格闘家と武道家の違いを考えたことがあるだろうか。
簡単に言えば、勝敗のために闘うことを目的にしている人が格闘家だろうね。俗に一定のルールのもとに試合を行っている団体もこの部類だと思える。
果たして勝ち負けだけに拘ることに何の意味があるのだろうか。最強説を唱えながらも、初代が亡くなった途端に無数に組織分裂した団体もあるようだが、勝ち負けだけに拘るとこういう結果を生じるものである。結果、初代が育てた門下生の人間性は「俺が、俺が...」だけだったようだ。そういえば、大昔「自称柔道八段の18歳の少年」との出会いがあったが、これもまた勝敗のみが故に培われた人間性だろう。
しかし体力だけが主軸の格闘には重大な欠点がある。要するに生命の「老化現象」を忘れている。実に簡単なことだ。で、はたと気づいて引退宣言。まぁ引退でもしないと威厳を保てなくなる恐れがあるからね。負けたら終わりが格闘家というところでしょうか。
今更、少林寺拳法の「武の意義と武道の本質」等を言うつもりはないが、やはり武道家ともなると無意味な争い(試合)はしないものです。要するに憎悪を招きかねない勝敗などが修行の目的ではないということです。まさに自己を磨き社会に貢献する王道を歩んでいるのが武道家というものなのです。
少林寺拳法のご高齢の高段位の先生方は未だ現役である。無理無駄が削ぎ落とされて技に輝きが増している。勿論信頼度も厚い。また道を究める人の質の在り方を、しみじみと感じさていただける。例えて言うなら、心技共に「さばき」ではない「いなす」方法を心得ているのでしょうね。有り難いことです。
<注釈>
「自称柔道八段の18歳の少年」
引退した柔道七段の祖父と大喧嘩をして、「勝ったから俺は柔道八段だ」と本気で思っていた少年との出会いのこと
一世を風靡した格闘家の面々は、今頃はどうしているのでしょうか。たまにテレビのバラエティー番組やらスポーツコメンテーターとして見かけることもあるが、はて?芸能人にでも転身したのかね。まぁ芸能界で自由に生きていける方々はいいだろうが、完全に消滅してしまったようなお方は気の毒である。結果何も残らない。あるとすれば「過去」の栄光と古傷辺りでしょうか。実に残念な話である。
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