「終活」という言葉、御存知ですか・・・

 先日、たまたまテレビの番組紹介で、「就活」ではなく、「終活」ということばを耳にして、「百聞は一見にしかず」で見てみました。
 「終活」の意味は、自分の死に備えるということでした。
元気なうちに自分の遺影やお墓、葬儀内容まで手配準備し、人によってはエンディングノートに書きとめ、同居している息子さんに説明している様子などが紹介されていました。
 様々な理由で、自分の死後の始末を次の世代に託すことの出来ない方、あるいは遺された家族が、いざという時に慌てないように、死亡時の連絡先などを事細かにメモしておくことなど、大事なことだと感じました。
 テレビでも、母親の死後を託された息子さんが…「えっ」とか「縁起でもない」といった気持ちではなく、誰しも訪れる死に備えて準備することは、母親や自分にとっても安心出来ること…と語っていたのが心に残りました。

 また生前から予約出来る、多くの位牌が立ち並ぶお寺の納骨堂や、「樹木葬」、「樹林墓地」など、お墓の場所(位置)に至るまで決められる葬儀社の様子が紹介されていました。
 見学に訪れた方の中には、「死後も桜に囲まれていると思うと…」と、まるでマンションを購入されるかのように嬉しそうな姿も見られました。

 国や民族、宗教、また生まれる時代によっても死生観は様々ですが、その全てを超えて共通するのは、「遅かれ早かれ誰しも死に」、そして一般的な言葉で言えば、「この世からあの世にいく」という漠然とした感覚でしょうか。死をはっきりと意識したり、あるいは身近に感じるようになった時、初めて人は「あの世」が鮮明に見えてくるのではないでしょうか。
 この事は、死期が近づいた身内や友人と共に過ごした私の体験からも言えることです。
 また人はその時期、これまで以上に亡くなられた方々を意識し、また真近に見ているように感じられました。

 葬儀や墓地のことはともかく、番組の中で私が共感を覚えたのは、墓地を契約された方々が、それをご縁に生前から共に集い、交流を深める機会が設けられていることでした。
 共に集い、歌い、料理をしたり、お茶を飲んだりと、楽しい時間を共有することで、今まで知らなかった方々と親しくなり、互いに聖書でいう「隣人になっていく」姿でした。
 番組の取材者の「真に死を意識する人こそ、今生きている時間を前向きに、精一杯生きていると言えるのではないでしょうか。」という言葉が心に残りました。

  お墓を通じて共に親しくなり、「私たちが皆、死んでからも一緒だと思うと嬉しい。」と、今の生活が以前よりも豊かに安心したものになっていく姿は素晴らしかったです。
『死を思うとは今を生きること!』と自らも意識する日々です。

                                Sr.セシリア藤井

           
桜の写真

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