オブレートだより クリスマス号

2022年12月 第43号 発行 聖ベネディクト女子修道院

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2022年6月号の続き

「ヨハネ・パウロⅡ世教皇書簡」の抜粋

(聖ベネディクトゥス生誕1500年に際して 発布された使徒的手紙)

労働

 人間の顔はしばしば涙にあふれています。
その涙は必ずしも心からの悔い改めや大いなる歓喜からほとばしり出るとは限りませんが、魂を祈りへと駆り立てるものです。
事実、しばしばこれらの涙は恐れや苦しみによって流されるもので、人間としての尊厳が軽視されている人々、または正当に望むものを入手できないばかりか、その必要と才能に見合った仕事さえも出来ないでいる人々の流すものです。

 聖ベネディクトゥス自身も、不正によって大きくゆがめられた都市社会に生きていました。
そこでは、しばしば人が人ともみなされず、ただ一つの物体として考えられていました。
社会は、さまざまな階層の上に成り立ち、みじめな人々やどん底で生きている人々は奴隷のうちに数えられ、貧民はますます物に事欠き、金持ちはますます豊かになるという状態でした。
しかしながらこの卓越した人物(聖ベネディクトゥス)は、福音のいろいろなおきてを基礎としてその修道共同体を建てることを望みました。
彼は、修道院に入る前にその人がどんな社会階層に属していたとしても、その人格の完成を図っていました。
また物の分配に関しても賢明で正しい規定にのっとって、各自の必要とするものを供していました。
役割を分担させるときにも、修道士相互の関係を円滑にし、お互いに補い合うようにあんばいしました。
また、たやすく怠慢に陥らぬ限り、ある者たちの弱さを斟酌(しんしゃく)しています。
弟子たちが窮屈な思いをしないように、むしろ反対に、自分たちの持っている素質を十分に伸ばせるように、弟子たちの自発的な行為を勧めていました。
このようにして彼は、正当なものであろうとそうでなかろうと、不平を言う口実を除き去ったのです。

 人間とは、聖ベネディクトゥスに言わせれば、無名の機械ではありません。
効果よく使って最大限の収益を引き出しさえすれば、その人の道義的価値などは顧みられないばかりか、正当な給与さえも支払わなくても構わないとされる、そんな機械ではありません。
注目すべきことは、彼の時代には人間以下とみなされていた奴隷たちによって、労働が行なわれていたということです。
聖ベネディクトゥスは、それに反してどんな労働であろうと、労働が生活の本質的な部分であり、またあらゆる修道士が義務感を持って互いに従事しなければならないと考えています。
その労働は≪従順と償いのわざ≫(ピオ12世の回勅「Fulgens radiatur」AAS39(1947年)154頁。
[D.C.1947年989番col513~518])として行なわなければなりません。
なぜなら本当に実りをもたらす労働は、苦しみと汗なしには行なわれないからです。この労苦は、人間を罪から清めるあがないの力を持っており、また労働が行なわれる環境と物とを気高いものにします。
(次号へ続く)

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