発行所:聞光寺発行人:釋温成寺報

第98号 2017/7/1発行

第97号

亡き人と出会う生活

私の命は、いかなる国を願うのか?

誰もが普通に日常生活を送っていても、お葬式に出席することが多くあります。

生活・文化の大きく違う所のお葬式の違いを見、感じてきておられると思いますが、火葬場での作法(お骨の扱い方)の違いをどう思い体験されたかを思い出してみてください。

今年になって私は、短い期間で生活・文化が大きく違う地域でのお葬式に出席することがありました。

その場所は、北海道の親友、東京の叔父さん、そして京都の檀家のお父さんのお葬式でした。

収骨に参加して、お骨の扱い方が相当違うように思いました。

北海道は、小さな骨壷に全部のお骨を入れていました。

東京では、火葬時間が短いために火力が強くなり、お骨が細かく少なくなって、骨壷に半分くらいにしかなりません。

また京都では、小さな骨壷に欲しいだけ入れて、残りはその葬儀場の山(東本願寺の山)にある共同墓に埋葬してもらうようです。

柏崎では全部入るようなお骨箱に入り、持ち帰れるようになっている所など色々な形、方法での収骨があります。

所によって色々な方法があるのは、地域に伝わる伝統・文化が長い時間をかけて作りあげてきたものなのだから大切にしなければなりません。

お骨を砕いたり、細かくなるほど焼かれたり、お骨があっちこっちに分かれてしまうという最後の姿を見ていると感情的にみると、なんだか寂しくかわいそうに感じてしまいました。

どんな最後であっても、私たちは大切な人と二度と会うことができないのです。

でも私たちは、今こうしてある私を見つめることによって、今こうして生きている私になって働いておられる亡き人に、毎日会うことができるのです。

会うというより、今ここに生きて生活している私自身の中に、大切な人と生きてきた全体があるからです。

だから私とともに私が死ぬまで生き続けてゆくということだから、何時でも何処ででも遇えることになるのではないでしょうか。

亡くなられた大切な人からいただいた「いのち」や「願い」を、私たちは次の世代に伝えてゆかなければならないのです。

私たちの生活は、初めのわからない長い長い「いのち」の伝達によって、今ここに私が在る、そのことをしっかりと見つめ直すことによって、これから歩む未来のためにも私にとっては必要な時間ではないでしょうか。

日々の生活の中で、大切な亡き人と共に生活することによって、いま私のところに来ている「いのち」の願い等と出会うことが大切なのではないでしょうか。

今の時代「いのち」を振り返ることは、亡き人をしのぶことであり、目先のことばかりに執着している私を、見つめ直させてくれるのではないでしょうか。

今の私たちは、これからの一歩を出すためには、毎日の生活が、まず仏様・ご先祖様やご縁の深い亡き人たちと共に生活することから始まることが大切なのではないでしょうか。

能登路 親睦旅行に参加して

飛田 彰一

6月7日。若坊守成恵さんのご実家・本立寺様と、5月に二女の理依子さんが嫁がれた龍賢寺様を参詣してまいりました。

龍賢寺様(かほく市)は、海岸に近い街中にあって山門がとても似合う大きなお寺でした。

理依子さんは、笑顔で迎えて下さり、すっかり落ち着かれ頼もしく思いました。

本立寺様(志賀町)は、龍賢寺様から奥能登方面へ車で30分程と近く、何か不思議なご縁を感じました。

平坦地にあって遠くからもお寺の大屋根が確認できました。

丁度本堂の改修工事中でしたが、大きく立派なお寺を拝見する事ができました。

成恵さんは、その後も順調とのことでしたが、お会いして安心しました。無事出産の報を心待ちにしております。

この日の宿は和倉温泉「のと楽」。

のとのうまいもの、お酒を堪能し賑やかで楽しい宴となりました。

翌日は、宇宙科学博物館見学・気多神社・勝興寺に参拝をしてまいりました。

ゆったりとした行程で、気安く参加できる旅行会かと思います。

来年は是非参加してみてください。

合同墓地のこと

今、課題となっている終末、このことが気になっている方々が増えております。

聞光寺におきましては、何時から合同墓を造るのかははっきりしていませんが、これから1年かけて、大きさ・形・金額等を研究して、来年の世話方総会に提示したいと思っております。

ご意見や提案がある人は色々教えてください。

編集後記

皆さんのおかげで一年の締めくくりができました。

7月からは新しい年度になり、世話方総会で新しい仕事をもらい、年に負けないで頑張ってゆこうと思っております。

皆さんの手助けをいただきながら考えてゆこうと思っております。

斬新な未来的なアイディアを宜しくお願いいたします。