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  -Diary-  ('00年9月)

  9月30日(土)

 ・新井素子の”ディアナ・ディア・ディアス”

 昔から、母に”ろくに小説も読まない”と言われているが、ファンタジーやSF系の易しめの話は、ぱらぱらと読んでいる。
新井素子も、愛読者とはとても言えないが、少しは読んでいる。
新井素子の作品の中で、ディアナ・ディア・ディアスというのがある。
SF、と言うには、”サイエンスに基づいたフィクション”の要素はないから、該当しないかと思う。異世界もので、剣と馬と王家が出てくるような話だ。結構気に入っている。
このページの他の項を見てもらったら、もしかして判るかもしれないが、私は結構恋愛談フリークだ。だから、この話も、設定の面白さ(というか、雰囲気)のみならず、話の中のそういう要素で気に入っている。
 物語の大筋はこうだ。舞台は、剣と馬が活躍する、実世界で言えば中世のような世界。そこの1国に、ある特殊な王家がある。”ディア”と呼ばれる血筋を受け継ぎ、他の人間に比べて若干気違いじみたところがある(非常に頭がいいせいもあるのだが)が、その血筋からは、時折、王国を非常に繁栄させる名君(道義的に賞賛されると言うわけではないが)が現れる。だから、尊敬され、その血筋は尊ばれ、その血筋を保存しようとする。そこで、様様な悲喜劇が生まれる。その、”ディア”の恐ろしさというか、そういうのを書いた話だ。
 主人公はそんなディアの血筋の王家の一人、ディアナ、と、その息子。(ディアナは、この血筋を引く女性の一般的な尊称でもあるらしい。)だが、彼女の父王は早くに亡くなり、叔父が統治を行っている。父王は父母共に王族の出で、より純粋な”ディア”を持っていたが、叔父は、祖父が、血統の保存の為に民間出身の娘(大神官の娘ではあったが)に生ませた子である。
叔父王はその母の不幸を目の当たりにしており、”ディア(貴い血筋)”に恨みを持っている。その為、自分より純粋なディアを持ったディアナを、わざと辺境出身の成り上がり者の豪族(体躯が大きく、いかにも粗野な)に嫁がせる。
 ディアナは、いわば叔父の執念(というか迫力)に負けて嫁ぐわけだが、この豪族がなかなかどうして、結構いい奴なのだ。婚礼の夜の寝室で、彼の善良さ(”ディア”に対する、単純素朴な尊崇と、ディアナへの思いやり)を見せ付けられ、ディアナはほろりとなるが、そこは”ディア”の誇りがあるので、素直にはなれない。あまり順調とは言えない始まりとなる。その後も、夫を愛しながら素直にそれを表現できず(夫の方は初めからディアナを愛しており、無骨にだが大事にするのだが)、そのままで過ごすことになる。
 お話のほうは、そう言う風に夫を愛しながら、ひっそりと暮らすディアナの元に、やはり極めて純粋に近いディアを持ったかつての恋人が(ディアナが不本意な結婚生活を送っていると誤解して)近づき、何がどう転んだか、(ディアナの意図に反して、おそらく”ディア”の意図で)関係を持ってしまう。その直後にディアナは、(”ディア”のもたらす直感で)自分が真のディア、名君となるディアを身篭ったと告げる。そしてこの時身篭った子(彼女の息子で、次男)が、実際、沈滞していた帝国を復興させる名君となる、というストーリーである。
(ついでに言うと、出産後、ディアナは気が狂ってしまう。”真のディア”を生んだ者は、気が狂うのだそうだ。それと、ディアス、ディアナというのは、それぞれ、濃いディアを持った、”真の”と呼ばれるに近い男性と女性の王族の尊称であるらしい。)
 ストーリーの説明が長引いたが、言いたいのはこの先である。ディアナは、その夫を愛しているのだが、素直に表現出来ない。なので、こう言うことが起こる。
 ディアナが夫に、狩猟用のマントを、高価で珍しい毛皮(オーガル狐とかいうのの、今、本が手元にないんで正確ではないかもしれないが)を使って作り、守りの護符(というか守護の詩句)を刺繍する。だが、ディアナは、それを目立つところには刺繍しないのだ。裏地の、目立たない所に刺繍する。夫に知られたくないから。自分の思いを。
知られるのは、プライドが許さないのだ。
 何かかわいい話で、思わず惹きつけられる。こう言う話、好きだ。
まあ、現代風ではないと思う。世の中、”アカウンタビリティ(説明する能力)”が問われるのだから。自己表現は、大事な能力の一つだ。
でも、時には、こんな風なのも、いいんではないかなと思う。

 ついでに言うと、このディアナ、容姿もなかなか変わっていて魅力的だ。背が高くなく、やせていて、殆ど色のないような乏しい、細い、ウェーブのかかった金髪、という姿だが、がりがりにやせて背も低いのに、そこは”ディア”なので、眼光が鋭く、魅力的なのだそうだ。
なんか、いいな。

実は、このHPも、言わば”マントの裏に刺繍した守護の詩句”のようなもの、だったりする。
(この一文、'00.10.8に追加。)

 ・バカラのグラス

 私は陶磁器が好きで、さんざん散財している。それは、未だ整備していない陶磁器や骨董の頁においおい載せていく積りだが、最近になって、ガラスにまで興味を持ち出して、困っている。特に、バカラのグラスが気になってしょうがない。
 昔は、”ガラスなんて無色透明でバラエティがない””陶磁器に比べて面白みがなくて、消耗品っぽいから、集めないほうがいい””バカラなんて、成金が使うものって感じ”という感じに考えていたが、陶磁器のアウトレットショップにはたいていガラス(バカラが主)も置いてある。そして、見なれてくると、”どーもなー”と思うのもあるが、結構いい感じのシリーズも多いのだ。
 最初は、”ローハン”というののワイングラスのSを買った。名前が気に入って、である。薄手で、単純な杯状で、渦を巻くような繊細なエッチングがしてある。名前がそうでなければ、買わなかったろうと思う。ローハンというのは、フランスの町の名だそうだが、私の中ではローハンといえば、トールキンの指輪物語に出てくる草原の国の名前である。若くすがすがしい国、というイメージがある。はっきり言って、大好きだ。
 次に買ったのは、カプリというシリーズのフルート型のシャンパングラスである。カプリとは、イタリアの有名な景勝地(カプリ島)から来ているのだと思うが、このシリーズが作られたのは、インドの王族のお姫様の為だそうで、光が内側に篭るような作りになっているそうだ。上品で、きれいだ。(光を外側に出すようなタイプもあるそうだ。マッセナ、というシリーズが確かそう。クリアーな感じで、表面に彫り込みが入るタイプだ。)ローハンもカプリも、一つづつしか持っていない(だって高いんだもん)。
 今、一番気になっているのは、サンレミーというシリーズのワイングラス(S)だ。これは、流線型と言うか、すごくスマートな(そして、バランスの悪そうな)形をしている。縦長のグラスで、ほっそりしている。
(サンレミ−とは、ワインの産地の名前=ワインの銘柄、だと思う。)
 何となく欲しいが、どうもワイングラスや酒器というのは、陶磁器のティーカップなどと違い、使い道が乏しいような気がして、二の足を踏んでいる。たとえば、友達が来てくれた時に、陶磁器のお気に入りのカップでお茶を飲むのは、ほんとに楽しいが、ワイングラス、お酒となると、気楽に飲んで酔っ払いたいという思いが先に来る。紅茶は、気取って飲んでも美味しいが、お酒は食事といっしょに気楽に楽しみたいような気がするのだ。だから、うちでは、酒器はあまりこだわらない。適当である。ワインであろうが中国酒であろうが、コップ(或いは小さ目のグラス)で飲んでしまう。ワインがあっても、ワイングラスは使わない場合が多い。第一、ワイングラスなんて、洗う時に気を使いそうで、非日常的だ。どのみち、最高級のワインとかは飲む訳はない(と言う訳でもないが、飲む機会は少ない)ので、グラスを直に手に持ってワインが少々温まろうが、構わないのだ。気楽が一番である。
と言うわけで、美しきサンレミ−のワイングラスは、見果てぬ夢で終わるだろう。

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  9月24日(日)

 ・朋ちゃんとオリンピック

この2者は、互いに何の関係もないのですが、同時期に目に付いているので同居させてしまいました。

 朋ちゃんは、未だ電波少年で頑張ってるようです。先週日曜日は、放映時間中、眠い目をこすりながら一瞬だけ起きていられたので、無事で元気に頑張っている映像を確かめる事が出来ました。後日電波少年のホームページで確認したら、英語の歌でデモテープを作り、お母さんから貰ったダイヤのピアスを質に入れて、宿泊費を捻出していたようです。(でも、そんなことじゃあまりもたないと思うんだけどなあ。)
まあ、頑張って欲しい。
 他の時間は寝てたので、”電波少年的東大一直線”の坂本ちゃんの近況は見られず、これも後日、ホームページで見たら、未だ頑張っているようです。
どっちも、頑張れ!

シドニーは、今日までで金メダル4個。全て柔道。柔道で、審判がおかしかったことで、金を取り損ねたとか言う、口惜しいトラブルもあったみたいです。
女子ソフトボールは、メダルが確定だそうで。サッカーも、決勝リーグに進出が決定とのこと、めでたいなあ。
何か、みんな頑張っているねえ、と言う感じです。

*追伸
 24日9時半時点で、女子マラソンで高橋が金という速報。これで金が5個。めでたい。

*追伸2
 PM9:20現在、巨人、中日に勝って優勝。今日はスポーツの話題が多い。現在、長島監督がインタビュー中。
 来週の雷波少年が楽しみだ。やっと、”熱狂的巨人ファンvs中日ファン 2000”の幕が降りる。
 3年越しの雷波の企画が実るわけだ。(でも、再来週からの企画は何をやるのだろう・・・)

 ・シドニーのテーマソング

君の瞳に星は瞬き 冷めた心溶かして行く
夢の為に 愛の為に You are so far away

 シドニーオリンピックのテーマソングは、Greyが歌っている。魅力はあるが、クラシックとかを少しは聞いている人間には、”発声がなっていない”と思われる声だ。だけど、やっぱりメロディや歌詞は、魅力的だ。さすが、小室哲哉。商売も上手いし。
(沖縄サミットのテーマソングもGetして、無難にこなしてたしぃ。)
 でも、シドニーのテーマソングの中で、上に書いた部分は、何となく心に響く。
オリンピックに出る程のアスリート達なら、華やかな舞台の陰で、勿論、一般人には想像もつかない過酷な練習と努力をしているのだろう。それは判ってはいるが、判っているからこそ、その姿を見る凡人にも、その瞳に瞬く”星”に”冷めた心”、つまり、生活に追われて、ついなあなあで過ごしてしまう日常を振り返って、自分で自分に喝を入れる気になるものだ。(少なくとも、一服の清涼剤にはなるだろう。)
 まあ、たらたらと日常を過ごしている凡人が、世界のトップクラスの選手達に、TVを見るだけ(しかもオリンピック期間中だけ)で共感するのは、至極安易なのだけど。

 あまり脈絡はないが、”清涼剤”と言う意味で、ふと思い出した逸話がある。
面白くない(ことも多い)日常で、ふと心を軽くし、何の為に生きているのかとか、生きる目標を探す事を諦めちゃ駄目だとか、そういうふうに思わせてくれるもの、ということに関係して。
 フランクルと言う人の、有名な「夜と霧」という本がある。第二次大戦下のヨーロッパのナチの収容所の話だ。このフランクルという人は、心理学者で、収容所に収容され、奇跡的に生還した人である。”夜と霧”というのは、当時のナチの政策(?)のことで、ユダヤ人などを、”夜と霧に紛れて”拉致して収容所に送り込むことである。信じられないような収容所の様子、収容された人々の(極限状態での)心理が、リアルに書かれている。
 そのなかで、こういう挿話がある。(これは、三原順の”はみだしっこ”にも引用されていたので、ご存知の方もいると思うが。)
 1日に一握りの僅かなパンと、殆ど中身のない薄いスープで、極寒の地で強制労働をさせられ、パンの取り合い、泥棒等は日常茶飯事、体の弱いものからばたばたと死んで行く、そんな収容所で、ある夕暮れ、労働が終わって皆がぐったりと小屋で休んでいた時。
一人の収容者が、勿論体が弱っていて、疲れてふらふらになりながら、外から駆け込んでくる。
”夕焼けがが素晴らしい。素晴らしい夕暮れだよ。見てみろよ。”と。
  収容者達は、ふらふらになりながらそれでも、日没を見に点呼場へ出てくる。”デューラーの絵のような””幻想的な形と・・・この世ならぬ色彩とを持った変化する雲”と、”灰色で泥塗れの点呼場と収容所”を見て、数分間の感動の沈黙の後、誰かが誰かにつぶやく。「世界って、どうしてこんなに綺麗なのだろう」と。
  この本には、また、別の場所で、”一見ひよわだが、内面的世界の充実していた人が、体力的に優れていた人よりも多く生還している事実がある”とも述べてある。
  この挿話は、一服の清涼剤、というには、シビアすぎる内容だが、このように、極めて厳しい日常から心を遊離させることが出来ると言うのは、とてもよい事であって、その人の、というか人間の強さに繋がって行くのではないか、また、日常から遊離する事によって、他の道、日常では見出せない解決策が見つかる事も、稀にはあるのではないかと思わされる。

  また、これも脈絡が余りないが、というより、上に述べた事と矛盾するかもしれないが、この本の中で、フランクル氏はこう述べている。
「最もよき人々は、帰ってこなかった」と。
悲しい事だ。戦争による、重大な損失の一つだと思う。

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  9月16日(土)

 ・秋の長雨と観葉植物

 9月に入ってから、雨が続いている。
台風の影響も大だけれど、こんなのは珍しい。梅雨と違って、”秋の長雨”というのは、これまで全然実感がなかったけど、今年は雨続きだ。
 東海地方(名古屋)の方は、今週月曜日頃、大変だったようだ。私の知り合い(最近、連絡を取ってないけど)は、たまたまその日あたりに名古屋に行っていて、大変なめにあったようだ。
 おまけに、9月初めにぐっと涼しい日があったかと思ったら、あとは元通り、結構残暑である。早く涼しくなってほしい。

 雨続きだと、特に週末が雨だと、勤め人としては、洗濯が出来なくて困る。まあ、部屋の中に干せばいいのだけど。
 その代わり、と言っては何だが、沢山ある鉢物に、水遣りをする心配をしなくて済むのは嬉しい。
 数年前、一時、家族と別居して一人暮しをした時期から、観葉植物や鉢物を買ってきて、飾ったり世話をしたりする癖がついた。それまでは、植物の世話など、ようせんわ、という感じで、全然(嫌いではないが)しなかったのだけど、部屋に世話の簡単な観葉植物を置くようになり、他にもいろいろと買い込むようになった。結構、丈夫なものを選べば、水を絶やしさえしなければよく育って(というか、もって)くれる。元々、買い物好きなのだが、鉢物類はあまり値が張らないし、一つ買えば長く楽しめるので、経済的で良いと自分に言い訳しつつ、買いつづけている。

 その代わり、ベランダとかに鉢物を置くと、特に小さい鉢を置いておくと、また、夏の間は、水遣りが大変だ。水を絶やすと、育たないどころか、干上がって枯れてしまう。暑い時期は、ほぼ毎日必要だったりする。そうでなくても、週に1度は必要である。雨が降ると、その心配をしなくていいので嬉しい。
 今、ベランダに面した部屋に住んでいるが、広くもないベランダには、10鉢以上の植物がある。一人暮し時代から、格好も整えないのに無意味に増やしたブライダルベールが5〜6鉢、それに、オリーブ、ガジュマル、ソテツなんかもある。(環境がほとんど熱帯状態だから、こういうのが元気に育つらしい。)ガジュマルとソテツは、鉢物用に小さく整えられたものなので、あまり大きくなる可能性はないが、オリーブはすくすくと育ってくれている。数年後が楽しみである。
 がじゅまるは、姿がいいので、そのうち写真をどこかにupするかもしれない。
 ハーブも若干ある。ただし、見栄えのいいのや役に立つのは、階下に持っていって、実用に供したり、玄関先に置いたりするので、今ベランダにあるのは、繁殖力は強いのに乾燥に弱く、姿があまりよくなく、実用的でない(悪口ばっかりだな)、ミントだけである。バジルは、今年はもう終わったが、ローズマリーとタイムはよく育ってくれて、玄関先を飾り、時たま作る煮込み料理に役立ってくれている。今、”カモミールを種から育てて、自分でお茶を作ろう”という、とんでもない事をたくらんでいる。

 食い意地が張っているので、ベリー類を良く買うが、あまり良く育たない。先ごろ、干上がりかかった小さな鉢を、大き目の鉢にいっしょに植えた(とても寄せ植えと呼べるレベルのものではないが)ら、やっぱり元気をとりもどして、皆、野放図に育っている。去年秋買って、良く紅葉してくれた可愛いハゼが、干上がりかかって可愛そうだったが、大鉢で、ぼさぼさ状態で葉を茂らせている。今年は紅葉はするだろうが、この大鉢では、目立つところで皆さんにお見せする、ということは出来そうにない。他には、フサスグリ(小木)、フユイチゴ(つる性植物)、朝霧という、高山植物のような、薄緑(アイスブルーというか)の草木っぽい植物、ヒダカミセバヤ(高山植物)の株分けしたの、と、いつか食べたデザートの種から芽吹いた、メロンの苗、が同居。種種雑多の雑居状態だが、育てば嬉しい状態なので、かまわず育てている。
 植木屋さんの前を通ると、ついつい覗いてしまう。この前も、通り掛かりの(普段は行かない)ちょっとしたフラワーショップで、”ムスカリ”という秋植えの球根(春に青い花が咲く)の、30個入りの袋を売っていたので、買おうかどうしようか迷い、結局買わなかったが、今でも、買いに行こうかどうか迷っている。通勤ルートの最寄にあるので、行けないことはないのだが、後の手間を考えると躊躇してしまう。以外にも、他のところに売ってないので、余計面倒だ。
 どうしよう。

  
 ・シドニーオリンピック
 昨日から、シドニーオリンピックが始まった。故に、この3連休は、TVがオリンピック一色、通常と違うので、詰まらない事この上ない。運動は、大嫌いという程ではないが、昔からあまり好きではないし、競技を見るのも同じだ。
 でも、昨日の開会式は、いつもの開会式と同じとは言いながら、一寸いいところもあった。先住民族、アボリジンを結構メインにしていた。聖火の、開会式場でのリレー走者6人は、皆女性で、オーストラリアの生んだメダリストであり、最初の走者は、車椅子に乗っていた。聖火点火者は、アボリジン出身者だった。(女性がオリンピックに参加して、満100年であることを記念してだそうだ。)
 アボリジンは、テーマにはしやすいだろうし、当然テーマにされるだろうが、やはりそれでも、日の当たらない民族に目が向くのは嬉しい。
   
 それと、韓国と北朝鮮が、朝鮮半島をデザインした旗を掲げて、同時に入場行進していた。これも、ニュースなどで繰り返し放映されるだろうが、やっぱり何となく嬉しい。

 今度のオリンピックは、”柔道でメダルの量産が期待され””水泳でも、マラソンでも、野球でもメダルが期待され””サッカーは、○年振りだかのメダルが期待され”るのだそうだ。
 どの程度実現するかは判らないが、まあ、頑張ってほしい。私は、競技は見ないで、ニュースで結果とハイライトを見るだけだろうけれど。

    *追記

 これを書いている時点(9月16日午後9時半)で、柔道の田村亮子選手と、男子の野村選手が、金メダルを取った。
野村選手は、前回のアトランタに続いて、連続2度目の金だそうだ。
また、女子水泳個人メドレーで、田島選手(女子)が銀メダル。
 何かにつけて批判的な、週間新潮では、”金メダルは多くて2個”とか言っていたが、早くもそれを上回っている。
週間新潮の見識は買っているが、まずはめでたい。特に、田村選手の、3度目のオリンピックでの金は、めでたい。
この先も、頑張ってほしい。シドニーのメダルは、いくつになるのかな。

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    9月13日(水)
  
 ・セカンドインパクト

  このページを見ていただいている(そんな人そもそも何人いるかわからないけど)、エヴァファンの人なら、多分ご存知かと思いますが・・・
  今日は、「新世紀エヴァンゲリオン」の設定での、セカンドインパクトの日です。(の、筈だと思う。)
いえ、だからどうということでもないのですが。何となく、特別な日っぽいなあと思って。
とりあえず、なにも起こらなくておめでとう、というべきでしょうか(当たり前か)。
  
 でも、私は、本放送も再放送も終わってから凝り出した組ですんで、未だ騒ぎ足りないと言うところもあるのですが、世間様では、もう忘れられかけてますねえ。
”セカンドインパクト”を過ぎてしまったっていう事で、拍車がかかっちゃったりして。
いずれにせよ、何か、区切りっぽくはありますね。
  
こんなネットの片隅で、しゃべっても誰も聞いてはいないが、とりあえず、今日がその日だったよと。
一応、言っておくべえか。

  
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  9月10日(日)
 

−まだ立ち上げたばかりで、検索エンジンにも登録してなくて、一部の知り合いに知らせただけ。
 こういう状態で、更新してもしょうがないと思いながら、思いつく草草を書かせてもらいます。

 ・藤原 雄

  既にこのホームページの事を知らせた数少ない友達から、”家主が備前の人間国宝の関係者とは知らなんだ”という妙な連絡を貰いました。
 何のことかと問い合わせてみると−−−

○藤原 雄 プロフィール

 1932年、岡山県備前市に生まれ、父 藤原啓のもとで備前焼の修行を始め、
 その後も更なる研究鑚を積んで、伝統的な備前焼の技法を高度に体得した。
 伝統を重んじ、素朴で力強い清新な感性に溢れた作風を追求した。特に、壷や 
 深鉢等の作品は力強く、ゆったりとした存在感を持ち、伝統の上に近代感覚を
 盛り込んだ作品として高く評価されている。
 1996年、重要無形文化財「備前焼」保持者

だそうです。(当人のメールをそのまま引用。)
この人、備前焼(というか、一般的な和風の焼き物?)のファンなんですね。

  私のハンドルネームは、その場のノリで適当に付けたものなんですが、偶然の一致ですねえ。
私は、和物はそれほど興味がないんで、知らなんだ。
偶然って、怖い。
(でも、親戚だって事にしちゃおうかしら。)

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 9月2日(土)

 ・やっと立ち上げ

いやはや、結構紆余曲折があって、やっとこのページを立ち上げることが出来ました。
訪ねてくれる人は多分少ないだろうけれど、ちょびちょびと更新などもしていこうと思っております。
いつまで続くかわかりませんが、これを読んでくださっている方、お気に召すようであれば、時々覗いて下さりませ。

  
 ・がんばれ、華原朋美

 日テレの「電波少年」「雷波少年」が好きで、良く見ている。主に、日曜朝の「雷波少年」の方だが、日曜夜、明日の仕事のことを考えてブルーになっている時間帯に起きていられれば、「電波少年」の方も見る。全然しょーもなくて、知り合いに”もうその話はやめようよ”的なことを言われたこともあるが、やめられない。どの程度、やらせ的要素があるにせよ、あの番組に出ている若手の人たちは、それなりに必死だし、一種の登竜門的な要素もある。箸にも棒にもかからない企画も多いが、やっぱり面白いものも未だ多い。
 そんな中で、3週間程前から「電波少年」の方に、かの華原朋美(朋ちゃん、字、あってるっけ)が出ている。
「全米デビューへの道」だそうである。例によって、一人で、資金10万円で、ヒッチハイクを始めることから始まっている。
(ここから先は、批判がましい、私のようなしょーもない、情けない人間がこんなことを書いてもいいのかよ、相手は仮にも、一度は全国的なスターになったタレントじゃないか、というようなことを書くことなると思うが、ちょっとだけご容赦ください。)
 私は彼女が割と好きである。何故かということは、自分の中ではかなりはっきりしているが、ここでは詳しくは言わない。”女性の武器”をあからさまに使ってスター(一応、そうだと思う)になってはいたが、あまり賢そうには見えない。機知に富んでいるとか、このごろのタレントに求められていることにかなり欠けている。私の10代の頃によくいたアイドルタレント以下である。私は10代、20代前半の頃は芸能界に疎く、最近になって若干歌番組(日テレ土曜夜の”夜もヒッパレ”とか)を見ているという、この面でも変わり者だが、アドリブ的な掛け合いを求められるこの”ヒッパレ”からは、華原はほとんど声がかからなかった。そして、彼女にその地位を与えた人物(小室氏)との破局に伴って、凋落した。(直接的表現が嫌いなので、一寸回りくどいですが、我慢してくださいね。)
 どうにもまともじゃないような言動をするという風聞も多い。好調だった頃、バラエティ番組に出ていた時も、他の出演者(男性)に、媚びるようなようすばかりしていた。”頭の弱い、かわいい女の子”の路線である。”努力”とか”実力”、”公平”、”雇用機会均等法”とかいう言葉が好きな人達には、あまり受けないキャラクターだろう。
 だが、彼女は本当にバカなのだろうか? これも賛成してくれる人が多いと思うが、そうではないと思う。
芸能界で、チャンスを掴んで上昇していくのは、並大抵ではないだろう。現に、小室氏との間柄が切れた後も、自分で動いて、芸能界の大御所かなんかに渡りをつけたとか、そういう写真週刊誌の記事を読んだ憶えがある。
 機転の利く、目から鼻に抜けるような、一目見てわかるような賢さは、確かにないし、常識はずれな、エキセントリックなところも多々あるようだ。見るからに、ぼけらっとしているような感じである。かといって、根回しとか企みとかはするから、”天然”というような、好感度の高いような印象は薄い。しかし、しぶとく自分で、カンで動く部分が多いにせよ、たくましく生ていく能力は、人並以上にあるうに見える。歌手としての能力も、アイドル、タレントのレベルでは、そこそこではなかっただろうかと思う。(勿論、安室程の歌唱力は、期待すべくもないが。)声量はたいしたことはないが、高音部をきれいに歌っていたような憶えがある。
 何より私が彼女を好きなのは、あのなんとなくあっけらかんとした印象のせいだろうと思う。おそらく、彼女にとって、小室氏にバックアップしてもらってスターダムに登ったのは、物凄く嬉しいことだったのではないか。そしてその思いを綴った(作ったのは小室氏だけど)歌を歌って更に有名になった。小室氏はどうか知らないが、彼女の方は、裏にしたたかな計算があったにせよ、普通のレベルと比べれば200%位(いやもっとか?)本気で小室氏を好きだったのだろうと思う。(そして、好調な時には、小室氏もかなり彼女を、少なくとも気に入ってはいただろう。ある面で、終始冷静だっただろうけれど。)
 彼女(彼らというべきか)はそれを、隠すことを一切しなかった。まあ、それが売りだったから、というのも大きな理由だろうけれど。”私はこの人を好きなんだ、何か文句があるか!”(言葉悪くてごめんなさい)ってな感じで。私にはそれが心地良かったように思う。
 傍から見て、彼らの関係は永続的であるとはあまり考えにくかった。そしてやはり、破局は来た。
 その後も彼女はいろいろと、なんかいかにもって感じのお騒がせめいた話題作りを度々やっていた。乗馬クラブで、白馬に乗って現れて、婚約発表(程なくご破算になった)をするとか、そういうことをやっていたと思うが、電波少年の企画も、最初は、乗馬クラブで馬に乗る彼女(当然、最初は顔は見えない)を、遠景から撮るところから始まっていた。
 実は私にはこう言うのも何か好印象である。やすやすと引っ込まない。何とかしようとあがく。自分で考えて。(白馬に乗って登場なんて、どう考えてもプロダクションが考えたことじゃないだろう(もしかして、そうかもしれないが))。
 しぶとい。諦めない。たくましい。他の人ならやりそうにないような、一見ばかばかしいようなことを堂々とやっているから、そこにユニークさが出てくる(まあ、それを”ユニーク”とか言って喜んで見ているのは、私みたいな一部の変わり者だけかもしれないけど)。常に、一発逆転、大きな目標(不可能に近いと思えるような)を狙っている。それが、快い。
 電波少年(雷波少年もだけど)の司会のチューヤンや室井滋(だっけ)は、アイマスクをずらして周囲をうかがおうとしたり、出発地の、乾燥地帯、大平原のど真ん中って言う感じのレストランで、無料で水を手に入れる華原を見て、”たくましい”と感心していた。
 勿論、彼女が”全米デビュー”をして成功する可能性はかなり低いだろう。そして、実現したとしてもかなりの困難が伴うだろう。でも、最近は結構あちらでがんばっている人も多い。あんまりいい例ではないかもしれないけど、松田聖子とか。ピンクレディのミーとケイも、彼女らの個人的な事情でボツになったので、実際は結構うまく行きかけていたというような事を聞いた憶えもある。工藤夕貴も、結構ハリウッドでがんばってるし、元ミス日本の女性映画監督が最近賞を取ってるし。
 実力派、になるのは相当難しそうだが、彼女には、(喩えに出しといて何かなって感じもあるが)松田聖子とか、叶姉妹とか、デヴィ夫人とかみたいな、いかにも女性特有というような権謀術数的賢さといやらしさがない。何か、ストレートで爽やかな所がある(ように私には思える)。単に、ああ言う風に振舞えるだけの頭がないだけかもしれないが。懸命で、必死だ。また、私が彼女を気に入っている理由の一つには、あのぼけらっとした所にもあると思う。私も、お世辞にも聡いとか、素早く反応することが得意な方とは言えないので、同病相哀れむ的なところがある。
 頑張れ、華原朋美。難しいだろうが、電波少年の企画で、そこそこの成果をあげてほしい。そうすれば、そこから道が開ける可能性はある。世の中忘れっぽい人間が多いが、彼女のことを憶えているようなタイプの人は、結構彼女に好意的で、成功を祈っているのではないかと思う。そしてそれは、松田聖子や叶姉妹をうらやむおばさん達の感情(奢侈とか、贅沢とかに対するあからさまな憧れだと思う。否定はしないが、あまり積極的に肯定したいとは思わない)とは、ちょっと違う、純粋に彼女の長所に共感しての応援のような気がするのだ。
 そして、もしだめでも、彼女がちょっとやそっとでは負けなかった(電波少年の企画で、頑張ってみるという意味で)ということは、一部の人の間にであるにせよ、記憶にとどまるだろう。 

  
 ・夏の風物詩

 夏の風物詩というと、一般的には花火に盆踊り、川遊び、海水浴に虫取り、帰省、夕涼み、流しそうめん、冷やしたスイカ、怖いところで台風、怪談、って感じですが、ここで書きたいのはそういうのではありません。
 毎年、夏になると、私は8月の6日か9日か15日のどれかには、黙祷をしていると思います。そう、原爆投下日か、終戦記念日です。TVの画面の合図に合わせて(笑)。
 私は、右翼でも、特定のイデオロギーを持っている人間でもありません。ですが、小学生の頃から、(バイタリティが足りず、活動範囲が狭かったせいか)学校で与えられた教科書の類、特に読み物(道徳の教科書とか)をよく読んでました。
 また、8月には、戦争関連の番組が放映されます。何故だか、そういうのにも結構興味を持って見てました。家にある、ノンフィクション系の読み物や本もよく読んだし。兄貴が、結構軍隊や鉄道好きで、戦記物やノンフィクションの類が家にたくさあったりしたことも一因かもしれませんが。”軍隊”や”SF”にも、比較的親しい環境でした。
 その手の運動や、組織とかに参加したことも、もちろんありません。”戦争反対!”と声高に叫ぶ積りもありません。左翼でもありません。選挙には欠かさず行きますが、共産党には投票したことがありません。どちらかというと、考え方は右寄りでしょう。(靖国神社の国営化などには大反対ですが。)
 それでも、私は、こういうことに今後とも興味を持ち続けると思います。NHKのドキュメンタリーは、時々いいのをやっています。悲しいことに、世界に紛争の種は尽きないようなので、これからも”秀作”が見られるでしょう。”コソボ”や”カンボジア”を主題にして。
 年に一度、日頃忘れているにせよ、自分達が悲劇とさほど遠くないところで暮らしている、過去、そんなに遠くない時期に悲劇があったということ、その中で、自分の身近に生きている(かもしれない)人達がどんな風に苦しんだか、を思い出して見るのは、先でいざ何かあったときに、微力ながら人間としてとるべき態度を取れるように準備するために、よいのでは、いや、必要なのでは、と思います。そのためには、夏の朝に、おそらく日本中の多くの人と同時に、望まざる死、避けられるべきであった死を蒙った人々に思いを馳せることは、自分の精神をきちんと立て直す為に、よいことではないでしょうか。

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