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書庫の中のノート

工 房 日 誌 2006年5月

2006年 5月31日

マーガレット・マーヒーの『錬金術』(山田順子・訳)を読んで思いました。日本の創作なら、女の子が「……だよ」「……だね」といった言葉遣いをすることに慣れているのに、翻訳物となると、なぜかそれは男の子の台詞だと思ってしまう(女生徒のジェスがしゃべっているのに、ローランドの台詞かと何度も勘違いしそうになりました)。翻訳物の言葉遣いは、通常、現実世界よりも数十年くらい後れがちなものなのだろうか、と。後れていないと、かえって変な感じがするのだろうか、と。

私が子どものころの翻訳小説では、女の子は「あら、よくってよ」などと言い、男の子は「きみ、待ち給え」などとしゃべっていました。いくら30年以上前でも、日常生活でこんな言葉遣いを聞いたことは一度もありません。
もともと遠い国の話とあって、違和感を持ちながらも、翻訳小説の中の人物はそういう変なしゃべり方をするのだと納得していたような気がします。
『錬金術』の訳し方は、時代を先取りしすぎていたのかも知れません。

2006年 5月26日

あしたは2か月に1度の読書会なのですが、まだ課題図書の『リトル・ソルジャー』を読み返していません。ずっと前、課題図書に決まる前に読んだきりです。なんとかなるかなあ、と思っていたのに、なんともならないまま前日を迎えました。
『錬金術』だの『かはたれ』だの、課題図書以外の本を読んでいるのではありますが。

2006年 5月20日

今日はちゃんと読書ができました。朽木祥『かはたれ 散在ガ池の河童猫』を読了したところです。かなり読ませる本でした。類似作品をあまり見かけません。

2006年 5月17日

マーガレット・マーヒーの『錬金術』(岩波書店)を読みました。ひさしぶりに読書らしい読書をした気がします。

職場が図書館に近いために、ときには昼休みに本を借りに行くこともできるのですが、本屋さんにはほんとうに長いこと立ち入っていません。買う予定もない本の背表紙をたっぷりながめて、ゆったりとした時間を過ごしたいと願っています。近ごろはインターネットで新刊の情報がどんどん入ってきますが、店頭での偶然の出会いというのも、捨てがたいところがあります。

2006年 5月10日

なんと1か月ぶりに本を読み上げました。図書館で借りた『宇宙旅行ガイド 140億光年の旅』(丸善)。児童書ではなく、ジャンルとしては天文学の本です。内容は現代の研究の成果を反映したまじめで読み応えのあるものですが、文章は一般の人向けに遊び心たっぷりに書かれていて、宇宙旅行をする人のための観光ガイドブックという体裁をとっています。読み終えたけれども、蔵書として買いたくなりました。

20代のころにはこの分野の本を結構読んでいたのですが、読まなくなって10数年も経つと、さすがに私の知識はかなり古くなっていました。古くなっていたことにさえ、気づいていませんでした。

2006年 5月7日

瞬きしている間に、連休が終わってしまったような気がします。前半は、仕事(職場の事務)をしていないと不安になる精神状態に陥ってしまい、連休中にできるだけ片付けておかないとあとで後悔するのではないかという焦りに見舞われていました。いったん仕事を手放すと、今度は放心状態になってしまいました。

昨日くらいからやっと、工房の仕事(創作)に身を入れられるようになりました。おかげで新しく書いた章をざっとプリントアウトするところまでこぎつけました。ちょっと前進です。私の本分は物語工房の業務にあるのだから、休日は何よりもそのことを考えていかなくてはなりません。
また明日から日常業務です。

2006年 5月6日

ちょっと前の話ですが、某著名人が拘置されている間に200冊の読書をしたという新聞記事を読みました。1日に3冊までだそうですが、次々と差し入れてもらえば200冊でも読むことができるようです。
ああいう場所では1日に3冊の本しか許されないという話は聞いたことがありました。だから、もしも刑務所のお世話になるようなことがあったら、どの3冊にしようかな、などと思いめぐらしたことがあります。(刑務所に入れられるような覚えがあるわけではなくて、もしも無人島に本を持って行くとしたら……という類のたとえ話ですが)
でも、本を取り替えることができるのなら、刑務所に入っても安心です。……入る予定はありませんけど。

3冊限定だったら、楽しく読める本と、感動できる本と、知識を広げられる本、がほしいですね。

2006年 5月5日

4月の読書記録を見たら、児童図書は1冊、全てのジャンルの本で3冊しか読んでいませんでした。こんなことは中学1年の春以来です。もしかしたら、5月発行予定の「本が好きだもん」22号はネタ切れで中止?
気を引き締めて、原稿の続きを書こうとしています。

宮沢賢治学会イーハトーブセンターの会報(第32号)を見ていたら、私にとっては感慨深い記事が載っていました。(「私の読む『グスコーブドリの伝記』」石黒耀)
「グスコーブドリの伝記」のラストに火山の噴火で温暖化(冷害を防ぐというプラスの意味)が起きるという設定がありますが、それが科学的には間違っているという話は、このサイトの宮沢賢治についての「断章」でも書きました。
会報の記事の筆者(石黒耀氏)は、寒冷化の事実を紹介した上で、それは当時でもわかっていたはずだが賢治はあえて逆の話を書いている。さらにもっと大きな規模の噴火だったら温暖化を想定するのも決して非科学的ではない。そのことは賢治の死後に(53年後に起きた大噴出がきっかけで)わかった……云々と記されています。

この問題は少女時代のこだわりもあったので、思わず読みふけってしまいました。賢治の没後50年のときには、私はすでに高校を卒業していましたから、学校では「寒冷化」のことしか習わなくても当然です。寒冷化がよく知られた事実であるのに対して、温暖化の方は「非科学的ではない」といった消極的な記述がされているので、そのつもりで読まなくてはならないと思いますが……。
下手な要約をしてしまって、石黒氏にはご迷惑をおかけしたら申し訳ありません。

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