発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第83号 2013/10/1発行

第82号

私も歴史上の人物です。

どうなると健康

今、日本中で、テレビ・ラジオ・新聞・雑誌等で賑やかに伝えられている事のなかで、身体の健康に関係するサプリメントや健康補助剤の事ばかり目についています。

食事以外にそれらを摂ることは、栄養過多、あるいは偏食になるのではありませんか?

異常とも思える過熱ぶりは、私たちの身体に何か起きているからのように感じられます。

普通に起きて食事をし、明るいうちは仕事をし、夜はゆっくり身体を休める日々が続いていれば、「健康」と名のつく食品やグッツは必要ないと思われますが、なぜ多く求められているのでしょうか。

食事も普通に取りながら、サプリメントや栄養補助剤を飲んでいる。

私達の生活や社会活動が、普通ではなくなってしまっているという事なのでしょうか。

もし普通でないならば、普通にもどればいいのではないでしょうか。

普通でない生活や社会があるならば、その生活や社会を考えてみる必要があります。

今の私達の生きようが不自然であるように感じておられる方が多くなってきていませんか?

ちょっと不便でもいい、時間がかかってもいい、楽しい場所で仕事ができ、朗らかな営みのある家族・家庭を本当は願っているのではないでしょうか。

願いとやっている事の矛盾を、少しでも縮めてゆく事を考え、その方向を見つめながら歩めば、そのことが健康な心身を作ってくれるのではないでしょうか。

幸せを求めながら、違った方向に一歩を出してしまわなければならない社会を感じながら、流されてしまう自分を、はがゆく思っているのではないですか。

他と比べながら自分の優位を探し、前へ進もうとしてきた生きようを、なかなか変えれないのが人間です。

そして人間は、自分が一番大好きで愛しているのです。

半面、本当に落ち着いて堂々と腰を下しに帰れる場所(故郷)を探しているのではないですか。

不自然な生活を、少しでも早く止めて、あたりまえな生活をしてゆけるような一歩を踏み出しましょう。

私一人がやってみたって、何も変わらないと思っていませんか?

そうかもしれませんが、自分が楽になれるのではないでしょうか。

四季のある日本では、それぞれの季節に美味しく出来る食材が沢山有る事を喜ばなくてはならないでしょう。そんなふうに生活する事を、自然と言うのではないでしょうか。

娘を嫁がせて思う

賑やかだった家で、家族が一人家からいなくなると寂しくなるものですね。

しかし、この寂しさは、離れているけれど、家族が一人増えたという事になるのですから嬉しい事なのですね。

結婚すると云われてから、寂しいのか嬉しいのか、変な気持だったのが、今わかりました。

これから色々な歴史を二人で作り出しながら、その歴史を背負ってゆくのですね。

結婚式で、娘の歴史を見る事が出来ました。

沢山の色々な人によって育てられたのだと思いました。

でも、ここに来られている人は、ほんの一握りの方だけで、ここの何百倍もの人や物から育てられている事に感謝しなければならないのですね。

私たち親だけで、育てたのではない事をあらためて感じさせていただきました。

若い二人はこれから、共に協力しながら歩んでゆくのですが、今までと違った出会いをしながら助けられて歴史を作り、それを背負ってゆくのでしょう。

楽しく朗らかな出会いをするには、一人ひとりの日々の笑顔が必要ですね。

違った人がいるから楽しいのであり、同じ人ばかりなら楽しさを作り出してゆけないのではないですか。

詩人の金子みすゞさんは

「みんなちがって みんないい」といっておられます。

それぞれ自分の色を磨きながら、他の人の色を認めて、みんなで新しい色を作り出してゆく、そんな歩みが、わくわくとする楽しい前は進む歩みではないでしょうか。