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   人間そのものが仏様なのだよ
 友人と心霊現象の話をしていたら、ふと「死後の世界ってどんな所だろう」と聞いてきた。私だって行ったことがないので、良い所だから帰って来た人がいないんじゃないの?と適当なことを言ったら妙に納得していた。まあ生前の記憶が、天国や地獄というものを創り上げているのだろうが、個人的には天国地獄説を信じたいですねえ。修行不足の私には、蓮の華咲くパラダイスに悪人が行くことは許せませんね。別な世界でずっと反省や償いをしてください・・・。とまあ、これは私の考えですけど。
 さてさて、天国話のついでに、今度は仏様とは何処にいらっしゃるのでしょうか?と言うことを考えてみましょう。鎌倉、京都・・・etc寺院仏閣は数々あれど、さて何処に。皆さんは、修学旅行その他参拝する機会が沢山あったことと思いますが、何に対して手を合わせてきましたか?そうです。仏像ですね。それに仏様を感じたことでしょう。が、残念ながら仏像は仏様ではありません。強いて言うなら貴重な美術品でしょうか。そもそも仏像とは、誰が作ったのでしょうか?そうです。人間ですね。では何を対象に仏像が作られたのでしょうか?英雄・賢者・宗教宗派の開祖・・・etc数あれど、やはり人間が対象物ですね。ということは、人間そのものが仏だということが考えられませんか?当時、一生懸命自己を磨き、民衆社会のために尽力したお方が仏様と称えられたのではありませんか?人が亡くなると、ご生前は立派だったとか言いますが、死後の位置付けとは生前のあり方なのでしょうね。
 ところで生まれる前と書いて「生前」なのに、死後の人物評価に使われている言葉なのはどうしてだろうね。しかし、亡くなった日を「来世の誕生日」と考えればどうでしょう。そう考えれば、「生前は云々・・・」という言い方も理解できませんか?なにせ私は、「命日と誕生日は命の起点」と考えていますから。どうです?そう考えた方が夢があると思えませんか?まっ、話は戻りますが、人間そのものが仏様と成り得るならば、必要とされた人が生まれた時代背景や、そんな時代を生き抜いた人々に対して、感謝や尊敬の念を持って合掌することが正しい仏道なのでしょうね。そう言えば、今は死後の世界の名前が戒名と言うようですが、本来は、生きている人間に対して修行の証として与えられたものが戒名であった筈なのだがなあ・・・。今もそうであったならば、生きている人間同士の拝み合いの精神(お互いを尊重し、援け合う心)も仏道と言えるのだがね。
 
PS.「自分で自分(仏)を殺すことなかれ!」とだけ申し添えておきます。
更新日時:
2010/07/15

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