力の伴わざる正義は無力なり
正義の伴わざる力は暴力なり
 
   宗 道臣(そう どうしん)
Column

少林寺拳法の特徴
 
 拳禅一如
 力愛不二
 守主攻従
 不殺活人
 剛柔一体
 組手主体
 
道場での心得
 
 脚下照顧
 合掌礼
 作務
 服装
 態度
 言葉
 
修行の心得
 
 修行目的の確立
 修行の順序
 基本を学ぶ
 理を知る
 数をかける
 修行を片寄らせない
 体力に応じて修行する
 永続して行う
 
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2012/02/19
多才な技術の習得
 技術習得に際し、何段になっても基本法形ばかりの練習はどうかと思う。確かに楽しく練習することは良いことだ。しかし見ず知らずの人間(暴漢等)が、果たして「法形通りの攻撃をしてくるのだろうか」と考えませんか。また相手とは体力の差もある訳です。慣れ親しんでいる仲間とは当然違う訳ですね。そういえば世界大会などで、海外の拳士と技術交流をしてきた拳士が「技が掛からなかった」と良く言います。勿論、先にも述べたように体力差がある訳ですから勝手が違うのは当然です。しかし「技が掛からない?」は問題ですね。
 
 外国人の意思表示は、「YES」か「NO」しかないと良く聞きます。「どちらでもない」などという中途半端な表現は日本人だけのようですね。つまり技術の習得にしても、海外の拳士は技が掛からなければ納得はしない訳です。当然ですね。しかし日本人の場合はどうでしょう。技の原理に酔いしれて、自分から技に掛かりに行っていませんか。ましてや高名な先生のご指導ともなると尚更ですね。信じて疑うことをしないようです。多分、掛からないと失礼にあたるのでは...等と無意識に考えてしまうのではないでしょうか。これはある意味日本人の美学?にも通じる精神かも知れませんが、その考え方が技を退化させている原因にもつながっているように思えます。やはり技術の習得に際しては、遠慮せずに相対することです。また攻防の仕方についても、基本法形を固定観念で捉えないことが最も重要なことなので気をつけましょう。
 
 何れにせよ学ぶこととは、信じることも大事ですが疑うことを忘れてはならないということです。また、昇級昇段試験だけを目標においた練習に片寄ってもいけません。やはり使える技術の習得とは、多才な練習を常日頃から心掛けることに尽きるのです。

2012/4/28 筑波にて
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