5. 『貴方のように綺麗な人なら』
「こんなん無理に決まってんだろーがっ!」
次の日の朝は晴天だった。青い空に白い雲がまだらに広がり、空気もほどよいくらいに湿っていて、なかなかこれ以上のものを望めない絶好の出発日和だろう。
そんな空の下、昨晩泊まった宿の前、アッシアの生徒たちは相変わらず賑やかに騒いでいた。
赤い髪の少年が、大きく首を振る。ふわふわとした髪の毛が、振った頭に少し遅れて揺れた。
「無理だ無理だ! いっくらなんだって、お前の荷物まで俺に運ばせるのは、無茶って奴だろーが!」
少年の抗議に、色素の薄い黒髪をみつあみにした少女が、胸を張る。
「そんなこと言ったって駄目よ。昨日の食事のときに、荷物はあんたが運ぶって決まったじゃない」
「それは行きの話じゃなかったはずだろ! 帰りの荷物の大半を俺が持つって話だったじゃないか」
「馬鹿ねぇ。帰りに荷物持ちなら、行きも同じに決まってるじゃない。あんたの身分が荷物持ちだってことなんだから」
「そんな阿呆な理屈が通ってたまるかよ!」
「うるさいのよ。二股男のくせに」
「ぐっ」
半眼で言ってきたリーンに、従兄のパットが言葉を詰まらせる。それでも何とか反論の言葉を探して、荷物が満載されている車輪のついた荷物台の取っ手をぐっと引っ張ってみせる。
「ほ――ほら、見ろよ!こうして引いてみても、全然動かないじゃないか!車輪だって、地面にめり込んでるし!――明らかに載せすぎだよ!」
まだ抵抗を続けようとするパットに向けて近づくと、色素の薄い黒髪の従妹は、とん、とパットの胸に白い人差し指をつきたてた。そして、囁くように言う。
「ふたまたの話、教室のみんなに言ってもいいのかなぁ?……素直に言うこと聞くなら、ヴェーヌちゃんにも口止めしといてあげるけどぉ?」
そう言われて、パットの表情はみるみる歪んだ。眉間に皺が寄せられ、突き出した下唇を彼は上歯で噛んだ。
「わかったよっ! 運べばいいんだろうが運べばよおっ!」
と、自棄になりながら彼がぐぃぃ、と荷物台をひっぱると、引かれて揺れた荷物の中から、きゃっと小さく高い悲鳴があがった。
その声を不思議に思って、パットが満載の荷物を掻き分けるように覗くと、荷物の中、大きな白い帽子をかぶった小柄な少女がちょこんと乗っているのが見えた。
「ヴェーヌちゃーん」パットがぎこちない笑顔を作る。「何やってるのかなー?」
対するヴェーヌは、にっこりと天使の笑み。
「……にもつ、こんなにいっぱいあるんですからぁ、まぎれて乗っていてもわかんないかなーと考えましてぇ」
「それはいい考えだ」パットは笑顔で言う。「俺も見倣いたい」
そしてパットは、ぼす、とそのまま頭を荷物に埋めると、動かなくなってしまった。
ヴェーヌは、ブルーのリボンのついたやわらかそうな帽子のつば越しに、リーンと目を合わせる。
「パットさん、どうなさったんでしょおか」
「そうねー。きっと、世の理不尽さに、目にゴミが入ったんじゃないかな」
「よのなかがりふじんだと、目にごみが入るんですね」
「まあどの辺りが理不尽だったかは置いておいて、ちょっと苛めすぎたかなー、とは思わないではないわね」
「お前ら、いつもながら何やってるんだ?」
最後の言葉は、黒縁眼鏡の教師のものだった。昨日と同じように巨大なリュックを背負い、出口につっかえないように気を使いながら宿から出てきたところだった。
着替えてはいるが、アッシアは昨日とほぼ同じ格好だった。昨日擦れて懲りたのか、リュックの背負い帯と体の間にタオルを挟んでいるのが、昨日と違う点ではあった。
「チェックアウトも終わったし、そろそろ出発するぞ。予定よりも少し遅れているんだ」
「でもー、このままで大丈夫なんですかぁ?」
そう言ったのはヴェーヌ少女だった。いつの間にか荷物の山から降りて、リーンの隣に並んでいた。
「わたしたちだけで、この大にもつをはこぶのは、いちまつのふあんがありますぅ」
その不安を、リーンが引継ぐ。
「これからまた乗り合い馬車に乗って、それから賃馬車を雇うんでしょうけど、目的地の遺跡は森に囲まれているんですよね? ってことは、だいぶ歩くことになるんじゃあ……」
「うーん」アッシアは唸る。「その不安はあるけど、特に打つべき手も無いからなぁ。キャンプ道具が揃っているんだから、最悪の状況って言っても野垂れ死ぬことはないわけだし」
「はい」リーンが挙手して発言する。「私思ったんですけど、この町でかっこいー男の子を荷物持ちとしてスカウトするというのはどうでしょう」
「平日にぷらぷらしていて体力のある若い男っていうと、チンピラかその予備軍かその辺りになりそうな気がするけど」
「じゃあ嫌です」
と、アッシアの指摘にリーンはあっさりと提案を取り下げた。
「ということで打つ手が無いから我々には前進あるのみだな。大丈夫、死にはしないから」
「最低基準が死亡って、なんだか物凄く嫌なんですけど」
リーンはそう言って眉根を寄せた。
「あの……人手、要るんですか?」
突然の声。その声にはアッシアは聞き覚えがあった。
声がしたほうにアッシアが体を向けると、思った通りそこに褐色の肌の少女が立っていた。
彼女は薄青のぴっちりとしたティシャツに色の濃いジーンズを合わせ、手には赤い皮の中型のトランクを提げていた。
おはようございますと頭を下げるヴィー・ズィーに、アッシアは朝の挨拶を返しながら口篭もる。
「そりゃ、要るけど……」アッシアは答えて黒縁眼鏡の上の眉を寄せた。
「あの、それでしたら私を一緒に連れて行ってくれませんか? 王都の北の遺跡ですよね? 私、結構ちからありますから、お役に立てると思います」
褐色の少女からのその提案に、アッシアは渋面になった。
「そりゃこちらとしてはありがたいけど……でも、君だって教室の用事があるんじゃないのかい?」
「私、今朝寝坊しちゃって、置いていかれちゃったんです。でもこのまま帰っても仕方が無いから、できたら同行させて頂きたいんですけど……ご迷惑ですか?」
「置いていかれた……って、すぐ追えば追いつけるんじゃないの?」
「駄目なんです。私すごく方向音痴だし、ミティア王都って行ったこともないし。王都って、人がいっぱいいて凄く大きいんでしょう? 絶対迷子になっちゃいます。それに、私たち生徒の身分証はエマ先生がまとめて持っているから、下手にうろつくと危ないと思うんです」
「うーん」
「私の意志と責任ですることです。後でアッシア教師のご迷惑になるということは無いと思います」
「そんな、貴方のように綺麗な人が参加されるというなら、僕らは全然構いませんよ。ねぇ先生そうでしょう? そうですよね? なら、決まりだ」
そう口早に会話に割り込んできたのは、いつの間にか復活していたパットだった。アッシアと褐色の少女との間に立つと、芝居がかった動きで大きく両腕を開いた。
「……あんたって、教訓で学ぶってことをしない奴よね……」
少し離れたところから、リーンが同い年の従兄を半眼で睨んだ。
「わかった。お願いするよ」
しばらくの黙考のあと、溜息とともに、アッシアが言った。
ありがとうございます、と褐色の少女がぺこりと頭を下げる。
「ところでー」ヴェーヌ少女が褐色の少女を視線で指して言う。「こちらのかた、どちらさまなんですかぁ? できれば、ごしょうかいいただきたいんですけど」
「ああそれは、道々説明するよ。まあ、とにかく出発しよう」
そう言うと、アッシアは背に負った巨大なリュックを背負い直した。ずし、とその小山のようなリュックが揺れた。
「ヴィー・ズィーさん、とおよびすればいいんですかー。ちょっとめずらしいおなまえですねー」
金髪の少女が、馬車の木製の椅子にちょこんと腰掛けながら、斜め向かいの褐色の少女――ヴィー・ズィーに向かって言った。
三頭立ての大きめの馬車は、穏やかな晴天の下、がらがらとのん気な音を立てて大街道を東に進む。時折西に下ってくる馬車と擦れ違い、街道を歩く旅人を追い越す。そんな様子が、幌に明けられた小さな窓の隙間から見える。窓からは、初夏の光だけではなくて街道を流れるやや埃っぽい風も馬車の中に流れ込んでくる。けれど、引かれる馬車が時折跳ねるように揺れることを除けば、馬車の旅はそれなりに快適だった。
馬車の中にはアッシア達しかいない。というよりも、彼らとその荷物を積み込んだところで馬車がいっぱいになってしまったのだ。
先程乗り込んだ乗り合い馬車の中で、ちょうど褐色の少女の自己紹介が済んだところだった。生徒たちは年が近いせいか、さかんにヴィー・ズィーに対して話し掛けている。初対面だといっても特に抵抗がないようだとアッシアは思った。
(いや、こいつらが人見知りなんてするわけがないか)
そう独りごちながら、アッシアは正面に座る褐色の少女を眺める。攻撃的とも言える昨夜とはうって変わって、彼女は今は膝の上で両手を組み、長い睫毛を伏せ、実におとなしかった。彼女の短めの黒髪が、馬車に合わせて細かく揺れていた。
ヴィー・ズィーの隣に座っていたリーンが、やはり人見知りもせずに、ヴィー・ズィーにいろいろと話し掛けている。
「エマ先生のところの教室なんだあ。ってことは、ヴィー・ズィーってすごいんだねー」
「いえ、そんなことは無いです。確かに同じ教室には凄い人もいますけど、私なんてまだまだです」
リーンの言葉に、ヴィー・ズィーはにかむような表情で答える。
これは本当に謙遜だな、とアッシアは思う。
基本的に、どの教室に入るかは生徒の自由意志に委ねられており、原則として生徒の希望は叶えられることになっている。
しかし、これは入室希望者が無い年すらあるアッシアの教室には縁のない話なのだが、人気があって入室希望者が殺到するような教室では、その教室に入るための選抜試験を課すところもある。エマ教師のフロックハート教室はその典型ともいうべき教室で、「あまり生徒の数が多いと親しくなれないから」という理由で3人ほどに限られている募集定員の枠に、毎年多くの希望者が集まる。今年は確か23人。倍率にして7.67倍だとエマ=フロックハート・ファンクラブ会報で報じられていたとアッシアは思い出す。
このような自由競争的な選抜試験があることで、事実上フロックート教室には優秀な生徒しか入れないようになっているし、またそれは実証されていることでもある。
アッシアは昨夜のヴィー・ズィーとの組み手を思い出す。昨夜は少し混乱していたため思い返す余裕がなかったのだが、こうして今反芻してみると、やや非力な威力を補う技の切れ、ヴィー・ズィーの格闘スキルは確実に学院のトップクラスに入るものだった。特筆すべきは、速度だろう。移動の速度、攻撃の速度、技の連携速度。どれをとっても素晴らしいものだった。
僕もよく防げたよなぁ。
と、正直な感想がアッシアの胸にじんわりと広がった。
そんな熱い安堵に浸るアッシアの前では、あいかわらず若い者たちの会話が続けられている。
「ヴィー・ズィーの出身はリーティアなんだー。じゃあ私たちと一緒だね。」
視線は褐色の少女の方へと向けながら、リーンはおさげの先の、ロータスピンクのリボンを白い指先で弄ぶ。
「……私、たち?」リーンに向けて、ヴィー・ズィーが小首を傾げる。
「僕のことだよ。そこのリーンとは、家がお隣同士の腐れ縁で従姉弟なんだ。だから、僕も君と同じくリーティア出身さ。」
ぐっと、ヴィー・ズィーの隣に陣取っていたパットが身を乗り出してきた。うんうんと、独りで大きく頷きながら続ける。
「リーティアは良いよね。南にあるから気候は温暖だし、文化は進んでいるし。大陸唯一の鉄道があるものリーティアだ。ヴィー・ズィーは駅ってみたことがある? ない? はは、実は僕もないんだ。うんそう、噂によればすごいらしいんだけどね。自分の国の名物って、結構そんなもんなんだよね。なんだったら今度一緒に見に行こうよ。夏休みにでも」
「ちょっとあんた何自然な流れを装ってデートに誘おうとしてんのよ。本当に節操ってものがないんだから」
褐色の少女を庇うようにしてパットを押しのけながら、リーンが口を尖らせる。
自然な流れだったら別に問題ないじゃないか。パットは答えた。
「もーここまでくるとアンタの存在自体が問題だと思うわ。……この馬鹿には充分に気をつけてね、ヴィー・ズィー?」
従兄妹たちの問い掛けに、ええまあ、と褐色の少女は柳眉を寄せ、苦笑した。そして会話の流れを切れさせないテンポで、金髪の少女が、ところで、と口を挟んだ。
「ところでー、ヴィー・ズィーさんは、アッシア先生とどうおしりあいになられたんですかー?」
「ええ、ちょっと昨晩お世話になって」
褐色の少女のその言葉に、大きく反応したのはパットだった。
「お、おせわ? 昨晩? つまり夜?」
狼狽したようにそう言うと、彼は勢い良く挙手して発言する。
「先生! 幾らエマ教師に相手にされないからってその生徒に手を出すというのは、なんというかとても不道徳、いや破廉恥な行為だと思います! これについて僕は断固、強く抗議します!」
「やかましい」
ごすっ、と額を一撃。妄想を膨らませて身を乗り出してきたパットを、アッシアは退けた。
「アッシア教師には、組み手のお相手をして頂いたんです」
穏やかに、ヴィー・ズィーが言った。どうやら、彼女の中ではパットの行動は無かったことになっているようだった。
「組み手って…アッシア先生と?」
「ええ」
「吐いちゃったでしょ? 先生」
リーンの遠慮の無い指摘に、褐色の少女は少し困ったような顔をした。ちらりとアッシアの方を窺ってから、首を縦に振って肯定の意を示した。
片おさげのリーンが嘆息と共に、やっぱりねと言葉を吐き出す。
「そうなのよねー。うちの先生、魔術師の癖に戦闘ができないのよ。訓練すらも駄目で。何故だか知らないけど、すぐに吐いちゃうのよね。もー頼り無くて頼り無くて。こうして馬車に乗っている間にも、か弱い私が旅人狙いの盗賊に襲われたらどうしようって、もうとっても心配」
「それ、ほんとうなんですかー?」と、ヴェーヌ少女が聞いた。彼女はまだ教室に入って日が浅いので、担任教師の弱点を知らなかった。
「冗談みたいでしょう?」リーンが言った。「嘘だったらいいんだけどね。これがまた本当なのよ。先生がぜんっぜん戦闘できないって知ったとき、甲斐性無し、って言葉が真っ先に思い浮かんだわ」
ずばずばと本人の前でも容赦の無い生徒たちの会話に、アッシアはなんだか無性に遠くの風景が見たくなって、窓の外へと目を向けた。流れる景色の中、陽射しを照り返す緑が、アッシアの目にやけに眩しかった。
そして彼の正面では、褐色の肌の少女がなにやら考え込むように顔を俯ける。
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