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■06-1:分かりやすい靖国問題と「おまけ」■

06:分かりやすい靖国問題と「おまけ」◆初期のファイル:06-306-2/06-1◆

靖国神社が作られた目的とその理由。国の管理から、宗教法人へと変化した理由。

『靖国参拝』

小泉君が、自民党総裁選で靖国参拝を「公約」して、参拝時には「内閣総理大臣」と署名していた事実がある以上は絶対的に公用であり、「私用で行ったのに何が悪い?」と言っても全く理屈が通らないばかりか、への突張りにもならない。

今年(05年)10月の参拝方法は多少変更して行われたが、国民の税金で購入した高級公用車に乗り、国民の税金で雇っている役立たずボディーガードのサラリーマン数十名を引き連れていることの一体どこが私用なのか?

言動レベルが小学生と変わらないこの人物が、日本国政府代表の総理大臣とは泣けてくる。これが国民の代表だとは、とてもじゃないが夢の中でも思えない。

ではなぜ、日本の総理大臣が靖国神社に参拝しただけで、国内や各国政府から批判の声が上がるのか。

過去の侵略戦争で、近隣諸国に2千万人以上の死亡者と甚大な被害を与えたことに対して、すべての日本人の戦後責任に対する認識と平和思想が、十分に納得してもらえるだけの「謝罪・対応・説得力」に関して、欠けていることが挙げられる。

そして、9月11日以降、一部の国や政府を「大量破壊兵器を持っているから、テロ国家だ」とうその理由で自国民や全世界をだまして、一方的に武力侵攻を繰り返している世界一のならず者国家であるアメリカの無差別大量殺りくに加担して、世界有数の軍隊である自衛隊を海外に派遣しているという危険な行動が挙げられる。

『靖国神社とは』

1869年(明治2年):戊辰戦争の「官軍戦没者の慰霊」のため、明治天皇によって「東京招魂社」が創建される。

それに対して、「反政府の戦没者は国賊」として、慰霊の対象になってはいない。明治維新の重要人物である「西郷隆盛」でさえ、西南戦争での明治政府に対する「国賊」として、慰霊の対象になってはいない。

1879年(明治12年):「東京招魂社」は「靖国神社」と改称される。

1887年(明治20年):当時の旧日本陸軍と旧日本海軍に共同管理される。

「日本国の主権者は天皇である」として、大日本帝国憲法によって定められ、その日本国家のために戦って死亡した「天皇直属の軍人」だけが、「神様」として祀られている。

民間人が戦争で死亡した場合や軍人でさえ戦争以外で死亡した場合は祀られてはいない。

この神社は、「死者を選別して祀る」という「特異な部分」に、最も大きな「特徴」がある。

また、明治維新から昭和20年の終戦まで、戦死者が新たな神様として合祀され続け、「神様」の数が増え続けるという「特異な部分」もある。

当時、死亡率が高かった日本の軍隊には、国民を軍人に仕立て上げて戦死することへの「意味合い」が必要であり、「軍人として戦死すれば、だれでも『神様』になれる」という「名目」が作られた。

靖国神社を信仰することが、全国民の義務として強制され、そのほかの宗教は弾圧された。

その信仰こそが、唯一の誇りだと決めつけられ、「天皇陛下バンザイ」「大日本帝国バンザイ」と叫びながら、軍国主義日本の「精神」として、国民はその命を戦場で散らせて逝った。

1945年(昭和20年)12月:連合国最高司令部(GHQ)は、信教の自由を保証しながらも、国家が特定の宗教を利用して、国民を狂信的な思想に導くことを繰り返さないように手段を講じる。

1946年(昭和21年):連合国最高司令部(GHQ)によって、その存在を消滅させられることを防ぐため、「国家直属の管理」を離れて、東京都知事が所管する「一宗教法人」になる。

新憲法でも、国家が宗教を国民の思想誘導に使うことを禁止して、第20条3項で「国及びその機関は、いかなる宗教活動もしてはならない」と、国家による宗教活動の関与を厳しく禁止する「政教分離」が規定された。

1950年(昭和25年)6月:朝鮮戦争が勃発する。

1951年(昭和26年)4月:吉田首相が自衛隊の前身である「防衛隊」の新設を言明する。この年、「サンフランシスコ講和条約」と「日米安全保障条約」が調印される。

1951年(昭和26年)10月:吉田首相が「政教分離憲法を無視」した戦後初めての参拝を行い、現在も繰り返される首相参拝の悪行事の礎となり、その後に天皇・皇后の参拝も繰り返される(天皇・皇后の参拝は、A級戦犯が合祀されてから行われてはいない)。

また、東条内閣の閣僚であった「賀屋興宣などの戦前勢力」「神社本庁」「遺族会」などによって、「国営化」にもどそうという動きが活発に続いた。

1978年(昭和53年)10月:東条元首相以下A級戦犯14名が「戦争殉難者」として祀られてしまう。
「本当の意味」で、あらゆる戦争犠牲者に対する慰霊を行ってこそ、「すべての慰霊に対して永遠に平和への祈りをここに誓います」と、全世界に向かって初めて発言ができる。日本だけとかアジアだけとかではなく、全世界に向けた全人類の平和でなくてはならない。過去の侵略戦争で、近隣諸国に対して甚大な被害を与えたことを決して忘れずに、国として責任ある姿勢を持ち続けることが、政府として政治家として人間としての当たり前の姿勢である。
あらゆる戦争犠牲者の霊を慰める意志が「本当」にあるのであれば、たとえ規模が小さくても、それにふさわしい「新しい慰霊施設」を造り、政治責任者共は毎年参拝して、毎回「土下座」すべきである。実際には、すべての戦没者のための慰霊施設である『千鳥が淵の全国戦没者墓苑』が、以前から存在しているにもかかわらず参拝されていない。
何よりも、この国のために異国の地で命を捧げて逝った人々の「調査」をするべきである。戦後60年経った今日まで、何の調査もしてこなかったこの国の政府のどこに、「哀悼の意を表する」などと発言ができようか。
政・官・財の連中が行ってきたことは、国民に重税を強いて自らのふところを肥やす以外には何もない。各省庁の悪行によって、国民が死に続けても何もせず、責任も取らずに堂々と生きている。
戦争の悲惨さや消えることのない罪に対する反省もなければ想像することさえできず、過去に日本が近隣諸国にどれだけ甚大な被害を与えたのかさえ理解していない名ばかりの若い政治家共や小泉君に同調するばかな輩で埋め尽くされている。
そんな連中に投票している「押し流されても気付かない国民」が、多いことも悲しい「現実」である。

ちょっと話がそれてしまうが……「おまけ」。

かといって、第二政党と言われる民主党も心許ない。その民主党の元党首である岡田君は、「自衛隊海外派遣反対」と勇ましかったが、訪米して耳打ちされ帰国したとたんに、テレビの全国放送で「自衛隊を海外に派遣する」と思いっきり発言してしまい、一気に支持を失った。

そのころは、「自民党が支持を失っており、民主党が次期政権を取るかもしれないということをアメリカ政府が懸念しての行動」だと囁く輩がいたが、残念ながらそんな単純なことなどは有りえないのである。全国ネットで、「浅はかな思考」を正々堂々と見せびらかす必要はどこにもない。政治が単純なものであれば、「暗殺」される方々は全世界から1人もいなくなる。

アメリカ政府の目的は、最低でも同時に3つ存在していた。

その一:民主党への期待と見せかけて「自衛隊海外派遣」を約束させた上で、帰国後その約束事を発言させて支持者の信用を失わせ、支持率を下げる目的。

その二:たとえ実際に自民党が敗れても「次のえじき」である民主党は、すでに言いなり状態にしている。

その三:日本国民の政治や政党に対する「観察力」「理解力」などに関する「データ収集」「分析」が目的であり、その「結果」を何に使うのかは「想像」に任せます。

この地球上で最もばかなのに最も悪知恵が利く国は、アメリカであることを忘れてはならない。所詮、人間が感じること・できること・考えることなどは高が知れている。

しかし、大きなやっかい事がいくつか存在している。その中の1つには、科学や軍事兵器のレベルが一般に認識されている領域や想像できる領域の遥か彼方に到達している「すさまじいレベル」だということであり、それらを「以前」からアメリカが持っているという「現実」である。

「2006-02-09:追記」
『小泉君の発言』:一国の首相が、一政治家として一国民として戦没者に感謝と敬意を捧げる。「精神の自由」と「心の問題」について、「政治が関与する」ことを嫌う言論人、知識人が批判することは理解できない。ましてや外国政府が介入して、外交問題にしようとする姿勢も理解できない。という発言を永遠に繰り返している。

「一国の首相」は、「一政治家」でもなければ「一国民」でもない。一国の首相とは、「全日本人の代表」である。そのとてつもなく大きな責任を全世界の人々に対して、表明したり行動したりしなければならない。
その最も重要な「立場」そのものを理解せずに、気ままな「その場しのぎ」の発言や行動が、どれだけ多くの問題を作り出しているのかを認識はしていても、全く理解はしていない。自らが政治や外交問題を作り出している「張本人」であるということが理解できていない。
その発言や行動は、そのまま日本という国の考え方や行動として、外国政府に「認識」されるということを。そもそも「精神の自由」や「心の問題」は、「権力の干渉から個人の思想を守る」ために存在しているのであり、国の代表である首相や政治家共のためにあるのではない。
「精神の自由」や「心の問題」を主張するのは、一国民にもどってからのことである。そういう基本的なことも理解していない名ばかりの「アホ」な政治家共で埋め尽くされているのが現状。
戦後60年間アメリカ政府の圧力に押しつぶされ続けてきたことはたなに上げて、「外国政府の圧力で参拝をやめるのは本意ではない」などという発言を繰り返している「気狂い」政治家共が後を絶たない。この場合のそのものが「心の問題」である。外国政府から言われようが言われまいが、そんなことは本質的には何ら関係がない。
例えば、「一部の戦没者だけではなく、すべての戦争犠牲者に対して参拝しなければならない」と考えるのであれば、そのとおりに動けばいいだけのことである。その意識の在り方と行動に対して、異議をとなえる人間が存在する訳がない。
万が一、その行動に異議をとなえる外国政府が出てきた場合は、その時にこそ徹底的に闘えばいい。それが人間と人間の「正常」な戦いであり、国と国の「正常」な戦いである。
外国政府にとっては、「日本国代表者である首相の心の問題から起因している政治問題」だからこそ、怒りを表明しているのである。小泉君にとっては、「心の問題」ではなく「オツムの問題」と「情の問題」であるのだが。
「情の問題」に関しては、自らの悪政によって毎年約4万人の国民が自殺をしても「知らぬ存ぜぬ」を貫き通せることを見れば一目りょう然。彼には「心」そのものが存在しない。
外部からはアメリカ政府、内部では宗教ざんまい。

「2006-04-22:追記」
戦前から続くこの国の『病巣』

4月21日:「超党派」の衆参両院議員で作る「皆で靖国神社に参拝する国会議員の会」の96人が、春季例大祭中の同神社を参拝。

国会議員96人が靖国参拝。国民の財産を湯水のように使っているポストである元自民党幹事長であった日本遺族会会長の古賀誠君が、「心の中で分祀」と発言。

「心の中で分祀」とは何を意味しているのか。何よりも『心』そのものがない『分際』で。そのくさり切った「脳みそ」を死ぬ前に1度だけでも掃除しておけ。
ほかには、前厚労相の尾辻秀久君、元経産相の平沼赳夫君。現職閣僚はいなかったが、内閣府の山谷えり子君、環境省の竹下亘君ら6人の政務官など……自民・民主・国民新党などの議員が参加。

古賀君は、記者会見で新たな国立追悼施設の建設を求める声があることについて。「認める訳にはいかない。靖国神社こそ唯一の追悼施設だ」と批判した。

この「発言」は、当時の政府・軍の気狂い上層部が始めた戦争のために、『犠牲』になり続けた国民や周辺諸国の人々の『命』など、「頭の中」や「心の中」に「みじん」もないことを『証明』している。
これら気狂い共のために、国民は常に犠牲になってきたのである。この犠牲は、この日本が建国されてから永遠に続いてきた「真実」である。それは、この日本という国だけに限られたことではない。それが現実である。
だからこそ、いまだに国内での「戦争責任追及」がなされていないのである。他国の場合、厳しく追及が行われる。自国の責任を自国で全うする。当たり前のことである。
でなければ、諸外国からは『反省をしていない凶悪な国』として認識される。いくら口先三寸で「反省」しています、と繰り返しても『人々の心』には永遠に届くことはない。
『党利党略・政教一致』戦前戦後、国民不在の政党だけの利益や策略で、国民を死に追いやり、私利私欲で暴利をむさぼり、政治と宗教が分離されているという名ばかりの法律で国民をだまし続け、実際には政治と宗教が密着し続けている現実。

「2006-05-05:追記」
「靖国終わっても問題解決せず」

5月3日:ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)主催の講演と質疑で、外相(脳・外傷)の麻生君は、「靖国問題が終わったからといって、ほかの問題がすべて解決することは有りえない」と発言。
この発言を聞いたアメリカの友人(軍関係者や一般人)が、「彼(麻生君)はクレイジーだ」と伝えてきた。つまり何を目的として話しているのか、何について話しているのか、が全く理解できないと。
それは当然だと答えた。靖国についても自らが問題を発生させているにもかかわらず、相手の責任としてたなに上げる姿勢は、クレイジー(気狂い)そのものである。
その上、靖国問題が解決してもそのほかの問題は解決しないと「断言」している点は、スーパークレイジー(超気狂い?)と言わざるを得ない。これは人としての物事に対する基本的な考察力に異常な問題があることを指し示している。

「中国の国防費が18年連続2ケタ増について指摘。自らの軍事力の透明性の向上が重要」と発言。

この期に及んでも、見当違いな「茶々を入れる」姿勢は、孤高のクレイジー小泉君とソックリである。これが日本国代表の外相(脳・外傷)である。
祖父の吉田茂元首相が進めた経済優先・軽武装路線を引き合いに出して、「日本は経済繁栄と民主主義を通して平和と幸福を得る政策を一貫して進めてきた」と発言。
民主主義??平和と幸福??政官財と一部の気狂い共のためだけにあらゆる法案を可決し、自らだけが裕福な生活を満喫している現実。95パーセント前後の国民が貧困にあえいでいることの一体どこが幸福なのか。
先月の4月28日には、「伝統と創造の会」の稲田朋美君(会長・怪超)など自民党新人衆院議員メンバー21人の「お子ちゃま達」が靖国神社を参拝している。
昭和27年4月28日:「サンフランシスコ講和条約が発効され、日本が主権を回復した記念日」として、何1つ現実を知らない「お子ちゃま達」が元気に活動している。それも国民が汗水たらして作っている財産を食いつぶしながら。
「国家の指導者の国家観を知る上で非常に重要な問題だ」と発言している本人そのものが、何も理解していないという哀れな思考と現実。
この「お子ちゃま達」に効力のある「魔法の薬」はない。よって「悪魔の薬・タミフル」でも与えるしかないだろう。しかし、すでに飲む前から「脳がスポンジ状」であることは想像できるのだが。

「2006-05-11:追記」
経済同友会の極めて正常な「靖国自粛提言」に批判が相次いでいる。

昨日5月10日の小泉純一郎君:「日中間の経済関係は今までになく拡大しているし、交流も深まっている。参拝が経済に与える影響はない」と発言。
これまでと同じように「身勝手の極致発言」で終止している。
あ官房(赤ん坊)長官の安倍晋三君:「首相は国のために戦った方に手を合わせ、追悼の意を表するためにお参りしている。靖国参拝の意義が誤解されているなら、しっかり説明していかないといけない」と発言。
A級戦犯は、国のために戦って死んではいない。つまり『戦死』してはいない。その事実を分かっているのか、赤ん坊の安倍君。何よりも『すべての戦争犠牲者』に対して『哀悼の意』と『追悼の意』を表するのが、正常なオツムを持つ『人間の心』の在り方である。
もう1つ付け加えておくと、小泉君は首相になる以前に「参拝」してはいない。この事実が何を物語っているのかは以前から明記している。分かったか、安倍君。
「ばかにつける薬はない。ばかは死んでも治らない」。君達のような「無価値の存在」のために、先人の方々が残された言葉である。有り難く頂戴しておけ。
「平和靖国議連(平和を願い真の国益を考え靖国参拝を支持する若手国会議員の会)」会長の今津寛君:「経済的利益の追求に偏し、国家存立の基盤である精神文化の尊厳を見失う」と発言。経済同友会を強く非難した。
このような欺まん発言は、ほとんどの国民がすでに聞き飽きている。経済、利益、追求…。国家、基盤、精神、文化、尊厳とは。何1つ正確に認識することさえできない愚か者共が、もっともらしい発言だけは一人前に行っている。この奴隷国家は主権国家ではない。そこに精神文化の尊厳などみじんも残ってはいない。
8月15日の靖国参拝について…小泉君:「適切に判断する」とだけ発言。
これもおなじみの「言葉遊び」である。この言葉ほど、何にでも使用可能で便利なモノはない。国会での弁論もこの言葉1つで乗り切れるのではないだろうか。
実際問題として「適切に判断」されたモノは、『何1つ』ないことは言うまでもない。

「2006-06-04:追記」
「靖国参拝するのか」を明言しない『行き当たりばったり』の安倍君。

昨日の6月3日:赤ん坊長官の安倍晋三君が、TBSや不治テレビなどのメディアでプロパガンダに勤しんでいる。靖国神社参拝について安倍君:「今の段階で行くか行かないか言うつもりはない。言うことで『外交問題』に発展する。政局に絡んで言うべきでない」と発言。
これは笑える。行き当たりばったりの発言は、正に気狂い政治家の「真骨頂」である。日夜、靖国参拝を主張し続け、正当化することに時間を費やし、他国にとやかく言われる筋合いはないと声高らかに言い続けてきた分際で、『選挙』の2文字がちらつくと、とたんに日ごろの言葉とは裏腹な「気にしている」という『本心』が顔を出す。
そこには恥も外聞もない。「外交問題とは関係ない」と言いながら、「外交問題に発展するから発言しない」とは『軟弱にもほどがある』。このようなオカマちゃん共が、この国の政治家・官僚としてそのアホ面を国内外に見せてきたのである。
もしこのような輩が、戦場で敵の手に落ちた場合、どういう行動に出るのか、嫌と言うほど「理解」できる。ハッキリと言えることは、決して信用などできないのはもちろんのこと、共に命を懸けて戦うことなど永遠にできないということである。たとえ炊事・洗濯だけの仕事でも任せられない。同じフィールドには絶対に入れない輩である。
中国側に対して安倍君:「この靖国参拝問題を解決しなければ首脳会談をしないという姿勢は間違っている。いかにも居丈高だ。首脳会談の場で主張するべきだ」と重ねて批判。
正常な発言を行っている相手に対して、「頭から批判する気狂い姿勢」は、小泉君と全く同一である。間違った信仰に基づく精神性や意志を主張することは、だれであろうとも決して許されはしない。その上、政治の世界に持ち込むとは「正気のさた」ではない。
以前にも触れているが、問題は「正しい答えであるのかどうか」ということ。本来、「ゆるがない物事の真意に関する問題は、それこそ外部の声など関係ない」のである。外部からの如何なる影響も受けてはならない。本当の意味で、真に正しく強い『信念』というものを持たなければならない。
中国側の強硬姿勢の背景について安倍君:「中国国内で1年間に4万件以上の暴動がある状況で、この問題で後ろに下がると中国共産党政権に厳しい状況になるかもしれないということだろう」と発言。
無理に違う話題を持ち出してきて「こねくり回す姿勢」も小泉君と全く同一である。
これまでこの靖国問題の核心部分についても分かりやすく明記してきた。物事の「本質部分」がどこにあるのか。彼ら気狂い共がいかに「勝手気ままな演説」を繰り返してきたのか。いかに「本物のばか」であるのか。

「2006-06-22:追記」
靖国神社の「政府管理と宗教法人見直し」発言。

日本遺族会会長を務める自民党の元幹事長である古賀誠元君:「国家護持の施設として宗教法人格をはずす議論を始めないといけない」と発言。「遺族会として『国家護持』という大きな旗を、もう一度掲げたい」と発言。
戦後、幾度となく叫ばれてきた実にばかげた主張である。
国内には、政治家共が所属している「ばかげた団体」が数多く存在している。その中でも、靖国神社が絡む主義・主張のものが多い。
同じような発言は、数日前にも「外相の麻生太郎君」が言い放っていたばかりである。
戦前の気狂い共が、宗教をからめた軍国主義を主張し、日本はその「ゆがんだ方向」へ突き進んだ。国民はいやおうなしに、その「狂った主張」と「勝手な信仰」に従うことを強要させられた。
国内外での残酷な殺りく。原爆投下。そして、終戦。
以前触れているが、1946年(昭和21年):GHQによって、その存在を消滅させられることを防ぐため、「国家直属の管理」を離れて、東京都知事が所管する「一宗教法人」になった。
それをまたぶり返すことに、何の意味があるのか。兵士として戦い、死んで逝った者だけが、神として祀られるというばかげた信仰をいまだに敬っている気狂い共。
私の父親は、当時本土防衛のために東京で従軍していた。旧日本陸軍のある部隊の部隊長として戦った。戦後も悲惨な経験を両親から聞いたこともある。
その父親が一貫して心の奥底に持っていたものは、軍上層部の「逸脱した」主義・主張に対する「憤り」だけであった。
戦時中は、そういうことに関する話は「タブー」どころではなく、「絶対服従」という文字しかなかったことなど様々な話を聞いている。戦後、生き残った戦友達も同じ意見だったと語っていた。
いまだに「戦争の責任」も追及せず、反省もなく、世界の人々に「軽視」されている「恥ずべき国」日本。アメリカの「言いなり」になることで、生き延びてきた「恥ずべき国」日本。
日米同盟と叫んでいるのは、気狂い国家の代表小泉君と閣僚共、そして気狂いチルドレン共『だけ』である。小泉君や閣僚共も過去の日米関係に気付いていない訳はない。
常に「脅し」と「圧力」だけだった事実を。それは国民から見ても明白であった。その国民からの見た目を小泉君なりに「変更」したいと考えていたことは手に取るように分かる。
その挙げ句の果てに出てきたものは、「私達は仲がいい」というパフォーマンスを「積極的に行う」ことであった。
そのパフォーマンスを成し遂げるため、場合によってはアメリカが要求してくる前に、率先して「OK」を出すことであった。それが小泉内閣という欺まん団体の『本質という中身』である。
彼らが考えている物事の次元は、非常に『浅はか』である。そのようなばか共が、神をたたえても何も生み出せはしない。
神そのものの存在を否定はしないが、1つだけ言えることがある。
それは……神そのものの存在は、決して『この気狂い共のためにあるのではない』ということである。

「2006-06-29:追記」
『勝手気まま』な演説。

小泉君:「靖国神社に何回行こうと問題ではない。個人の自由ではないか」「適切に判断する」と発言。
国民の税金で遊びまくっている「孤高のスーパークレイジー」には、やはり人間の言葉が通じない。
オンタリオ州南部にある全長800メートル、高さ50メートルを超える「ナイアガラの滝」を視察。「きれいだね」を連発。「滝の壁がグリーンだと思ったら、流れがグリーンだね」と意味不明な発言。
それよりも設置されている望遠鏡を「逆さま」から覗き込む「間抜け」な姿が全世界へ流れる。
その間抜けな姿を見て、これは「すでに死んでいる」と感じたのは、我々だけではないはず。

「2006-07-24:追記」
赤ん坊(あ官房)長官の安倍君:「分祀は靖国神社や御遺族が判断すること」と発言。

だからどうした?……。それがどうした?……。何が言いたいのか…さっぱりである。赤ん坊のために「意味不明」としか言い様がない。
せんだって、昭和天皇が靖国神社の「A級戦犯合祀」に対して、不快感を抱いていたことを示したメモが発見された。
戦争犯罪者であり、戦争責任者である『凶悪な犯罪者共』が、戦前の気狂い軍国主義により、『神』として祀られていることがそもそも『スーパークレイジー』である。
以前に明記しているが……軍国主義を貫き、すべての国民を誘導し、洗脳し続け、戦争へと突き進んだ『国家の凶悪な組織犯罪』。にもかかわらず、いまだに『戦争責任追及』という『重大な義務』を果たしてもいない気狂い奴隷国家日本。お話にもなりませんな。
戦争に突入した要因は、何もA級戦犯にだけある訳でなく、イギリスやアメリカの『策略』に追い詰められたという戦略的側面もある。
が、それを抜きにしても『戦争の責任』を自らが問い質す『義務』がある。でなければ、再び同じ重大な過ちを繰り返す危険性が高い。
決して、同じようなことが起きないように、全力を傾けて戦争の『責任追及』をし、国内外に対して心から謝罪と反省を示さない限り、本当の平和への一歩は踏み出せはしない。
たとえ自らが一歩を踏み出せたと『思い込んで』いても、それは『幻』でしかない。更には、それ以前に周辺諸国が認める訳がない。
凶悪な人体実験を行ったことは、紛れもない事実である。犠牲者の数こそ、違いはあるものの犯した罪は決して消えはしない。
ましてやその『実験データと人物』を気狂いアメリカとの『物々交換』に使ったことも事実である。その『悪魔の技術』が、現在の『生物・化学兵器』のもとになっていることも事実である。
極東国際軍事裁判(東京裁判)の『真意』について、ガタガタ文句を言い続けても何も生まれはしない。敗戦国は常に虐げられることは『世の常』でもある。それがクダラナイ人間の本質の一部でもある。
だからこそ、それらの悪しき『存在』をモノともせずに、自ら率先的に前に進まない限り、その悪しき『存在』をはね除けることなどできはしない。
それが本当の『反省』と呼べるものである。周辺諸国がどうだの、ああだのと言っているオツムの次元では、物事の真意など『一生涯』見えることはない。
ついでに……赤ん坊(あ官房)長官の安倍君:2002年9月の日朝首脳会談で『金正日総書記』と会った際の印象として、「論理的な話のできる、合理的な考え方をする指導者」と発言。「拉致問題解決を念頭に、しっかり先を読めば、結果を追求できる」と発言。
この赤ん坊はどこの星からやってきたのか?……。だれが連れてきたのか?……。ほかに言うことは何もない。実に『バカバカ』しくて何も思い付かない。あえて言うとするならば、小泉君のスーパークレイジー度が『一子相伝』であることに間違いはないという事実だろう。
赤ん坊(あ官房)長官の安倍君:7月5日の北朝鮮ミサイル発射について、「北朝鮮は何をやるか予測しにくいという評論があるが、『予測可能』な国だ。アメリカとの2国間交渉する目的のためにミサイルを発射した」と発言。
非常に笑えますな。だれよりも動揺しまくっていた醜態は、どこへ消えてしまったのか。本当に『予測(または把握)』できていれば、我々のように『ガタガタ騒ぐ必要などない』と当日に言い放っているはずだが。そもそも「騒ぐ必要はない」と発言していた者は、記憶の限り「ただの1人」も確認してはいない。
『のど元過ぎれば何とやら』を「(幼)児(?)で行く」見本のような『カス』ですな。このような『本物のばか』が「首相」になったらとんでもない「生き地獄」になることを、ほとんどの国民は小泉君という『前菜』でよく理解できていると共に『予測』できると思うが。

「2006-08-04:追記」
あ官房(赤ん坊)長官の安倍晋三君:今年4月15日に靖国神社を参拝していたことが明らかになった。本殿に入り『内閣官房長官:安倍晋三』と記帳した。

この事実に対して、質問を受けた安倍君:「行ったとか、行かなかったとか言うつもりはない」と発言。「私人の立場で行ったので、参拝は自由だ」と発言。

スーパークレイジー小泉君と『全く同じ言い訳』ですな。自らの『行動』でさえも正々堂々と認めない『ばか』が、この国の総理大臣になろうとしている。
「内閣官房長官:安倍晋三」と『記帳』しながらも『私用』だと言い張る「気狂いぶり」。しかも『SP:警護官』付きでの参拝。
これから先、この国の人々には『更なる地獄』が待っていることだけは間違いない。

Status:2005-01-10〜作成

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