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  この、深く、丁寧に綴られたエッセイを読んで、なんでこの人の作品がやたらと好きなのかよくわかった。
 視野の広さや考えの深さは到底及ばないけれど、感じていることや考えてしまうこと、望んでいることがとても似ているのだ。ぼんやり思っていたことが、ひとつひとつ積み上げられた明晰な思考を辿っていくことでくっきり立ち上がり、肯定されていく心地よさ。
 こんな人だったんだ。という喜びもあった。
 「自分の今いる場所からこの足で歩いて行く、一歩一歩確かめながら、そういう自分のぐるりのことを書こう、と、私はこの連載のタイトルを決めたのだった。」
  身の回りのことをよく見つめ、思考し、人間や自分に対する無力感に襲われながらも「しようがないなあ」と受け入れ、ささやかな光を糧とし、時に光を届け、また見つめ、思考している人なのだ。彼女の思考は日常を巡り、この国を巡り、世界を巡り、天下国家をも巡るが、それもやはり「ぐるりのこと」だ。以前「村田エフェンディ滞土録」から引用した言葉を思い出す。
 「私は人間である。およそ人間に関わることで私に無縁なことは一つもない。」
 人間の在り方を求めて繰り返し語られる「境界」というキーワードにも彼女の著作を思い出す。
 「家守綺譚」の綿貫は境界の近くで向こう側に心を開き、「村田エフェンディ滞土録」の村田は自分をしっかり保ちながら向こう側で心を開いていた。
 「自らの内側にしっかりと根を張ること。中心から境界へ。ぐるりから汲み上げた世界の分子を、中心でゆっくりと滋養に加工してゆく。」
 「いのちの食べかた」で激しく共鳴した自分で考えること、流されないこと、忘れないこと。このエッセイではそれが更に緻密に展開されていて、まだ足りないからと誰かに後押しされて読んでいるようだった。それに「いのちの食べかた」ではあってもよかったのになかった「情熱」についても少し触れられていて、痒いところに手が届いたかんじだった。
  「何かをしたい、という情熱が育まれる以前に、『何かをするためのマニュアル』が与えられてしまう。」
 生きていく上で、この「何かをしたい、という情熱」は、すべての基礎になるくらい大事なものではないだろうか。 なら、情熱を育むにはどうしたらいいんだろう。この本から得たヒントのひとつは、やはり「いのちの食べかた」と同じところを示しているような気がする。体験して感じることを積み重ねる、というあたりを。
 この本を読み、彼女が物語を紡ぐ、その根源を明らかにする書き様に触発されて、わたしにも小さな情熱が生まれた。
  「肌身が経験する、圧倒的なリアリティの中へ参加している、という感覚は、私にいつでも、未だかつて語られたことのない言葉を使いたい、と、強く欲求させる。そうでなくてどうしてこの、常に新しくあり続ける『今、この瞬間、この場所で』というリアリティが表現できるだろう、と。」
  ざわざわしてくる。わたしも、この身から迸る、「未だかつて語られたことのない言葉」を使いたい。

 

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