝道師』と呼ぶようになっていた。
シアル教師は白い頬に手を当てながら、思案げな顔で階段を降りていた。そしてぶつぶつと、口の中で呟く。
「……約束の時間は間違っていないはずだから……急用ができた。ううん、休憩に行かれているのかしら。とにかく一度中庭に行ってみて、いらっしゃらなかったらエマ先生のところにいこうかしら……それなら通り道だし……」
一応の結論を胸に弾き出すと、シアル教師は右肘にかけた藤製のバスケットを持ち直した。かちゃり、とバスケットの中の陶器が音を立てた。そこで、シアル教師は見覚えのある少女を見た。金髪の小柄な少女が、早足で廊下を歩いている。
(あの子は……えーと)
素早く記憶で検出した名前を、シアル教師は口にした。
「ヴェーヌ=フェレンツィ?」
突然呼ばれた名前に、金髪の小柄な少女が振り返った。
「中庭なら目的地がおんなじね。一緒に行きましょう」
おっとりとそう言う女性教師を見返しながら、教師の誘いに是非なくヴェーヌは頷いた。二人並んでうす明るい廊下を歩く。ヴェーヌは先程から疑問になっていることを聞いた。
「あのぉ、どうして、その、先生はわたしの名前をしっているんですかぁ?」
「だって、あなた、アッシア先生の……ウィーズ教室の新入生でしょう?」シアル教師は微笑む。「しかも一年ぶりの、たった一人の」
ちょっとした有名人だわ、あなたは。そう続けたシアル教師に、ヴェーヌは困ったように眉根を寄せた。
「もう少し、種明かしをするとね。アッシア先生から、一度、あなたのことを遠目に紹介してもらっているの。だから、私はあなたを知っているの」
そぉなんですかぁ、と相槌を打つ生徒の声に硬いものが混じっているのを感じたシアル教師は、はたと思いつく。
「あ、そうか」言って、教師は苦笑いしてちろりと舌を出した。「そうね、あなたは、私のことを知らないのよね。私は、シアル=ブラウン。この学院で教師をしていて、ブラウン教室を受け持っているの。えーと、専門に受け持っている教科は、オーソドックスに、魔術文様構成学。趣味は……お菓子作り、かな。こんなところでどう……かしら?」
「おいくつなんですかぁ?」素朴な疑問、といった声音でヴェーヌが訊ねる。
「二十五歳よ」シアル教師はまた苦笑い。「あなたは?」
「十三歳ですぅ」ヴェーヌは屈託なく答える。「見えませんー。もっと若くみえますぅ」
「ありがとう。でも、それは、あなたも同じ……」そこまで言って、シアル教師はこん、と自分で自分の額を軽く叩いた。「ごめんさなさい、ね。あなたの年齢で、そんなことを言ったら、怒られちゃうわね。悪気はね、ないのよ」
だいじょうぶです、とひとつ頷くと、ヴェーヌ少女はお返しにと自分の自己紹介をした。
シアル教師とヴェーヌ少女はその後も会話を弾ませながら歩き、中庭に到着した。それなりに広い緑の草地を見渡すと、その中にぽつんと、黒い点が二つあるのが見えた。
「うん、やっぱり、アッシア先生、ここにいらっしゃったのね」
そう言って、シアル教師が満足げに頷いた。
「あ、先生と一緒に、クロさんがいますー」
シアル教師の隣、そう嬉しそうに言ったヴェーヌが指を差す。
「さっき話していた――猫のことね?」
さくさくと草を踏んで歩を進めながら、シアル教師。
こくりとヴェーヌは頷くと、自分の担任教師に呼びかけるべく、息を吸った。
そして頭上で振ろうと挙げられた手が――耳のやや上、中途半端なところで止まった。呼びかけのために吸った息が、音にならずに肺から出ていった。金髪の少女のその横では、女性教師がバスケットを肘に提げたまま、笑顔を硬直させている。
それは彼女たちにとって、異様な光景であった。いや、どんな人間にとってもそれは異様な光景だっただろう。
大人の男が、緑の草の上に正座し、身振り手振りを交えて一生懸命に話しかけている。ただ一匹の、黒猫に向けて。
アッシア教師は、もう思春期の少年ではないし、壮年というにはまだ早い。いわゆる青年という年齢のはずだ。そして学院教師という立派な身分もある、きちんとした大人だ。シアル教師にとっては同僚だし、ヴェーヌ少女にとっては担任教師なのだ。
そのアッシア教師が、黒猫に向かって話し掛けている。それも、ちょっと戯れに声を掛けるという程度ではない。まるで人間に話し掛けるように、熱心に喋っている。まるで猫と会話でもするように。
途切れ途切れに聞き取れる言葉からヴェーヌが察したところによると、どうやらアッシア教師は彼自身の身の上話を話しているようであった。あのときはこうだった、そしてこうした。あれこれ説明しては、ははは、と時折アッシアは一人で笑う。それに対して黒猫はまるで相槌でも打つように尻尾を大きく振る。
目の前で起こっている風景をどのように解釈すべきなのか。
彼女たちの頭の中はまるで春一番が通り過ぎた後の風景の如く混乱した。春という現在の季節も、混乱した思考に拍車をかけた。おそらく彼女たちがまず最初に考えたことは、このまま何も見なかったことにして立ち去ろうかということだっただろう。
しかし、勇敢かつ寛容なことに、慈愛溢れるシアル教師は右肘のバスケットを持ち直すと、未だ猫に向けて熱弁を振るう男性教師と黒猫へと向けて歩き出した。その後ろに、ヴェーヌ少女がとぼとぼと従った。
あと五歩、という距離に二人が近づいても、アッシア教師は彼女たちの接近に気付かなかった。シアル教師は、呼びかけた。
「先生。アッシア先生」
これは目に見えない重たい壁を打ち毀す声なのだとヴェーヌは思った。
呼びかけられて、アッシア教師がはっとして女教師と女生徒の方を見る。
「こちらに、いらしたんですね」
シアル教師の、優しい声が響く。アッシア教師は、すいません、と立ち上がった。
「あ、もうそんな時間でしたか……申し訳有りません、シアル教師。ご足労させてしまったみたいで……」
「いいえ」シアル教師が首を振る。「――アッシア教師の方が、だいぶお疲れのようですから」
「は? はあ。すいません」
生返事をして、黒縁眼鏡の男性教師がくしゃくしゃの頭に手をやる。
お天気もいいですし、ここでお茶にしましょう。そう言って、シアル教師はシートを広げると、お茶の準備を始めた。手際よく準備を進めながら、シアル教師はアッシア教師を見て言う。
「今日はカモミールとセージのブレンドティがありますから、それにしましょう。とってもよく効くんですよ。疲労回復と……精神安定に」
はあ、とアッシアはまた生返事。と、そこでようやく彼はシアル教師の後ろにいた金髪の少女に気がついた。
「あれ、ヴェーヌじゃないか。どうしたんだい、一体」
「ええ。……そこの、猫さんにごようがあるんです」
いつもの鼻にかかる声でそう言って、ヴェーヌもまたアッシア教師を見た。
にゃあ、と黒猫が鳴いた。
今、冴えない教師に、憐れみの交じった生温かい視線が、たっぷりと注がれていた。
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