前号で報告したように、3月28日に話し合いを持ちました。教区から7名、『森』は5名と少人数でしたが、内容的には一歩前進になったと思います。昨年4月に赴任した教務所長は、初めて話し合いの場に出席ということになります。
「昨年10月の話し合い以降、教区は何をし、現在の状況はどうなっているのか?」という私たちの問いに、主に(というより殆んど)教務所長が答えました。
○ 昨年4月の着任以来、2003年に起きた差別ハガキと差別落書きの「対応要綱」作りを続けてきたが、この3月に、一応完成した。十全な内容とは思っていないが、これをスタートラインとして、具体的な活動をしていく。
○ 「対応委員会」は問題解決まで解散しない。『森』との話し合いは、同委員会が行なう。
○ 事件が最初に起きた1994年以後10年間の「総括」を、山内教務所長が書きあげる。
○ 次回の話し合いを、5月10日〜25日の間に持つ。そこには本山からも出席し、教団としての責任ある発言をさせる。
そのために、以下のことを決めました。
1、話し合いに当たってのルールを「覚書」として交わす。(案文は教区が作り、『森』の意向を加減して完成させる)
2、現在の基推委員全員が、この10年間及び現在、教区の一連の差別事件について何を考えてきた(いる)かを文章にし、両者が読んで検証・議論できるものを作る
3、上記の"作文"にあたって、書かれるべき内容のポイントを、『森』から提起する。
以上の作業を終えた上で、5月中に話し合いを持つことを決めました。
この10年間―22回の話し合いの中で、初めて教区から前進につながる「約束」を得ることができたように思います。
その後「上記3」の内容を検討し、16項目の質問事項を教区に発信しました。各委員にアンケートに答える要領で書き出してもらえればとの趣旨でした。話し合いにあたっての「覚書」も届き、新しいスタートが切れるはずでした。
けれども、その後話し合いがもたれることなく、今日に至っています。教団(宗会議員選挙)・教区(委員会等の編成替え)の内部事情のためとはいえ、結果的に放置・先送りされたことになります。教務所長の方針が基推各委員には受け入れ難いものがあるのかもしれませんし、"作文"することへの抵抗があるのかもしれません。何にしても、ここでの足踏みには苛立ちを覚えざるを得ません。
私のスケジュール(6月末から1ヶ月の不在)もあり、最終的な話し合いの日程は7月末に設定するということになりました。当初予定から2ヶ月遅れになりますが、気を引き締めて臨みたいと思っています。
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