<第1-10話>「苗字の話」

苗字色々

 日本には30万種類もの苗字が有るそうです。 ご存じのように日本に於いて誰もが苗字を名乗るようになったのは明治になってからだそうですがそれ以前にも公ではない場所では苗字にあたる名前は使われていたようです。 そもそもこの苗字、調べて見ると意外と適当と言っては何ですがみんな結構自由に付けていたようです。 そんな苗字、今は名字と書きますが昔は苗と言う字を使用していた時も有りました。なぜ苗なのか?この苗、実は稲の苗で稲の苗がどんどん分けつして増えるように 自分たちの子孫が増え栄えて欲しいと言う願が込められていたそうです。 そして稲作には共同作業が欠かせずその共同のグループ名が苗字となったそうです。 その苗字の中に使われている文字で一番多い文字が「田」と言う文字。 例えば、前田や横田、西田・・・など位置を表す名字もたくさんあります。 ついでに言えば、上田・山田・中田・下田・平田・高田・川田などなど。 また開けた場所は原田大きな田んぼは大田小さな田んぼは小田。 吉田は良い田んぼのようですがこれはヨシが生えていたような所の田んぼを指すそうです。 黒田は黒い田ではなく小高くなった所の田んぼだそうです。 黒(クロ)とは田んぼの中でちょっと高くなった場所を言い、田んぼの畦もクロと言います。 畦を作る作業をクロ塗りと言うのもそのためです。 ちなみに低い所はシロと言い、代かきのシロはここからきています。 ここ早川では田んぼにまつわりそうな苗字は少なそうですがこの地で多いのは奥の方(西山地区)では「深沢」 手前の方では「望月」がかなりの割合を占めているように思えます。 深沢はその文字のまま深い沢の所の人だと思います。一方望月は満月を意味するらしく(その昔、満月の時に朝廷に馬を献上していた人たちを望月と呼ぶようになった)その起源は 長野県(ここ早川からは山脈を一つ越えたところ)の望月村を起源とすると言われています。 と言った訳で私がここ草塩に来て近所にあいさつ回りをしてまず第一に望月姓の多さにビックリしました。なのでここ草塩ではそれぞれの家を指すのには 姓ではなく屋号を使って区別をしています。この屋号新参者の私としては屋号に「さん」を付けるのも変だしなかなか言いずらく困るものの一つでもあります(^_^;)。

<第1-9話>「田んぼと蓮華草」

レンゲ畑 レンゲ草

 レンゲ草、漢字で書くと蓮華草、蓮の華(花)の草と書きます。これはレンゲの花が蓮の花に似ているからだそうです。 また、紅紫色の花が一面に咲く様子を雲にたとえ「紫雲英」(ゲンゲ)とも書くそうです。古く室町時代頃に中国から帰化した帰化植物です。 それはさて置き、田んぼとレンゲの関係ですが最近また田んぼでレンゲを見られる機会が少しずつ増えてきているそうです。 かつてまだ化学肥料が今ほど普及していなかった頃にはよく田んぼにレンゲの種が撒かれ田植え前の田んぼには綺麗な紅紫色のレンゲのじゅうたんが多くみられたらしいです。 ではなぜ田んぼにわざわざレンゲの種を撒くのでしょうか? それはレンゲの根に秘密が有ります。レンゲを1本抜いてみると(都会ではなかなかレンゲがないかもしれませんが(^_^;))その根には白くて小さいこぶこぶがついているのが見られると思います。 そのこぶこぶが田んぼにレンゲを撒く秘密の答えなのです。実はそのこぶこぶの中にはたくさんの根粒菌と言うバクテリアが住んでいるのです。 根粒菌は酸素が苦手でレンゲの根に守られて生きているそうです。そしてレンゲはその根粒菌が空気中の窒素を取り込んでくれるのでそれを栄養として養分の少ない土地でも生きて行く事が出来るのです。 (いわゆる共生ってやつです)ここで出てきた”窒素”これは学校でも習ったと思いますが植物が生きて行く為には欠かすことのできない大切な栄養分なのです。 植物が生きて行く為の3大栄養素(窒素・リン酸・カリ)の一つなのです。 窒素は植物の枝や葉を伸ばし、リン酸は花や実の付きを良くし、カリは茎や根を丈夫にするのに主に使われます。 そしてそれらの栄養分が適切に作物に与えられるようにするためには土作りがとても大切なのですが、これがなかなか難しく時間と手間のかかる作業(自然の力を借りながらの作業になります) ですがこれをおろそかにするとなかなか思うような作物は出来てくれません。 そんな土作りに一役買ってくれているのがレンゲなのです(緑肥と言います)。つまりレンゲを田んぼの土の中にすき込む事によって稲にとって大切な窒素分を賄っている訳です。 先ほども述べましたが化学肥料がなかった時代に於いては貴重な肥料だったのでしょう。それにしても昔の人はよくそんなこと知っていたな~って感じです(^_^;)。 今また増えてきたのはその光景の美しさゆえであったり、化学肥料の利用を見直す人が少しずつ増えてきているからではないかと思います。 この「田んぼの学校」の田んぼにも近い将来、紅紫色のレンゲのじゅうたんを敷いてみたいと考えています。

<第1-8話>「日本人と米」

農村風景 日本の祭り

 「第1-3話米とライス」でお話ししたように日本人と米との付き合いは3000年以上になると言われています。 大陸から伝わった稲作、日本人はその稲作を続けて行く中でそれを日本の風土の中に溶け込ませ、今に残る数々のすばらしい景観を作りだしてきました。 稲作は日本の風土に適し、またその優れた特性である収穫量の効率性や栄養の豊富さ、そして保存性の良さなどゆえに日本人はそれを主食としてきました。 それだけに日本人と米とのつながりはとても深く、文化や日本人の特性にまでその影響を見る事が出来ます。 正月から始まる日本各地での神事やしきたりそして祭りなどは田の神様に豊作を祈ったり、感謝する事に由来すると言われています。 また、稲作を行うためには田んぼとなる土地そして水が必要となります。開墾や水路を作り続ける事によって土木技術が発達しその技術が町づくりに、そして今の日本を形 作って来ました。 一方で稲作を行うためには多くの手間そして人手を必要とする為、同時に同じ作業を共同で行ったりすることも必要でした。 そんな中から日本人の国民性と言われるような協調性や勤勉性、忍耐強さなどが培われてきたとも言われています。 一方で画一性や閉鎖性など批判される面も同様に培われてきたと言えます。 その様な日本の文化や国民性が今だんだんと近代化やグローバリゼーションといった言葉の陰に薄れてきているような気がします。 全てが良い訳ではないかもしれませんが、日本人の個性とも言えるこれらのものの本質はいつまでも残していきたいと個人的には思います。

<第1-7話>「田んぼの恵みは森の恵み」

荒川源流域 春の草塩

 田んぼで稲作を行うにはたくさんの水が必要です。その水は空から雨や雪となり山に降り注いだものです。 豊かな水は人間にとって必要不可欠なものであり、それは四大文明が大河の流域に開かれた事を見ても明らかです。 日本は昔から水の豊富な国と言われてきました。それは同時に豊かな森の国をも意味しています。 国土の約7割が森林と言われ世界的に見ても大変豊かな森林資源を有している国です。しかしその森林から得ている用材の自給率と言えば 2~3割程度で殆どを輸入材に頼っています。それゆえ日本の森は今人の手が入らなくなり、荒廃の一途をたどっているようにみえます。 これって同じような事をどこかで聞いた事がないでしょうか?そう自給率4割弱の農業も同じ様に耕作が放棄される(高齢等で耕作出来なくなってきている)田畑が増えています。 話を戻して、森に降った雨は一時的に森に貯められ(1時間当たり約250mm程度の雨を貯められると言われています)、徐々にその水を川に流していきます。 その過程で落ち葉や生き物たちの死骸等を微生物が分解し、出来た多くの養分を取り込み、 その養分を含んだ川の水は里の田んぼにやってきて豊かな田んぼの実りを与えてくれています。 よく豊かな海は山の森が作ってくれていると言いますが田んぼの恵みも同じように森がおいしい実りを与えてくれています。 米どころ新潟の魚沼もしかりで山からの豊富で豊かな水がおいしいコシヒカリを実らせてくれています。 ここ早川と言うと残念ながら田んぼとして利用できる土地が少ない為、南アルプスからの豊かな水は主に発電事業に使われています。 しかし、「田んぼの学校」が有る草塩地区は平地が比較的広く昔は豊かな山からの水を利用して稲作などが行われていました。 「田んぼの学校」の田んぼ(現在)も山から染み出して来た水を利用して稲作をしています。 しかし、昔はみんなでやっていたので水の確保も出来ていましたが今は稲作をしている人がいない為水の確保がとても難しくなっています。 なので日照りが続くと水が枯れてしまう事が有るのです(^_^;)。 でも、天の恵みそして森の恵みに恵まれればきっととってもおいしいお米が出来ると思います(^_^)v。 森林が荒廃すると山は水を蓄える事が出来なくなり、降った雨は地表を流れ土砂とともに山を削り山の荒廃をさらに進める事になります。 それは山が豊富な養分を作りだせない事であり、豊かな田んぼの恵みにも関係してくる訳です。 何とか美しい森を守り、田畑の元気な美しい里山の風景を残していきたいものです(^-^)。

<第1-6話>「北のカエル南のカエル」

アカガエル トノサマガエル

 2月3日は節分です。節分は季節を分ける日な訳で四季それぞれにあるそうです。 春の節分は豆まきをして鬼を追い払い、そして4日の立春(旧暦の元日)に福の神を迎えるのだそうです。 (ところで全国で追われた鬼たちはどこに行くと思います?実は奈良県の吉野にある金峯山寺(きんぷせんじ) に行くそうです。ですので金峯山寺での豆まきは「福は~内、鬼も~内」となります。) ガラッと話は変わって2月の田んぼはまだ冬、氷が張っています。そんな季節にいち早く目を覚まし起きて来るのがアカガエル達です。 今年も、このお客様が田んぼにやって来ました。今年は1月28日の夜、始めて鳴き声を聞きました(去年は2月1日頃)。 この鳴き声、私はここ草塩に来て3年もの間、渡り鳥の鳴き声だとばかり思っていました。 と言うのもまずこの時期にカエルが鳴くとは思わなかったのと鳴くのは夜だけ(カエルは夜行性)で姿は見えず、 また鳴き声がゲロゲロではなくクァッ!クァッ!って感じでカエルとは思えなかったのです。 それが昨年、例のごとく鳴き声はするが姿が見えず飛び立つような音もしないので変だな~と思って次の朝よくよく田んぼの中を見るとカエルの卵がいたるところにあるのを発見、 それで調べて見ると「アカガエル」という種類のカエルがいてそのカエルは冬に卵を産むと知り、目からウロコって感じ(^_^;)。 でもほんとに鳴き声はカモかなんかの鳥の鳴き声って感じなのです。 このアカガエルご先祖様は北の方の方らしく、水温が30℃位になると生きていけないので田んぼの水が熱くなる前にオタマジャクシからカエルになり山に帰るため、 この寒い時期にわざわざ冬眠を止めて出てきて卵を産み、そしてまた冬眠(仮眠)に入るのだそうです。(なんてめんどくさい事を(^_^;)) 一方、一般によく知られているトノサマガエル(関東地方にみられるのはダルマガエル)のご先祖様は南方系で暖かい水を好み、田植えの頃に田んぼに現れ田植えの終わった田んぼに産卵します。 (水温が40度前後になってもオタマジャクシは生きてられるそうです)この2種類のオタマジャクシが田植えの終わった田んぼには共存しているのかもしれませんがまだ未確認です(^_^;)。 どちらのカエルも水がないと産卵できない為、田んぼは恰好の産卵場所となる訳です。 しかし、そんな田んぼはだんだん休耕田となり、また耕作していても冬の間は多くが乾田となっています。 それに追い打ちをかける農薬過多や酸性雨、それらの為にカエルの数は徐々に減りつつあるそうです。 今の田んぼを取り巻く環境はカエルにとって苦難の場所となってきているのかもしれません。 それは引いては私たちに帰ってくる事なのかもしれません。 豊かな自然が戻りカエルも人間も一緒に暮らせるような環境であって欲しいと思う今日この頃です(^-^)。
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