@六部塚

「黒沢」集落の端にある「六部塚」。
備前の回国巡礼者がこの地で行き倒れになった。
文化十年(1813)と刻まれている。

A荷替場

黒沢峠を越え、黒沢集落に近いところに荷替場がある。この場所は広い範囲で平らになっている。

人馬はここで一服したり、左右の荷を交換したりする所であった。
また、一駄の運賃は一定であるが、品物によって一駄の重さが異なり不平不満が絶えなかったことから、仲間同士で荷を交換することもあった。さらに上り荷と下り荷を交換することで、日帰りでの運搬を可能にしたメリットもあったようである。

十三峠では他に大里峠の沼側にも荷替場があり、黒沢と同じく利用された。
    
     Bお祭り広場

敷石道に入る手前に、昭和62年に整備した広場がある。この場所で毎年「黒沢峠祭り」を行っているため「お祭り広場」と呼んでいる。

ここには、休憩所やトイレなどがあり、峠に向かうための基地となっている。
 C座頭転び

黒沢峠に入って間もなく「座頭転び」と言う地名がある。
(または、座頭転ばしとも呼ばれる)
右側が急な崖であり座頭が落ちたのか、落とされたのか?何れにしてもそんなところから、このような地名が付いたのであろう。

『昔、目の不自由な人が山道を歩いていたときに、大きな曲りがあったのを感じることができませんでした。それでまっすぐに歩いたために、目の前にあった急な崖から転げ落ちてしまいました。そしてかわいそうに死んでしまいました。それを知った村の人達は、この崖のことを「ざところばし」と呼ぶようになりました。』
(小国郷の伝説・言い伝え集より)

左側には「石切場」の跡が見え、よく見ると
右上に鏨痕が見られる。
   
     D楢ノ木平

「楢ノ木平」と呼ばれる峠の中でも平坦な古道らしい趣のある所である。現在は楢に代わってブナの木が多くなっている。
写真の右側は残念ながら杉林となっているが、昭和の中頃までは雑木林で、今以上に古道としての趣があった。
(峠頂上側から撮影)。
 E一里塚

米沢から数えて12番目の「一里杭場」。ここには約1.5mの小さいものではあるが道の両側に塚があり「一里塚」と呼んでいる。

道の左にはブナの大木があるが、近年急に枯れてきており道の真ん中に光が差し、以前とは景観が変ってきている。

(画像にマウスを重ねると画像が変わります)
   
                 F古屋敷

延亨3年(1746)にこの地に、伊藤平太郎家族が住み茶屋(助けを兼ねた)を営み旅人をもてなしたと言われる。

明治17年小国新道の開通に伴い茶店を止めて黒沢に下山したようであるが、今でも当時の田形、土台石、沢から生活用水を引いた用水路跡などが解り、往時を偲ばせてくれる。


 G峠頂上

標高は426mである。
ここから市野々側へは下りとなり、敷石は頂上近くに残るが、下の方には無い。
頂上から北に連絡道を300mほど行くと旧道に出る。
この旧道を下ると祭り広場へ繋がる周遊コースをH20年に整備した。
     
     H不動出

2007年から横川ダム建設によって街道は湖底に沈んだが、夏季(6月16日〜9月30日)は「不動生(ふどういづるぎ)橋」を渡り「桜峠」側に越えることができる。

それ以外の時期は、不動出生橋は湖底に沈んでいるため取付道路(車可)を利用し対岸に渡ることができる。

(画像にマウスを重ねると画像が変わります)
 I旧道からの眺望

旧道から望む飯豊連峰。
小国町中心部の眺望も素晴らしい。

(画像にマウスを重ねると画像が変わります)
   
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