2004/03/21 フクジュソウ
多忙な日々を過ごしてふと気づくとフクジュソウが咲いている。朝閉ざ
していた花びらが陽射しを受けて徐々に開いていく。人が衣服を身につけ
るのと同じように、そうして実を守るのだろう。幾度か変わっていく姿を
眺めに行きながら、律儀な営みがもたらす春を感じる。
この花は厚く積もっていた雪の後に姿を見せる最初の草花であり、まだ
その周囲は融け残る雪と地に落ちた枯れ葉や枯れ枝しか見えない。だが、
分厚い雪の下でゆっくりと準備された繚乱の時は、ここから一気にやって
くる。
2004/03/22 受験生
我が家の受験生も無事浪人生活を抜け出すことができたようで、めでた
い。二人目の受験生だが、これで受験生の親という独特の役目を卒業する
ことができる。
受験については様々な議論があることは当然だが、その前に学校教育の
在り方を議論する必要がある。
なんのために勉強するのか、それを見失って、現代の子供たちはそこに
学校があるから行く、としか答えられないように思う。
2004/03/30 残雪
ある種の人達は、敏感に感じ取るのだろうが、雪も既にその在り様を変
えているのだ。気温の変化は確実に融雪を進め、ある日突然のように大地
の一部が現れる。−10度の雪温が−5度そして限りなくプラスに近づく
のが春。今は残雪などという生やさしい量ではないが、現れる土の範囲は
確実に広がっている。
2004/04/01 空の色
冬の澄んだ青がやや緑がかった青に変わっている。そんなところにも季
節の変化が読み取れて心が動く。いろんなものが季節を写すように姿を変
える中で、さて人間は何を変えていくのだろう。
2004/04/05 小樽へ
昨日まで息子の引っ越しで小樽。花園で寿司を食って、港の見える住ま
いで2泊。息子たちも揃って自分の城を構えることとなった。
帰りは好天で日高山脈がよく見えた、裏から眺める楽古岳とピリカヌプ
リが印象深い。いつかゆっくりと日高側から撮ってみたいと思う。
2004/04/10 約束
牧場の雪も融けて地表が大きく現れていた。好天に恵まれていつもの道
路沿いを撮り歩く。雪に覆われていた河原も砂利が現れ日陰にわずかな雪
塊を残すばかり。
フクジュソウが自生する筈の場所に降りると、約束事のように黄色い花
が開きかけている。幾重にも重なる枯葉や枯れ枝を押しのけるようにして。
2004/04/11 葉よりも先に
フクジュソウは、葉より花を先につける。植物のことは良く分からない
が、何か意味があるのだろう。そう考えてみると辛夷も同じだと気がつい
た。
間もなく咲く時期だが辛夷もまた枯れ枝にいきなり花を開かせる、同じ
理由だろうか?春の柔らかな陽射しを浴びてそんなことを考える。
不勉強な来し方も捨てたものじゃない、こうして楽しめるのだから。
2004/04/14 桜前線
あちこちで桜の便りが聞かれる季節だが、北海道はまだまだ先のこと。
狭いと言いながら、日本列島も結構な広さだ。人間の刻む時だけが早くな
っている。
2004/04/18 ホームページ
いよいよ立ち上げた。アップロードというのは意外と面倒でもなかった。
細かな手直しと追加のアップをしながらやっていく。思い立ってから3年
目、それだけの準備が必要だったということなのだろう。
日を経てその姿が変わってきている。茎には深い色の厚い葉をまとい、
花だけつけていた1週間前の心細げな気配は薄れている。日増しに強くな
る陽射しを浴びて全身を広げているようだ。そして汚れ、交配に呼び寄せ
る虫たちの仕事だろうか、花弁に飛び散る花粉、役目を終えて変色した蘂、
後必要なものはもちろん種子だけなのだ。
傍らには早くもエゾエンゴサクが青紫色の姿を見せ始めていた。これか
ら目覚ましく風景を変えていく春の山野。
2004/04/21 残雪の山
幾重にも重なる山脈だが、山頂部を真っ白に覆っていた雪も融け始めた
のが分かる。ある部分が黒みを増したかと思ううちに、青黒い山肌が現れ
る。蒼穹にそそり立つ真っ白な山巓の連なりもしばらくは見られない。と
いって、冬を待つつもりもないのだが。
2004/04/25 エンレイソウは
いつもの道路を歩いた後、エンレイソウの林へ。雪は完全に融けて渇い
た落ち葉が地面を覆っている。
歩き回るうちに、そこここにエンレイソウの若葉が目についた。カタク
リも早いものはピンクの蕾を開花寸前にまでふくらませている。後1週間
ほどだろうか。
昨年30そこそこの若さで亡くなったT君と野花の話をしたことがある。
エゾエンゴサクの色合いが話題になった時、珍しい部類では白いものもあ
るらしいですよと彼が言った。全くの偶然で、その話をするちょっと前、
僕自身が白いエゾエンゴサクを見つけて撮っていた。
早速メールで送ってやったのだが、その経緯に撮影月日を重ねると、彼
の死の一月半くらい前のことだったと分かる。私のHP作成の師匠になっ
てくれる筈だった若者。
昨夜小樽から帰宅。今日は朝から撮影に出かけたのだが、興奮の一日と
なった。一つはエンレイソウを見つけたこと。オオバナノエンレイソウで
なく、本当のエンレイソウ。
ホームページでは、単に「エンレイソウ」としてきたが、正式にはオオ
バナノエンレイソウで白い花をつける。これに対してエンレイソウは赤っ
ぽい色の花で、まさかお目にかかるとは思わないで話をややこしくしてし
まった。
1)赤いエンレイソウ
見慣れぬ花を見たタカノハは、まず目的のカタクリ、エゾエンゴサクを
撮った後にその花に向かった。よく見ると葉の形、姿が見慣れたオオバナ
ノエンレイソウに似ていることに気づいた。葉が3枚、花びらも3枚、そ
して記憶を辿ると図鑑で見た赤い花をつけるエンレイソウの種類が・・・。
そこからは、興奮状態。近辺には結構な数のエンレイソウがあって、次
々と見つかる花を辿ってシャッターを押す。幸運に感謝、いつもこうした
発見に子供のように興奮し、そして自分の未熟な撮影技術を恨むことにな
る・・・。
2)再び白いエンゴサク
もう一つは、予想していたことではあったが、その林の中であの白いエ
ゾエンゴサクを見つけたこと。人的に、また自然現象的に損なわれる怖れ
は十分にある場所で、期待しながらも諦めなくてはならないと思っていた。
昨年撮った場所は良く覚えていたから、迷うことなくそこに行く。
同じ場所に、待っていてくれたかのように白い花が咲いていた。明らか
に株は昨年よりも大きくなっている。不思議とは思わないが、どこかうれ
しくなるような再会。静かな林の中で、元気だったか、と声を掛けたいよ
うな気分になっていた。
2004/05/05 白と黒
先日隣町の温泉に行った帰り(日帰り)マアが車から水芭蕉を見つけた。
私がいつも撮り歩く例の海岸沿いの道路脇、直行さんが入植していた土地
の近辺でもあり早速行ってみることにした。
マアは少し見えたと言ったのだが、車から降りてその場所を見ると白い
花影が林間にかなり認められる。土手を降りると全くの別世界で、林間を
流れる小川に沿ってずっと奥まで水芭蕉が続いているようだった。
闖入者、初めて踏み込む場所ではどこか怖れに似た気分になる。一見、
無造作に並んだ木々や気紛れに曲がりくねる川筋、気ままに生える下草の
数々、そういったものが作り上げた一つの秩序或いはバランスがある。
謎の闖入者タカノハは、静かに水芭蕉の花を撮りながら林間を歩く。時
に風が立てる物音に怯えながらの、実に不似合いで滑稽な姿だと思うのだ
が、そのくらいは仕方ないだろう。
「水芭蕉ってのはきれいな花じゃねえなー」と呟きながら、不遜な闖入者
は勝手な価値観で汚れの少ない被写体を探し、何枚か撮りつつ進む。
そのうちに、奇妙な植物に気がついた。暗赤色の大きな芽のようなもの
が地面から突き出ている。最初は気にも留めないで居たのだが、一息つい
たところで閃くものがあった。
見渡してその大きめのものを眺めると前面が口を開けている。
座禅草、マアが見てみたいねと言っていた花で、図鑑で見た風変わりな
姿がまさしくそこにあった。夢中になってシャッターを押す。100メー
トルほど下っただろうか、行きは白い水芭蕉、帰りは黒い座禅草。戻りな
がらいくつも見つける。目的物しか見えない人の目をあやふやというべき
か、見ようとする意志に応じる柔軟な能力を良しとすべきか。
2004/05/06 辛夷
遅い桜にやきもきすることもない。枯れ枝が突き出している山や林の木
立に白い綿のような辛夷を見つけたら、次が桜。
連休の最後にいつもの林でおなじみの辛夷が花を開き始めていた。真っ
青な空に剥き出しの枝と白い花、この上なく単純なこの構図が北海道の春
らしい。陽の射す林の下では草花が既に芽吹きと開花を始め、木々が小さ
な植物のために葉を繁らせるのを待っているようだ。
昨年も驚いたのだが、カタクリの群落がさらにその範囲を広げているよ
うだ。明らかに昨年はエンレイソウしかなかった辺りにも小さな叢を見せ
ている。
エゾエンゴサクやカタクリが咲く頃、下生えの草で丈は低いのだがこん
もりとした感じに密生し、地面を大きく覆ってくる種類がある。やがて小
さな蕾を持って花と分かるのだが、早春に緑の勢力を広げる担い手である。
それがニリンソウで、あちこちの草地や林の中に白い花を咲かせる。蕾か
ら開きかけの時期は、柔らかな丸味のある花弁に淡いピンクが差してちょ
っとした華やかさも見せてくれる。
2004/05/13 還らざるものを・・・後日談
−還らざるものを霧笛の呼ぶ如し−
この句については、先に作者も背景も分からない(知らない)としてい
たが、今日それを知ることが出来た。地元の句会に参加し、郷土史にも造
詣の深い大先輩をたまたま見掛けてお尋ねしたところ、句を伝えるだけで
即座に答えが返ってきたのだった。
作者は伊藤柏翠、当地に知人が居て幾度か訪れていたようでその滞在の
折の作だろうとご教示を受けた。さらに例の石碑に刻まれた文字が作者直
筆のものということも。
わずかな滞在期間で、この町の姿を丸ごと掴み取ってしまった旅の詩人
(俳人)の恐るべき直感力に、改めて脱帽する思いである。霧がすっぽり
と小さな町並みを覆い、単調に鳴り続ける霧笛の音が意識に深く入り込む。
見知らぬ詩人の思いを忖度するのではなく、思い切り自分に引き寄せて
この句を詠む。青年タカノハが初めてこの町に降り立った20数年前、ま
さしくそのように町並みは霧に包まれていた。
2004/05/14 句碑に向かう
前述の句碑をあらためて見に行ってきた。人に聞くまでもなく、その句
碑には脇に別の碑が立てられていて、建立の由来等も記されているのだっ
た。20年前、何気なくこの碑を眺めた自分は、その句だけを心に留めて
いたのだ。
さらに、このメモ帖'02に書き留めた言葉が間違いであることも確認
できた。「帰らざる」は「還らざる」、「呼ぶごとし」は「呼ぶ如し」が
正しい表記だった。伊藤柏翠氏とその関係者にはお詫びしなければならな
い所である。
碑面の句を撮影し、その足でオオバナノエンレイソウが咲く林に向かう。
実はこの句碑と私がいつもエンレイソウを眺める林は同じ公園内にある。
両端であるためにこちらの方に足を止めることはなかったのだが、十勝原
野の面影を伝えるとともにその樹下にエンレイソウを自生させることの多
い柏林、その文字を俳号に使った作者の名はこれでもう忘れることはない。
2004/05/15 エンレイソウを撮りに
1)ある戦い
盛りを迎えたオオバナノエンレイソウを撮ろうと早朝に起き出す。今日
は厄介ごとを一つ想定し、考えた末に傘を持っていくことにした。
昨日のうちにいつもの林へ様子を見に行ってきた、その時タカノハの頭
上で林のカラスが威嚇の鳴き声を上げていたのだ。
カラスは巣作りから子育てまでのこの時期、特に子を抱えてからは極め
て攻撃的になり、巣に近づくものに対して見境なく向かってくる。マアは、
ある時背後から頭を嘴でつつかれたことがあるし、タカノハも撮影中に幾
度か後頭部を掠めるように襲われ、背筋が寒くなる思いをしている。
まさかヘルメットを持ち出す訳にもいかないだろうと傘にしたのだが、
珍妙な姿に自分でも可笑しくなる。そうはいっても背後にカラスの急襲を
怖れながらでは落ち着いてカメラも構えられない。まだ子供を抱える時期
ではあるまいが、と思いつつも万全(?)の準備で傘一本をプラス。
2)もう一つのエンレイソウ
今日2カ所目の場所で撮影している時だった。咲き乱れるニリンソウに
混じってエンレイソウの花も目に入る。栄養失調気味のヤツだなと思った
ほど、みすぼらしく細い花びらが風に揺れている。ニリンソウとの2ショ
ットでもと思いその花に取りかかったのだが、最初からの違和感が消えな
い。
花びらがみすぼらしいだけでなく、どこかが違うような気がして目を凝
らす。雄しべが小さい(短い)、雌しべは・・・色が無い、オオバナノエ
ンレイソウは確かに紫がかった色が雌しべの先にあるはずだ。
花心の部分を撮り、別の花を探して幾つか見てみるがここのエンレイソ
ウはやはり違うようだと結論する。5本ほど眺めたが、どれも花びらが小
さいし花心がきれいなクリーム色1色で紫の部分がない。多分ミヤマエン
レイソウというのだろうと図鑑で知った別種を思い浮かべる。
20年ほど前、一人の男を偲んで木柱が十勝平野の一角に建てられた。
その人とは坂本直行さん、この地に入植し農業経営に苦闘した一人の先人
である。
後に山岳画家として高名になった人なのだが、農業経営に理想を求めて
30年をこの地で過ごした。産み出した著作や画はその実生活の副産物と
いうべきものだと私は思っている。
木柱は、1982年の没後すぐに建てられたようだが、それが朽ちたために
現在は7年前に立て替えられたものとなっている。この辺の事情について
農家仲間のある方(Mさん)が残した記録があって、木柱を建てるまでの
話が面白い。
地元の有力者が直行さんに、先生の記念碑をと持ちかけたところ「僕の
敗北の跡を晒すのか?」と、怒ったように言ったという。Mさんは、その
後電話で「自分の手間を省くために(跡地を訪れる人の案内)木柱の一本
くらい建てさせてくれ」と頼み、それに対しては「うーん、木なら腐るか
らなぁ・・・」という答えであった、と回顧している。
そこは河原へと続く崖を背後にした農地の片隅で、日高山脈の楽古岳が
畑地一面に萌した緑に浮き上がるように見えている。背後の崖を降りると
すぐに湿地がありエゾリュウキンカが黄色の花をつけていた。一帯は林に
なっていて、湿地を外れるとニリンソウ、オオバナノエンレイソウが咲き
乱れ、所々にサクラソウ(エゾオオサクラソウ)が紫色を添えている。
ここから河原までが「開墾の記」にも登場する下の段の林だろうと分か
る。
Mさんは朽ちていく木柱に変えて、(不変の)石碑をという希望を語っ
て居られたが、さてどうだろう。「木なら腐るから・・」という直行さん
の言葉が味わい深く聞こえるタカノハなのだが・・・。
2004/05/20 不思議の森
歩き回るといろんなことに出会うもので、今日は不思議な人と場所を見
た。ある用事で車を走らせていたタカノハは、ふと通りかかった川縁の林
で車を止めた。ここにオオバナノエンレイソウが相当な群落を作っている
のを知っていたのだ。
そしてそこには森の主と別世界のような光景が待っていた。突然の来訪
者を呼び止めた人物がそこの主であり、許可を得て森を見渡せる場所に案
内されたタカノハは驚くべき光景に時を忘れた。その主と森を眺めながら
様々語り合ったのだが、今はいろいろな意味で言葉にならない。
2004/05/20 適合
ある時期、来る日も来る日も魚を眺めて過ごしたことがある。健康な種
苗を育成し、放流するという分かり切ったことを実現するために。
悪魔のように夢想する。多くの客観性を持って健康といえる魚が、実は
不適合なのだと。小さく、摂餌もおぼつかない劣等と見える類のものこそ
が、未来のその種を担う最適な形質を持っているのだと。
2004/05/24 エンレイソウの交配
気になっていたことがある。エンレイソウを見つけた時に図鑑で赤い花
をつける種類を調べたのだが、そこには3種が載っていた。その一つに、
エンレイソウとミヤマエンレイソウの交配種、と説明されている1種があ
る。
先日ミヤマエンレイソウを見つけた時、その幾つかが白い筈の花びらに
うっすらと別の色を混じらせていたのが印象に残った。そこは先にエンレ
イソウ(赤い)を見つけた場所で、異色を滲ませたミヤマエンレイソウの
花びらを見ながら、ふと交配という言葉を意識に上らせた。
2004/05/27 シラネアオイ
オオバナノエンレイソウが盛りを過ぎた頃、白花に混じって薄紫の大き
めの花が目につく。どことなく柔らかな印象を受けるきれいな花で、野生
種らしい感じがない。
初めてシラネアオイを見た時は、何時からそこに居た?と言いたくなる
ような地味な印象だった。この頃は草も緑を深め、そこにエンレイソウの
真っ白な花が乱舞する世界では名花の一輪も影が薄いのはやむを得ない。
それでもカタクリと同じで、この林で数を増やしているようだ。ぽつぽ
つとだがあちこちに姿が見えるようになり、10本ほどの群が数カ所にあ
った。
2004/05/30 蝉時雨
突然の夏日だった。午前中にカメラを掴んで走ったのだが、河原の林で
はタンポポの綿毛やら小さな虫やらが空中に漂っている。そして春ゼミが
一斉に鳴きたてている中を林へ突入、長靴を履いて装備は万全だ。
この時期になると大型の植物が生い茂り、枯葉が敷かれただけの見通し
の良い春先とは全く様相を変えている。時々ダニを土産にして帰ることが
あってマアの顰蹙(ひんしゅく)を買う、まだ食いつかれたことはないけ
れど。
エゾノハナシノブが咲き始めていた。このことにも夏の到来に気づかさ
れ、同時にある花を思い出して次の予定が決まる。休日は有り難いもので、
臨機応変、融通無碍だ。
ササバギンラン、今年もまた撮りたいと思っている花の一つで、開花に
はやや早かったが5、6株を確認できて安心する。
2004/06/01 大げさな・・・
ササバギンランといえば、昨年の滑稽な撮影風景を笑いとともに思い出
すことになる。
あるきっかけで、登山道の林にこの花を見つけたタカノハは、マアを誘
ってじっくり撮影しようと出かけた。そこは日高への登山道だから熊対策
をすべきと考え、タカノハは知人から諸対策を仕入れる。簡単に出来るも
のとして、音を出す鈴、熊が嫌うという蚊取り線香を用意する。
いよいよ林に入り撮影を開始、マアに蚊取り線香と鈴を持たせてカメラ
マン気取りのタカノハは花に熱中する。何か匂うなと思いながら撮り続け
たのだが、しばらくすると後方で「ヒヤーッ」だか「ウワーッ」だかと意
味不明の悲鳴が上がった。
「どうしたっ!」慌てて起きあがりマアを見ると、恐怖に引きつった表
情でこちらに引き返して来る。「け、毛むくじゃらの、何かの死骸があっ
た。」
マアの身に何か起こった訳ではないとまずは安心し、そうなると可笑し
くなってくる。香を炊いて鈴を鳴らし、獣の死骸に悲鳴を上げて、静かな
林に騒動を巻き起こすとんでもない夫婦である。
もともと藪や虫の嫌いなマアは、この後、滅多なことではタカノハの撮
影に付き合うことはなくなった。
2004/06/05 鈴蘭の頃
昨年の撮影月日を確認すれば、ほぼ狂いなく個々の花の時期が分かる。
6月は北海道で最もいい季節なのだが、簡素でいて個性的な姿と香りを持
った鈴蘭は、その良さが形になって現れたもののようだ。
ひっそりと目立たないたたずまいが、経済的に不振な北海道を現してる、
とまぜっ返されそうだが。
「開墾の記」(坂本直行氏著)にも、この花にまつわる話が載っている。
牛に鈴蘭を食べさせると、いい乳が、沢山とれるからその場所に放牧して
おこうというのだ。牛も好むらしく、花ごと食べているとも書いている。
数日に渡って食べさせたというのだから、当時は沢山の鈴蘭が咲いていた
のだろう。
食い意地の張っているタカノハは、こうした件(くだり)を読むと鈴蘭
の香りがする牛乳を素直に思い浮かべてしまう、美味いだろうな、どこか
にないだろうか・・・。
(注) このメモには重大な事実誤認があります、↑の2004/06/17の記事
をご覧下さい。
2004/06/07 強烈な個性
鮮やかな紫色に咲くこの花を見た時は驚いた。色もそうだが、複雑な形
をした多数の花をつけ、華麗な姿で初夏の林内にあった。ハクサンチドリ
という名は後から図鑑で知ったのだが、強烈な個性を持つ花として印象が
強い。
シラネアオイとは好対照で、周りに溶け込むという感じが全くない。訳
知り顔のおじさん達のように、つまらない言葉でからかってやりたくなる。
「お前さんのように自己主張が強いと、随分周囲と軋轢(あつれき)を起
こすんだろうな。」
考えてみると、それはそれでおじさん達の褒め言葉だったか・・・
エゾカンゾウ(ゼンテイカ)を撮りながら、この花を好んだというある
少女を思い出していた。知里幸恵(ちり・ゆきえ)、アイヌの子として生
まれ、その民族固有の口承を記録に残し、20歳に満たない若さで希有な
生涯を閉じた少女。
宿命と言ってしまうことに後ろめたさを感じるのだが、一人の少女に託
された民族の歴史は、それ以外にない生き方を彼女に選ばせたのだろうと
思う。
「(私たちの先祖は)・・・何という幸福な人達であったでしょう。」そ
う綴りながら、自ら受難の時代を生きた少女の嘆きは、何処に向かおうと
していたのか?
エゾカンゾウは気取りのない簡素な花で、ややオレンジに近い黄花は緑
濃い夏の草むらに合う。先日かなり濃密に群生する林を見つけたのだが、
それとて少女が見た時代からすればわずかなものなのだろう。
2004/06/17 牛と鈴蘭・・・−事実の確認
0605 鈴蘭の頃」を閲覧された皆さんへ
先日「鈴蘭の香りのする牛乳を飲みたい」と、メモしましたが、残念な
がらそれはあり得ないことのようです。というのは、鈴蘭という花は毒性
を持っていて、少なくとも牛が好んで食べる植物ではないと分かりました。
タカノハの無知を皆さんにお許しいただかなければなりません。
このことは、ここに掲載してすぐに、ある方から資料も含めてご指摘頂
いて調べたもので、ご厚意に心から感謝いたします。
タカノハは知り合いの農家などに聞いて回りました。やはり牛が好んで
食べるということはなくて、他に無かったら口にするかな?という程度の
ようです。
毒性については、ある獣医さんにお尋ねしたのですが、牛が鈴蘭で中毒
になった例は見たことが無いと言ってました。また、薬に詳しい友人に調
べて貰いましたが間違いなく毒があり、人間の場合、鈴蘭の花を挿してい
た水を過って飲んだり、他の野草と間違えて食べて中毒を起こす例がある
とのことです。
これらのことから、通常の状態であれば、牛が鈴蘭を食べることは無い
と考えるのが妥当だと思います。
ウーム、直行さんも勘違いをすることがあるのか?それとも何かの秘伝
・秘法を知っていたのか、考え込むタカノハでありました。
幻のスズラン牛乳が目の前からフッと姿を消して、「きれいな花には毒
がある」というフレーズがテロップのように流れてくる・・・
2004/06/20 山道で
と言っても、歩いた訳ではなくて車で入れる部分をざっと走ってみただ
けだ。途中、河原へ降りる道路が付けられていたのだが、その見事さに人
の持ってしまった力を改めて感じさせられた。
見事というのは良い意味ではない、根こそぎ林を素通しにしてしまった
凄まじいパワーに呆然としたのだった。幅10メートルほどにおそらく機
械類で林を土ごとえぐり取り、車が通れるようにきれいに石を敷いてある。
巨大な鉄のかたまりを駆使してわずかな人数と時間でやってしまったこ
とだろう。ベトナムの枯れ葉剤を見るまでもなく、今の人間の力を持って
すれば地球をつんつるてんにしてしまうことは、単純にそのことを目的に
するのであれば極めて簡単なことだろう。
昨年のこと、海岸沿いの道路を走っていて切り通しの崖に濃いオレンジ
色の花を認めて車を停めた。かなりの高さを上ってみると見たことのない
花が咲いていた。
百合の仲間のようだが風変わりな花で、優雅なイメージのある百合の類
と違って姿も色も実に野性味に溢れている。エゾスカシユリという名は例
によって手元の図鑑で調べた。
ところが、撮影した2・3日後、車を走らせていてふと見上げるとお馴
染みになったあの花色が見えない。撮影した時は幾つか蕾も残っていたか
ら、まだ咲いている筈なのだが、と不審に思いながら通り過ぎた。
そして今年のこの時期、昨年兆したある疑いはやはり現実のもののよう
だった。崖上とはいえ、結構車の通る道路沿いで目立つ色合いだから誰か
が持ち去ったのでは?と考えていたのだ。
果たして、この時期に幾つか咲いている花も確認して来たが、あの崖上
の花は見えてこないままである。根こそぎどこかの庭にでも持って行かれ
たか、心ないことをするものだ。
おまけに、一昨日その近くの路傍に見つけて撮ったエゾスカシユリもま
た、今日通りがかって見ると姿が無くなっている。
「打ち首じゃー!」憤懣やる方ないタカノハは、思わず車中で叫んでマア
を驚かす。
2004/06/27 かくかくしかじか
危うく衝突するところだった。登山道に向かうのに、小さいとはいえ峠
道の九十九折(つづらおり)を上る途中、曲がり鼻に子鹿が現れた。
花を探しながらの道中で、ゆっくり走っていたのと、上りだったために
接触はしないで済んだ。それでもバンパーから1メートル位まで接近した
ろうか、車をへこませるか鹿を傷つけるか、際どいところではあった。
ここ数年確かに鹿は増えていると思う。特に夜間の山道で鹿と衝突した
という噂や話題が尽きない。タカノハ自身も二年前に実際接触したことが
あるし、撮影に歩いていて畑地や道路脇でよく見かける。
農家などからは作物を食い荒らすと嫌われて、鹿も不本意なことだろう。
かくかくしかじかと、この原野に生きて来た種族の歴史を説明することも
出来ない。
2004/06/30 草の香り
時折草の匂いが感じられるのも夏のことだ。ドライブ中、車の中にまで
入り込んでくることがあったりもするのだが、その香りが覚醒させてくれ
るものがある。
人工的なシステムに組み込まれている日常で、名刺に記載された社会的
な人格を離れ、草の香りで有機体タカノハに立ち返ることは楽しい時間と
いってもいい。
夏だ!という想いは、スケジュール表にあるのではなく、他にも草いき
れや汗や虫さされ、或いはスイカにかぶりつくなどの身体の記憶として湧
き起こる。
二重生活のようだと思いながら、馴れている。誰でもそれぞれに折り合
いをつけているのだろうが、現れ方は様々で、それも個性というものの一
つと言えるかもしれない。