あわ〜ストーンU

気ままに訪問記

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16.東山鉱山(太郎銅山)を訪ねて
 旧の麻植郡美郷(みさと)村菅草、今の吉野川市の南部山地に鉱山跡が残っている。国道192号線から美郷方面に南下し、吉野川市美郷支所付近で東進し、神山町との境に近い場所にある。道程のほとんどが舗装道となっているが、最後の500mの脇道がダートで雨後はぬかるんでしばしば落石もある。四駆であればズリ直下まで行ける。普通の車でも可能だが横腹を擦るときもあるので要注意だ。
 鉱山跡は周りを低い山に囲まれた盆地にあり、差し渡しは1kmくらいだろう。ダートを進むと東側にズリが見えてくる。高さ30m以上にもなる徳島県下最大級のズリである。ズリの西側下部とダートを隔てた温泉の泉源、ズリの東側の杉林の中などに坑口が残っている。ほぼ崩れかけているので入ることはできない。
 ズリは掘り出された脈石や土砂などを積み上げている。ズリの山頂まで登ることができ、かなり遠くまで見えて見晴らしがよい。頭上には送電線が通っており、下方にはさっき通ってきたダートが見える。ダートの延長がかつての鉱山街のメインストリートだった。家並みの跡や公衆浴場のタイルなどがあって当時の名残をとどめている。
 道なりに進めばズリの北側まで行ける。そこに駐車してズリに登ったり、斜面をトラバースして石探しをすることができる。地元の方が杉の間伐や山菜・キノコ狩りに来たりする程度で、もっとも近い集落まで2kmである。咎められることはないと思うが、もし会えば挨拶くらいはしておくべきだろう。また、必要以上にズリを崩したりしないこと。
 ズリの北側斜面の一部が少し崩れている。戦後間もなく閉山したので、長い間風雨にさらされて石がボロボロになっている。ざっと観察すると石英・藍閃片岩・石墨片岩・紅簾片岩・緑泥片岩など、鉱山稼働時に廃棄された脈石が積み重なっている。その中にミリサイズの黄鉄鉱粒子や細粒からなる細い鉱脈が見られる。また、緑簾石や緑閃石なども確認できた。
 やや灰色で褐色にヤケた緑色片岩中にキースラーガーが含まれている。脈幅は1cm内外で太い物はほとんどない。戦争末期にはズリからも再度回収したそうで、あまり見つからなかった。一方で、黒くて緻密な磁鉄鉱の塊があり「黒ハク」と言われている。銅を採るには邪魔だったので廃棄され、ズリにはまあまあ残っている。
 ズリの北側に貯鉱所の跡が残っている。ほとんどがカラミで高越や野々脇の物より小さめである。石英をつまみ上げると金色の黄銅鉱の脈が見えた。表面が風化して孔雀石になっていた。
更新日時:
2013/09/15
17.次郎鉱山(次郎銅山)を訪ねて
 東山鉱山からなら車で30分、徳島市からは50分、地元では有名な「乳イチョウ」の脇を進んだ谷川の最上流部に鉱山跡がある。道は途中からダートになり、落ちないかと心配するくらい古い橋を2つ渡ると砂防ダムがある。そこからさらにデコボコの激しい山道を進むことになる。以前はもっと奥まで車で行けたが、今は土砂崩れで道が不通になりずっとそのままにされている。
 そのダートの第1ヘアピンから、さらに細い脇道に入る。人一人がやっと通れるくらいの道だ。樹木の下をくぐって5分ほど行くと最大の危険地帯にさしかかる。高さ10mくらいの断崖絶壁を横断するように、幅20cmほどの足がかりが続いている。長さは20mくらいで、古ぼけたロープが1本張られているが何とも心もとない。落ちれば大怪我間違いなしだ。
 やむを得ず少し上の藪だらけの斜面を移動して、ようやく向こう側にたどり着いた。そこから5分ほどで別の砂防ダム直下の谷川に着いた。そこがズリである。褐色にヤケた石が無雑作に転がっている。割ってみると青黒い磁鉄鉱や細かい黄鉄鉱、赤や緑のチャートなどが確認できた。
 谷川の岸に沿って坂を登ると坑口がある。「栄坑」らしい。奥行きは20mくらいで直径は2m弱だから、何とか立って歩けそうだった。しかし、岩盤が弱そうで崩落の危険性もあるため内部には入らず、外から手を突っ込んで写真を撮るにとどめた。足元が崩れやすいガレ場を登ること30分で、高いところを走っている車道までたどり着いた。
 ここにも「本坑」と思われる坑口が開いている。赤茶けたズリ場が残っているがほとんどカラミばかりだった。すぐ横に鉱泉の貯水槽があり、神山温泉の源泉になっている。また、新次郎温泉という名で酸性の鉱泉を使っている浴場が鳴門にある。以前に四国放送がTVでその紹介をしたとき、撮った画像を無償で提供したことがあった。
 事務所があった広場には施設の痕跡と大量のカラミが落ちている。その下に廃棄された脈石などが含まれているが、傾斜がきつくてズリの横腹にたどり着けない。少しずつ崩れて本流に流されているようだった。でもそこにも採集できる物はほとんどなく、鹿の鳴き声を聞きながら帰路についた。
更新日時:
2013/09/16
18.野々脇鉱山(三郎銅山)を訪ねて
 旧の木屋平村東部にも鉱山跡が残っている。穴吹川に沿って南下すると逆に標高が上がるのだが、とにかく谷川をさかのぼっていく。途中で美郷村に通じている林道に曲がり、そのまま2kmくらい走ると集落がある。戸数はわずか4〜5軒しかないが、当時そこに鉱山事務所があって家が数十軒もあったそうだ。さらにそこから2km進むと道が急カーブしている。その脇のダートを200mも行けば現地である。
 初めて行ったときは専ら情報収集に努めた。地元の方からたくさんの四方山話を聞かせて頂いたが、その中で銅やマンガンを掘っていた場所のことも教えてもらった。次に来たときその銅山跡に行きたいと伝えると、事前に連絡しておけばダートの雑草を刈ってあげようと親切に言ってくれた。後日訪ねたとき、その言葉のとおりにして頂いてとても感激した。また直接案内してくださって感無量であった。
 現地はぐるっとヤマを巻いた場所にあり、林道から見ることはできない。途中で道が切れている部分があり、何気なく向こう側へパッと跳んだがその下は切り立った崖だった。後から気が付いてゾッとしてしまった。そのときは坑口が半分埋まった状態で残っていた。しかし、現在では完全に埋没してしまってわからなくなった。
 坑口のすぐ下の川原にカラミがたくさん落ちている。谷川は狭くて施設を造るにも場所がなかったので、太い柱を対岸まで渡して足場を組みその上に広場を造って場所を確保したそうだ。そして、そこで製錬までしたのでカラミが残っているという訳だ。川原を渡ると土砂からなる急斜面がある。そこから下に降りていくと当時のズリ場である。
 キースラーガーや脈石などが含まれている。微細な粒子の塊でとても重く、わずかに金色の黄銅鉱や黒っぽい斑銅鉱を含んでいる。褐色の部分に星のような結晶が見られるのは石コウだろうか。キースの表面が虹色になっていて針鉄鉱か鱗鉄鉱が生成している。しばしば黒い縞状になっている物があり、層状含銅硫化鉄鉱としての産状がよくわかる。
 今までに多くの者が来ており、採集できる物は年々少なくなってきている。坑口もなくなったし、近くの集落も人口流出が止まらず、さびれる一方なのは仕方ないことだ。でもだからこそ、かつてここに確かに鉱山があって大きな集落があったことを記録しておきたい。それこそが、今その場に立ち会うことの出来る私たちの使命であると思っている。
更新日時:
2013/09/17
19.百合鉱山(三郎銅山)を訪ねて
 旧の鷲敷町にも鉱山跡が眠っている。いや温泉の泉源になっているから、半覚醒状態とでも言おうか。ちょうど温泉施設の裏山を300mほど登ったところに坑口がある。百合(もあい)という地名で、何だかイースター島のモアイ像を連想してしまう。もちろん何の関係もないのだが・・・。
 阿波藩の時代から銅を採掘していたらしい。わずかにズリらしい場所があったが、褐色に錆びたカラミばかりで何も得る物はなかった。変成岩由来の鉱物もほとんど見当たらない。むしろ前を流れる那賀川の鷲敷ラインに、ポットホールなど地形的に面白い景観が続いている。かなり急流なので、一般人や高校生がしばしばボートの練習をしている。そちらをながめていた方が楽しかったりする。
 野々脇と同じ別名を持っている。阿波藩では高越を除いて5つの銅山が稼行されていたそうだが、三郎だけが双子だったのかな・・・などとどうでも良いことで悩んでみたりする。もっとも野々脇とは直線距離で40kmは離れているのだが・・・。
更新日時:
2013/09/18
20.持部鉱山(五郎銅山)を訪ねて
 神山町の持部集落は林道の最奥にある。冬季は道が凍結することもあり、店まで遠いから1週間分の食料などを買い置きするそうだ。その集落入口付近につぶれた坑口が残っている。
 地下には東山鉱山から東へ6kmほど鉱脈が続いている。その延長上にこの鉱山があり、両者の間には他に広石・折木・倉目などの鉱山があった。当にキースラーガーの一大産地であったのだ。キースラーガーは含銅硫化鉄鉱ともいって、鉄と硫黄を主成分とする中に数%の銅を含んでいる。その銅を採掘目的として鉱山が稼行していた。
 吉野川南岸にはそうした鉱山が多かった。徳島市の眉山から山城町(今の三好市)粟山を経て、愛媛県新宮鉱山から佐多岬まで中央構造線の南側に沿って並んでいる。昭和48年の別子銅山筏津坑の閉山あたりを最後に、四国の銅山はすべて稼行を止めた。その後訪れる者はほとんどなく、私のように鉱山に感心のある者や鉱物採集を楽しむ者くらいだろう。
 キースラーガー鉱山で採集できるのは、黄鉄鉱・磁鉄鉱・赤鉄鉱・黄銅鉱・斑銅鉱・チタン鉄鉱などで、二次鉱物の針鉄鉱・孔雀石などが拾えることもある。脈石には変成岩が多く、それらにも様々な鉱物が見られる。紅簾石・藍閃石・緑簾石・緑泥石・緑閃石・ザクロ石・チタン石・白雲母などだ。
 持部の坑道は隣の広石とつながっており、坑夫が買い物をするとき林道を迂回するより広石の坑口から出て行った方が便利だった。また、夜に交代する坑夫たちが提灯片手に並んで歩いていく様は、タヌキの提灯行列みたいだったと地元の古老から聞いている。
更新日時:
2013/09/19

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Last updated: 2014/1/2
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