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ヤイユーカラパーク VOL48 2004.11.09
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おもな内容

カナダ・ファーストネーションを訪ねて…

吉田 三千代(札幌)
  『カナダに行って』

11日間の旅の間、最後のバンクーバー滞在以外は、毎日サーモンを食べていました。1日に2度食べる日もありました。調理法はシンプルでオーブンで焼くことが基本ですが、私たちが料理をして、サーモン寿司などもたらふく食べました。サーモンは続けて食べても飽きることはありませんでした。

フィッシュキャンプにも行き、サーモンを捕る体験もしました。そこは川のすぐそばで、先住民の人たちがキャンプをしながら何日もサーモンを捕る場所です。貯蔵用に乾燥させる赤いサーモンが釣り下げられていて、とてもカラフルで、時間がゆったりと流れていました。手で使う網で救いとる方法もあるようですが、日中は川の底のほうにいるらしく今回の収穫はありませんでした。

網をかけて取っている人からサーモンをわけてもらい、網はずしから体験しました。エラの部分をぎゅっとにぎると、ピチピチはねていたサーモンが大人しくなり、それを網からはずします。すぐに力を込めて息を止めます。頭を取っておなかを開き、内臓を出し、ナイフの片側がスプーンになっている物で、背のほうの血を削って取り出します。このナイフ/スプーンは日本にはなく、便利だと買って帰った方もいました。

捕れたサーモンを前にして、アイヌのカムイノミの儀式をしました。火を焚き、火の神様を通して収穫を感謝します。日本酒を回しのみして儀式は終わりました。お正月には必ず、カムイノミに参加させてもらいますが、外国でやる儀式には感慨深いものがありました。

サーモンを捕る数は、家庭の必要数によってきまるようですが、80匹の人もあり、200匹の人もあるそうです。アイヌがアシリチェップノミで使うために決められた数だけを捕るのとは違い、食生活のメインとしてサーモンが捕れるということは、カナダの先住民は恵まれているといっていいのでしょう。

サーモンばかりではなく、ベリーの種類も豊富でした。ちょうど、ラズベリー、ブラックベリー、ハックルベリーなどの収穫期で、デザートにたくさん頂きました。ちょっと散歩に出ると、周りにたくさんなっています。ベリーは熊も好きなようで、糞をみると種がみつかりました。自然と共に暮らしていることは、家のすぐそばで熊が見られることでもよくわかります。熊はじっとしていれば何もしないそうで、かえって放し飼いの牛が家庭菜園を荒らして困るという話も聞きました。

鹿撃ちに行くグループに同行して、山の奥まで入りました。鹿は2頭見ましたが、幸い?撃たなくてすみました。道が終わる高い場所まで行って車を下りて息を飲みました。流れが細いところに集まり、川は飛沫で真っ白の急流で両側が岸壁になっていて、その下は滝です。はるかむこうには雄大な山が氷河を青く残して、そびえ立ち、針葉樹の森がその下に広がっています。北海道の山は多く登っている私ですが、今までで一番壮大な景色に出あいました。このような雄大な自然の中で、はるか昔から先住民は、山、川、森からの恵みをふんだんに受けて生活してきたのだな、と改めて思いました。

その後、スキーリゾートになってしまったサンピークスを見ると、胸が痛みました。先住民が生活の場、祈りの場として大事にしていた山全体が切り刻まれていました。ルスツやニセコなどのスキー場と同じです。私はスキーをしますが、アルペンスキーではなく、主に山を足で歩いて登り、滑っておりる、テレマークスキーというのをやっています。でも時にはスキー場も滑ります。カナダの広いスキー場でも滑ってみたいなとは思っていましたが、サンピークスで、これ以上の拡張、森林破壊に、今も反対して集会やデモなどもしている様子を聞くと、そんな気持はふっとんでしまいました。

息子の吾郎は、今回の旅にドライバーとして参加させてもらいましたが、彼はプロスノーボーダーで、本拠地はウィスラーです。その彼も、サンピークスの反対運動にかかわりたいと言っていました。一方ではボーダーとしてスキー場を滑る、時にはスノーモービルも使うわけですから矛盾を抱えていくだろうと思いますが、今後の吾郎の活動にも大きな影響を与える出会いだったと思います。

島崎 麻里亜(札幌・9才)
  『カナダに行って』

  

8月12日にカナダに行きました。

車で千とせ空港に行き、早く飛こう機に乗りたいと思ったけれど、飛こう機に乗ったらつかれる、と思った。そして成田まで行き、成田からカナダ(バンクーバー)は遠かった。

そして、やっとついた。と思ったら、今度はジョジーナの家まで4時間かかると知った時はがっくりした。

ジョジーナの家について、夕はんを食べてねました。

朝、顔をあらって身じたくをして、今日はサーモンキャンプなので楽しみだったけど、サーモンをとってカムイノミをしただけだったからちょっぴり「つまらない」と思ったけど、サーモンを目の前で見たのは初めてだった。おもわず写真をとってしまった。とてもすごかった。

川に行くと中、水をくむのも楽しかったし、水もとてもおいしかった。また飲みたい。

マリは、「カナダの水は日本よりおいしくない。おいしいとしても、買った水だな」と思っていたけど、いがいにおいしかった。マリが気にいったのは、買った水で水をすうような物(ボトル)が気にいった。

そして、帰ってすしとちんみを食べてねた。

次の日は川に行き、サケ(サーモン)がのぼってくるという川に行ったら本当にのぼっていたが、ざんねんな事に橋のところがふさいであってのぼってこれない。

次に湖に行って泳いだ。とっても楽しかった。

家に帰って、マリは日本食のそばを食べた。マリは、やっぱり日本食が一番、と思った。そして、ねた。

この日はジョジーナの家ではなく、ビバリーの家なので、いどうする。ビバリーの家についたら、近所の家をあん内してくれた。何カ所かあん内して、最後の家でおどりをしてムックリをあげたら、たいこでえんそうしてくれて、そのたいこをもらって、とってもうれしくてびっくりした。そして、帰ってねた。

そして白頭ワシやクマ、タカなど、色んな動物を見てうれしかった。

そのほかにも色々あって、楽しかった。

そして最後に、ホテルに行って楽しんだ。

カナダにまた行きたいけれど、やっぱりマリには日本が一番いい。

ビバリーの家に行ってドリームキャッチャーをもらってから、毎日おいてねています。

日本に帰って、ホッとした。

今年の夏休みはとっても楽しくて、今まで生きてた中でよかったと思います。

山下 輝昭(小樽)
  『2年ぶり5度目のカナダ』

活発な野外活動と海外交流活動をモットーに、「これでもか!」と言わんばかりの『ヤイユーカラの森』のカナダ。今回の参加者は、15名である。

私は、カナダ5度目であるにもかかわらず、どうしても空港が苦手である。その心配は、千歳でも成田、カナダでもあった。どうも空港の係官たちは顔で人を判断しているんじゃないか? 前夜ヨシ子先生が言っていた通りになる、といういつものパターンで皆さんと合流し、いざカナダへ……!

空港で出迎えのアルビン、ワート、松井さん、吾郎君。2年ぶりの顔だ。そして小林さん親子、これで参加者全員そろいましたね。カナダに着いてしまえばもう心配はないと、ホッとする山下デス。なぜかな?

レンタカーを2台借り、食糧を調達し、ビールを山ほど?持ってリルワットへ移動。「なんだかなぁ〜空気がとっても気持ちがよいなぁー」と思い後ろを見ると、かりんちゃんが又寝だめをしている。初めての海外旅行で疲れているのだろう。

モニカや子どもたち、樹央君、カプリケーン、ジョジーナとアルバートたちに、盛大な歓迎を受け、ちょっと遅い夕食だ。私を息子のように見ていてくれるアルバートとジョジーナ、思いきりハグをする。今回も、思いきり世話になるヨ。

ジョジーナの所にスティする何人かを残し、いざアルビン家へ。「さあ、今夜は宴会だぁ」ボボとしこたま飲みながら談議をしていたら、その後の記憶がなくなっている。聞くところによると、また地面に寝っころがっていたそうだ。「吠えていたのは憶えている……」。でも、朝にはベッドにいたな?


いやぁ〜、天気がとても良く、暑い。たまらず川に飛び込むが、「つめてぇ!」。でも気持ちがよい。樹央は川の流れに乗って自分の小屋まで行った。なかなかやるな。グァテマラの朝の儀式は恐ろしく長く暑かったなぁと、また川にドボン。

サーモンキャンプに行く途中、ピースキャンプの"シュティカ"に立ち寄る。前回と同じ顔があり、人も増えていた。頑張っているな。不当な開発に負けるな、私たちも応援するぞと、カンパを集める。

サーモンキャンプでは、暑いせいかサケがそれ程ネットに入らなく、私と荒川が交代で下流にタモをかざすが一匹も入らん。仕方がなく、網で捕ったサケの「イクラ」と「メフン」をもらって醤油漬け。ちょっと酒が多いような気もするが、ま、いいか。後日みんなの腹に収まったのは言うまでもない。うまかった! 特にメフンは絶品だ。カプリケーンも満足そうに食べていたようだ……かな? 最初の頃は、とても気持ち悪そうに見ていた彼らも、この頃ではちゃんと食えるようになったな。イイぞ。

今夜は豪華な料理が山盛りだ。今回の参加者には、料理のうまいお姉さん?が沢山いる。だから私の出番はない。なんだかなぁ、うれしいなぁー。しかし、何でもテキパキとこなす姿には感動しましたねぇー、すごいデス。直美さんにいたっては、自分ちの台所のようになっていたなぁ。

いつものヤイユーカラのキャンプだな。モニカは冷酒が気に入った様子で、とてもいい顔になっている。アルビンは大きな体で小さくなってモニカのそばにいる。モニカは強いのだ。酒宴が続く中、今日は記憶があるうちに寝てしまおうと、ロッジへ行きいつもの塩ラーメンを食べて寝る。何時だか分からないが、まだみんな川の畔で星を見ているのかなぁ。ロマンチックな人たちだ。


セクウェップムゥへ移動。ビヴァリーのガソリン・スタンドに着き、スティ先を割りふって、各人スティ先へ。私は長老ウォルブリンの所に吾郎君、計良さんとだ。

翌朝、家の前にシカが3頭いたと吾郎君が言う。私が起きる前にいなくなってヨカッタ。長老に「獲ってこい」と言われたら困るなぁと思い、ホッとする。

アーサーの息子たちの案内で「サンピークス」へ。手前のプロテクション・キャンプでランチをとり、中へ移動。前回も工事中ですごい建物が建てられていたが、今回もすごい。こんなに立派な家を沢山建てて、どういう人たちが暮らすのか。先住民の土地を奪い、その上に成り立っているのを、彼らは知っているのだろうか。かなり嫌な気分で湖へ……。前回スウェット・ロッジ跡で祈っていたサラの顔が浮かぶ。

新しく建てていたプロテクション・センターはどうなったかと思い訊いてみたら、あの逞しい青年は盗伐の罪でポリスに追われ、現在はアメリカにいるそうだ。カナダに入国すると逮捕されると長老が言っていた。色々な形でサンピークスの嫌がらせが続き、こういうことになっていたとは……。よし、残りの仕事はオレと荒川でやるか? ……もしやったら、しばらく日本には帰れなくなるなぁ。まだそういう度胸がないなぁ。日本でのしがらみが全部解決したら、ここに来ることにしよう。多分、ヨシ子先生も同意してくれると思うんだが……?

色々な問題を目の当りにしながらも、どんどん時間が過ぎて、ジャニスの家で夕食だ。みんな沢山食べて、幸せそう。その後の踊りも、みんなを巻き込んで楽しかったね。さすが、島崎親子と純子さん。さて明日は、船でサケ捕りだぁー。


川の中州で泳ぎまくり、地元の人たちのあたたかいサケ・バーベキュー。おいしいネ?泳いで、食べて、飲んで(アルコールなしだが)、昼寝をして過した後、ジャニスの息子の案内で色々見てまわる。通行止めの橋からダイブしたり、川で泳いだりと、今日はとても楽しい1日であった。ジャニスの息子のメガネが川に落ちるというハプニングがあったが、それも楽しく見ていました。ゴメン……。しかし松井さんといい吾郎君といい荒川といい、みんな凄い泳ぎっぷりだ。もう私にはついていけないと、歳を感じたのです(もっと早く気づけ)。

この川は魚がいそうな気配が感じられ、床田さんがいたら迷わずロッドを持ち出したでしょう。残念です、床田さん。今回の旅も終わりに近く、とてもハードなスケジュールをこなして来ました? 明日は、バンクーバーだ。


車が1台足りなくなり、アーサーの息子がバンクーバーまで行ってくれることになった。快適なドライブで、ホテルへ。私と計良さんが同室だったのだが、エアコンが効かなく、またまた計良さん激怒。どうも計良さん、このホテルが気に入らないようだ。前回も色々とあって、もうプンプンである。それもそうである。体に異変が起こるし、もう大変な状態なのである。後日病院に行き、ピースボートに乗るのはあきらめたようで、キャンセルの手配をしていた。まずはヨカッタ、のかな?


松井さんの案内で、人類学博物館でのレクチャー。何度聞いても、興味深いものです。午後からみなさん待望のフリータイム。女性陣、男性陣、皆バンクーバーの街へショッピングに。しかし、みんな元気だのぉー。

夜、食事に行こうと、隣りのバーへ。すでに若いグループが陣取って、盛り上がっていました。この所私は若いグループから外されているなぁ。なんだヨ、オレは、まだ49才だ(歳か……)。

翌日、ガスタウンで先住民の活動をしている事務所へ。話を聞いている中で思ったことは、日本においてもカナダにおいても、政府のやることは表むきのことだけで、本当の意味で先住民のことを考えてはいないということです。

この事務所が沢山のバンドを抱え活動していることは、すごいことデス。私たちの国ではどうでしょう……頑張らねば。何度となく訪れているカナダで、沢山の人たちと会い勉強させてもらっているが、私は進歩がないなぁー。

午後からまたフリータイム。私は別に買物をする気もなく、ちょっと膝が痛いのでホテルへ。でも泳ぎたいなぁ、車でビーチへ行こうかなぁと思っていたら、ナベさんが来て、2人で街へ。

夕方、松井さんの自宅でのホーム・パーティのため、買い出しに。ここでもお姉さんたちは、沢山の料理を作ってくれました。スゴイデスネー。私はドライバーのためアルコールを飲めず、ホテルへ戻ってから松井さんとカンパイです。


今日まで10日間、松井さん、吾郎君、ご苦労様でした。そして、本当にありがとう!

今回の旅では雨も降らず、とっても楽しく過ごせました。高橋から元橋になったお陰かな……と思ったら、恐るべしミホの力、最後の日に大雨! 余程日本に帰りたくないと思ったのか、凄い……コワイ。

計良さんのお姉さん、とても優しく、そして通訳ありがとう。

真樹子さんも、色々オジさんをかまってくれてありがとう? かなり遊ばれたような、なんだかなぁ〜。

いつものノリで過ごす荒川、イイネ。そしてアイリーンと別れる時にウルウルしていた真弓さん。ここにいたいのなら、いていいんだゾー。

とても繊細でおとなしく、オジさんを心配にさせる、かわいいかりんちゃん。これからもっと強くなれヨ。(きっとヨワイのは私だったりして……)

いつもやさしく通訳してくれた吾郎君のお母さん、三千代さん、ありがとうございます。

アッコはまた帰りたくないと。置いていくか?

純子さん、とても力強い方です。その行動力、私にも少し分けてください。

島崎親子、とても元気が良く(もちろん母の方)、麻里亜があきれていました。

ナベさん、なんか語学力アップしたような。さすが「閑と金がある」(本人談)人だ。

元橋功さん、これにこりず、またミホと参加してください。

そして計良さん、最後まで本当にごくろうさまでした。

今回の旅を楽しく過ごせたのは、みなさんのおかげです。ありがとうございます。


…………なんか書き落としているようなんだが、ま、いいか。「次回もみんな来てくれヨー」と、その前に、12月の道内におけるキャンプのスケジュールもこなさなければと、色々考える山下デス。ちがう、計良さんか……。           <Chimo>

櫻井 亜樹子(小樽)
  『カナダ・ファーストネーションを訪ねる旅 2004』

空港でのあたたかな出迎えを受け、このカナダの旅が始まりました。

初日、アルビン宅に着いた時はまたも満天の星空の歓迎があり感動 !! そして生まれて初めての"天の川"。まさに感激でした。まだまだカナダに来たという感覚が無かった私も、カナダの大自然に触れ、自分がそこに立って居る事を実感したのです。

アルビンの愛娘、ウィノナとマヤはちょっぴりお姉さんになっていました。前に来た時はおてんばだったのに……。私も2年という歳月を経て、少しは変わっているのかと考え、そしてすぐに「変わってないなぁ」と思うのでした……。

アルビンの家は今回で二度目なのですが、何故かすごく懐かしい気分になるのです。楽しい毎日を送るからなのか何なのか。今回もまた、みんなとの楽しい思い出がたくさん出来ました。素敵な出会いもたくさんありました。みんな一様に明るくて陽気な人が多く、とても楽しい時間を共有できました。時間を共有し、彼らの生活に短期間でも関わる事が出来た事で、彼らの直面している様々な問題にも触れる事が出来ました。生の声で直接話を聞くことが出来、とても貴重な時を過ごしたと感じています。

2年前と比べサンピークスの開発は進み、山の木々は広範囲にわたり伐採されていました。このようなことを続けいつしか山が丸裸になる痛々しい姿を見たくはないし、シュティカで汲んだ綺麗で澄んだ美味しい水が飲めなくなると考えると、とても心が痛みます。しかし無常にも、着実に開発は進んでいるのです。これらの彼らにとってとても大きな問題に対して、私は何が出来るのだろうと考えた時、自分の無力さに気付きます。しかし、最初はどんなに小さな力であれ、それが集約された時のパワーと続ける事の努力。これもこの地に来て知った事なのかもしれません。私には何も出来ないかもしれません。しかし、今回このカナダの地で自分の目で見てきた事を、周りに知らせる事は出来ます。もしかしたら、それが今私に出来る精一杯の事であり、一番意義のある事なのかもしれないと思っています。

今回のこの旅で印象に残っている事があります。それは、女性たちのパワフルな姿と、若者たちの活躍です。セクウェップムウで過ごした日々。女性たちはとても行動的、かつ積極的で目を奪われました。みんなをまとめてグイグイと引っ張り、リーダーシップをとる彼女たちは輝いていて、とても素敵な女性たちでした。そして彼女たちの子供である若者たち。自分たち先住民族の事をとてもよく勉強しているのです。彼らは私達に色々な事を話し聞かせてくれます。色々な事を説明してくれます。色々な質問に答えてくれます。彼らは自分たちの抱える問題や歴史など、自分たちの事を教えてくれるのです。私が逆に彼らに教える立場ならどうするのだろう?一体、何を話して聞かせる事が出来るのだろう?答えは出ず、ただただ疑問に思うだけでした。

私は今回、この旅でカナダの先住民族の人たちに触れ、短い間でしたが彼らの事を少し教わる事が出来ました。その反面、自分の国の事を知らない自分にも気付きました。他の国の事を学ぶ事ももちろん大事な事です。しかし、彼らを見ていて自国の事を知る大事さにも気付いたのです。これを機に少しずつでも学び、知っていけたらと考えます。そしてもちろん、自分の目で見てきた彼らの抱える問題を周りに広めていく事が、今回のこの旅に参加した私がする事だと考えます。


最後に、今回も楽しい仲間と一緒に旅ができた事に感謝します。ヤイユーカラの森の仲間は、みんな明るく気さくな人たちばかりなので、楽しい時間を過ごせます。本当にありがとうございました。そしてカナダでは松井さんと吾郎くんには大変お世話になりました。ろくにお礼も言えずに別れてきてしまった気がします……。この場をお借りしてお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。また皆さんにお会いできる事を楽しみにしています。その時はどうぞよろしくお願いします。これを機に、この輪がどんどん広がれば良いと願っています。

元橋 功(横浜)
  『ファーストネーションを訪ねる旅』

『カナダ/ファーストネーションを訪ねる旅』この旅のすばらしさは、2年前に参加していた妻である美穂より詳細な解説付きで聞いていました。しかし、人から聞いた話だけでは本当の良さまでは理解できない、やはり実際に行ってみないと……、そんな気になっていました。そして今回、この旅に参加することになり、私は最近始めた写真をなるべく多く撮ることで、この旅で体験し感じたことを記憶に留めることにしました。

実際にカナダへ行ってみると、雄大という言葉にふさわしい自然があり、そこに暮らすファーストネーションの人々にお世話になりながら、ファーストネーションの歴史と文化そしてファーストネーションであるが故に抱える問題を知る機会に恵まれました。それは、先住民族について予備知識の少ない私にとって、さながらファーストネーションについての集中講義を受けているかのようでした。そして、移動する先々で説明を聞き写真に撮っていると、気がつくとフィルムとデジカメあわせ500枚を超える写真を撮っていました。

この旅が終わり、今現像が終わりアルバムに収まった写真1枚1枚を見ていると、自分で撮った写真は、決して上手い写真とは言い難いけれども、シャッターを切った瞬間にファインダーの枠に収まらなかった風景やそのとき感じたことを鮮明に思い出すことができます。そこには、スイスを思わせるかのような頂上に雪を戴く山々や大きな木で覆われた森、世界で最も多く鮭の遡上するフレーザー川とその支流、そして日本では見ることのできない満天の星空……といった美しいカナダの自然と、そんな自然の中で伝統と自分たちの土地を守るために活動するファーストネーションの人々の姿が写し出されていました。

その中でも、特に印象に残っている風景は、リルワットでアルビンに連れられて行ったハンティング(というよりドライブ?)で見た風景です。アルビンのトラックに乗り、獲物を探しつつ、アルビンのおすすめスポットで写真を撮りながら1時間以上走った山道の終着点にその風景はありました。そこは石灰岩の採石場でしたが、小高い崖になっていて、そこから見渡すことのできる風景は、まったく人気のない森とその奥にそびえる山々がありました。アルビン曰く、ここから先はまだ人の手が入ってなく、インディアンしか入ったことがないとのことです。確かにその風景は美しく荘厳で、アルビン達が必死に守りそして取り戻すべく活動しているものの一部が理解できたように思えました。

今回の旅で撮った写真は、私の頭の中に記憶されたことを正しくそして鮮明に思い出すために十分な役割を果たしてくれました。これからもこの写真を眺めながら、この旅で学び感じたことを復習しながら、私たちが出会ったファーストネーションの方々に微力ながらなにができるのか考えていきたいです。そして、また機会があれば是非参加して、今度はもう少し腕の上がった写真を撮ってみたい、そんな気になっていました。


最後に今回の旅で一緒に参加した皆さんお疲れ様でした。初対面の人ばかりの中で、とても暖かく受け入れて頂きとても感謝しています。また会うがあれば旅の思い出話でもしたいと思います。本当にありがとうございました。

元橋 美穂(横浜)
  『カナダ 再び』

日本に帰ってきて、こうしてパソコンに向かっていると、カナダで過ごした日々が夢だったかのような錯覚を起こす。窮屈な服を着て窮屈な靴を履き、毎日同じ時間に同じ電車に乗ってパソコンに向かう日常から離れた10日間。アルビンの言う「have toのシステム」から開放された10日間だった。

アルビン家は以前と変わりなく私達を迎えてくれた。モニーも相変わらずキレイで、ウィノナは少し大人になっていた。目の前をゆったり流れる川も、夜空の星の多さも、毎晩賑やかな宴が催されることも変わらない。何故か、深夜の川に入りたがる習慣も(これは一部の男性陣の中での流行りだけど……)、決して時差のせいだけではない、寝不足の日々が始まるのも変わらなかった。変わったことといえば自分の体力?

何よりもほっとしたのはシュティカが2年前と何ら変わらない光景だったことだ。冬季五輪の開催地にバンクーバーが決まった時点で、もしかしたらシュティカにも開発の手が伸びるかもしれないと、ひそかな覚悟を決めていたから、本当にほっとした。

スキーリゾートして出来上がった町は、それはそれとして美しい。今回買い物のために寄ったウィスラーをみて、そう思った。ヨーロッパ調の町並みと居心地のよさそうなレストランやバー、夏は避暑地として、冬はスキーを楽しむ人々のために必要なのだと思う。でも、そこにかつてあったはずの山や川や動物たちの居心地のいい故郷は、もうそうなってしまってからは取り戻せない。

ネスコンリスへ移動して、再び訪れたサンピークスはさらに開発が進んでいた。山はまるでバリカンでそこだけ剃られたかのように、これからリフトがしかれる場所だけ森が途切れていた。2年前にはまだゴルフ場にリスの姿がたくさんあったのに、今回はそれも姿を消していた。サラが祈りを捧げた神聖な場所も、カヌー置き場へと姿を変えていた。確実に開発が進んでいるのを目の当たりにすると、「まだ、するんだ」という気持ちになる。建設中だったホテルも完成し、コテージも立ち並んだのに、開発の道はさらに山の上へと向かっている。どこまで、この山は変わってしまうのだろうと寂しい気持ちになる。見慣れた山が日々知らない街になっていく様子を見ている彼らの気持ちはどんなものだろう。計り知れないと思った。

バンクーバーへの移動途中、今回初めて訪問するチーアム・バンドのジューンさんのお宅にお邪魔した。ここでは漁業権が問題となっている。でも、またそこで伺った話は、彼らの大切な山がスキー場開発予定地になっているという話だった。ここまでくると、素朴な疑問として、カナダ政府はいったいいくつのスキー場が必要だと考えているのだろうと思ってしまう。そんなに作ってどうするのだろう?


今回特に印象に残った言葉がある。「次世代のために」。多分ネスコンリスで話をしてくれたスカーヒッシュの言葉だと思う。彼らが伝統的領土を守るために闘っているのは、自分のためだけではない。次の世代のために、そして永遠に続く彼らの子孫のために、今できることとして精一杯闘っているのだ。それは、本当にエネルギーを必要とすることだと思う。自分の代で終わらせてもいいものならば、闘う必要などなく、楽に生きていけるのに。その後に続くかれらの子孫のために、今守らなければならないものを守り伝えていく。それをしなければ、いつかは失われてしまうかもしれないから。絶えてしまうかもしれないから。その闘いの意味は重いと思った。開発を許可した政府関係者やスキーリゾート開発を計画した企業関係者に聞いてみたいことがある。将来自分の子供や孫をどんなところで育てたいか? 彼らが次世代に残してやれるものはいったい何なのか。そこで出てきた答えと、彼らがしようとしていることに矛盾がないのか。

今回もいろいろな人と出会い、また新しい話も聞き、本当に学習したと思う。自分に何ができるか、明確な答えはそんなに簡単に見つからないと思うけど、まずは継続することだと思っている。関心を持ち続けること、学習し続けること、そこからまた始めたいと思う。

そして、一緒に10日間を過ごしてくれた皆さんに感謝します。本当に楽しかった。前回と同じく、のびのびと過ごすことができました。また、計良さんをはじめ、いろいろとご尽力くださった皆さんにも感謝します。いつかまた、美味しいものとビールを片手にご一緒できる機会があったらと願ってやみません。その時が来るのを楽しみにしています。本当にありがとうございました。

小林 純子(東京)
  『カナダ訪問記』

旅は、カルチャーショックをおぼえるから楽しい。今回のカナダファーストネーションを訪れる旅は、2002年11月に来日したセクウェップムゥのネスコンリス・バンドの前チーフ、アーサー・マニュエルさんとリトル・シューシュワップ・バンド出身のリー・ロイ・ヨウさんの東京での受け入れ準備をしたことが縁で行くことになった。

旅の一行の何人かとはその時に会っているものの、親しく話を交わしたというほどの仲ではなく、みんなは「東京から合流するこの人は誰?」と思ったことでしょう。旅が進むにつれ、ノリのよいオバサン(笑)と思われたようで、カナダで知り合った人たちとともに、これからも素敵なおつきあいができそうな出会いとつながりの旅でした。もちろん、アーサーとリー・ロイにも再会できました。

カナダ在住の松井健一くんと小松吾郎くんが全行程同行してくれたので、通訳やトラブル解決はお任せし(どうもありがとう!)、私たち一行は気楽にのんびり、時には開発の現状に顔を曇らせながら、10日間の旅を終えました。

カナダの旅の始まりはマヤのセレモニー

カナダ到着の翌朝、リルワット・ネーションのホームスティ先の一つアルビン宅の河原で、マヤ民族のセレモニーに参加するという僥倖に恵まれた。私たちの旅の無事を祈ってくれたマヤの女性、フェビアナさんはグァテマラ出身で、内戦を逃れ、メキシコ、カナダへと移り住んだ。現在は家族とともにバンクーバーに住む。

グァテマラでは、1960年から96年まで、36年間に及ぶ熾烈な内戦(ジェノサイド)がくり広げられた。死者・行方不明者は20万人以上、国内外避難民は100万人以上にのぼる。虐殺、誘拐、拷問、強姦等々、犠牲者の大半はマヤ民族で、政府軍や準軍事組織によるマヤ先住民族の共同体の全滅作戦がとられたことが明らかにされている。

フェビアナさんも家族が犠牲になった一人で、被害の激しかった86年にグァテマラからメキシコに逃れ、14年前にカナダに来たという。彼女は旅の最後の夜に、私たちの夕食会に娘さんと一緒に訪ねてくれ、語るに辛い半生を話してくれた。リルワットでのもう一つのホームスティ先のジョジーナさんの家にはマヤと思われる男性がいて(ジョジーナの店で料理人として働いている)、具体的に話を聞くことはできなかったが、フェビアナさんと同じ体験をしてきたかもしれない。彼女は定期的にリルワットに来て、セレモニーを行っているという。私たちが到着した翌朝に歓迎の儀式をしてくれるために、わざわざバンクーバーから来てくれたそうだ。

カナダでマヤのセレモニーに参加するという幸運。真夏の強い日射しの下、フェビアナさんの祈りの言葉に呼応するように、白タカ(と言っていた)が私たちの頭上を何度も旋回し、私たちの健康と旅の安全を見守っているかのようだった。

フェビアナさんがグァテマラを出国してから生まれたという娘さんは、これから大学で社会学を学びたいということだった。まだ見ぬ母国に思いを寄せ、「いつかグァテマラに帰りたい」ときらきらした笑顔で語っていた。まだ社会不安がつづくグァテマラだが、彼女が安心して帰国できる日が早くくることを願わずにはいられない。

鮭とともにある日々

私たちが訪れたカナダの先住民族にとって、鮭は今でも生活とともにあった。フレーザー川のフィッシュ・キャンプ、リトル・シューシュワップ・レイクでのフィッシング体験……。鮭(サッカイ=紅鮭)を捕り、解体、日々食卓には鮭料理が並んだ。

山ちゃんが作ってくれたメフンの塩漬けやイクラの醤油漬けがおいしくてご飯が進む。料理案内人の山ちゃんがいなくて、荒ちゃんと真弓ちゃんと私の3人が見様見真似で「ああだ、こうだ」と言いながら作ったチャンチャン焼きは、カナダの人たちに好評だった。でもこれは料理の腕というより、捕ったばかりの鮭の新鮮さと山ちゃんが日本から持参した味噌がおいしかったせいだろう。モニーさんが作った味噌汁のうまさ、まるで日本の食卓のようだ。

フィッシュ・キャンプはサーモン・キャンプとも呼ばれ、泊まり込みで鮭を捕り、風干しをしているところである。キャンプ場にぶら下がっていた風干しの鮭のおいしそうなこと。もちろん土産に買ってきた。

リトル・シューシュワップ・レイクでの鮭漁で、私の乗った船が行った場所の仕掛け漁網の一つは引きちぎられていた。観光客が所構わずモーターボートを疾走させて、仕掛けた漁網を引きちぎっていくという。実際、私たちの目の前を3艘のモーターボートが疾走していた。ここはセクウェップムゥ・ネーションのアダムズ・レイク・バンドの漁場である。コミュニティの人々が交代しながら朝と夜に漁をする。賃金は連邦政府よりリーダーのみに支払われ、ほかの人はボランティアとのことだ。捕った魚は漁に出た人が分け、あとはコミュニティに納めるという。野菜や果樹もコミュニティ全体のものという。朝に捕った鮭は湖岸で料理をし、ランチには三々五々コミュニティの人々が食べにくる。この状況がつづく限り、飢えの心配はないのだが……。

漁業権をめぐって連邦政府の漁業海洋省の役人と先住民漁師の衝突がつづくチーアム・バンドも訪れた。フレーザー川中流、川面は凪いで、おだやかな夕方。漁を終えた船が戻り、子どもたちが船から鮭を引き上げる。とてものどかな光景を前に、前チーフのジューンさんの息子さんが、「さっき(川で)警察と追いかけっこをして逃げ切ってきたところだ」とニコニコと言う。ジューンさんはチーアムで起こっているスキー場開発や漁業権問題を話してくれた。以前、松井くんに、私が関わっている先住民族の10年市民連絡会のニュースレターに、チーアムで起こっている漁業権の記事を寄せてもらったことがあるが、その時の先住民漁師の逮捕劇が現実のものとして目の前にあった。

今もつづくリゾート開発

大型リゾート地、サンピークス・リゾートへの道は、轟音を立てて工事現場のダンプが行き交い、オープンした瀟洒な建物が並ぶ裏山では、ショベルカーが山を削り、今も拡張開発工事が進んでいた。冬はスキー、夏はマウンテンバイク、ゴルフ場も整備されている。リフトで頂上に登り、マウンテンバイクで滑降してくるスポーツが人気とのことで、若者たちが遊んでいた。この裏山を越え、山を下った所にセクウェップムゥのネスコンリス・バンドのスウェットロッジ跡がある。

「悪よ去れ!」。ビデオ『魂の涙』で見た、長老の一人、サラさんが叫び涙を流した森の中のスウェットロッジの跡地は荒れ、男性用のスウェットロッジは湖のボート置き場と化して、放牧されている牛の糞があちこちにあった。森の梢から空に吸い込まれていった彼女の叫びは去るどころか、今も増殖しつづけていた。

サンピークス・リゾートは、東京に本社のある日本ケーブルが出資しているサンピークス・リゾート社が開発・経営している。日本ケーブル社長、大久保雅由の名を冠した「MASA'S RESTAURANT」、そして、「OHKUBO」の名は、リルワットのシュティカでも聞いた。

シュティカでのスキー場開発計画も日本ケーブルがからんでいる。(今は)幸いというべきか、先住民族の反対運動のため、2010年冬季オリンピックの競技場候補地に入らなかったので、まだ工事にgoサインは出ていない。しかし、シュティカの計画は、スキー場開発だけではなく、水の利権もからんだものという。湖からとった水をミネラルウォーターとして売り、その利益でゴルフ場を造る。シュティカの開発反対運動のリーダーの一人、ロザリン・サムさんは、「湖周辺は神聖な動植物を囲み、魂を清めるための場所」で「子孫へつなげていくことが自分の義務」であり、「この土地を守ることは自分の人生の一部、この土地のためなら死ねる」と言い切った。ロザリンさんは何度も命にかかわる脅迫を受けている。

前述した漁業権問題が深刻なチーアム・バンドでもスキー場開発計画が持ち上がっている。人工雪を利用したスキー場にする計画らしい。マウンテンゴートのいる場所として、カナダでも有数のきれいな水環境を持つというチーアム・マウンテン。人工雪による環境汚染は確実に起きるだろう。すでにエルク・クリークの温帯林伐採が始まっている。ヘリロギング(ヘリコプターを使っての伐採)のため、どの場所を伐採されるか予測がつかず、反対運動がやりにくいと、リック・メカリアンさんは言う。伐採業者も木材もヘリコプターが運ぶため、林道をつくらずにすむから、企業側にとってはコストが安くあがる。しかもブリティッシュ・コロンビア(B.C.)州政府はヘリコプターを使う企業を優遇しているそうだ。伐採を阻止するために道路封鎖という手段をとれないため、毎朝5時から見回り・監視に歩いているというリックさんは、少々疲労をにじませながら、地元に何の還元もない開発事業であると語った。

移動中に通りかかった川の対岸の居留地(リトル・シューシュワップ・バンドの居留地の一つ)では、リゾート・マンション計画(おそらく別荘地だろう)が持ち上がっているため、業者が入らないように橋を封鎖し、開発に抵抗していた。人々は川船で移動しているという。

行った先々で人間の欲望をむき出しにしたリゾート開発計画の話を聞くことになった。

先住民族に多い失業率

現在、B.C.州における先住民族の一番の問題は、失業率が高いことで、居留地の貧困だという。B.C.州の約半数のバンドの連合体Union of B.C.Indian Chiefs(UBCIC)は、先住民族の土地権の請求や社会的保障の実現に向けて活動している。代表のステュワート・フィリップさんに話をうかがう機会があった。彼は、経済重視のリベラル党の州政府が企業からサポートを受けて、資源の搾取を進めていることや、運動やコミュニティを分断していると語った。わずかな金のために雇用される人とそうでない人の間の亀裂も問題化しているという。「連邦政府と州政府の先住民族への政策は、貧困へ向かっていくための何ものでもない」と、フィリップさんは締め付けが厳しくなっている点も説明した。たとえば道路封鎖をした場合、以前は逮捕されても保釈金を払えばよかったが、現在は政府と企業に訴えられて、経済活動を阻止したという罪で、損害賠償を請求されるようになったという。

サンピークス・リゾート拡張開発反対運動を推進するスクウェルクウェックウェルト・プロテクションセンターの代表、ジャニス・ビリーさんも、バンドの貧困を解消するため、雇用問題に頭を悩ませていた。

サンピークスを回るとき、私が乗った車の運転をしてくれたヘンリーさんは、無免許だった。160カナダドル(約13000円)の罰金を支払えば、免許を返してくれるらしい。だが、彼は、特に違反をしたわけでもないのに理不尽な扱いを受けたことに抵抗し、これまでの先住民族に対する歴史への抗議の意味も込めて、お金があっても罰金は支払わないと言った。気骨ある人たちに元気と勇気をもらった旅だった。

こんなこともあった

<エピソード1>

ハンター組と水遊び組に分かれた一日。道中別れる前に、アルビンさんが、父親が幼少時に過ごした家に案内してくれるという。アルビンの後をついて踏み分け道も獣道もない森の中、50年前以上も前の廃屋を探すが見つからない。アルビンは「ここじゃなかった」とニコニコしながら森から飛び出してくる。森に入った皆はしばらくして、土ぼこりや枯れ枝、枯れ葉、何やら得体の知れないものを体中につけて、不平を言いながらやっとのことで道に出てくる(リタイア組が6人。私は森に入りすぐにすねとサンダル履きの指先に枯れ枝がささりリタイアしたため、この光景を笑って見ていた。もちろん体についていたものを払ってあげましたけど)。「やれやれ」と車に乗って間もなく、「ここだ、ここに間違いない」と確信に満ちたアルビン。さっきよりは歩きやすそう(今度は私も森に入る)。しばらく森を歩き、確かに今度は廃屋があった。

この後、アルビンのハンター組と別れて、水遊び組はワートさんに案内してもらう。まずは伝説の「トランスファー(姿を変える人)」の足跡がある森に入る。さてワート宅で昼食と思いきや、また森のそばで車が止まる。ワートはナ・クワクワの人で、自分の所の昔の居住跡を私たちに見せたかったのだ。また森の中。そこには天然痘で亡くなった人たちが葬られたという穴の跡があった。今度こそ昼食と車に乗るが、また止まる。「エーッ? また森に入るの???」と後部座席から悲鳴ともつかないため息が聞こえる。そこは鮭の養殖場。昼食時間をとうに過ぎ、ワート宅で食事をご馳走になって人心地がついた後、今日の目的地アンダーソン湖に着いたのは夕方だった。

<エピソード2>

前述したリゾート・マンション計画があるために封鎖している橋の上。勇気ある数人が橋桁から約6メートルはあろうかと思われる川にダイビングをして楽しんだ。カナダでも有数の鮭が遡上してくるアダムズ川などを案内してくれたロビンさん(母はジャニス)が、息子(5歳くらい)にメガネを預けダイブ。と、私の隣りにいたその子がメガネを川に落としちゃった! 

近視用のメガネらしく、そのメガネがないと運転して帰れない。「Everybody come on!」とちょっと生意気そうに私たちを先導していた子だったが、父に叱られ、さすがにしょげている。どこに落としたか問いつめられるが答えられない。落とした現場を見ていたのは私だけだった。「ここの下!」と私が言った途端、松井くんと吾郎くんが川の中へ。橋の上から、水中に倒れた樹木が重なり合っているのが見える。こんな中を探せるわけないよ、と誰もが内心思っていたに違いない。それでも、「(流れがあるから)もうちょっとこっちじゃないか」「いや、あっちだ」などと言いながら、全員が橋の欄干から首を伸ばし、川を覗く。水中に倒れた木にまたがったりつかまったりして休憩しながら潜り、メガネを探すふたり。吾郎くんはプロのスノーボーダー、松井くんは週に3回くらいプールに行っているといい、ふたりとも体力はありそうだが、それにしても……。落とした位置を知っている私は目印のためその場所を動けない。ほかの人はうろうろし始めた。

40分くらい経ったころだろうか。計良さんが荒ちゃんの最新デザインのサングラスに目をつけた。ボーッとしながら川の中のふたりを見ていた私たちだったが、物を落として川の流れを調べたり(かな? ただ遊んでいただけ……)はしていた。より正確さを期するために同じ形状・重さのほうがよいだろうということで、荒ちゃんのサングラスが的になった。計良さんに言われて「いや」とは言えない荒ちゃんは「新品なのに?」と言いながらしぶしぶ差し出す。その横でおつれあいの真弓ちゃんが「買ったばっかりで、高かったのに!」と渋い顔。私がからかい気味に「計良さんのメガネは?」と言うと、計良さんは「オレのは度付きだから(川に落とすなんて)ダメだ」と言い、サングラスを手にしながら「ちょうど同じくらいの重さだわ」とひとり得心顔。あわてて荒ちゃんが「(サングラスに)度付きレンズがはさんであるから、それとらなきゃ」。「レンズとったら、軽すぎるわ」なんてゴチャゴチャやっているうちに、吾郎くんがメガネをキャッチ。思わず皆で拍手をして一件落着。このメガネ騒動は、その場にいた人しかわからない面白さでしたが、エピソードとしては一番面白い出来事でした。

<エピソード3>

旅の最後の夜、バンクーバーの松井くん宅で夕食会。皆が合流してくるというので、日本食でご馳走返しをしようということになった。炊き込みご飯や肉じゃがなどを作る。台所に立ったのは料理ベテランの美都枝さん、三千代さん、直美さん。鍋、皿、調味料などの台所用品は「たぶんここにある」という場所にちゃんと収納されていて、「やっぱり日本人の家だあ」。

ホームスティ先で食事後に皿洗いをしていると、「洗わなくてよい」と言われ(後で皿洗い機)、モニーには「マ・イ・ディッシュ・マ・シ??ン!(My dish machine!)」と、皿洗いをしていた私と直美さんをとがめるように(「あなたたち、何をやっているの?」という感じ)、皿洗い機を指さして言われた。皿はちょこちょこ運ばれてくるので、運ばれたものからトットと洗ってふいたほうが早く片づくのだが……そういえば、布巾というものがどこの家にもなかった。皿洗い機の方が便利で、何よりも布巾より清潔という感覚のようだ。最終的に山積みになった食器を大きな皿洗い機に入れようと思っても一度に入りきらず……。包丁を探したり、スプーンを探したり、カップを探したり、(どでかい)サランラップを探したり……。

ホームスティ先では台所の使用方法にとまどったが、松井くん宅の台所は使い勝手がよく、足りない調味料を何とか工夫し(私は傍観者)、おいしい晩餐が出来上がった。リーダーの計良さんは食べ物アレルギー(だったらしいが、原因不明)でじんましんを発症していたため、山ちゃんが作ってくれた日本製インスタントラーメンをすすって、カナダ最後の夜を過ごしたのだった。

吉田 かりん(札幌・15才)
  『また行けたらいいな』

今回、ツアーに参加して私はとてもいい経験をしたなと思います。

なれない土地なので最初は早く帰りたいとも思ってましたが、帰国してみるともう一度行きたいと思っていて……。

誘われた時は、正直受験生だし、更に夏休みに旅行に行ってる場合ではないな……と思っていて、辞めようとしていたんですが、本当にやめなくてよかったです。

いろいろ思い出はありますが、一番心に残っているのが、着いた日の夜に見た星で、すごく感動しました。うちのマンションから見てて、10個ぐらいでも「たくさん!」って言ってたのに、空一面、星だらけでまさに満天の星空って感じで今でも目に焼き付いてます。

あとは……自然がすごくて、ただただ感動でした。たくさんありすぎて書ききれませんが、とにかく、本当にいい経験をしたなと思います。

……少し話それますが、車に乗ってる時、映画さながら土煙をあげながら走ってたのは楽しかったです。

リスニング力も上がったし、出会った方々もステキな人ばかりで楽しかったです。また行けたらいいなと思いました。

小林 真樹子(札幌)
  『しまった。考えが甘かった』

これが第一印象で、旅の終わりまで変わることのなかったイメージです。

何をしているのかよく分からない叔父の主催するツアーということで、「カナダも見てみたいし、面白そう」なんて軽い気持ちでの参加でした。

しかしカナダは広かった! そして人々のなんておおらかなこと!

暑い中、何を待っているのかも分からずに長い待ち時間を過した挙句、何所に連れて行かれるのかも分からずに長いながい移動。そして、言葉の通じない私に簡単な言葉を選んで話してくれる素敵な人たち。川や湖での水遊びは楽しかった。ジョジーナの家での幸せな朝のひと時。

観光旅行では体験し得ない、本物の外国に少しだけ触れたような気がします。

その中で教えてもらった先住民としての戦いは、私にはとても難しくて、共感さえも軽々しくはできないと思わせるものでした。

それでも、カナダに移民した友達は「カナダは良い国です」と言います。「日本は良い国です」なんて聞いた事がないのですから、カナダって素晴らしいところなのだと思います。

小林 美都枝(札幌)
  『宿題』

"カナダ・ツアー"最終日、明日は帰国という時に「UBCIC」(Union of B.C Indian Chiefs)を訪ねたことで、私は重い宿題を貰ったという気がしています。

私よりはずっと若いと思える代表は、気品と威厳を秘めた静かなインディアンでした。彼によって私はB.Cインディアンの(北アメリカを含むネイティブアメリカン全体にも通じているだろう)歴史と、現在の一端を、まるで絵巻物でも見るように鮮明に知ることができました。

「UBCIC」が、1970年代、先住権を主張して劇的に結集したB.Cインディアンの最初の組織であることから、「現在も、B.Cでは勿論最大の組織なのですよね?」と、質問が出ました。「残念なことに、今ここに結集しているインディアンは35%に過ぎない」と、代表はおだやかでした。残りの65%は、分裂や同化政策の中で離れて行ったといいます。ある時は激しく対立する流れを作ってもいるだろうことは容易に想像できます。

「しかし、ここはB.Cインディアンのホームです」と、彼は最後につけ加えました。

「今は離れている人々にとっても、ここがホームであることに変わりはありません。」

この、彼が最後に発したホームという言葉の響きに、私はずっと、打たれ続けているのです。

多分、私がその前の2ヶ月半を、アメリカ・オレゴン州で暮す娘一家の所で過ごし、その間、まだ形にならないままに何か感じていた、その何かを揺り動かすようにして、ホームといった彼の言葉が私を打ったのだと思います。

私が娘の所に居て感じていたものといっても、大層なものではなく、ただ、そこを生きて子どもを育てる場と定めた娘の姿を、その決意の深さを測るように見ていながら、ああこの娘はもう、日本で生きることは出来ないだろうと漠然と思っていたといった程度のものなのですが、しかしやはり、簡単に通り過ぎることの出来ない、重い固まりでもあったのです。

「ここはB.Cインディアンのホームです」といった彼の言葉には、単なる組織を語る次元を超えた、まるで大地そのものを指している広さがあったし、帰って来る鮭を待つ人の確信と情の深さを感じることが出来ました。

たとえば今、日本に生きていて、ここを住む地としている人間――勿論、私自身を含めて――誰か、あのようにも懐深く、思慮に満ちた態度で、他者に対し、「ここはホームです」と、語り得る人がいるでしょうか? アイヌの人々に、あるいは在日朝鮮人や在日韓国人や、いや、同じここに生きる他者にとって、ここは「ホーム」と呼べる地か、いや呼べる態か――と、考えてみると怖ろしくなってきます。私自身の、想像力の貧困を思い知らされます。

まず、私自身、自分の生きているところについて、考えねばなりません。

とにかく、鮭をスーパーで買って食べる気がしなくなってしまった(ご大層な理由からではなく、カナダでご馳走になった鮭があまりにも美味だったから)こと。大昔から、森と鮭とインディアンが共生共有して来たゆっくりとした時間の流れを、彼らと過ごした幾日かで存分に体感したこと。その雄大な、素朴な暮しざまと時間の流れに打ちかかって来る猛々しいブルトーザーと切り倒された木々の匂い等々、激しい旅だった――老いを痛感した旅でもありました。そして最後に、宿題をもらった。いい宿題、と思っています。ありがとうございました。

島崎 直美(札幌)
  『カナダ・ファーストネーションを訪ねる旅に参加して……』

2年前にカナダ先住民族セクウェップムウのスキーリゾート開発に反対するリーダー2名が講演交流のため札幌へ来訪し、そこで自分たちの領土を守るために反対運動をする姿勢、先住民族の権利を学びました。今回の旅はカナダ先住民族の地へ、娘と2人、ヤイユーカラの森メンバーたちと参加してきました。先にカナダへの旅に息子も参加していたので、何かと情報を得ていたので、特に楽しみもひとしおでした。娘との長い旅も7年ぶりで、ずいぶんと成長した娘との旅も楽しみだと、密かに心に思いを抱いての旅でした。

長時間の飛行機を降り、解放気分に浸る閑もなく一路リルワットに向けて出発進行〜!

車に揺れながら見る大きな山・景色はさすがカナダというスケールの大きさを感じます。だんだんと高山へと向けて走っているのがよく分かりました。全部丸めて自然だと驚嘆しましたね。山肌が迫っているなあと身近に感じられ、本当に良かった。よく「大きな自然を目の前にすると人間なんて、なあ〜んてちっぽけで小さいのか」といわれますが、まさにその言葉通りだと初めて感じました。この大きな自然と共に生きてきた山岳民族の人々に、改めて偉大さを感じずにはいられませんでした。

カナダの夕日が沈む時間は9時頃なので、日中だと勘違いしそうなぐらいでした。かれこれ6時間かけ、やっとジョジーナ宅へ到着。久しぶりに会うジョジーナさんの笑顔を見てホッとしました。満点の夜空には天の川がはっきり見え、また感動。その夜は娘と2人、ぐっすりと寝ました……。

今日もリルワットは快晴……いや〜暑い日になりそうだ。この地域は他の地域に比べ特に気温が高いところと言っていましたね。なあ〜んせ見渡すと、ぐるーっと山に囲まれすり鉢状態で、ああぁぁとうなずけます。熊もでるんだと言っていましたね。

ほ〜んと、自然そのものの中に人間がいるという土地でしたね。便利なところに住んでいる私たちには、きっと不便と感じるだろうと思いました。アイヌにもアイヌ時間ってあるけれど、カナダにもインディアンタイムがありましたよ(アルビンタイムかな……?)。

なあんたって時間がゆっくりでした。今日は、鹿狩り班とレイク班(湖)に分かれての行動です。私は、レイク班に参加しました。湖に行く途中アルビンの母が幼少時に住んでいた、居留地を探しに山の中を散策。ありました!! 60年以上前のものだそうで、周りには多数の竪穴住居跡が残っていました。アメリカ赤杉の樹皮を剥いだ跡がはっきりと残っていました。アイヌと同じだと感無量です。何故か白人が張り巡らした鉄線が変に心に残りました。その鉄線は、現在の社会の反映を象徴しているかもと思えました。

また、先住民族であるワートさんの、かつての居留地であった竪穴住居跡を案内していただき、見て回ります。1800年代に白人がもたらした天然痘で、かなりの先住民族が滅亡し、一人一人埋葬できず、大きな穴を掘って埋めた場所も近くにありました。アイヌもやはり外部から持ち込まれた病原菌により、多数の病死者をだした歴史を思いだしてしいました。

サーモンキャンプでは、先住民族の伝統的漁法での鮭のさばき方法・干し方を目で見る事ができて良かった。時期が少し早いそうだが、漁はまずまずのようでした。カナダの鮭はとても美味しくて、毎日よく食べるが、不思議に飽きなかった。先住民族にとって鮭は生活になくてはならない食物、だというのが本当に実感した。かつて私たち先祖のアイヌの主食だったというのが、カナダセクウェップムウの人々の生活の中に入り、実感できたなあと思いました。また、サーモンキャンプにてカムイノミをわたしたちと共に参加してくれて、自然に受け入れる姿勢は、素晴らしいなあと一段と親近感を感じた日でした。

大いなる恵みを大切に自然と共生している、セクウェップムウの人々に感謝してサーモンキャンプを後にした。

シュティカはスタトゥムゥの伝統的領土のひとつで、バンクーバーから内陸高原地域へとのびる海岸山脈に位置しているところで、そこにもスキーリゾート開発の影響により、反対運動している先住民族のロザリンさんに案内をしていただき、彼女たちの運動の様子を聞くことができた。仮小屋を建て数十人の先住民族が命を懸けて、自分たちの伝統的領土を守る為に、闘っているんだと熱く語ってくれた。スキーリゾート開発反対運動に最初に声を上げたのが、何と女性からだったというから凄い。女性はまさしく「母なる大地」であると実感。またこの声に賛同し協力した男性も凄いと思った。白人からの嫌がらせ・脅迫など当然起きているし、そのための精神力・体力・資金の調達とそれは大変な運動でもあるが、彼女らは自分たちの領土を守ることは、当然のことと受け止め頑張って闘っています。また、カナダは空気が乾燥しているため、年に数回大きな山火事があるそうだ。私は、初めて規模の大きな山火事に遭遇しこれも驚きの一つだった。自然現象と一口に言える様な簡単な問題では無いだろうと思いました。キノコ雲が上がり丸焦げになった真っ黒な大木や、煙の臭いを嗅ぎながら山々の道を車で移動しこの目にやきつけてきました。改めて、山林の中では火の扱いには、気を付けなければと感じた日でもありました。皮肉なことにこの山火事により、2〜3年後には今まで以上に植物の生態が良くなるんだと聞くと自然の偉大さを感じられずにはいられなかった。また、3泊4日間お世話になったジョジーナさん家族にお別れをし、ネスコンリスへ向け出発です。次の土地では何があるのかなとふと頭をよぎった。

日本人投資家によって先住民セクウェックムクの人々を、伝統的領土から追い払おうとしているという事実を2年前に私は、初めて知りました。その領土をこの目で確認してきました。印象は、唖然とした。砂ほこりを巻き上げながら大きなトラック・重機が、何台もけたたましく音をあげながら、工事をしていました。大木は倒されがれきと化していた。大きな山は岩肌丸出し状態になり無惨だった。人間の欲がこんなむごたらしい風景にしたのかと痛感した。そういえば、シュテイカでロザリンさんが、高山の生態系が崩れれば水域全体をも脅かすんだと。だから山はとても重要で人間・動物・植物にとっていかに大切かを訴えていたのを思い出した。散策してきたところの川・湖の水は透きとおって冷たくて、山から自然に流れてきた水を飲んだが本当に美味しかった。この大きな山々があって自然環境が成り立っていることをカナダに来る観光客の方々にも是非知ってもらいたいと思う。この素晴らしい自然を破壊し、何が残るのかと腹がたってきた。現在、私が住んでいる北海道もかつて蝦夷と呼ばれていた時代、わたしたちの祖先であるアイヌは、自然の恵みの恩恵をたくさん得て、豊かな生活様式だったんだろうなあとふと思った。後から侵入してきた人間の身勝手さを許しては行けないと思った。

ネスコンリスでの宿先は、カナダ西海岸バンクーバーから東北に車で6時間の内陸部。トンプソン川のほとりに家を持つビバリー・マニュエルさん宅である。ビバリーさんとは3年前に一度お会いしたことがあった。ヤイユーカラの森との友好関係で、札幌にビバリー母娘が来訪したときに、我が家に一泊した経緯があり、面識があったので彼女に会うのも、とても楽しみだったので会ったときは、とても嬉しかった。互いに言葉は通じなくても心で通じるものを感じました。

この日は、他にもラッキー日でもあったのです。それは、ビバリーが自分たちの居住区を丁寧に案内をしてくれ、最後に従兄, チャック、ホエッヒス・ソックァミン夫妻宅に立ち寄り、日本から来たアイヌなんだと紹介をして頂き、英語ができない私に変わり一緒に宿泊した東京からの参加者、純子さんの通訳で意見交換というかアイヌ民族文化を披露して見せた。ムックリ・ウポポ・リムセを披露。とても喜んでくれた。お返しに太鼓・歌を披露していただいた。これがまたとても良かった。最後に太鼓をプレゼントしていただき、感謝です。やっぱり、イヤイライケレ!!でしょ。

また、セクウェップムゥ博物館(先住民族博物館)では、先住民族により作られた展示物が多数あり、とても丁寧で技術もとても高いなあと思いました。アイヌもそうだけれど、先人たちはやっぱり手仕事は素晴らしいと感心しました。特に不器用な私は見習わなくちゃと思いましたね。博物館を出ると大きな広場の周りにはトンプソン川を挟み、竪穴住居の複製・夏の村落・冬の住居などがあり実際に中に入ると広くて、涼しくてなかなか快適だった。また、住居に入るときは、男性は空から、女性は大地から入るそうだ。最近まで、この竪穴住居に住んでいた人がいたそうだ。1876年に連邦政府が同化政策に基づいたインディアン法を制定しブリティッシュ・コロンビア州の先住民族をもその対象にした。子どもたちを親から離して、強制的に寄宿舎学校に入れられ、女子は強制的に髪の毛を短くされたり、言語を英語に2カ国語を高校に入学するまで虐げられた。また、政府・警察がぐるになり子どもたちを奪っていった。反抗的な子どもに対しては、体罰・暴力など日常的に行われていた。男子・女子に分けられ言葉を交わすことも禁止された。これは、ほんの氷山の一角であると述べてくれた。また、先住民族女子に判事がレイプを繰り返していた事件などが、語られた。実際に寄宿舎学校を逃げてきた経験を持った辛い体験談などを話していただいた。何度話をしても重いと……また、2つの世界で迷いながら、暮らす辛さを語っていたアーリィさんの言葉が心に響いた。ああ……アイヌと同じだと思った。

また、湖でキャンプをしていたらキャンプ料45$くれと警察に2年前に捕まって、逮捕されたヘンリーさん。また、駐車違反など換算された上に、免許証を取られた場所の湖でもあると話してくれた。 160$支払えと言われている事や不法侵入したと州政府に言われていると話をきかせてくれた。また、お金を支払わないのは、権利を主張するために、免許証返還の要求はしないと語ってくれた。なんて強い人だろうかと思った。先住民族の権利をこんなに主張できるセクウェップムゥの誇りを学ばなければと思った。

セクウェップムゥの人々は、精神文化をとても大切にする。マクギルヴレイ湖では、心を清めたり、精神を鍛錬するための場を生活の一部としていた場所も今は、スキー・リゾート開発のために、その領土さえ奪われてしまっている状況を今回の旅で知ることができた。同じ先住民族の立場の一人として何かをしなければと思った。


たくさんのことを学ばせてもらったファーストネーションを訪ねる旅に思いをはせて、バンクーバーを後にする。お世話になった、先住民族の人たちの顔が一人一人思い出されます。暑さとの闘いでしたが、やっぱり終えて見ると楽しく、良き旅でした。短時間の出会いや、学習内容がとても良かった。どうしても活字の世界でのイメージしかなかった、私にとって、自分の先住民族としての意識が更に、拍車をかけさせられた。どんなことが起きてもめげない強さ、それを受け入れ対応しようという行動力・エネルギーの根源みたいなものが、少し感じられたと思う。狭い社会のなかで生きている私は、この旅によりプラスになった。先住民の一人として頑張ろうとまず意欲が沸いた。特にサンピークスリゾート開発問題は、大きな問題と肌で感じることができた。その反対に運動をしている、先住民の女性たちは、エネルギッシュでたくましく、強いと何より思ったのも事実である。自分たちの領土を守り抜くのは当然と思えるが、凄く大変だ。逮捕され、拘禁が当たり前のなかでの運動は、やはり大変だろうと思う。でも、その運動はセクウェップムゥの生きる証なのだと思った。そして、次世代・未来へ繋いでいくのだろうと思い、私の今回の旅は終わりました。娘との長い旅に今度行けるのは、いつの日だろうかと考えている島崎でした。

荒川 義幸(札幌)
  『カナダ訪問記』

二度目の訪問となるリルワット、お初のネスコンリス。どちらも温かく迎えてくれた。

北海道では、十年に一度あるかないかの猛暑に肉体労働者である私は、少々へばっていた。事前に得た情報によると今時期のバンクーバーは、24℃が平均気温となっていて夜には多少冷え込むらしいと。長袖シャツと薄手のジャンパーをリュックのすきまに突っ込んで避暑地へと向かった……。

バンクーバーからレンタカーで約5時間、山間の盆地にあるこの村は本当に暖かく迎えてくれた。「十数年ぶりの猛暑だ……」と、老人が語った。

まずは、アルビンやボボのいる懐かしのリルワットを訪ねた。到着した頃にはすでに夜の帳は下りて、腹ペコの我ら一行は早速ジョジ―ナおばさん宅で用意されていたディナーをいただく。調味料の使われてない料理がこれまた懐かしい!

はるか日本から来た"森"の一行は、とりあえず最初の目的地にたどり着き腹も落ち着いたところで、あらためて皆様の自己紹介タイム。"森"チーム総勢15名+地元の方々大勢で、この先十日間楽しく過ごせそうなそうそうたる顔ぶれ、まさに老若男女無制限!

女性の方に大変失礼ではございますが、純子さん、お若い!

さて、もうじき明日になることだし部屋を割り振りして、まずは寝るさ。おいらの寝床はどこかいな? ここか? コールマンのテント?

アルビンにシュラフを借りて、真弓さんと潜り込んだ。リルワットでの三日間をここで満喫するのもまた良しと。とりあえず同室の彼女には、夜な夜な野生動物(ムース、蛇、山猫etc)が出没することは伏せておこう。

七年ぶりの友人たちは相変わらずのインディアンタイムをゆっくりと過ごしていた。川岸にキャンプしてサケ漁の最盛期を迎えている。おもに魚網での捕獲だが、昔ながらの狩猟方法で"タモ網すくい"も行われていた。ただひたすら水中をタモでまさぐる。何度も、何度も繰り返す。はたして首尾よくサケがタモに入ってきたらどうなるのだろう? 足場は大きな岩の上だし、命綱はくくりつけてあるものの、スプリングサーモンと呼ばれる1mをゆうに超える輩なんぞに暴れられたら、まず、この急流の渦に引き込まれると思われる……。

あちこちに張られている日よけタープの下では、水揚げされたサーモンが次々と"風干しサーモン"へと、手際よくさばかれていく。

来年の夏までの食料の確保作業は着々と進んでいる。そして我々もこの先サーモンづくしの毎日を迎えることになる。

夜は焚き火を囲んで酒を飲む。これがまたたまらなく楽しい。どこからともなく沸いてくる人々、クーラーいっぱいにあったビールもあっという間になくなる。そのころになると、純子さんは"バッタ"へと……。アコは"妖怪"へと変化していく……。

早く明日になぁれと思いつつ百鬼夜行は、まだまだつづく……。

朝になるとアコは人間に戻っていた!!(覚えてないってコト)良かった。


我々は次なる目的地ネスコンリスに向かう。不安なことが一つある。そこは只今ノンアルコールキャンペーン実施中! 耐えられるだろうか?

だが、しばらくは妖怪も現れないだろうからこの際"クリーン"になってきますか?

ここでお世話になるのはアイリーンばあさんのお宅でした。彼女を知る方々は「あのばあさんすごくパワフルで、楽しくて、すてきな人だよ! よかったね。」などとおっしゃるが、ポルトガル語ツウの私には彼女のジョークが、その笑顔でしか伝わらず、ひたすら相槌をうつ"ニコニコウナヅキジャパニーズ"だった……。だがなぜか落ち着く。田舎の祖母を訪ねてきたかのように、彼女の家で過ごした3日間は短く感じ、別れの朝は"ウルルン"入っています。

「アナタニデアエタコト、アナタノイエデスゴシタミッカカン、ワタシハトテモシアワセデシタ。ニホンデサイカイデキルコトヲ、タノシミニマッテマスヨ。サヨウナラ……」つたない単語を並べてみた。

彼女は"ニコニコウナズキインディアン"になっていた。

身も心もクリーンになって、一路バンクーバーへと向かった。

実はカナダに来た私のもう一つの目的はギター探しでした。良質の木材が豊富なこのカナダは、ギターも優秀な作品が多く、デザインはいたってシンプルだが音がとっても良い。そして安い! 何軒かショップを渡り歩いて、ようやくお気に入りの一本を見つけた。もう大満足!!

9月末に予定しているライブに向けて、こいつを慣らしていくのが楽しみ!

そう私は、自称"お茶の間ミュージシャン"なのです。

今後ともよろしくお願いいたします。


追伸

レポート提出が毎度のごとく遅くなり、各方面の方々に大変ご迷惑をおかけいたしましたことお詫び申し上げます。

そしてライブは大盛況に終わりました。

高木 真弓(札幌)
  『ヤイユーカラの森「カナダ旅行」を終えて』

私は今回、初めて『ヤイユーカラの森』の人々と出会いカナダの旅行に参加しました。こういう形での旅行は生まれて初めてでしたので、不安と期待で出発の日を心待ちにしていました。旅行が近くなりスケジュールを見てびっくりしました。私は仕事柄、旅行はすべての日程が計画されているのが当たり前だと思っていました。しかし送付されたスケジュールは、滞在先のみが記載されたものでした。これを見てますます旅行が楽しみになりました。

11日間という長期休暇を前にして前日までは大忙しでしたが、11間会社からの電話もなく仕事から離れて過ごせることが、どんなに待ち遠しかったことか……そんな気持ちを胸にバンクーバーへと飛び立ちました。久しぶりの長時間のフライトも、前日までの忙しさのせいか飲み放題の機内でも酔う暇もなく、熟睡しあっという間に到着してしまいました。

バンクーバー空港で今回のメンバーが全員集合しました。空港からリルワットまではワートの車で移動しました。街を過ぎるとカナダらしい大自然が広がっていました。ワートは車窓から見えるものなどを説明してくれましたが、私にはほとんどわからずただ微笑んでいるばかり……もっと英語を勉強しておけば良かったなぁという後悔で一杯になりました。この気持ちはこの11日間でますます深まり、そうして次回の海外旅行までには少しでも英語を話せるようになるぞ!という意欲がわいていました。このような気持ちは海外旅行に行くといつも芽生えることで……しかし帰国するとどこかに消え去ってしまうのがいつものことです。そうして今回も例外ではありませんでした。

リルワットでの私の宿は、アルビンの庭に立ててあるテントでした。まさか海外でキャンプ気分が味わえるなんて……キャンプ好きの私は大喜びでした。夜は普段では見ることのできないような数の星を眺め、朝起きてテントから出ると真夏だというのに山頂に雪を抱いた雄大な山々が見え、とっても贅沢な景色でした。今年の札幌は例年にない猛暑で、もしかしたらカナダではこの暑さからも逃げられるかも……と期待していましたが、滞在先は内陸部のため、札幌以上の暑さも体験してしまいました。

リルワットにいる3日間でこの旅に細かいスケジュールがなぜないのかが理解できました。インディアンタイムです。今となっては絶対にできないあの時間の感覚、とてもなつかしく思います。時間に縛られない生活に戻りたいです。

リルワットでの3日間はサーモンキャンプに行ったり、湖で泳いだり、夜中焚き火のまわりで歌ったり踊ったり……とても楽しく、あっという間に過ぎてしまいました。

次に行く町はネスコンリスです。ネスコンリスでの滞在は小グループに分かれてのホームステイということで、これもまた今までに体験したことのないことで不安でした。そうしてもう一つネスコンリスで不安なこと……それは禁酒しなくてはいけないことです。私の楽しみの一つ、お風呂上りのビールが飲めないなんて……心配でした。

私はアイリーンの家に滞在することになりました。アイリーンはとても活動的でパワフルな人でした。家では料理を教えてもらい、このときに教えてもらったサーモン料理は日本に帰ってからも作って懐かしんでいます。なかなか会話はできませんでしたが、お互い理解し合おうと言葉を捜しながら会話をしたり、テレビをみて一緒に笑ったりと、とても心が安らぎました。12月には来日するようなので是非また逢いたいです。心配していた禁酒でしたが、毎日が充実していたため、お酒のことを考える間もなく夢の世界に入っていました。

最終滞在地バンクーバーでは、現実へのリハビリーの場のようでした。バンクーバーまではお店屋さんもあまりなくお金もほとんど使いませんでしたが、急にみんなへのお土産はどうしょうとか、あれも食べたいこれも食べたいといろんな欲が出てきました。だんだんいつもの私になってきてしまいました。人間って楽な生活にすぐに戻ってしまうのですね……。

今回の11日間は何もかもが初めての体験で、とても勉強になりました。そうしていろいろな方々と出会い、貴重なお話を聞かせて頂きました。勉強不足でわからないこともたくさんありましたが、私の中で何かが変わった、そんな旅でした。

遅くなりましたが今回この旅に参加した皆様、大変お世話になりました。またお会いできる日を楽しみにしています。