世の中には、教養的なものから武道に至るまで「道(どう)」と名の付くものが沢山あります。それはまた、枝分かれをして無数の組織を形成しているものと思われます。では一体「道(どう)」とは何を意味しているのでしょうか。
例えば、それを信じる道や目的地にたどり着くための道が「道(どう)」であると考えた場合は如何ですか。きっと人が人として在るべき姿にも共通してくることでしょうね。
ある人が何かを成そうとして教えの門を叩きました。しかし月日が流れても思うような成果が得られません。そんなときに「もうこれでいいや...どうせ忙しいし...いざとなったら止めればいいんだから」と考えたようです。果たしてこの人の人生は、満足したことに値するのでしょうか。人が人として生きていくことの修行(教え)には終わりがないのです。何事も可能性に向かって努力することが大切なのです。そもそも人間とは目的のために生きるのであって、生きるために生きているのではないということに気づくことが尊いのです。時に挫折しそうなときもあることでしょう。しかし自我を自己弁解してしまうようでは何事も前には進まないものです。気をつけましょう。
「道(どう)」
ある目的に達するまでに通らねばならない経路または方法。
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