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 1.ドワーフの洞窟 

 (ユーロ・ディズニーランドに行ったわけではありません、念のため。(笑))

          
 

 ”ケレド=ザラムの水は暗く、キビル=ナーラの泉は冷たい。そして山の下の強大な王たちの没落する日まで、上古の世のカザド=デュムの柱立ち並ぶ数々の広間のなんとみごとであったことでしょう。”
(指輪物語、旅の仲間(下巻) P269、J.R.R.トールキン著 )
旅行中に出会った、予想外のもの、意外なもの、美しいものです。

上の写真は、ベネチアの高級ホテル、”ダニエリ”のホールです。(かなりピンぼけですが。)
共和国時代のベネチアで、何度も元首(ドージェ)を輩出した名家、ダンドロ家の屋敷を使ってあり、塩野七生さんのエッセイでも、”ゲーテも泊まったホテル”として触れられています。
私ごときが泊まるようなホテルではないかもしれませんが、何しろ、”これを逃せば一生泊まる機会は無いかもしれない”という大義名分(?)が私の背中を押し、宿泊費が高いのでヴェネツィア5泊のうち2泊だけ、このホテルに泊まりました。

ホテルは、快適でした。古いホテルなので、少々水周りに不安があったけれど、調度は豪華だし、ホテルの人の応対も良く、立地(サンマルコ広場の近く、デュカーレ宮(牢獄)の隣にあり、大運河(カナル・グランテ)に面している)も最高。
そこで私は、”これしか機会はないんだから!”とデジカメを抱え、日本人旅行者丸出しで(でも、細心の注意は払って、なるべくこっそり撮った積り)で、とことこと探検に出かけました。
1階の、入り口から入って向かって左側、中央のレセプションやキャッシャーの脇が、バーを兼ねた広間になっていました(上の写真です)。

レセプション/キャッシャーの脇から、その広間を見て、私はため息をつきました。なんて豪華なのだろうと。(写真では、伝わらないかもしれませんが。)
 夕暮れ近く、薄暗いその広間を見、薄暗い中に立ち並ぶ柱を見、豪華繊細なベネチアングラスのシャンデリア(この広間の為にあるような)を見るうち、上に書いた、指輪物語の一節を思いました。
思ったのです。”ドワーフの館の美しさとは、こんな感じのものではないのだろうか”と。
(ドワーフとは、しばしば鉱夫の姿をしているある種の小人のことです。白雪姫の話に出てくる、7人の小人も、ドワーフです。)

有名な(そして私の好きな)ファンタジー、指輪物語には、そのしっかりしたリアリティある設定や物語の面白さを楽しむ以外に、その世界にある、美しいものについて想像する楽しさがあります。
エルフやその住む世界の美しさについては、いうまでもありませんが、通常あまり”美しさ”と縁のなさそうなドワーフ小人の作り出した、彼らの洞窟の住居(というより宮殿)の美しさもなかなかのものです。
上のセリフは、エルフの貴人(ガラドリエルという、美しく力ある貴女)が、あるドワーフが、彼に咎のない理由で疎んじられようとしているところを助け、そして慰めるために、彼の祖先の技を称えて言ったものです。
(その美しさを、彼(ギムリというドワーフ)の口から聞きたければ、こちらをどうぞ。彼の祖先が作った、彼らの地下の館(カザド=デュム)を称える詩を、彼が吟じたものです。)
暗く、柱が立ち並び、天井からは豪華な(そしてベネチアで生産された)シャンデリアが下がる広間。トールキンの著作の他のところでも繰り返し語られる、ドワーフ達が生涯をかけて作り上げる館の美しさとは、こんな感じのものではないのだろうかと、思ったのです。
 

 
ホール、入り口付近
シャンデリア
 そしてまた、考えました。ヴェネツィアの共和国時代の男達って、なんとなくイメージがドワーフに似ているのではないかと。
 商人で、現実主義で、貿易で成功し利を得ることに力を注ぎ、そのために貴族(大商人)による他に類を見ない合理的な共和制を実現した。共和制を守ることは自分達の利を守ることだったから、共和制を維持するために時には自分にとって不利なことも敢えて行った。それによって、ヴェネツィアは独立を保ち、栄え、こういう豪華なものや、サンマルコ寺院、ドゥカーレ宮、数々の教会や美術を生み、市民は安定して比較的豊かな生活を営み、中世には稀だった出版の自由もヴェネツィアにはありました。そういえば、彼らは黒の長衣と長いあごひげという姿だったから、姿もちょっと似ているかもしれません。(彼らは長身だったから、その点は違いますが。)
ドワーフも、比較的利に貪欲で、見た目はあまり良くなく、自分のことしか考えていないようですが、鉱石を美しく加工し、美しいものを作ることなどには非常な情熱を持つ、とされています(トールキンの設定(世界)では)。
(まあ、我欲の強いドワーフより、ヴェネツィアの男達のほうが、かなり上等かもしれませんが。)

私は、その広間に、結局足を踏み入れませんでした。
時間や、気持ちの余裕が無かったのと、”安易に入っていって座ると、バーの注文を取りに来られちゃうかも”というばかばかしい心配(後で考えれば、バーで一杯飲めばいいだけだったのに)があって。入り口近くの椅子に腰掛けては見たような気もしますし、ちょっと歩み入ってみたような気もします。でも、何か恐れ多いような気がした、というのもあると思います。

次に行く機会があったら、絶対、あのホールのバーで、なんか一杯飲むぞ〜。
(ドワーフを記念して、ウオッカのカクテルでも注文しましょうかね。でも、やっぱ機会なさそう・・・)

あ、でも、もしこのページを当の塩野七生さんが見たら、私、目玉の飛び出るほど怒られるかもしれませんね。”空想の産物で、しかも矮人のドワーフと、ベネチアの優れた男達を、一緒にするんじゃない!”とかって。

  ※ホテル・ダニエリをもう少し見たい方は、こちらをどうぞ。

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