4.

 深い渓谷部を抜け平坦部に近づいた最後の二日間は流れも次第に穏やかになったので、 日本から持参したファルト(組立式の布製カヤック)で下った。ずう体の大きいラフトにとっては大したこともない瀬や落ち込みも、一人乗り用の小さなカヌーにとっては恐ろしく大きく見え緊張の連続であった。それでも、日頃キャンプ生活では私をバジェ、バジェ(ネパール語で年寄りの意)と呼んでいたガイドや欧米の若者達に、勇猛果敢なパドルさばきを披露し、みな驚いていたので大いに溜飲をさげることができた。
最後の二日間はこのファルトで下った。
                   5.

 そうした日々、野営した川原で行き逢った子どもたちの汚れを知らぬ目の輝きと、その生きる逞しさが強く印象に残った。文明から取り残された山奥の子どもたちの服装は、並べてボロ布をまとっているというに等しく裸足の子も多い。
  夕方私たちのラフト三隻が野営のために接岸すると、その子らがわれ先に走ってきて荷降ろしをを手伝ってくれるのである。他の者に先んじて少しでも有利に、ビールやジュースの空瓶回収の権利を獲得しようというわけである。ビニール袋も、彼らにとっては貴重品で大切に持ち帰って行った。
スン・コシ(黄金の川)を下って
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( 9) エッセイ