喜多方市
旧耶麻郡塩川町(〜H18) - 旧駒形村(〜S29) - 旧常世村分(〜M22)
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常世館
常世館跡土塁。
常世館跡土塁。
【所在地】 喜多方市塩川町常世西町
【別称】  
【築城年】  
【築城者】 常世頼盛か
【城主変遷】 蘆名氏[常世氏]…
【廃城年】 天正十七年(1589)か
【現状】 民家
 築城年代は不明であるが、青山城主加納(佐原)五郎盛時の次男頼盛が常世村を所領し、その孫とされる義通が三橋氏を称して正平九年(文和三・1354)三橋館を築いていることから、それ以前に築かれたものであろう。

 常世氏が文献上に初めて現れるのは文亀二年(1502)であり、板東巡礼に出た頼盛の長男時持が蘆名盛隆によって誅殺され、それに一味した勝(スグレ)、三橋、小荒井各氏が追放されたというものである。永禄年間(1558-70)には常世大炊助盛重が居住したと伝えられ、同二年(1559)館跡の東側に所在する常安寺を建立している。なお天文七年(1538)黒川城下で大火があった際、常世氏の屋敷も焼失していることから、この頃には蘆名氏の重臣の一であったと考えられている。天正十七年(1589)、摺上原合戦後の伊達氏による掃討戦に伴う兵火で常安寺が焼失しており、同時にこの館も焼失したものと考えられている。

 東西約60m、南北約90mの規模を持つ平地館で、現在は民家と畑地となっている。館跡北から東にかけて土塁が現存、約2mほどの高さを持ち、その外側を現在用水路として利用されている堀が巡っている。館跡東側には前述の常安寺が所在するが、これは天正年中に焼失した後常世氏旧臣が再興したものという。また北には常世氏の墳墓とされる常世竹花古墳があり、古墳内にある五輪塔の一つは大炊助の墓であるという。

 ずーっと東常世にある神社周辺と思っていましたが、西常世の集落内の民家に立派な土塁が残っていました。まあ東常世南側には中屋敷、南屋敷の地名があり、関連地名かとも思いますが…。勝手に土塁の写真撮ったら失礼と思いお家の方に声をかけたら、いろいろとご説明をして下さいました(お母さんありがとう)。現在土塁に囲まれたお宅の屋号は北舘、その南隣のお宅が南舘で、お隣は家を建て替える際に土塁を崩し、堀を埋めたとのことでした。館跡北東隅の土塁はなかなかのものですよ。