白い悪魔の恐怖
妄想ウルトラマン80<< DELUSION-ULTRAMAN80

■「ウルトラマン80」第52話としての「いつも隣にホーがいる」批評

ウルトラゾーン「いつも隣にホーがいる」
脚本:中沢健
監督:田口清隆
前編2012年1月8日、後編2012年1月15日放映

在放送中の「ウルトラゾーン」。簡潔に言えば、ウルトラ怪獣が主役のバラエティー番組(もちろん円谷プロ製作)なのだが、“バラエティー”とは単なる“お笑い”ばかりではなく、「ウルトラ怪獣」という素材を生かした本格特撮ドラマまで飛び出す、あなどれない番組なのである。

で、その「ウルトラゾーン」12、13話で放送されたドラマ「いつも隣にホーがいる」の主役怪獣は、ウルトラマン80第3話「泣くな初恋怪獣」に登場した硫酸怪獣ホー。失恋した少年の怒りと悲しみが実体化した怪獣という設定を上手に生かした作品になっていた。そしてふと、これは「80」第52話に位置付けてもいいのではないかと妄想が浮かんできた…。(※第51話はもちろん、メビウス第41話「思い出の先生」)

当然ながら、「80」と関連付けなくとも“ウルトラシリーズの可能性”を高らかに宣言した傑作である。本作をはじめ「ウルトラゾーン」自体への評価は、しかるべき人が、しかるべき場所で、記すに違いない。なので私は、妄想のままに、「80」第52話としての「いつも隣にホーがいる」批評(感想文ね)を、ここに書き記したい。

酸怪獣ホー。講談社刊「ウルトラマン80超百科」では、「女の子にふられた少年のうらみの心が怪獣化した。目からりゅうさん液のなみだをながす」と解説されている。「80」作品独自の世界観(人間の醜い心や悪い心、汚れた気持ち、憎しみ、疑い、嫉妬といった<マイナスエネルギー>が寄り集まって怪獣が生まれる)を最も端的に表現した怪獣である。「いつも隣にホーがいる」では、「人が失恋した時の悲しみから生まれた存在らしい」等身大の怪物として、主人公ノボルの隣にいつもいるのだ。

ホーは、ただノボルの周りにいるだけで、特に害になることもなく、ノボルにしか見えない。そんなノボルの前に、同じくはっきりと実体化したホーに取り付かれたタマエが現れた。タマエにも、ホーが見えるらしい。初めての彼女にふられたノボル。事故で彼氏を失ったタマエ。「私の彼ね、地割れに落ちて死んじゃったの。突然、何の脈略もなく地面が割れてね。私を守って彼は落ちていったの」…。

タマエが見た地割れの中を移動する怪獣(ルナチクス)が、再び現れた。怪獣に挑もうとするタマエを諭し、逃げる2人。怪獣の光弾がタマエを襲う!ノボルの強い悲しみでホーが巨大化し、暴走する!!

に怪獣がいる。地割れに落ちて彼氏が死ぬ…。笑いと恐怖は紙一重である。日常の隣にある非日常を丁寧に描き、更には迫力の都市破壊、「悲しみ」から開放された2人の前からホーが消滅する綺麗な結末まで、「まさかこんなところでこんな傑作に出会うことになるとは」と感激させられた。王道と言っていいのではないか。ただしやはり、ホーという特異な設定を持ったウルトラ怪獣が存在したからこそ、成立した作品であることも間違いないだろう。「80」本編では消化不良に終わったマイナスエネルギーという設定をここまで有効活用した作劇が、30年後に生まれることになろうとは。

「ウルトラマン80」は、全50話1本1本の丁寧な作り、ハイレベルな特撮など、評価されるべき点がないわけではない。しかし、“ウルトラマン先生”という当初の設定(というか「80」のアイデンティティー)が路線変更により結果として消滅したことをはじめ、「出来損ないの作品」であると言わざるを得ない点の方が、残念ながら目に付くシリーズである。本放送から四半世紀後に、“ウルトラマン先生”への決着をつけたメビウス第41話を、「80」第2の最終回と呼ぶことに、異論のあるファンはいないだろう。私も、これで「80」は救われたと思った1人である。

その後の2010年(「80」放送30周年)での再評価の機運を経て、我々の前に現れた「いつも隣にホーがいる」。この作品を見て、「80」にはもう1つ、決着をつけていないものがあったと再確認した。人間の心(マイナスエネルギー)との最終決戦である。ただしこれは、終わることのない戦いである。80(矢的猛)は中学教師として、教育によってマイナスエネルギーの発生を抑えようと悪戦苦闘したが、完全解決は果たせなかった。人間に心が存在する限り、マイナスエネルギーの撲滅はあり得ないのだから。

しかし、「いつも隣にホーがいる」を「80」第52話として鑑賞すると、その終わることのない戦いに、かすかな希望の光を見出すことが出来るのである。「悲しみ」により怪獣を生み出してしまった男女が、出会い、成長することで、「悲しみ」を克服し、怪獣を消滅させたのである。ウルトラマンの手助けなしに、解決し、前に進み出したのである。人間自らが愛と勇気で「悲しみ」を乗り越える姿。80が去ったあとの地球で、そんな希望の光が芽生えているのだと見たらどうだろうか。そして我々も彼らのように、マイナスエネルギーと対峙し、自らの力で克服し、前に進めたらいいなと願うのである。きっと80はいつも、遠くの星から見守ってくれているはずだ。私は本作を、80の登場しないエピローグと妄想したい。「80」第3の最終回と妄想したい!

※マイナスエネルギーとの決着については、第1の最終回(「80」第50話)でも、地球防衛チームUGMがウルトラマンへの依存心(マイナスエネルギー)を克服し、人間自身の力で怪獣を倒すという物語を通して描かれていることを付記する。(辰巳出版刊「君はウルトラマン80を愛しているか」の矢的八十郎氏の評論「人類の卒業試験〜ウルトラマン80最後の強敵とは?〜」に詳しい)

※本題の趣旨からは外れるが、本作をルナチクス(初登場は「ウルトラマンA」)を軸に鑑賞すると、また違った妄想が浮かんでくる。「A」で男女の別離を、「メビウス」でその再会を誘発したルナチクスが、今回も男女の別離と出会いを生んでいるわけか。恐るべし満月超獣! ゴモラUやバルタン星人5代目、6代目、レッドキング3代目など、リバイバル怪獣が登場した「80」の世界観からすれば、ルナチクス3代目(?)の出現も、アリだ。

「バルタン星人の限りなきチャレンジ魂」放送記念日の夜に、「80」への限りなき愛を込めて
(2012/2/18)

<<Top (C) Toshihiko Watanabe