技術習得に際し、何段になっても基本法形ばかりの練習はどうかと思う。確かに楽しく練習することは良いことだ。しかし見ず知らずの人間(暴漢等)が、果たして「法形通りの攻撃をしてくるのだろうか」と考えませんか。また相手とは体力の差もある訳です。慣れ親しんでいる仲間とは当然違う訳ですね。そういえば世界大会などで、海外の拳士と技術交流をしてきた拳士が「技が掛からなかった」と良く言います。勿論、先にも述べたように体力差がある訳ですから勝手が違うのは当然です。しかし「技が掛からない?」は問題ですね。
外国人の意思表示は、「YES」か「NO」しかないと良く聞きます。「どちらでもない」などという中途半端な表現は日本人だけのようですね。つまり技術の習得にしても、海外の拳士は技が掛からなければ納得はしない訳です。当然ですね。しかし日本人の場合はどうでしょう。技の原理に酔いしれて、自分から技に掛かりに行っていませんか。ましてや高名な先生のご指導ともなると尚更ですね。信じて疑うことをしないようです。多分、掛からないと失礼にあたるのでは...等と無意識に考えてしまうのではないでしょうか。これはある意味日本人の美学?にも通じる精神かも知れませんが、その考え方が技を退化させている原因にもつながっているように思えます。やはり技術の習得に際しては、遠慮せずに相対することです。また攻防の仕方についても、基本法形を固定観念で捉えないことが最も重要なことなので気をつけましょう。
何れにせよ学ぶこととは、信じることも大事ですが疑うことを忘れてはならないということです。また、昇級昇段試験だけを目標においた練習に片寄ってもいけません。やはり使える技術の習得とは、多才な練習を常日頃から心掛けることに尽きるのです。
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