発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第88号 2015/1/1発行

第87号

世間の物差し、仏の物差し。

私はどこへ行く

あけましておめでとうございます。

冬の嵐は、娑婆を巻き込むのでしょうか?

しっかりと地に足をつける時ですね。

先月行われた衆議院議員選挙では、自民党・公明党の与党が3分の2の絶対多数を獲得し、思い通りの政策を行うことができるような体制になりました。

今回の選挙は、楽にならない生活を「アベノミクス」に期待して一票を投じた人が多かったのでしょう。

しかし、私たちが住む日本の生き方は、経済中心の社会で、発展してゆけばそれでいいのでしょうか。

今の与党への一票は、「アベノミクス」の方向だけでなく、「集団的自衛権を含む安全保障法制の整備」「憲法改正」「原発再稼働」をも進めてゆく事を賛成した一票と言う事になるのではないでしょうか。

福島第一原発の事故の後始末や福島の復興、今ある核燃料使用後のゴミの最終処理の問題も全く解決していないのに、経済が良くないことを理由に再稼働することは、日本の為なのでしょうか。

命よりもお金が大切であるという事になりませんか?そのような事での経済の上昇を誰が望んでいるのでしょうか。

武器をもって日本人が外国まで行って、その武器を使用することができるようになる方向は、未来の人達が望む方向なのでしょうか。

日本の学者3人が、青色エルイーディーの発明によって、ノーベル化学賞を頂かれ、未来の世界を明るくする希望を下さいました。

また、ノーベル平和賞では、子供たちの未来に対して、命がけで行動しておられる二人の方が頂かれました。

その一人の方は、史上最年少、17才のパキスタン人、マララ・ユスフザイさんです。

彼女の受賞時の演説で、今の時代の人がしなければならない事を、17才とは思えない言葉で、世界を憂い、未来を担う子供たちを思う気持ちを力強く話されました。平和を願う心に感動し涙が出てきました。

平和の為にと、武器を持って行こうとしている時にマララさんは、

『どうして「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、平和をもたらすにはとても非力なの?なぜ銃を与えるのはとても簡単なのに、本を与えるのはとても難しいの?戦車を造るのはとても簡単で、学校を建てるのがとても難しいのはなぜ?(略)月に到達することができ、まもなく火星に着陸するでしょう。それならば、この21世紀に、「すべての子どもに質の高い教育を」という私たちの夢も実現させる決意をせねばなりません。

全ての人々に平等、正義、平和をもたらしましょう。政治家や世界の指導者だけでなく、私たち皆が貢献しなくてはなりません。私もあなたたちも。それが私たちの務めなのです。

私たちは取り組むべきです。待っていてはいけない。

子供が学校に行けないのは終わりにしよう。この「終わり」を始めましょう。

私たちで終わらせましょう。

そして今すぐにここから、よりよい未来を築きましょう。

ありがとうございました。』

と、世界中に問いかけ、呼びかけておられます。

地球は一つしかないし、そこで住む命はみな平等に生きなければならない事を忘れてしまったのではないだろうか。

私たち大人は、平和や命の大切さより、自分たちの都合が良くなることを願い歩んでいるのではないだろうか?

経済が大きいことを良として歩んできた生き方を、もう一度考えなければならない時代になっているのではないでしょうか。

これは日本だけでなく世界中の国々、特に先進国が途上国に負けないように頑張ることによって、より悪い形として表れているのではないだろうか。

日本の良さ、日本人のやさしさ等をもっと前面に出して、日本独自の平和と平等を世界へ広げてゆく方向を持ちたいものです。

日本人が世界遺産になれるような歩みをしたいものです。

合掌

マララ・ユスフザイさん

『歎異鈔』に学ぶ。

当院 井上 宗温

11月11日より、聞光寺に中川皓三郎先生をお招きしての『歎異鈔たんにしょう』の講義が始まりました。

第1回目のこの日には、40人近くの方が聞法に集りました。

『歎異鈔』は、親鸞聖人の直弟子の唯円という方が書かれた物なのですが、私が初めて真宗の教えを学んだ書物です。

お寺に生まれたといっても、真宗について全く学んで来なかった私は、大谷大学に編入する時になって試験に出されるという『歎異鈔』を初めて目にしました。

それまで理系の勉強をしていた私は古文を現代語訳して読むのにも苦労したのを思い出します。

その後、大谷大学に入ってからは『歎異鈔』を2年間かけて、聞光寺本堂の落慶法要の記念講演に来て頂いた一楽真先生の下で学ばせて頂きました。

『歎異鈔』は前半部分と後半部分と大きく2つに分かれていて、前半部分では親鸞聖人が直接語られた、著者である唯円の耳の底に残っている様々な言葉が書かれています。

それに対して後半部分では、その親鸞聖人が語られた教えとは異なる様々な異議を挙げられております。

親鸞聖人が亡くなられ、その教えとは異なる事が世の中にあふれてきている、その異なる事を歎いて書かれたというのが『歎異鈔』の名の由来です。

私は大谷大学で一通り『歎異鈔』を読んだわけですが、大学を卒業してから5年以上が経ちました。

今は門徒の皆さんと、様々な人達と出逢いながら真宗の教えを日々の生活の中で学んでいます。中川先生のお話を聴き改めて『歎異鈔』を読んで行く中で、新たに見えて来るものがあるのではないかと思っています。

3月には第2回目の日程も決まっていますし、その後も続いて行く事になっています。

まだまだ始まったばかりですので、今後も多くの方に参加して頂いて、一緒に学んでいけたらと思います。

宜しくお願いします。

聞光寺年末大掃除

12月19日に、新しくできた本堂の大掃除と、法事等で使う仏具のお磨きを、15人のご門徒さんとご一緒に賑やかにいたしました。

ご門徒さんは、お内陣の掃除は初めてなので傷つけてはならないと慎重で、掃除をしているのか撫でているのか解らないような行動でしたが、一所懸命に動いておられました。ありがとうございました。

終わった後は、おばあちゃん(前坊守)の作られた鶏のから揚げと豚汁等での忘年会。1年の思い出や出来事を楽しそうに話しての時間を過ごして解散となりました。

次回はもっとたくさんの方が来て下さり、より賑やかな行事になる事を楽しみにしております。

一寸一言

ご門徒さんの困っている事の中にお布施の事があります。

どのくらい包まなければならないのか困っていると葬儀関係者から聞くことが多くあります。

お布施は料金ではありませんので決まっていません。

だから、頂く方からは言ってはならないものだと思っています。仏様も役僧さんのお布施も言ってはならないと思っております。

それぞれの家の事情、それぞれの人の思いや気持ちなど違うのですから、その時の自分の気持ちや信仰によって決められるべきものだと思っております。

もらう方はより多い方がいいし、出す方はより少ない方がいいのですから、利害の関係が相反する者同士、お互いに話しをしない方がいいのではないでしょうか。

比較するのではないですが、以前に同じ仏事をされた方々に聞かれたらいかがですか。

しかし、同じように決めるのではなく、自身の気持ちに聞いて決められたらいいのではないでしょうか。

あくまでも施主とその関係者が決める事で、決まっているものではありません。

編集後記

一年で沢山行なわれる仏法の学習会は、聞光寺だけでなく、柏崎・刈羽の真宗のお寺でも多く開かれております。

また、地域全体で、産文やエネルギーホール等でも開催される行事もありますので、是非お出かけ下さい。

真宗寺院に聞かれたら教えて下さるはずです。

私たちが忘れてしまったことや、聞いた事がなかった事を知ることができるでしょう。