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2002.10.30 |
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子供の頃―もう50年も前ですが―、私が住んでいた住宅地に響いた秋の音……薪切りと、「どん」。どちらもリヤカーで運んできた、薪切り機で廃材を切って薪にするのと、干とうきびや米を「どん」にするという、賃仕事でした。子供たちは、ほっかむりをした小父さんに「危ないから離れて!」と怒られながらも、周りを取り囲んで、飽きずに眺めていたものです。雪虫が飛び交うなかに漂ったおが屑の匂いと、カーバイトの香りも懐かしく思い出します。干とうきびのない我家から僅かの米を持って駆けつけ、その円陣に加わったチビの私でした。
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大砲のような鉄製の筒がぐるぐると廻り、中のきびや米が熱せられていきます。やがて、私たちが固唾を呑んで見守る中で大砲の先端が開かれ、「ドン……!!」。ふくれあがった「どん」が金のネットに飛び散ります。耳に指をあて、胸をドキドキさせて“その瞬間”を怖れとともに待っていた私。
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アメリカの対イラク戦、北朝鮮との問題、有事法制と改憲の動き、教育基本法改悪……それらのすべてがあの大砲の中で熱せられ、廻されながら爆発の瞬間へと向かっているような、そんな空気をいまこの国に感じます。加熱した密室から吐き出され膨れ上がった、どんな「どん」を私たちは見ることになるのでしょう? そして、私たちがそれを「見る」ことができるのでしょうか?
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ピースボートが札幌に事務所を開設しました。若者を中心に、“文化”の新しい形がこの地に根付くことを期待します。直接それと関係があるわけではありませんが、11月24日〜12月9日まで、シドニー〜東京間を船に乗ることになりました。決して、逃げ出すわけではありません……。
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10月15日〜18日、DPI(障害者インターナショナル)世界大会々場に詰めていました。智子さんが依頼された「アイヌ文化コーナー」での“チタラペ編み”実演で、付録のボランティア・スタッフです。大会事務局が立ち上げた2年前には、事務局へ行くこともあり、何かできることを……と考えていたのが、その後事務局運営のいい加減さに嫌気がさし、足が遠のいていました。とはいえ気にはなっていたのが、ひょんな形で手伝うことができ、安心しました。たくさんの人びとに会い、話すことができ、疲れに比例する満足感も得られた“ボランティア”でした。
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セクウェップムゥからアーサーたちが来、船に乗り、東京での作品展……間断なく続きます。鬼に笑われながら年が明けると、NFIPの会議にトンガへ。ちょっときついスケジュールになりました。私自身が大砲の中に密閉され、がらがら廻されながら焼かれているのかも……。
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それにしても……。現在の政治と社会の状況について、新聞のコラムに澤地久枝が書いています。『日本の「破綻状況社会」が一夜で変わったら、多分おそろしいことになる。ファシズムは過去の、私たちに無関係の「怪物」ではない』
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「アイヌ文化法」から5年。雑誌や新聞が―わずかばかりですが―記事にしています。コメントも求められますが、なかなか言い切れない部分もある。「よそ様のすることを云々するもんじゃあない」と、エカシたちの声がまだ耳に残っています。
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3月の「地対財特法」打ち切りが意味するものを、アイヌ(のみならず国内すべてのマイノリティ)は、もっと深刻に受け止めなければならないだろうに、そんな危機感はまったく感じられません。人権小国日本で、辛うじて“人権教育”が実践されていた同和教育に対する国の攻撃は、恐るべきものがあります。もっと「クニ」のことを真剣に考えなければ……。「国家を越えて……」などと、蜃気楼世界を模索するインテリの議論は、屁のつっぱりにもならないでしょう。
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叙勲が決まった三遊亭円歌のコメント。「長屋の八五郎が将軍さまからお褒めの言葉をいただくような気持ちです」……皮肉で言ったとしたら、円歌も大したものだがネェ……。
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