平成25年度の調査活動報告 |
川上集落から田代に通ずる山道沿いで、雁峰山の尾根より約50m下方の場所を当会が金七郎の狼煙場”ノタバ”の位置と確定しました。そこには、半円形に岩が存在し、ノタ場と呼ばれる場所の範囲の中にあります。定説の烽火場である『涼み松』より2Kmほど西側に、つまり岡崎寄りの地点になります。金七郎と強右衛門が岡崎に援軍要請するため一刻も無駄に費やしたくない両人とって当然のコースでは、ないでしょうか。 | |
右下の写真は、鈴木家の守り神である白山社で今は、痕跡しか存在しません。今回の調査で金七郎の子孫の蔵から白山社で使われていたであろう瓦、神器等が見つかりました。鑑定の結果、室町末期から江戸後期のもので時代は合致します。なお手前にある皿のようなものは、焼き塩を壺に入れて運んだ時の蓋で現在では、希少価値がある物だそうです。 | |
『白山社、宮座の覚え』と言う天正5年に書かれた古文書が残っており、それは祭祀の席次を記したものです。そこに田代村、金七郎の名前が書かれています。このことから天正3年の長篠設楽原の戦いの2年後には金七郎は、田代に住んでいたことが見て取れる。 | |
現在の『ノタ場』は、樹齢50年以上の木が茂っており長篠城を見通す事は、できません。右上のグラフは、黄色のライン下の地形の断面高低を横軸に表した図です。『ノタ場』から長篠城が目視出来たことが証明されました。まして脱出成功の烽を待ち望んでいた城兵の目には、はっきりと希望の煙が映ったに相違いありません。 |
昨年度は、講演会を二回開催しました。演題は、共に鈴木金七郎の実像に迫るです。共に盛況でしたが2月には、事前に新聞報道が効いたのか遠方からの聴講者も多数いて席の確保や資料が、間に合わなく嬉しい悲鳴を上げたほどでした。金七郎の輪が広がったのと、名前がこの地方で少しずつですが浸透してきており励みになっています。 | |
『ノタ場に行こう』 次世代に金七郎を伝えるため子供たちとハイキングを行いました。長篠城から武田の陣を破り脱出成功の烽火を上げた所『ノタ場』と東郷西地区が見渡せる展望台になる予定地です。今年度に当地点を整備、開発予定です。ご期待ください。 |
発表会の当日の天気は、会場設営を始める頃から冷たい雨が降りはじめ、先を案じさせました。 しかしスタッフは、負けずに働き絨毯を敷き幕を張り講談の高座、音響照明までも準備万端整えました。 悪天候により心配された観客席も、ほぼ満員になりました。 真打ち 神田甲陽師匠の流れるような話術に皆すぐに引き込まれ、アツと言う間に1時間15分が過ぎていました。 合戦後からの、おおずめの盛り上げは『さすが真打ち 神田師匠!』との声しきりでした。 『皆さん来てくれて、本当にありがとう!!』そして鈴木金七郎の事、家族友人に教えてくれたら、なお嬉しいです。関係者には、充実した一日?『お疲れサマ』でした |