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ヤイユーカラパーク VOL39 2002.2.10
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連載 西本願寺 連続差別事件へ
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『ヤイユーカラの森』の10年


1992年1月1日に創立されて10年が過ぎた『ヤイユーカラの森』。同年3月に発行された1号〜2001年11月の38号まで、積み上げられた<Yay Yukar Park>から、10年の歩みを振り返ってみました。

最初の事業は「サラニップ製作講習会」('92,4)でした。会場の北海道難病センターには、この時から長くお世話になることになります。

5月の連休を使っての「春のキャンプ」もこの年から。新聞の案内を見ての申し込みが殺到し、90人もの大所帯になりました。10数台の車を連ねての山行は空前絶後、圧巻でした。日高の山菜採りキャンプの参加者は、'93年・74人、'94年・54人、'95年・30人で、それ以後は30人前後で推移しています。'96年の「春のキャンプ」を道北の豊富町・稚咲内でおこなったのをきっかけに、翌年からは連休を日高、5月にはサロベツ原野での山菜採集というパターンに定着して現在に。

「夏のキャンプ」もこの年から始め、'94年までの3回は2週続けて週末におこないました。'95年からは1回だけになり、場所も『森』事務所に近いラルマナイ川河畔に定着しています。

秋のキャンプは'93年に一度だけ、春・秋に日帰りで東大演習林(富良野)を歩くことも'92〜'95年まで実施していましたが、忙しさに追われて途絶えています。

創立時からの懸案だった「鹿狩りキャンプ」を、'94年から。狩猟許可なしで3回、手捕り許可で1回、猟銃の使用許可を得たのは'98年(第5回)でした。以来4回の鹿狩りは猟果に恵まれ、参加者は春の雪原と美味を満喫しています。次の目標「穴熊狩り」は、依然として懸案ですが……。

'92年6月から始まった「アイヌ刺繍講習会」は、'01年までに62回を重ねました。その成果を'01年3月に図録『KAMUI-I-PIRKA-RE』として出版しました。生みの苦しみの集成とでもいうべきでしょう。木彫(3回)、サラニップ製作(6回)、チタラベ製作(4回)、アイヌ料理講習(9回)も飛び飛びながら続けてきましたが、最近は刺繍講習会の準備に追われて、『森』の事業としては途絶えている状態です。

「民族教育研修会」('92,'93,94,95)、「子どもの合宿」('93,'94,'95,96)、「連続講座」('94,'95,'97)なども、最近はスケジュールを確保することが難しくなっています。海外先住民との交流活動は、'97年のカナダ/リルワットネーション訪問に始まり、ブラジルにも足を伸ばしたほかにニューヨークへの研修ツアーや各地の先住民会議に出かける回数も増えてきました。'99年に開催した「フォーラム'99/先住民会議」も意味深かったと思います。

'95年に始まった「差別落書き事件」をめぐる浄土真宗本願寺派との関係は、その内容を変えながらも、まだ続いていくでしょう。課題を共有して展望を開いていかなければなりません。

季刊のニュースレター<Yay Yukar Park>は、発行が遅れがちとはいいながらも『森』の軌跡を確かめる貴重な資料になってきました。国内外の出来事や状況の変化のなかで『森』がどうしてきたのか、どうしようとしているのか、そしてどこを目指すべきなのか……それが分かるような内容にしていかなけばならないと思います。ひとつの里程標として、これまでのダイジェスト版をまとめたいと考えてはいるのですが……。