魚菜王国いわて

末広町の土地共有化

私は以前、熊坂現市長の登場する本「自治体経営革命」の商店街の関する記述を、グローバリズムを考えていないとの理由から、「ぜんぜんダメ」と書きました(「自治体経営革命」を読んで)。
今、読み直してみると、私が書いた文章は説明不足ですが、まあ、その稿があまりに長いもので、書くのも飽きたのでしょう(笑)。

この本では、商店街の存在意義を重要視しています。
存在意義を考えることこそ、この章の題名「中心市街地活性化はなぜ必要?」の答えとなるものなのでしょう。
考えられる存在意義は、ほとんどはすでに他のものに代替できる役割でしかない、と本には書かれています。
私はその存在意義を直接考え出すのではなく、現状の反省から考え出す立場をとります。

大型店は効率性を追求するがゆえ、総合的にみれば雇用は減少します。
商店街は逆に非効率だからこそ、大型店よりは確実に雇用はあります。
しかも大型店というのは事業に見切りをつけるのが早いですから、撤退する時は簡単に撤退します。
地元の雇用なんて関係ないんです。
これは、世界にまたがって商売するグローバル企業となんら変わりはありません。
それなら、自分の地方を守る方策として、商店街を助ける方策を練ってもおかしいはずはありません。
ここに存在意義を見出してもいいと思います。
自分たちの商品販売地域は、他人まかせにしないで、自分たちでなんとかする、という具合に。
ここにも自立主義が必要だということです。

で、前出のつぶやき(「自治体経営革命」を読んで)の「三、個人の利益と公の福祉」のところだけ注目し、引用します。

中心市街地活性化問題は実は個人の欲望と公の福祉の問題でもあります。商店街を商店街の人たちの個人的所有物の集合ととらえるならば、中心市街地の活性化は可能性も、必要性も存在しないことになります。個人の既得権ばかりを主張するならば、そこには厳然たる市場競争が待っており、量と価格で、大型店に太刀打ちできないのは明白だからです。
(「自治体経営革命」p169)

この後、熊坂市長は、本吉羽咋市長(石川県)との対談で、「税金をつぎ込んでも中心市街地は再生されるべきだと考えています」(「自治体経営革命」p172)と言っています。
そこで、迷案が浮かびました。
これは非常に長期的なもので実現不可能かもしれませんが、考えだけは提示しておきます。

中心市街地の核となる商店街地区の土地、宮古の場合は末広町商店街の土地を末広町の共有財産にするんです。
私は以前、どこかの掲示板(たぶん末広町の井戸端掲示板)で、「後継者のいない店舗などにいろいろと求めるのは、難しい問題だ」と商店街側に理解を示したことがあります。
営業している店のご子息が後を継ぐとは限らないし、これはどんな商売の世界でも同じでしょう。
しかし、先に引用した「商店街を商店街の人たちの個人的所有物の集合ととらえるならば、中心市街地の活性化は可能性も、必要性も存在しないことになります。」という真っ当な意見を考えれば、やはり中心商店街として存在していくというのならば、それなりに繁盛していかなければならないのです。
しかし、ここに個人の所有物という問題が立ちはだかります。
土地を持っている、となると、商売がうまくいかなくとも、先代からの土地ということでなかなか手放さないのは皆さんわかると思います。
もし、これら商店街の土地が個人のものではなく、商店街の共有物ならば、見通しが暗くなった時点で、簡単に撤退する人がでてくるでしょう。

これにはメリットがあると思います。
商売がうまくいかなくなったのを立て直すのは容易ではなく、ある時点でスパっとやめれば、負債も小さくて済むことはよくあることです。
どういうわけか資本主義社会にもかかわらず、ダメなものをいつまでも公が助けようとしますが、あれじゃ、金がなくなるのは当たり前です。
この場合、土地が自分のものではないので、引き際が簡単だと思います。
そうなれば、新しく商売しようとする人も、いちいち土地の心配をしなくていいんですから、新規事業も簡単にできるようになると思います。
よく言われるスクラップアンドビルドが自然にできるのです。

土地には税金が掛かりますから、当然賃貸料は取らなければなりませんが、この土地賃貸料は土地を借りている店主(建物主)が商店街団体に支払い、土地の固定資産税は、この団体が市に払うようにします。
今はどうなっているのか知りませんが、末広町の固定資産税滞納は以前はかなりあったと聞いています。
共有化すれば、その分、こつぱる人も少なくなりますから、もしかして滞納もなくなるかもしれません。

さて、いろいろ反論が出ると思います。
例えば、自分の手でつかんだ土地をそんな勝手な論理で手放すのはおかしい、とか。
確かにそういう言い分はわかりますが、やはり商店街の存在意義を考えれば、栄えてなんぼ、なんです。
末広町商店街振興組合のサイト(←リンク切れ。やめた?)の「末広町のあゆみ」によると、宮古に人が住むようになってからもともと商店街があったわけではなく、大正9年に着工した国鉄山田線の駅が、現在地に確定されてから、商店街が発生した、とされています。
となると、結局は、商売のために、他所からやってきたのです。

私は、強制的に土地を取り上げろ、とかそんな話をしているわけではありません。
どうにもならなくなってやめたところの土地を、順々に共有財産としていけば、うまく起業、廃業が循環するんじゃないかなあ、と書いているのです。
だいたいやめたところの土地って、銀行とかの債権者に取り上げられているんでしょうが、土地神話はとうの昔に崩れていますから(商売は土地がするんじゃない、人がするもの!)、銀行側は、気前よく商店街に放棄すれば(あげれば)、起業家が難なく商売できるんです。
それからまた、融資、返済の循環ができると思いますが。

住むところはどうするんだ!、とのお叱りもあると思います。
住むところはどこに住んだっていいわけで、商店街に住んでもいいし、蓄財し商店街以外のところに土地を買い、家を建てればいいのです。
「私有財産は商店街以外のところに!」ということです。

ここで、市のできることはたくさんあると思います。
例えば、このように押さえていた土地を、商店街の共有財産として寄贈したら、銀行の固定資産税を免除するとか、あるいは、商店街の共有土地確保のために財政出動するとか。
財政出動という手を用いれば、その共有財産は市のものとなり、運営は商店街、ということになるでしょう。
ん?
それがいいかもしれませんね。
そうすれば固定資産税=賃貸料で簡単ですし。
いや、賃貸料を固定資産税より少し高くし、アルファ分で商店街独自の基金を作り、融資制度を商店街内で設けてもいいか?

なんだかまとまらなくなりましたが、それでも中心商店街の土地の共有化は、メリットがたくさんあると思います。
反対意見があると思いますが、でも一考に価すると思います(私だけかなあ?)。
(2004年2月1日)



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