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ヤイユーカラパーク VOL39 2002.2.10
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連載 西本願寺 連続差別事件へ
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3つの博物館巡り


冬休みはヨーロッパへ

今年4月、海外に散逸したアイヌ資料が札幌で公開される予定です。にもかかわらず、イギリス、オクスフォードのオクスフォード大学付属ピットリバース博物館、エジンバラのスコットランド国立博物館、そして、オランダ、ライデンの国立民族博物館の3箇所を、観光と友人の訪問を兼ねて回ってみました。1月からアイヌの文化と歴史を授業で扱う予定だったので、できるだけ多くのものを見ておきたいというのがその理由です。貿易センターテロの影響で航空券が取り易かったのも旅行計画の助けになりました。

今回はふだんは持たないカメラを携えての旅行です。計良氏に、「日本と違って写真を撮らせてもらえるから、交渉してごらん」と言われたからです。ホントニ撮らせてくれるのかなと半信半疑で重いカメラを抱えていきました。宿の予約はロンドンの始めの2泊だけ。あとは現地調達。さて、どのような旅となることやら。

イギリス

皮切りはピットリバース博物館です。12月15日、KLMで札幌からオランダ経由でロンドンに入りました。冬のイギリスは日照時間が短く、朝は9時ごろまで闇です。時差ぼけと、暗闇を「朝だ」と受け入れられない私の頑固な頭のせいで、この日は出遅れました。

ガイドブックとURLでは日曜日の開館時間に食い違いがあったので電話で確認すると、午後2時から4時までの2時間ということでした。イギリスではテレフォンカードを持っていると重宝します。うまく作動しない公衆電話でコインを失うこともないし、また、両替のために店で余計な買い物をせずに済むからです。何より、イギリスでは、日本並に公衆電話での番号案内サービスが行き届いており、鉄道の予定も尋ねることができます。この日は出遅れた上にロンドンでの昼食に手間取り、予定より1時間遅れの列車で出かけることになってしまいました。

オクスフォード行きの列車はパディントン駅から1時間に1本は出ており、所要時間は約1時間です。駅で簡単な時刻表をくれるので、帰りの列車のチェックもこれでOK。

いざオクスフォードに着き、サイトからプリントアウトしておいた地図を片手に歩き始めたのですが、親切そうな通行人に尋ねると、みんな口を揃えて「20分はかかる」というので、結局タクシーを使いました。博物館に着いたのは3時近く。撮影許可のために学芸員を探し歩くのはあきらめました。

ここの展示は、「衣服」「装飾品」とカテゴリー別になっており、あちこち歩き回らないといけません。所蔵点数150点の内、展示作品は衣服が2点、ほかネックレス、ゆりかご、装飾品、農器具、狩猟器具などが各2点ずつでした。照明が非常に暗く、フラッシュなしではASA400のフィルムでも画像がぶれてしまいました。入口近くに展示してある、現代布を取り入れたアイヌの伝統衣服は、西洋キルトのようで新鮮な印象でした。

次はエジンバラです。ロンドンのキングスクロス駅からエジンバラまでおよそ5時間あまりです。今回は、セントエドモンドビューリーにいる友人宅を経由して行きました。

話が少しそれますが、そこには、アングロサクソン村という、旧石器から日本の縄文時代に当たる時代の人々の住居や暮らしを、遺跡をもとに考古学者たちが再現した見学施設があります。住居の造り、装飾などはアイヌのそれと類似点が多くあり、興味深く見学しました。

この街は、ケンブリッジから車で30分ほどの所で、とても美しい街です。友人によると、イギリスでは年に一度、通りごとに装飾を競うお祭りがあるそうですが、ここの、ある小さな100メートルばかりの通りはいつも優勝するのだそうです。イギリスの歴史に詳しい方なら、あちこちにある歴史的な建造物、彫刻、通りなどをご覧になり、感慨もひとしおというところでしょう。ついでにケンブリッジの、オクスフォードよりは気さくなパブで、「ビター」や「ハーフアンドハーフ」といったさまざまなビールを楽しまれることをお勧めします。

エジンバラに着くと、いきなり石造りの建物群と長身の男性群に圧倒されます。怖そうな顔をしてますが、ロンドンの人々よりずっと友好的です。目指す美術館は旧市街にあり、宿からは歩いて20分。行ってみると、館内展示はゼロ。閉館時間も迫る中、これではあんまりだと思い、「日本から来たんですけど」と受け付けの婦人に話すと、若くて元気な学芸員に取り次いでくれました。翌朝10時に会う約束を取り付け、さて当日、重い荷物を駅に預けて再び博物館へ。日本の現代染めを研究しているという彼は日本へ発送するための梱包を解いて、3着のアイヌ衣服を見せてくれました。写真はもちろんフラッシュ撮影もOK.。ついでに英文のよくできた文献も紹介してくれました。彼によると、ここの収蔵品も含め、イギリスにあるものは殆どがN.G.マンローのコレクションだそうです。保存状態は良好です。

一枚目は茶系の格子地に伏せ布と刺繍の施してあるもの。二枚目は紺地に全面の伏せ布模様と刺繍。三枚目は、同じく紺地に、白と朱で力強い大胆な模様を背中、胸、裾の部分に施したものです。デザインには幾つかのパターンがありますが、それらを自在に変化させ、考えうる限りのバリエーションをもって仕上げられているのには驚きました。作り手の研ぎ澄まされた美的感覚と情熱が模様とステッチの随所に見られます。たとえば、一枚目のものは、伏せ布に刺繍をした上に薄い透けるような布が被せてあり、単純な模様にトーンの変化を与えています。三枚目は網目のような刺繍が渦巻き模様の先端と橋の部分に施された個性的なデザインです。つい見逃してしまいそうな細かな部分が実に丁寧に時間をかけて作られているのです。4月の札幌での公開時には日本美術の主任学芸員の方も来日されるそうです。

イギリスではもう一箇所、今回は見送りましたが、ロンドンの大英博物館も220点を所蔵しています。ちなみにこれら3つの博物館は入館料が無料です。イギリスではちょっとした日本ブームです。スコットランドでは"Japan2001"というテーマで各種の催しが開かれ、2002年にはロンドンでも日本語スピーチコンテストが持たれるとのこと。「浮世絵」だけの日本ではなく、現代に焦点を当てながら日本の文化現象を時間軸に沿ってとらえるという異色の切り口です。

イギリスからチェコ、そしてめまぐるしい移動の日々

最後の美術館は旅程の最終地であるオランダ。エジンバラからロンドンに戻り、空路でプラハの友人を訪ねました。5日間のプラハ滞在後、アムステルダムまで夜行列車に乗り、そこからさらに鉄道でブリュッセル、アントワープを回りライデンに寄ってアムステルダムへという道程。ここで何かお気づきにならないでしょうか?これらの街の共通点は、ビールがおいしいことです。町のスーパーや酒屋へ行くと、ワインと並んでビールの種類が実に豊富です。ラベルは読めないので、値段で味を推測します。

選ぶ楽しみはベルギーでしょう。数百ともいわれる多様なビールは、一夜漬けのガイドブックでえり分けるのは困難です。ですから、好みのビールをメモっておいて、こっそり見ながらカートに放り込みましょう。毎食のパンにすっかり飽きた私は、旅の終わりのほうは、ビールとりんご、チーズ、ブラックオリーブをホテルの部屋で食べながら、CNNでアフガニスタン情報をチェックしていました。

話を美術館に戻しましょう。ライデンにはなんと13もの博物館、美術館があるのです。駅構内のコインロッカーに重いスーツケースを放り込み、いざ民俗博物館へ。駅裏手から徒歩5分ほどのよく設計された、管理の行き届いたすばらしい博物館です。日本美術の部屋は、アイヌの展示物で始まり鎖国時代へという具合に構成されています。この美術館だけが日本美術関係の本を置いています。さすがに、長い鎖国時代、シーボルトを代表として交流の深かったオランダだけあり、書籍売り場に占める日本美術の本はかなりの数です。ベルギーと共同編集されたアイヌ展図録を見つけ、一冊求めました。この本は、今、オランダ人の学生が翻訳してくれています。

しかし、この日は失敗の連続でした。まず、列車の中に大切な帽子を忘れ、アントワープからは計算外の乗り継ぎ、美術館では写真撮影の許可を得たのに、肝心のカメラは電池切れで撮ったのは2枚だけ。しかも、昼食抜きの空っ腹にせめて温かいワッフルでもと思ったのに、アムステルダム行きのホームに上がったとたん突風で吹き飛ばされ、「幻のベルギーワッフル」となりました。博物館入り口の案内係の親切なおじさんがこう言ってくれました。「この次、機会があったらぜひアポイントメントをとっていらっしゃい。また会うのを楽しみにしてるよ」。

次はユーロで

最後に、旅に関する個人的な意見と情報をお付けしたいと思います。団体旅行ならいざ知らず、予算を限った個人旅行では、いいガイドブックが必需品です。もし、英語が苦にならないのであれば、「Lonely Planet」がイチオシです。「どんな旅をしたいのか」が、この本を読んでいるうちにイメージされてくるような、読み物としてもよくできたガイドブックです。日本のガイドブックで見つけたロンドンの宿は最悪でしたが、それ以降のものは、まずまず満足のいく値段に見合ったものでした。シングルは割高で、一泊7000円から8000円です。これらの宿を予約するのに、各国でテレフォンカードを買うことになり、自宅の旅行ファイルにはイギリス、オランダ、チェコ、ベルギーのものが収まっています。どれも一枚500円程度です。余ったら、公衆電話から国際電話をして日本語でべらべらおしゃべりすると、精神安定のためにも良いです。

旅には予期せぬ出来事がつきものですが、今回のそれは、鉄道でした。風雪という悪天候も手伝ったため、居心地のいいとは決していえないロッテルダムで3時間も列車待ちをするはめになりました。他の旅行者の言うには、列車の遅れやキャンセルは、オランダではしょっちゅうだそうです。おまけにあの駅でのアナウンスは、オランダ語、フランス語、そして英語(おそろしく訛りの強い)の順ですから、やっと聞き終えた頃には列車は発車間際という状態で、重いスーツケースをもってエスカレーターのないホームを移動するには、とにもかくにも脚力と体力です。アムステルダム、ブリュッセル間は、2等で3000円ほどですが、大汗をかかぬためにも、個人的にはサリス(Thalys)をお勧めします。こちらは、電話か駅窓口での予約が必要で、若干高めですが、確実です。

日本に戻ったのは12月30日です。2週間の慌しい旅を終え、財布の中にはあちこちのコインと紙幣がごちゃごちゃと入っています。そして新年を迎え、EUでのユーロ移行は大きな混乱もなく進みました。エリザベス女王のポンド紙幣や、ジェームズ・アンソール描く仮面のモチーフのあるベルギーフラン紙幣もじきに見られなくなるでしょう。銀行を探し歩く手間も省け、次の旅行はもっと時間と、若干の両替手数料が節約できそう。所蔵品保管庫の見学、撮影ができることもわかったし、次回は予備の電池を持ってユーロで旅行です。ライデンのおじさん、覚えていてくれるかな?

<イラストも筆者>