第27回オブレートの集い

テーマ「教会共同体の老いへの対応・・・今ひとり暮らしの方は」

 このテーマを選んだ理由は、昨年のオブレートだより「クリスマス号」と今年の「6月号」で掲載した「終活」と「孤独死」についての記事への反響でした。
種々のご意見をいただき、教会やオブレート会員の皆様の高齢化の実状を再認識させられました。
加えて当院のシスターたちの突然の入院を目の当たりにしたことです。
ある日突然に、老化や事故、病気で入院し、その後、体調を崩し在宅が不可能になり、病院や施設への入所を余儀なくされます。
その姿は、以前、何かの本で読んだ次の文章に重なります。
「人により、決定的に自分を捨てざるを得ない状況に追い込まれる。自分のものは全て置き去りのまま、人に委ねなければならなくなる」。

 会員、その他の信者さんからも似た状況、また「今は何とか教会に通っているが、この先どうなることかと不安になる」という声が聞かれます。
このような過程の中で、今回はそれぞれの教会の現状と対応を分かち合っていただきました。
以下に主だった内容の要約をご紹介いたします。
一部表現を変えさせていただいたものがあります。ご了承ください。

          

〈活動状況〉

◆神父様や聖体奉仕者が、自宅、病院、施設などを訪問する(聖体を届け、司祭はゆるしの秘跡も行う)。
◆定期的に電話をかける。
◆クリスマスやイースター時にお祝いのカードを送る。
◆札幌市内の山鼻教会では、高齢者の「ひまわり会」が『旅立ちの日のために』という小冊子を作成している(今回改訂版がでた)。
 同じく同市内の真駒内教会はこの冊子を利用し、病者の訪問の折、福祉部が配布している。
 またお楽しみ会(2ヶ月に1回の割合)を企画し、集いの場を設けている(食事交流会、健康体操ゲーム他)。
◆種々の事情で教会に来られない方の名簿を作成し、その方の所属する地区の協力を得て訪問する。

<上記の活動における問題点や感想>

◆聖体を届ける際、「病人が認知症を患っている場合、聖体拝領は可能か」という問題が生じ、神父様に確認した。
 本人の希望があれば大丈夫との見解を示され安心した。
◆老々介護の時代になり、病人だけではなく、ミサに与れない家族をもサポートする例が増えている。
◆家族の中で本人だけが信者の場合、訪問を拒否されることがある。
 理由は色々だが、その中に教会維持費の問題がある。
◆家庭の事情や司祭、信者への不信感から訪問を拒否する例もある。
 奉仕者には訪問時に知り得た情報の守秘義務があるが、口外してしまうなど。
◆家庭訪問を望みながらも、教会で何かと噂されはしないかと懸念を抱く人も少なくない。
 日頃から信者同志の信頼を育てることが大事と思う。
◆老化や病気でひとり暮らしを続けていると、家(部屋)の片付けが出来なくなる。
 さらに外出もままならず、さりとて「人を家に入れるのもちょっと」ということになり、徐々に外部の人に心を閉ざすようになり孤立化が進む。
◆定期的に電話をかけることには賛成。
 自分も怪我をして教会に行かれない時に電話をもらい、気に掛けていてくれたことが嬉しく、励まされた。

<老いの体験の分かち合い>

◆今は元気にしているが、それでも年を取ると家の片付けは難しくなる。出来ないと言ったほうが良い。
◆最近、身体の調子などから、老いを意識するようになった。
◆物忘れが生じ、忘れ物探しが多くなった。
◆以前出来ていたことが出来なくなり老いを自覚。どこかで老いに対して腹をくくっている。
◆母親、その後、父親が亡くなり、実家の整理が大変であった。
 自分は地元から離れて暮らしている為に片付けには多くの時間を費やした。
 親は遺される子供のためにも、生前の身辺整理を心掛けて欲しい。
◆今は業者に、大事なものを選別した後に、家から家財道具に至るまで全て処分してもらえる。
 人にもよるが、身辺整理のことをあまり気にする必要はないのではないか。
◆神棚、仏壇、祭壇を扱う業者も多い。
 カトリックでは、祭壇や聖別されたものでも、人にゆずったり、祈ってから個人で処分できる。
◆被災地訪問の際に耳にした話ですが、自分の家や物を大切に思うあまり、津波時、物を取りに戻り命を失った人が多くいた。
 またある人は、被災前に身辺整理が出来ずに、津波に家ごともっていかれた。
 津波に片付けてもらうよりは、その前に自分の手で片付けておくと良かった…などという声も聞かれ、考えさせられた。
◆身辺整理は恵みと感じる。人にもよるが自分は苦労して捨てた分、得る恵みも大きいと感じた。

 今回の会場は旧館・小聖堂に集まり、これまでのグループ形式ではなく、16人全員が顔と顔とを合わせて分かち合いました。
場所の狭さと、全体の分かち合いには多すぎる人数に多少の危惧はありましたが、結果は短い時間でしたが、皆様ほとんどの方がご自分の体験を分 かち合って下さりほっとしました。
 高齢化する教会の中で互いに支え合い、今の自分に出来ること、将来の自分に備えることなどを具体的に話し合えたのではと感じています。
 参加者の皆様に感謝いたします。

★集いのアンケートをありがとうございました。
 主な内容は次のとおりです。

<感想>

◆「老い」についての分かち合いは日頃、親のことで悩んでいるだけに力をいただいた。
◆元気で体力があるうちの身辺整理は納得し、自分も実践したい。
◆午後の分かち合いは身辺整理に話題が集中し残念であった。
 視点を変えて、「自分は今、どんな風に物に対する思いがあるか」などを聞きたかった。
 物の整理、バリアフリーの話は参考になった。
◆「老い」や「死」に伴う病の時の対応や信者としてのエンディングノートの必要性など、シスターたちの生活実践のお話から考えさせられた。
 今後の生き方の参考にしたい。
◆教会共同体としてもエンディングノートの必要性を感じ行動を起そうと思う。
 先ずは自分から。
◆国が老人と位置づけている65歳から自分を老人と受け容れてきたが、それはぼんやりしたものであった。
 今、後期高齢者の75歳以上の該当者となり、「何をなすべきか」の焦点が見え始めた。
 今回の集いでさらに考えるようになり、作業が加速された。
 人のことではなく自分の事で、可能な限り先の準備を考えている。
 背中を押されたテーマだった。

<来年の講話、分かち合いのことなど>

◆夫婦二人の老後の話が聞きたい。最終的には一人になるが。
◆老々介護についての話も聞きたい。
◆自分は聖書を読み深めることが少ない。
 社会、教会、家庭との関係でも信仰が生かされていないと思う。
 ミサも心の深いところで感じることが少ないこの頃である。
 聖書を読み、分ち合う機会があればと思う。
◆キリスト者としての実感が少ない。
 信仰年にあたり、自分はキリスト者なのかと反省させられた。
 「信仰について」のテーマで話し合いたい。
◆祈りについての話を聴きたい。色々な祈りがあると思うが…。
 どうも自分勝手なところで祈っている気がする。
◆昨年、レクチオ・ディヴィナについての講話をしてもらい、実際に聖書を読み分かち合ったが、また祈りについての講話があればと思う。
 祈りを深めたい。
◆フランシスコ教皇様の「…ならば、キリスト者とはいえない」と言う毎回のメーセージが自分にまさに当てはまるのを感じる。
 老いてもキリスト者という実感が欲しい。
◆シスターの話にあったように、今回の分ち合いを発展させたテーマ「老いの恵み」を希望。
◆生、老、病、死について、分かち合いたい。

<「老いは恵み」の実感は>

◆感じる。老いてゆく自分を見つめ、昨日出来たことが今日出来るかと確かめて生活している。
 体の健康も恵みと感謝し、夕べの祈りを長くしている。
◆現在はそう思えることが多いが、今後どのような心境の変化があるか分からない。
 不安はあるが、その時はその時と思い直している。
◆感じる。「生老病死」の自然の流れの中にいる。
 老いの負の部分は、これから歩む道の確かな信号と受け止めている。
 信号によって終りの道の具体性が見え、不充分ながら整えられつつあると思う(ハードの面とソフトの両面)。
◆年齢とともに、心身ともに想定外のことに遭遇し、正直なところ、「老いは恵み」と感じるには至っていない。
 マイナス面にばかり気持ちが向き残念だ、残念だと気が付けば思っている。
◆言葉はよく耳にするし本もあるが、今の私は「恵み」とは感じず、辛さ、痛さであり、残酷なものと感じる。
 ただ、老いていくことで自然と死を意識していけるのが、「恵み」に考えられないことも無いと思っている。
 「老いの恵み」を心から思えれば、私の生活の不安も減り、心穏やかに生きられるのではと思う。
◆社会通念の影響もあるが、若い頃から、正直、「年は取りたくないもの」と無意識に思ってきた。
 今もその思いは否定できないが、同時に「神の前に立つ日」のことを最近考える。
 自分はまだ社会的にも高齢者とは言えないが、死はいつ訪れるか分からないので心したい。
 老いて生き抜くことには恐怖?を感じるが。
◆「老いは恵み」とあまり考えたことがなかった。
 「老いは恵み」と感じられる私になれるように体の痛みを意識しつつ毎日を祈りながら生活したい。

 以上、参加されなかった会員の皆様にも分かち合いの内容をお伝えしたく、長くなりましたがアンケート結果も掲載いたしました。
 是非ご感想でもお寄せいただければ嬉しいです。


***** オブレートの集い *****