インタールード





 受け入れたい相手がいる。
 一緒に同じ方向を見つめたい相手がいる。
 ともに歩きたい相手がいる。


「結局、自分が自分であることをやめることはできないのだ」

 わたしにとって、錨のような重みをもった言葉だった。
 世界が確定したような感覚。
 あるべきものがあるべき場所に戻り、あるべき軌道に従って進む。
 ぐにゃぐにゃと歪み、波打っていた地面が突然に水平を取り戻したかのような。
 そしてこのときこの一瞬この場所に、確かに自分は自分の足で立っているという感覚。

 ステップを踏むように舞う雪が吹き込む、冬の冷たく重い石灰岩造りの城で、あのとき貴方はわたしにそう言った。


 けれど、あのときの自分では、貴方とともに歩いていくことはできなかった。
 自分がなければ、貴方を受け入れることもできない。
 まずは自分が自分であること。たった一人でも立てること。
 わたしのような依存して生きている存在は、貴方に相応しくない。
 貴方を待つことすら、許してもらえなかった。
 それくらい、あのときのわたしは弱かった。



 受け入れたいひとがいた。
 一緒に同じ方向を見つめたいひとがいた。
 ともに歩きたいひとがいた。


 こんなに強い風の中、強がって独り立っているわたしがいる。
 わたしはわたしでしかない、と胸を張って言えるように。
 すべてのことを自分のものとして受け止められるように。
 そしていつか貴方に少しでも近づけるように。

 そんな風に願いながら。

 それがわたしのささやかな誇り。
 そしてささやかなそれがきっと、尊厳。

 だからわたしは、その場所から。離れる一歩を踏み出した。
 白雪にできた、いずれ消える、けれど残る、わたしの足跡。
 





                         ■□■






 律動が。早まっていく。
 
 
 心臓の鼓動。鼓動が生み出す血流。血流が体をめぐる。胸を。背を。胴を。腕を。足を。首を。頭を。脳を。
 胸から生まれた熱は、焼き尽くすような波になり、鈍い痛みとなり。
 そしてそのすべてが自分自身と重なる。律動が自分自身になる。
 
 その律動が、相手にも伝わればいいのに。響き渡り沁みわたり、自分が貴女となればいい。いや、代わりに貴女が自分になるのでもいい。
 そう思いながら、彼は、ひとりの女性をちから強く抱きしめる。細い腰にからめた腕から伝わってくる。体温。
 どれほど抱きしめても足りない。この渇きは満たすことができない。いったいどうしたら、自分は貴女になれるのか。
 どうしたらひとつになれるのか。肉体すら邪魔になる。このあふれるような魂の律動を触れ合わせるにはいったいどうしたらいいのだろうか。

「痛いわ」

 貴女が言った。知らず、抱きしめるちからをこめ過ぎていたことを後悔し、彼はちからを緩め、体を離す。
 愛しい貴女は、軽く首をかしげているように見える。せつないほどに愛らしい。
 あたりはすっかり夜だった。頬にあたる秋の冷たい夜風が心地よいと思った。 

「――――」
「――――。――――」
 

 数語、言葉を交わし。

 世界を跳ね上げるように、夜風が巻き上がる。
 
 切り裂くような高音が頭蓋を貫き。

 白と橙の輝きが網膜に残像を残す。



 彼は突然、ひとつの神話を思い出す。

 むかしむかし、ある街のある青年は、太陽に焦がれた。
 熱病にかかったようにうなされ、求め憧れ悶えた末に、あることを思いついた。
 空を飛べば、太陽に近づけるではないか。
 青年は思いつきに驚喜した。
 さっそく青年は、万の鳥を殺しその羽根をむしり集め、蝋で固めて翼を作った。
 作った翼を背負い青年は緑の丘に登り。
 果たして青年は希望の通り、空を飛んだ。
 
 そして――。
 
 
 何故か。その神話の結末を、彼は思い浮かべることができなかった。