前号で報告したように、2003年春、北海道教区に新たな差別事件が起きました。
4月12日 前年度教区会議長宛ハガキ
『グッハハハ/痛快じゃのう/教区会をおちてめでたい限りじゃ/のぼせ上がってるから哀れなことになるんじゃ/エッタとつるんで動き回ったおまえに未来はないのじゃ/エッタヤローもきさまも てってい的に追いつめてやるぜ/アバヨ』
4月14日 教務所長宛ハガキ
『お願いします/教区から共産主義者を一掃してください/エッタどものさべつ 差別の騒ぎにはうんざりです/大事な時期です/○○みたいなエタヤロウに出入りをさせてはなりません/所長の英断に期待します』
5月21日 Uさんのお寺の地下駐車場壁面に赤いスプレーで落書き
『ココハケガレタ/エッタ寺』
新年度、教団の体制が大きく変わり、それに伴って教区僧侶の問題意識も後退してきたことをあらわしている出来事です。取り組み態勢を作り直さなければなりません
6月29日、「浄土真宗本願寺派北海道教区の差別事件についての学習会」で、’94年最初の落書き発見から今日までの経過について再確認しました。『森』13名、教区僧侶17名が集まり、地下駐車場の落書きも確認しました。初めて直接これらの差別事件に触れたメンバーもおり、“宗教者が何故!?”と、衝撃と怒りを強くもちました
教区・教団へ、問題解決へ向けての働きかけを強化していくことと、私たち自身の学習活動を継続することも確認されました。新たな出発にして行こうと……。
8月21日、教区との話し合いがひらかれました。新しい基推委との初顔合わせ(旧メンバーも若干名いますが)で、教団からも初めて出席がありました。教団同朋部長と中央相談員の2名です。『森』が事件に関わってから7年余、21回に及ぶ教区との話し合いで初めてのことです。当然、私たちの質問は教団の対応へ向けられました。
一つは、2000年6月の教区「回答書」は、教団による回答として受けとめていいのか? もう一つは、’95年の『森』からの質問状に対して教団は「対応委員会で協議の上回答する」と返信してきたが、今日まで何らの回答もないのは何故か?
同朋部長は、教区と教団は原則別組織であるとか、’97年10月の『札幌別院「差別落書き」事件対応報告書』が回答である、などと強弁していましたが、私たちがそれらの矛盾点をいちいち指摘すると、回答が出来なくなってしまいました。結局「持ち帰って部内で検討のうえ、回答する」ということで、その日は終わりました。
――後日、私たちの催促に応えて送られてきた上記に対する“回答”は、同朋部長の答えとまったく同内容で、「これでは回答になっていない。再度、見解を求める」旨を返信しました(11,20付)が、まだ何も言ってきてはいません。
10月18日、「学習会」をもった上で、10月22日、教区との話し合いに臨みました。2000年5月の教区「回答書」に基づいて、その後教区の中で行なわれた活動を点検したのですが、私たちの問いに応え得る内容はありませんでした。差別をなくし、被差別の人びとの人権を回復するための運動は、教区のなかから消えてしまったかのようです。
11月15日、学習会「一連の差別事件の背景にあるもの」を行いました。年内に教区との話し合いは実現できませんでしたが、年明け、働きかけを強化していきます。
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