<第1-5話>「田んぼと神様」

田の神 田の神

 田んぼには神様がいるそうです?!。その名も「田の神」。その証にお百姓さん達は米を「作る」ではなく、米が「できる」や「とれる」と言います。 普通に考えるとお百姓さん達が苗を植えて育てて収穫しているのだから「作る」でも良さそうなのに、お百姓さん達は田んぼに手を入れているだけで米が「できる」と言います。 「つくる」も「できる」も同じでは?いやいや「つくる」は自分の意思で結果が決まりますが、田んぼの米はいくら自分が良い米をたくさん収穫したいと思っていても結局は自然あっての結果になります。 (現在のように技術がなかった時代では特に)ここから「つくる」ではなく「できる」や「とれる」となる訳です。 そんな米作りだからこそ人間が手を入れる田んぼには神様がいて雨を降らせたりお日様を出してくれたりしていると考え、祈りや感謝をこめてお宮や祠ができ色々な行事や祭りが生まれてきたのです。 田んぼで昔ながらの米作りをしているとどんなに一生懸命頑張ってもどうしようもない事ってたくさんあります。たとえば天候、いくら良い苗を植えたとしても雨が降らなかったり、温度が低かったりしたら、米はうまく出来ません。 また、虫や病気などの大発生も人の力では何ともしようが有りません。それらとは逆に、気候が良く何の害も無く多くの収穫を得られる年も有ります。 だからこそ昔の人たちは自然を恐れ、そして敬うからこそ色々なものに神が宿り自分たちを生かしてくれていると考えたのでしょう。 今ではこれらの事もある程度までは品種改良や農薬の使用によって克服できるようになってきています。 それと同時に米は作るになり、神の姿はだんだん薄くなってきているように感じます。ちょっと寂しい感じもしますが、今のように多くの人口を支える為にはやむを得ない部分もあるように思います。 しかし、その米を作っている台地や水・空気そして光はまぎれもなく自然そのものであり人知を超えたところにあります。 それらを利用させてもらう以上、人はそれらに感謝・感謝な訳です。それが毎日のあの「いただきます」です。米を主食としていない英語圏ではこの「いただきます」に相当する言葉はないそうです。 皆さんも稲作体験を通して田の神様を感じて見ませんか?ちょと毎日の「いただきます」が変わるかもですよ(^_^)v。

<第1-4話>「米と単位」

1升枡 俵

 20日は大寒です。小寒から立春までの寒の内の中間が大寒、一年のうちでもっとも寒い時期と言われています。 ここ草塩でもこの時期の平均気温は1℃~2℃の間で最も寒い時期です。 でもこの大寒、24節季の最後の節気、次に来るのは立春(春ですよ~\(^o^)/)段々と気温が上がってくる季節です。 大寒と田んぼ、直接は関係ありません(^_^;)。 と言う訳で大寒には全く関係の無い「米と単位」と言うテーマでお話したいと思います。 米と単位と聞いて多くの方は1合2合の合や1升2升の升を思い出すと思います。その通り\(^o^)/です。 では、その合や升はどうやって決められたと思います?その起源から見て来るとなかなか難しいんですが、きちっと決められたのは江戸時代になってからのようです(全国統一を果たしかけた織田信長あたりから統一基準が作られ始めているようですが)その江戸時代、10合を1升としました。 1合(=180cc=米150g=約6500粒)は一人の人が一回に食べる量と考え、人が1年間に食べる量を3合×360日=1080合(当時は陰暦だったので1年は360日だったそうです)として1080合としました。 そして1000合を1石(150kg)としたのです。(端数の80合は削られてしまいました(T_T)) つまり人一人が一年間に食べる米の量を1石としたのです。また1石を1両としました。 (物価は当然時代によって変動しますから1両の価値も変わっていきます。幕末のころには大分価値が下がっていたようです) この1石と言う量、田んぼの面積から言うと1反(10a=1000㎡)から収穫できる量だったらしいです。 また1俵2俵の俵は人が担ぎ運搬できる重さと言う事で決められたそうで、1俵はなんと60kgありました。 到底私には担いで歩く事は出来ないと思います(今の時代に生まれて良かった(^_^;))。今は0.5俵(30kg)を1袋として流通しています。 ところで、今の田んぼでは品種改良や技術が進み1反から収穫できる量は500kg前後と言われています。 実に3倍以上に増えた訳です。 今でも手で田んぼ1反をやるのは大変なのに昔はその少ない収穫の中から年貢や地主などへの支払い分を引いたら家族5人なんて言ったらどれだけ大変だったでしょう(>_<)。 今に生まれてほんとに良かったです\(^o^)/。

<第1-3話>「米とライス」

和食 洋食

 米は英語でライス、では稲は?やっぱりライス、焚いたご飯はライス。 このように英語で米はすべてライスです。一方日本語では前記のように植物としては「稲」穀物としては「米」料理したものは「飯」と呼んでいます。 食事自体も別に米を食べなくても「ご飯」と言いますよね。(^-^) この言葉だけみても日本人と米の深い関わりが見えるようです。 米は食料としては極めて効率の良い植物で麦やトウモロコシと比べ肥料も少なくて済み、なんと籾2粒からお茶碗1杯のご飯が出来ると言われています(ここ草塩ではそこまではなかなか難しいです(^_^;)) 栄養価も高く、玄米で食べている人は少ないかもしれませんが玄米からは、炭水化物・たんぱく質・脂質・ビタミン類が麦と比べるとバランス良く摂ることが出来るそうです。 その量は米だけで他の食べ物を摂る必要がない位で、魚や大豆食品は補助的なものであり、いわゆるご飯に一汁一菜といった日本の食事体系が出来あがり発展し今に至ったという事です。(現代では一汁三菜位?) それに比べ、麦(パン・パスタ類)は栄養素が偏っている為それだけでは栄養バランスを満たす事は出来ず不足するたんぱく質を補う必要があり、欧米を中心とした地域ではそう言ったこともあり畜産品や乳製品が発達してきました。 米は縄文後期に中国大陸揚子江流域から日本に伝わり栽培されていたと言われ、日本の気候風土に適していた為主食とされ、実に3000年以上のお付き合いと言う事になります。 そんなお米、美味しいのが食べたいですよね(^-^)おいしいお米はまず品種、そして土地(気候・水・他)で決まるそうです。でもおいしいという味覚は主観的なものですから本当に自分好みのお米が欲しい場合はお米屋さんへ行くのが一番かと。 それにもまして自分で作ったお米はきっともっともっとおいしい味がすると思いますよ。そんなお米でおにぎりを作り太陽の下で食べたらそれこそ自分にとっての日本一のおいしさかも(^_^)v

<第1-2話>「七草粥」

草塩(冬) セリ ナズナ ゴギョウ ハコベラ ホトケノザ スズナ スズシロ

写真上左より せり・なずな・ごぎょう(ハハコグサ)・はこべら ときて下左より ほとけのざ(コオニタビラコ)・すずな(大根)・すずしろ(蕪)です。 (写真小さくてゴメンなさい ちなみに最初の写真は今の草塩) 正月(1月7日)に七草を食べると一年間無病息災で過ごせると言われる「春の七草」、なぜ七草が田んぼにまつわるかと言うと、 まず「春の七草」とは写真に示す七草のことと言われています。(一般に言われるホトケノザは別種で春の七草で言うのは本種とのこと) ところでこの七草、名前は言えたとしても実際見た事摘んだ事のある人はそんなにはいないのではないでしょうか。 かく言う私もしたことありませんでした。 そこで図鑑片手に田んぼに出たり、調べて見ると七草のうち五草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ)は冬の田んぼに生える雑草だそうです。 ちなみに、残りの二草(すずな・すずしろ)はだいこんとかぶのことと言われていますが、この二草?についても田んぼに生えるよめな・のびるという雑草との説もあるそうです。 と言う訳で、七草全部が田んぼに関わる雑草ってこともあるかもです。ところでその七草実際外(のら)に出て探してみるとなかなか見つかりません。 気候が良くなるといやと言うほど生えているんですがそもそもこの時期あまり緑の植物がないのです。 散々探して見つけたのがセリ・ゴギョウ・スズナの三種だけでした。(^_^;)それに量も少ないです。 地区の人に聞いてみると前記の七草でなく食べれる草を採ってきてそれを粥に入れて七草粥としていたとの事でした。 それにしても田んぼの雑草を文化として取り入れる位まで昔の人と田んぼのつながりは深かったのかもしれませんね。 いずれにしてもこの冬の時期に緑を保ち育っている七草は昔の人にとっては冬の貴重な栄養源だったのかもしれません。 7日の日には江戸時代に一般化したと言われる「七草粥」をいただき、正月のお酒やおせちの食べすぎなどで疲れた胃腸をいたわってあげてはいかがでしょうか。

<第1-1話>「米という字」

稲穂 矢 象形文字

まずは米と言う字から始めたいと思います。この文字はよく八十八という字を組み合わせていて、米作りには八十八もの手間がかかるからと言われます。 そしてそんなに苦労してお百姓さんが作ったお米だから1粒も残さず大切に食べなさいと子どもたちは教わりました。しかし実のところこの米という文字、稲穂に籾が付いている様子に由来しているそうです。(残念(^_^;)!?) そうは言うものの実際田んぼで米作りをしてみるとなかなか苦労が多いものでよっぽどスーパーで買った方が安上がりって思わず感じることもたくさんあります。 しかし田んぼにはそれ以上に私たち今に生きる人たちにとって忘れてしまっている大切な何かを教えてくれるような気がしています。 思い出してみて下さい。季節の移ろいとともに変わっていく田んぼや畑の風景、そしてたくさんの生き物、たくさんの思い出があるのではないでしょうか。 田んぼにはたくさんの出会いや農家の人の思いや祈りがあります。こう考えて見るとやっぱり米と言う文字は八十八ものたくさんの物がつまって出来ているのかもしれないと思いませんか。
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