「少林寺拳法とはなんですか?」と訊かれると、「宗門の行」と答える方がいますね。ではその「宗門の行とはなんでしょうか?」と問われると、果たして何と答えられますか。
(恥ずかしながら、以前の私は「お寺の修行」程度の理解しかありませんでした。)
なぜ人々は集うのでしょうか。
「あの人がいるから...楽しそうだし...人に勧められて...」というように様々な理由があることでしょう。しかし「つまらなそうだし...」では人は集まらないものです。これは勉強でもスポーツでも同じことですね。
人は何かを成そうとする場合、まずは目的を定めて努力をします。またその道の先輩からも学びます。つまり、その向上心が良い結果につながる訳ですね。また共に学ぶ楽しさを覚えることは、より良い結果も生まれて来るものです。
人間は、万物の霊長として地球上に存在しています。また様々な民族や言葉の違いもあります。しかし「真に平和を願わない人間はいない」でしょう。ただ価値観の相違が、それぞれの生き方や考え方を変えているのです。やはり人間には「欲」がある限り人間完成の行は遠い道のりなのですね。
「宗門の行」
人間としてあるべき姿のために、目的・目標を定めて正しく修行すること。(人格向上)
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