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■06-2:分かりやすい靖国問題と「おまけ」■

06:分かりやすい靖国問題と「おまけ」◆初期のファイル:06-3/06-2/06-1

消えゆく軍国主義への反省とそれを推進する靖国参拝擁護集団の群れ。

『靖国参拝』

なぜ、靖国神社への参拝が「問題」を発生させているのか。

繰り返されてきた「靖国神社の『国営化』提案』という「ばか主張」とそれを推進する「麻生君」。

麻生太郎君:宗教法人である靖国神社の自発的解散を前提に、設置法を制定し、特殊法人「国立追悼施設靖国社(招魂社)」に移行して「国営化」するという主張。
よって、天皇・首相・外国首脳の参拝も可能とする目的のようだ。が、靖国神社が作られた目的は以前にも明記している。
それを認識しているアメリカが、戦後「靖国神社」の抹殺を考えたものの、残したい日本側は国営から宗教法人へと変換させ、窮地を脱したことも以前に明記している。
国家が行なった『カルト宗教』そのものである。「戦場で、戦闘によって死んだ者は、『神』として祀られる」という『狂った定義』を全国民に押し付けた恐るべき『軍国主義の象徴』である。
小泉君は幾度となく、「靖国参拝に対して『中国と韓国』だけが異をとなえている」と言い放ってきた。が、これも『デタラメ』である。公共の電波を使い、平然とうそだけをまき散らす気狂い首相。
アメリカでさえもそのほかの諸外国もすべて『反対の意』を表明している。それは、靖国神社に関する歴史そのものを把握しているからにほかならない。
それでも、国内の鬼畜自民党を始めとする「軍国主義者共」は、『靖国万歳』を発狂している訳である。物事の本質をよく把握してもいない「お子ちゃま達」や、それらの本質を覆い隠そうとしている「欺まん詐欺師共」の三流役者達による演技の数々。
戦争責任追及も行なわず、本当の反省もないまま、この国はどこへ向かおうとしているのか。我々国民は、この日本という国を「正しい位置」にもどすべく、行動を起こさなければならない。

「2006-08-08:追記」
靖国参拝を擁護している者は、何も気狂い政治家共だけではない。日ごろは様々なメディアに出演して、鬼畜自・公の悪行に対して牙を剥いている者達でさえ、靖国問題に話題が変わったとたん、急激に擁護する側へとそのアホ面を変化させている。

我々国民が今生きているこの国を守るために、命を懸けて戦場で戦い、そして心ならずも散って逝った人々に対して「哀悼の念と共に、祈りを捧げる」ことは、人間として『当り前』である。
そして、すべての人々が祈りを捧げると共に、戦争という過ちを今後絶対に再び繰り返さないことを誓うことも『必要』である。それらのことに関しては、些かの問題もない。
しかし、考えなければならない問題の部分は存在し、その内容はこれまで再三明記してきたように「終始一貫」している。
靖国神社の存在そのものやその異様な宗教感は、『カルト宗教』そのものであり、『軍国主義』の象徴そのものである。問題の根元は『そこ』にある。戦場で死ぬことを『強要』された多くの人々。その『象徴』そのものが靖国神社である。
突き詰めて考えた場合、A級戦犯がどうのこうのということなど、本来はどうでもいいことなのである。数十万人、数百万人の日本人やこの国のために戦わされた他国籍の人々を虐殺し、焼き殺し、占領し続けている国。国家間の盟約を簡単に破棄した上に、侵略し、数十万人の日本人を極寒の地へと抑留し続け、領土も返還しない国。
極悪度で言えば遥かに日本の上をいく戦勝国共が、言いたい放題・やりたい放題で行なった『裁判』などに『意味』はない。そんなモノはどうでもいいのである。
更には、いまだに「日本の戦争は侵略戦争ではなかった」と言い張っているばか共が多いことも悲しむべきことである。確かに、欧米列強は「最後の地域」である「アジアの国々」を侵略してきた。当時、自力で戦える国は、日本とそのほかに1カ国(タイ王国)あったかなかったかくらいのものだった。残された道は、戦うこと以外にはなかった。
当初日本は、侵略され、植民地化されつつあったアジアの国々を解放するような形で、侵略国の軍隊を駆逐していたことも事実である。が、それ以前に開始していた「朝鮮半島・中国大陸」への侵攻は、『欧米の策略』にはめられていたのである。詳しい記述は省略するが、欧米は日本を「たたく」ことを以前から考えており、先の太平洋戦争へ巻き込むための布石として、「旧日本軍内部」へも「工作員を侵入」させるほどに入れ込んでいた。いずれにしても「はめられようが、はめられまいが」大陸への侵攻という『侵略戦争』であったことはゆるぎない事実という歴史(表面上の歴史では「日本の中国侵攻に、敵対していた欧米」という構図になっている)と数々の証拠が残されている。
そして、問題の本質は『他』にある。それぞれの歴史的事実は予備知識としてのモノであり、考えなければならないことはほかにいくらでもある。
靖国問題に関しては、この「カルト宗教と軍国主義の象徴」のために死んで逝った犠牲者を、それらの象徴そのものの『施設』に祀っていること自体が『異様』なのであり、祀られている戦争犠牲者達は決して『成仏』などできる訳がないということである。
それらの象徴のために命を犠牲にさせられた一般の人々も同じく、その『犠牲者』であるということ。つまり、『狂った国家の犠牲者』であることが共通しているという事実である。
要するに、戦場で死んで逝った兵士達も、戦場と化してしまったそれぞれが生きていた地域で死んで逝った人々も『同じ供養の施設』で祀られることにこそ、『意味』があるということである。
それが行なわれてこそ、初めて『戦争に対する反省の道』が開かれると共に、「『思想』というモノが『いかに危険』なモノであるのか」ということについて、多くの人々が『認識』し始めることができるのである。
世界一凶悪な犯罪者に媚びて生きる哀れな日本という気狂い奴隷国家。『こんな気狂い奴隷国家のために、命を懸けて戦場で戦い、死んで逝ったのではない』とすべての犠牲者がそう言っている。
アメリカを始めとする国々は、皆、日本は「奴隷国家」だと言っている。「同盟」でもなければ、「友達」でもないと言っている。他国からの客観的な鋭い答えを完全無視している『ばかで無能な者だけの集まり』である自・公の面々。
北朝鮮が攻撃を仕掛けてくると本気で考えている『鬼畜自民党』の面々。ばか共は、墓場までそのばかさ加減を持っていくのだろう。それは勝手にすればいい。が、多くの国民はそれに付き合ってなどいられない。
この先、何が起ころうとも北朝鮮が日本に攻撃を仕掛けてくることは、現実としてまず考えられない。この気狂い奴隷国家日本は、アメリカ側のプロパガンダに操られ、せっせと軍事兵器を購入させられているだけである。
これらの現実は、死んで逝った犠牲者の人々の御霊を侮辱し、汚していることにほかならない。

「2006-08-10:追記」
8月9日午前:小泉君が「8月15日の靖国参拝の公約は守るべき」と言い放った。

以前、『この程度の公約を守らないことは大した問題ではない』と発狂した同じ気狂いから発せられている『言葉』のようである。
小泉純一郎君:終戦記念日の8月15日に靖国神社を参拝すると明言した2001年の自民党総裁選での公約に関し、「公約は生きているから、守るべきものだと思っている」と発狂。「いかなるものについても、皆さんも公約は守るべきものと思っているのではないか」と発狂。
戦前・戦後、『国のカルト宗教・軍国主義の犠牲になられた遺族』のことも『理解していないばかの集まり』である『遺族会』への御奉公として参拝すると発狂している小泉君である。
本来であれば、遺族会そのものが国の危険な思想と国民誘導、そして戦争責任についての追及を求めなければならないにもかかわらず、『遺族の犠牲』にぶら下がって生きているばかの集まりでしかない。
戦場で、この国の中で、心ならずも死んで逝った人々が、いまだにどれだけ苦しんでいるのかも理解できないばか共である。遺族自らが、犠牲になった身内を『侮辱』していることに気付かないばか共である。
物事の本質も見抜けず、理解できないものが寄り集まっても何1つ生み出せはしない。
戦後61年間という長い年月が経過してもなお、いまだにその本質が理解できないとはばか以外の何ものでもない。
死んで逝った者達がいまだに成仏さえできないまま苦しんでいることを死ぬ前に1度考えてみるがいい。
日本人のDNAには、この国ができてからこれまでの間、『世にならう』という得体の知れない『モノ』が組み込まれているようである。
常に周りを見て生きる。同じように生きる。そこに主体性などみじんもない。それでも、その一連の自らの動きを客観的に見ることも分析することもない。
常にほかの人が「そうしているから」「そう言っているから」という理由付けで、自らの行動を同じようにすることに決めてしまう。
その悪しき『体質』が、カルト宗教の『温床』になっているのである。「あの『有名人』が入っているから」とか、「あの『スポーツ選手』が入っているから」とか。そんな理由だけで『自らの人生』を決めてしまうばか人種。それが日本人の悪しき一面である。
有名なカルト宗教団体であり、その急先ぽうでもある『創価学会』。その『クソ処理場』に所属している芸能人・タレント・スポーツ選手(現役・引退)などの何と多いことか。
日々メディアにそのアホ面を出しているカルト宗教所属タレント共は、スポンサーなどの金の力によって様々な番組に出演し、そのアホ面を売り出されているのである。
すべてのテレビ局やほかのメディアで、無宗教のタレントとの扱いの違いは明白である。そのアホ面が画面に映り出される『時間』が『異常』に長いことである。そうすることで、そのカルト宗教の『クソ看板』になるからである。
インターネットで、「創価学会」「タレント」などのキーワードで検索してみるといいだろう。とめどもなく出てくるばか芸能人の名前。
ニュースでは、日々流される様々なカルト宗教団体の犯罪事件の数々。
メディアの番組には、自ら作り上げた『独自の占い方法』といううそとデタラメ(実際には他人から盗んでいることが証明されている)で固めた『欺まん占い師の中年女』が、自らの信仰に引き込んだり、多額のお金を吸い上げるために出演を重ねている。
日本人は、いつまでこのような気狂いじみた生き方をすれば気が済むのか。何かにすがりついても心が「救われる」ことはなく、『巣くわれる』だけであることに気付かねばならない。
滅びつつあるこの青い地球でさえも宗教など必要ではない。人間に必要なことは、『人間そのものの在り方について学ぶ』こと以外には何もない。

「2006-08-11:追記」
「マスコミは目を覚ませ」。小泉君、靖国参拝報道を批判。

小泉君:「メディアは公約を守らないと批判する。自分達の意見に公約の内容が反対だと、守らなくてもいいのではないかと批判する」と発狂。
以前にも述べたことがあるが、正真正銘の『精神分裂病』である。自らが問題を発生させている張本人であるという「事実」を都合よく欠落させている主張内容。その上で、自分が批判されているのは「周りの人間が悪いからだ」という気狂い主張を繰り返す姿勢の症状がすべてを物語っている。この気狂いは、いまだに『病気の真只中』にいる。
小泉君:「賛否両論があるのに、いつも首相を批判すればいいのか」と発狂。「よく私を批判するテレビの評論家とコメンテーターに意見を聴いてみたい。首相を批判すれば格好よく見えるのだろうが、日本のマスコミも少しは冷静に目を覚ましてもらわないと」と発狂。
これらの問題の場合、正確には『賛否両論』という言葉を使うことなど許されない。全く話にならない。この状態の論評こそが「詭弁」である。この問題に関しても最初から「答えは『1つ』だけ」しか存在しない。理由については散々明記してきたので省略するが、世の中の風潮は欺まんに満ちている。世の中にあるいろいろな物事に関するそれぞれの答えは、最初から1つしか存在しないものが多い。
しかし、間違った答えや利益につながる答えの存在を正当化し、なおかつ採用させるために『賛否両論』などという『意味合い』を都合よく利用しているに過ぎない。非常に醜い、そして悪意しか感じない論評のまね事が横行している。
ましてや「格好よく見せるために批判している」ような『化石級のばか』は、幼稚な連中なら別だが一般的にはそれほどいない。大体、「自殺」という形だけでも数十万人以上の国民を殺している極悪人が発狂する「セリフ」ではない。
そして、「お前が目を覚ませ」と多くの国民が言っている。しかしながら、これだけの凶悪な犯罪を重ね続けている役人共がのうのうと生きていていいのか、という「大きな問題」がある。
小泉君:「日本の首相が戦没者に哀悼の念を表明するために参拝するのは当然。8月15日のみならず、いつ行っても批判される。いつ行っても同じだ」と発狂。
世界中に大恥をさらし、くそみそにばか扱いされている日本の気狂い首相。これも以前に明記しているが、「哀悼の念ではなく、『遺族会への公約のためだけ』に参拝する」ことが当然だと言っているに過ぎない。そして、いつ行っても同じだと言っているのである。
更に…おなじみの口癖:「適切に判断する」と発狂。
これまでに適切な判断があったことなど何1つないことは以前に述べている。あったとする輩は、利益を得た一握りの鬼畜共だけである。この「決めゼリフ」を耳にするたびに、血液が沸騰してしまう。
小泉君:「靖国神社参拝を批判するのは自由だ」と発狂。
………自由だぁ〜。………何かの番組の最後に出てくるお笑い芸人か。
小泉君:「(中韓両国が)1つの問題で首脳会談を行わないのがいいのか悪いのか。日本の首相がどこの施設を参拝しようが、批判されるいわれはない」と発狂。
正常な国民や諸外国からすれば、「この国を破壊したことがいいのか悪いのか。この気狂い首相がどこでだれの手に落ちようが、批判されるいわれはない」……となる。
靖国の問題にしても、核心部分を明確に理解・把握し、鋭く提起しているコメンテーターなどを含む人物や番組など皆無である。この国は戦後61年が経ってもなお、ばかな状態のままである。

「2006-08-12:追記」
国内外の軍人遺族らが立ち上がった。合祀取り消しを求めて靖国神社を戦後初の提訴。

8月11日:「遺族の承諾なしに故人を祭るのは人格権の侵害だ」として、元軍人・軍属の親族を靖国神社に合祀された島根県の僧侶菅原龍憲さん(66)を始めとする9人が、靖国神社に合祀の取り消しと戦没者の氏名などを違法に提供して合祀に協力した国、及び連帯した靖国神社に対して、1人当たり100万円の損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こした。

原告は、「富山・石川・大阪・奈良・山口・香川」の各府県に住む50〜70代の遺族・親族と「高砂義勇隊」として従軍した親族が合祀された「台湾」の先住民男性の楊元煌さん(51)も参加している。

これが「正常な宗教」なのか。これが「正常な宗教法人」と呼べるのか。
ここに所属している正真正銘の気狂い共は、「一体何様のつもり」でいるのか。
遺族に知らせることもなく、承諾を得ることもなく、願い出ている内容のすべてを拒否する「姿勢」や「対応」は何を指し示しているのか。
10代の若い人達のほとんどは、靖国問題についても「何をそんなに騒いでいるのだろう」「どうでもいい」などの意見が多いのかもしれない。
が、この靖国問題にしても「すべての国民にかかわる問題」であることは、これまで明記してきた内容に目を通してもらえれば理解できると思う。
「思想の恐ろしさ」や「この国が持つ無反省の体質」が、あらゆる面において人々の内面や生活全般にかかわっていることを知る必要があるのだ。
そこに問題の根元が存在し、いろいろな「病原菌」をまき散らしていることを認識しなければならない。
以前に触れているが、人間ごときが行えることなど高が知れている。物事の答えにしても、あらかじめ存在している答えを「見つける」のが唯一可能な作業と言っても過言ではない。作り出せることなどほとんどありはしない。
人間自らが答えを作り出そうとすることが、そもそもの「過ちのもと」である。
人々の中には、学校での成績だけを基準にするあまり、「自分は頭が悪い」「頭が悪いから分からない」と思い込んでいる人々も多いと思う。
しかし、それは間違った考えである。学校で行なっていることは、「記憶力と一部の応用力」に関する採点だけである。
何も気にすることなどない。高が「記憶力と一部の応用力」で、「頭の善し悪し」を決めることなどできはしない。本来、「頭の善し悪し」と「記憶力と一部の応用力」は、『全く次元』が異なるところに存在している。
「頭の善し悪し」は、遥かに「気高く・深く・広大」なところにある。よって、社会で起きている様々な事象に対して、「どうせ自分には分からない」などのような考えはやめるべきであり、「無関心」でいることに慣れている体質を改善することが望まれる。
「頭の善し悪し」は、『自分自身』で様々な「問題」を探し出し、更にそれに対する「答え」を見つけ出せるかどうかで決まる。このような「部分」は、学校・親・社会……など、だれも教えてはくれない。
また、このような「部分」は一般社会と同様に通常の軍隊でも不問である。しかし、対テロ特殊部隊や諜報機関となると全く話が違ってくる。
以前にほかで少しだけ触れているのだが、「資質」という部分にかかわっている重要な項目の「1つ」でもある。
先に述べたように、「だれも教えない・教えられない部分」というものの存在を「認識」し、なおかつ「理解」しているのかどうか。それら一連のことを生まれながら、自分自身のモノとして身につけているのかどうか。更には、どれだけのレベルに達しているのかどうか……など。
それが身についていれば、たとえ軍隊の中といえども何から何まで闇雲に信じ、命令に服従することはなくなる。要するに国や政府の悪行が明確に把握できるようになることにつながる。
そのレベルには一般の軍隊では到達することはできないし、ほかでも明記しているが、「高がアメリカ陸軍の特殊部隊程度(対テロ部隊ではないという意味)」という言葉で言い表しているのである。
国内には数人の間抜けが意気揚々と書籍を出しているが、そのような輩の本に「哲学的な意味」などありはしない。残念ながら日本人で認められている人物は、いまだに1人も存在しないということも以前に明記している。
「頭の善し悪し」に関する見方について、諸外国の「戦士である人物達」は非常に高いレベルから見ている。
分かりやすいほかの言葉で表現した場合、「主体性」と言えなくもない。「個人主義」などのような言葉の意味とは混同して考えないようにしなければならないが。
いずれにしても、それらを持ち合わせていない場合、だれも存在しない孤独と共に絶体絶命の環境の中から生きて帰ることなどできない。よほどの幸運に恵まれない限りは。
一般的にも、感性や思考とは生きるために必要なモノである。社会生活の中でも確実に必要なモノである。真実とうそを見極める力であったり、だまされることがないように自らや大切な人々を守る力にする……など。
無関心であってはならないことと、無関心であるべきことの「線引き」を引き直す必要がある。それは生きる上で、とても大切なことの1つでもある。

「2006-08-15:追記」
小泉君が靖国神社を参拝。国のばか代表が、終戦記念日に強行したのは21年ぶり。

本日8月15日午前:小泉純一郎君は、東京・九段北の靖国神社を参拝した。2001年の就任以来、毎年参拝し続けた。今回が6回目であり、終戦記念日の参拝は初。現職首相としては、気狂い中曽根康弘君以来21年ぶりである。
9月退陣を前に、2001年の自民党総裁選で『遺族会だけ』に対して宣言した「8月15日の参拝」という「公約」を果たしたことになる。
小泉君は発狂した:「心の問題だ」と。しかし、開口一番に選挙で「公約」したのは、この「ばか本人」である。「公約」とは「心の問題」ではない。ということも以前に明記してきた。

小泉君は発狂した:「私は死者を区別しない」と。諸外国とは違って、散々死者を区別してきたのは「靖国神社」というカルト宗教・軍国主義そのものである。これについても以前に明記してきた。

せんだって、昭和天皇がA級戦犯合祀に不快感を示したとされる元宮内庁長官のメモが判明したことに対しても、「靖国参拝を推進する気狂い共」から、「偽物」だの、「ほかの人物の意見」だのという「プロパガンダ」で押し切ろうとした「クソの祭り」もあった。
しかしながら昭和天皇は、戦時中、戦況に関する「事実の報告」を全く受けていなかったことも明確な証拠と共に発覚している。つまり永遠にうそを聞かされていたという事実。それらのことも含めて、戦中もそして戦後も、常に苦しんでいたことが言い伝えられている。立場上、自らの意見を発言しないようにしてきたことも明確になっている。
その昭和天皇の「心」が映し出されている「メモ」の信憑性は、間違いなく本物であるとされている。当時のことをよく理解し、またそのメモがメディアによって発表される前に見ていた数人の人物達によって、本物であることを分析・証明するための「会合」が最近行なわれている。そして、そこには疑う余地などないという「結論」が導き出されている。
メディアでは、「極右思想」と呼ばれるコメンテーターやら鬼畜自民党の面々が、雄弁にそのくさり切った主張を繰り返している。
「靖国参拝の何が悪い」のか、という非常に幼稚な主張しかできない「醜い存在」の哀れな生き物。生きている意味など、生まれてきた時から持ち合わせてはいない「害虫」と同じである。このような輩を常に番組に出演させている気狂いメディアの群れ。
昨日も「テレビ朝日:たけしのTVタックル」に出演していた「害虫共」を見れば、理解できると思う。出演者に正常な人間は1人もいない。大竹氏が少し踏ん張っている程度のものである。そのほかはばかのオンパレード。すさまじく次元の低いレベルで「あーだこーだ」と言い合って終わるだけの繰り返しである。そこに建設的な「意志」や「意味」など存在しない。
あのような「お下劣な番組」ばかりがはびこっているメディアに、真実など何もない。「真剣」に「問題の根元」を伝えようとする「姿勢」などみじんも感じられない。
様々な問題を真剣に考えている人々は、あのような番組は2度と見るべきではない。視聴率のことしか考えてはいないばかりか、肥料にもならない「クソ以下」の番組である。
これも以前に明記しているのだが、いずれにしても「昭和天皇」が考えていたからとか、「だれかが」言ったからとかということは、切り離して考えることが肝要である。
自らが、1人の人間として、国民として「問題の根元」を探り、そして理解し、答えを探し出すことが重要なのである。

「2006-08-23:追記」
靖国参拝『欺まん』アンケート。日本人に愚民が多いことは否めない。しかし、ここまでばかではないはず。

せんだって、8月15日に靖国神社参拝を行った小泉君について、共同通信・毎日新聞・読売新聞が行った緊急全国世論調査の電話アンケート。不思議なことに、「人数・年齢層・性別・地域・選出方法・有効回答比率」のただし書きが一切ない。
その一方、靖国神社を「参拝するべき/参拝するべきではない」というFNNなどほかのメディアによる電話アンケート。「国から無作為抽出された満20歳以上の2000人」というただし書きがある。
「富田メモ」の存在が発覚後の世論再調査結果では、反対が賛成を大きく上回っている。しかしながら、あらゆる手を使って「極右/タカ派」へと国民を「先導」しようとしている。戦前と同じように「誘導」しようとしている。
更には、以前に触れた……。いまだに「46〜47パーセント」という『絶対に有りえない』小泉君への『高支持率』。堂々と「欺まん数字」を発表し続けるくさり切った気狂い奴隷国家の真骨頂である。
考える脳と真実を感じ取れる感性を持った人々は、決してだまされないことを祈る。

「2006-09-16:追記」
『遊就館』の説明修正要求。アメリカ下院委員長などの怒りが炸裂。

アメリカ下院外交委員会のハイド委員長(共和党):小泉純一郎君が、8月15日に『靖国神社を参拝したこと』に言及した上で、「靖国神社内にある戦時中の兵器などの展示施設『遊就館』の太平洋戦争に関する説明内容を修正すべきだ」と明確に述べた。

アメリカ下院外交委員会のハイド委員長(共和党):「この『遊就館』の展示内容は、旧日本軍をアジア太平洋地域の『解放者』と説明していること」に対して、「非常に当惑している」と発言。

次期首相に対し、「靖国参拝中止」を強く要請しているアメリカ大物議員の「抗議」が相次いでいる。
アメリカ下院外交委員会の重鎮、ラントス議員(民主党):小泉純一郎君の靖国神社参拝を強く非難し、次期首相に参拝中止を要請。更に、太平洋戦争中の南京大虐殺の実態を否定する教科書に対し、「日本政府は、虐殺の事実を認めている。おかしいではないか」と非難。「歴史を否定する者は、『同じこと』を繰り返す」と、歴史問題に対する日本政府の態度を厳しく批判している。
アメリカ議会有力者が、『公の場』で「遊就館問題」を取り上げると共に、小泉君の「靖国参拝強行」と「身勝手であいまいな歴史認識」に対して「強く抗議し、批判した」ことは、全世界の国を代表しての意見と言える。以前から明記しているように、批判している国は全世界である。「中国と韓国だけ」というデタラメは通用しない。これまでの小泉君のあらゆる発言は、すべてにおいて「デタラメ」ばかりである。「うそと欺まん」に満ちあふれている。この「事実」だけでも、戦後最悪の「リアル気狂い首相」と言える。
靖国の問題は、これまでのファイルを読んでもらえれば、まず「芯」をはずすことなく理解できると思う。そこには、右翼だの左翼だのどうでもいい「カテゴライズ」が通用しないことも合わせて理解できると思う。物事には、「低能でばかな人間共には決して動かせない『事実』が存在していること」や「その事象に対して、明確に認識しなければならない『真実』があること」などが把握できると思う。
「明確な答え」は、永遠に「ブレる」ことはない。だれが何を発言し、主張しようが、変わらずに存在する。それは、人間が「求める・求めない」などのような低い次元とは、全く関係のない「次元」に存在し続ける。人間は、それを見つけ出し、理解するだけでしかない「生き物」である。

Status:2006-08-06〜作成

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