1. 『ここがむかし都市だったなんて』
馬鹿な。そんな馬鹿な。
そんなはずはない。幻覚だ。
いや、幻覚ではない――はっきりと見える――。
幻覚でないならば何かの間違いだ。
だがもし間違いでないとしたら、あれは誰なんだ。
誰なんだ。
そして私は誰だ。
「君は――誰だ?」
アッシアの声がする。
そして私は――誰だ?
……。
彼の悲痛なほどの自問は、声になることはなかった。
創造と破壊は表裏一体、創造のために破壊が必要だと言うものがいる。ならば破壊は創造の母ということになる。けれど、自分という存在。自分の肉体。自分の記憶。――そうした自己認識を破壊したのち、創造されるものとは何なのだろうか。
だが、彼の自問に至るまでを説明するには、時間を少し戻らねばならない。
この、豊かな緑に覆われた、遺跡の時間を。
◆◇◆
その広大な区画は、一面青々とした草に覆われていた。さらに競い立つように林立する木々が葉を豊かに繁らせ、揺れる葉の隙間から初夏の日差しを漏らしている。近くに泉があるためか、辺りに漂う空気には適度な湿り気があり、やや冷たい。
ポニーテールの少女が空気を胸一杯に吸い込み、伸びをする。豊かな自然を満喫して、吸い溜めた息をほうと吐き出した。相変わらず気持ちが良いところねー。
「ここが昔、都市だったなんて信じられないねぇ」
後ろのふたりを振り返りながら、リーンは言った。
リーンたちは、アッシア教師に連れられて、古代遺跡のフィールドワークに来ていた。とは言っても、実際には発掘的な作業はアッシアがひとりで行う。連れられてきた生徒たちは、自主的に気になるような場所を調べることになっていた。生徒たちは適当に3人ずつふたつのグループに分かれ、別々に行動しているところだった。
ここが遺跡と言われても、普通のひとにはしっくりこないかもしれない。何しろ、辺りには木々が生い茂り、奥深い森とまではいえないが、疎林と呼ぶにははばかられるほど、緑豊かな土地だった。遺跡特有の石造りの構造物などは、少なくとも彼女たちの近辺には見当たらない。
だから、年若い彼女たちが、学術目的で来ていると言われても普通人ならすぐには飲み込めないだろうし、むしろ、ピクニックに来ていますと言われた方が、納得できるような風情だった。
「ここが都市だったのは、千年以上も昔ですもの。痕跡が目に見えなくても、おかしくはないわよ」
角眼鏡をついとあげて、リーンの後ろを歩いていた女生徒が言った。レクシア女史だ。応える声は穏やかで、のんびりとした様子がうかがえる。リーンは頷いて同意を示すと、視線をの方向を変えて、自分の後ろを歩くもう一人にも同意を求めた。
「ね、エキア先輩もそう思いません?」
エキアと呼びかけられたその男子生徒は、
「ああ」
とただ頷いた。
短い返事だが、別段彼の機嫌が悪いわけではない。彼としてはこれが普通の対応だった。切れ長の黒い瞳には、とりたてて感情の色は浮かんでいない。さらりとした長めの前髪が、頷いたときに揺れた。
彼は美形と呼ばれるような整った顔立ちをしているが、さりとて女性的ではない。それは引き締められている唇のかたちのせいでもあるし、しっかりとした骨格のせいでもある。彼の背は、少なくともリーンよりも頭ひとつ分以上高い。
彼――エキア=ファレンスは、2日徹夜の強行軍でアッシアたちに合流した。彼は、その姿形から受ける印象に背かず、女生徒一般から人気がある。それだけでなく、2日歩き通しでも疲れを見せないという、しなやかな外見に似合わない、体力に優れた男性的な一面もある。まあ、体力もここまでいくと、男性的というよりも軍隊的と言った方が良いのかもしれないが。
「ですよねー」
エキアの返答に、リーンは満足げに同意した。
「それじゃ、今日はどこに遊びにいきましょうか?」
「遊びに、じゃないでしょ。調査に行くんでしょう」
そう言ってリーンをたしなめたのは、レクシア女史だった。
「うーん、まあ、そうなんだけれど、言葉だけでも遊びに行くって言った方が気分にあっているかなぁって」とリーン。
「リーンの場合は、本当に遊びそうで心配だわ」
「やだなぁ。さすがにわたしでも、ちゃんとやるべきことは真面目にやるわよ、レクシアさん。……それなりにだけど」
「それなりに、は余計よ」
さすがに苦笑して、レクシアは言った。角眼鏡の奥の目も笑っている。仕方が無い子ね、というニュアンスの笑みだ。
生徒たちはシャツやジーンズのような軽装の私服で、急ぐでもなく、けもの道を歩いている。別に盗掘者対策の罠があるような遺跡でもなし、学術調査――というよりも見学に近い作業であれば、平装で充分だった。唯一注意しなければならないものは、虫除けぐらいなものだろう。
「だが実際、どこへ行く?」そう話を戻したのは、エキアだった。
「都市慰霊碑がいいんじゃない?」レクシアがすぐに提案した。「最近発掘調査が進んでいる例の工場は、アッシア先生たちが行っているから、邪魔しちゃ悪いし」
「あー、そう言えばそうだね。アッシア先生、ちゃんとエマ先生たちの案内できているのかなぁ。ちょっと心配」
言って、リーンが小首を傾げる。
「エマ教師の案内? どういうことだ?」
そのリーンの発言を聞きとがめて、エキアが訊いた。
尋ねられたリーンは、そこでようやく思いあたったかのように、手のひらをこぶしで打つ。あ、そうか。
「エキア先輩、今朝方着いたばかりだから、まだ知らないんですね。実は今、エマ先生がこの遺跡に来ているんですよ。だから、アッシア先生がその案内をすることになったんです」
「しかし、エマ教師が何故こんなところにいる?」
さらに疑問が出てきたのだろう、エキアが重ねて尋ねる。
「んー、話すと長くなるんですけど、ヴァルを追って来たんです」
エキアは眉根を寄せ、渋面になった。リーンの説明がわからなかったということだろう。その辺りを察し、レクシアが会話に割って入る。
「じゃあ、そのあたりは道々説明してあげるわ。わたしは、パットからだいたいの事情は聞いているから」
そして、レクシアがエキアに、順序良く事情の説明を始めた。
なんとなく行進の順序が入れ替わって、リーンはふたりの後ろをついて歩く。
自然と会話の流れから外れたリーンが、所在なくポニーテイルにしている自分の髪を触りながら、あたりを見回したそのとき。
都市遺跡の森の中、白く揺れるものがあった。彼女はそれに気を引かれ、立ち止まった。
■□■
「古代都市フォンペア。それが、この遺跡の名前です」
遺跡の中を歩きながら、アッシアが言った。並んで歩く樺色の髪の女性と、褐色の肌の少女がそれぞれ頷いた。
「古代では、3万人規模の都市だったそうです。当時の帝国領にある1都市にしては、それなりの大きさの都市ですね。その都市が滅んでしまったのは、だいたい3世紀頃と言われています。だから、今から1500年以上も前の話ですね」
「この都市は――どうして滅んでしまったのですか? 戦乱ですか?」
そう聞いたのは、褐色の肌の少女――ヴァルだった。いいや、とアッシアは優しく否定した。
「ここからそう離れたところにない、べムビオ山。それが、原因だよ」
「まるで、クイズみたいにお話しになりますね、アッシア教師」興が乗ったのか、樺色の髪の女性が微笑を浮かべた。「答えを言ってもよいのかしら?」
エマ教師とその生徒のヴァル――ヴァルヴァーラを案内して、アッシアは遺跡の道歩いていた。足元には、いつものように黒猫がつきしたがっている。
ひょんなことからフィールドワークに合流したエマ教師は、アッシアの活動に興味を持ち、見学を申し出てきた。エマ教師の肉親が古代学をやっていて興味があるという申し出だったが、そんな理由を問うまでもなく、アッシアは彼女の申し出を快諾した。成り行き上、生徒のヴァルも同行し、この古代都市遺跡――見た目はただの森だが――を、アッシアが案内することになった。
最近、調査団がこの遺跡に入り、新たな遺構を発掘したので、アッシアはそこへ彼女たちを連れて行くつもりだった。
彼らと3人と1匹は、まるでピクニックのようなのどかさで道を進む。交わされる会話に色気もなくただ学術的なのは、流れのうえで致し方ないのかもしれない。
ヴァルが、首を傾げて樺色の髪の女性に問い掛ける。
「エマ先生、この遺跡のことをご存知なんですか?」
エマ先生と呼びかけられた樺色の髪の女性は、笑って、正解じゃないかもしれないけどね、と言った。
その間に、アッシアはエマ教師を横目でこっそりと眺めた。
白い肌に大きな瞳に整った鼻。つるりとした頬は、笑うと笑窪ができる。そしてなによりも人の目を引くのは、その燃えるような、と形容される、赤みの強い赤茶――樺色の髪だった。その樺色の髪は日に透けると朱にも緋にも見え、見る人にとにかく鮮烈な紅い印象を与えた。その印象強い髪はブラシによく梳かれたままで、遺跡の風に弄られるままになっていた。
そのエマ教師がゆっくりと唇を開く。見惚れたアッシアは、一瞬へらりとだらしなく頬を緩めてしまった。
「ベムビオ山――今となってはただ山ですけれど、その周辺は火山帯と聞いています。その昔、ベムビオ山は火山だったのでは? そして、その火山が原因になって、都市が滅んだのではないのでしょうか」
「ご名答です。さすがですね、エマ教師」表情を意識して引き締めながら、アッシアが言った。「その昔、ベムビオ火山が小規模噴火を繰り返していた時期がありました。そのときに出る火山灰が、地形と気候の関係上、ひとつの地域、つまり都市フォンペア周辺に集中して降灰したんです。それが、聖暦3世紀頃です」
アッシアは周囲を手で指し示す。あたりには、豊かな木々の緑しかない。
「記録では、断続的ではありますが、降灰は20年以上続いた、とあります。灰は、酷いときには1日で1ヘート以上も積もったそうです。子供であれば、埋もれてしまう量ですね」
「大量の火山灰によって、この地での生活が成り立たなくなった人々は次々とこの都市を離れていった……。そして、都市が滅んだ」そう先回りしたのは、エマ教師だった。
その通りです、とアッシアは頷いた。
「しかし、灰に埋もれてしまったということは、逆を言えば、都市機構は人の手が加えられずにそのまま残っているということになります。聖暦3世紀の当時から、家屋や水道などは石造りでしたからね。だから、この地域の発掘を続ければ、古代学にとって非常に有益な遺構が次々と出てくるはずなんです」
「じゃあ、この地域を調べると、重大な発見ができるんですね」とヴァル。
「でも、それほど重要な地域ならば、今までまったく調べていないというのも、おかしな話ですね」
そうエマが疑問を呈す。
アッシアは、面目なさそうに手をくしゃくしゃの黒髪へとやった。
「それが、発掘には人手も手間もかかるものでして……、それに、古代学はまだまだ地位の低い学問ですからね」
回りくどいアッシアの説明だったが、エマ教師は了解したようだった。ああ、と得心のいった表情を浮かべ、すぐに少し気まずい顔をした。だが、アッシアは気にした風も見せず、言葉を続ける。
「そうです。結局は、おカネの問題なんです。古代学を理解し、おカネを出してくれる機関となると、なかなか無いものでして」
アッシアたちが生きるこの時代の大陸西部において、古代学の地位は非常に低い。
古代学とは、かろうじて残されている文献や遺物などの物証を集め、古代の出来事や生活の姿を解き明かそうという学問で、古識から現代を読み解こうという歴史学の補助学として位置付けられている。
だが、古きを振り返って現代に生かそうという考え方は、この時代地域において非主流派だった。その理由は、100年前の強力な魔術士にして錬金術師でありかつ物理学者でさらに医学博士でもあった『天才』キール=スペクタスのこんな言葉によく表れている。
『人類は日々進歩している。故に、過ぎ去ったものは現在からみればすべて不完全なものに過ぎない。従ってこれらから学べるものなどなにひとつ無い。もし君が過去に拘ったところで、君はかつての栄華の残り滓を啜る結果に終わるだけだろう』
そして現在、偉大なる『天才』の言葉通り、大陸西部の知識層は「振り返る暇があるなら前に進め」を合言葉にして日夜研鑚に励んでいるのである。
そんな風潮の中では歴史学を研究する者はほんの僅かであり、さらにその補助学である古代学を研究する人間はもはや物好きを通り越して変わり者という扱いだった。セドゥルス学院教師アッシア=ウィーズは、実はそんな数少ない変わり者の一人なのだ。
「ですが、僕は、古代学をとても重要な学問だと捉えています」
そう変わり者のアッシアは言った。
拳を握り締め、歌うように熱弁する。
「人類が進歩するためには、自分たちの過去を正確に知らなければなりません。しかし、伝えられている情報が常に正しいとは限りません。その時代の為政者によって、都合よく手が加えられているのが実情です。ですから、過去の真偽を明らかにしようという姿勢が大切です。そして、正しく過去を理解してこそ、正しい未来への方策が見つかる。古代学は、その過去の出来事の真偽を明らかにする学問――そう、いわば、未来の礎を作る学問なんです」
――と、そこまで言ったところで、とん、とアッシアの肩に乗る者があった。
クロさん、と呼ばれる黒猫だった。クロさんは、人語を話すことができる。
「アッシア。ひとりで先に行き過ぎだ。誰も聞いていないぞ」
「ええっ? ふ、ふたりは、どこに?」
「だから後ろだ。熱く語りながら、ひとりだけ前に進んでしまっただろう」
驚いたアッシアが後ろを見ると、エマ教師とヴァルは立ち止まり、木の梢を指差して何かを話していた。珍しい鳥でもいたのだろうか。
なんとも情けない気分で、彼女たちのところへ戻ろうと、背中の荷物を背負い直した、そのときだった。
アッシア、と黒猫が呼びかけた。
「なんです? クロさん」
「聞かせてくれ。お前は、昨日の私の話を、どう思った」
「昨日の話。どうって――」
アッシアは、ただオウム返しに言った。それこそが、彼の動揺を端的に表していた。
――私が、レイレン=デインだ。
昨夜、黒猫はそう言ったのだ。
その言葉は、冗談でも何でもなかった。そして、冗談でないにしては、夏の夕立にも負けないくらい、突然の告白だった。
アッシアは、思わず自分の肩にちょこんと乗る黒猫を見遣った。黒猫は、黄色い真剣な目でアッシアを見返している。
風が吹き、あたりがざわりと音を立てた。空の雲まで、巻き込むように。
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