八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。天孫降臨の際に天照大神からニニギノミコトに送られた鏡・玉・剣のことで、それぞれ伊勢神宮・皇居・熱田神宮にご神体として祀られている。これに端を発するかどうかわからないが、日本各地の小さな神社にもご神体が祀られて、お盆や稲刈りの後に地元の総代や氏子が神主をよんでお祭りしている。
鉱山では危険な作業が多かったので、ヤマの神を祀った山神社があった。そのご神体は地下から掘り出したばかりの新鮮な鉱石であった。ある鉱山では高さ30cmほどの青光りする斑銅鉱の塊であった。坑道の最下層、地下120mの富鉱帯から採り出された物で、どっしりとした山形だったという。これを社に安置して毎日の朝礼時には山神社の方向を見てその日の安全を願った。
鉱山が閉鎖されるとき、そのどさくさに紛れて山神社のご神体が行方不明となった。忙しい中でふと気付いた職員が軽トラで見に行ったが、すでにもぬけの殻だったそうだ。その後、某施設にあるのがそれでないかと調べたりしたが、未だに行き先がはっきりしない。人知れずホコリをかぶっているのか、それとも誰かに割られて売り飛ばされたのか。早く見つけて博物館で永久保存してもらいたいところである。
ある夏の暑い日、地元の方々と山神社跡を訪問した。細いくねくね道を辿ったその先にそれがあった。敷地は狭くその半分は林になってしまって、藪をかいくぐって社の前に立った。建物はつぶれていた。長年訪れる者もなく柱がすっかり朽ちていた。当時奉納された石灯籠も倒れかけていた。ご神体を安置していた小さなほこらも飛ばされて、山の斜面の下に落ちていた。この有様を見てなんともやりきれない気持ちになった。ヤマの閉鎖とともにそこで生活していた人々の記憶までも途絶えてしまう。とても悲しくなってきた。
顔を背けて何気なくほこらの傍らを見ると何かがキラッと光った。斜面を下りて拾い上げると金属質の丸いお盆のような物体だった。地元の自治会長に手渡すと、これは鏡かもしれないと言われた。確かに形状は鏡そのものであった。表面はツルツルで光を反射するようになっているし、裏面には唐草のような文様が入っている。しかし、ほとんど錆びていないので当時の物ではないかもしれない。
会長に再度手渡したが要らないと言う。これがもし本当の鏡であっても鉱山がなくなった今は誰の物でもない。また、地元の誰かが持っていてもそれを生かせる術を知らない。そうだったら君のように物の価値を知っていて、それを大切にできる人物に託した方が良かろう。・・このように破格の言葉を頂いてその鏡は私の手元に来ることとなった。
鏡を得たことはとてもうれしい。それよりも地元の方から信頼されていることがもっとうれしい。そして、今後も鉱山跡を調べたり採掘された鉱石を収集して、それらの記録や遺品を後世に残していきたい。
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