「海を銀色に塗ったら、海は青いものだと笑われた。でも、きらきら光る海は、わたしには銀色に見えるの」幼な子は、ふくれっつらをしながも強く言った。






2.『歌姫な彼女』


 
ヴァレス神聖王国の宝とも言うべきセレーネ姫が国を出奔した後、王は手をつくして捜したものの、ついに姫を連れ戻すことはできなかった。ただ姫が外洋を経て大陸へと渡り、8ヶ国の同盟国からなる西方諸国連盟で活躍しているらしいことは、風の噂で庶民の間に伝わってきた。
 そして、セレーネが戻らぬまま、1年が過ぎた。

 ヴァレス神聖王国には、もうひとり、ファリナという姫がいる。
 母親譲りの青い目をした美人ではあるのだが、残念ながら、一国の姫らしからぬ自他ともに認める変人だった。
 虫を大量に飼ってみたり、機械いじりをしてみたり、錠前を分解しては組み立てたりと奇行ぶりは一国の姫というには常軌を逸していた。変だと言えば女だてらに剣の達人で国を出奔してしまった姉のセレーネも充分に変だったのだが、ファリナはそれに輪をかけて変だった。
 ある日、彼女が城下に抜け出て、ひどいぼろを身にまとって帰ってきたことがあった。
 聞けば、自分の着ていたブルーのドレスと、乞食が着ていた服とを交換したのだという。交換した服には蚤がついており、それからしばらくのあいだ、だいぶ痒がっていたので、ファリナもさすがに服の交換には懲りたらしいが、それでも城下を抜け出して、おかしなものを拾ってくるのはやめなかった。子供の頃はガラス玉だの、蝉の脱け殻など他愛も無いものだったが、近時では異国の怪しげな植物の種だとか、地図だとか何に使うのかわからない青銅器なんかを好んで拾ってくる。
 14歳になった今でも姫の奇行癖は直る気配がなく、それどころかさらに進行しようとしている。常人にはがらくたを集めているようにしか見えないが、本人なりに理論があるらしく、奇行は以前にもまして鋭く、頻繁になっていた。



 
ヴァレス神聖王国では、祭政一致の体制がとられている。そのため、ヴァレスの王は国教の最高職である最高神祇官を兼務する。その王が主催するミサは「大ミサ」と呼ばれ、五穀豊穣の祈りも兼ねて、秋に執り行われる。一般人が王を遠目でも見ることができる唯一の機会であるため、大ミサには多くのひとが詰め掛ける。
 この儀式が始められたころは自由参加だったのだが、集まるひとが多すぎて事故が多発したため、今では王が執り行う大ミサへの参加者はくじ引きで選んでいる。それでも、毎年くじに選ばれた幸運な千人程度が大聖堂につめかけることになる。
 大ミサは、王による聖書の朗読、対面式の説教、歌唱和、そして参加者が多いため代表聖職者のみの聖体拝領の儀式からなる。そして、若い女性が「歌姫」として選ばれ、奉献唱と呼ばれる節を独唱する。今まではずっとセレーネがその役を務めてきたのだが、今年は、当然と言うべきなのか、妹姫であるファリナがその役を務めることになった。
 ときどきお忍びで城を抜け出しては、街へと遊びにでる姫だったから、庶民に知られぬ深窓の箱入り姫ではないが、こうしたおおやけの場に出ることは初めてであった。貴族層や聖職者層は、この儀式でファリナを正式に知ることになるのだし、つまり王としてはファリナ姫初お披露目の儀式にもなる。

 この大ミサという儀式が、どれほど重要であるかを理解しているのだろうか。いやいや、儀式の重要さにしり込みして、緊張しすぎたりしていないかどうか−−。
 そんなことを考えて心配した父親である王が、ファリナ姫に「大丈夫か」と短く問いかけると、
「まあなんとかなるでしょ」
 と、問いかけられた当人のファリナ姫は軽い返事をかえしただけだった。
 王の本意としては、せめて大ミサでは奇行をつつしんで欲しいという希望もあったのだが、しかし、その想いが伝わったのかは、定かではなかった。
 胃が痛くなるような重圧のなか、王は大ミサに望んだ。これまで20回以上大ミサを執り行っているが、これほど緊張した大ミサは、過去になかったと王は振り返る。
 けれど、そんな王の心配を姫が感じたのかどうか。



                           ◆◇◆


 ファリナが初の歌姫を務める大ミサの日。
 大ミサが進行する中、皆で歌う続唱が終わり、ファリナの独唱の番となった。
 白絹の聖装に身を包んだファリナ姫が、今年の歌姫として、しずしずと演台へと登る。聖堂を満たす聴衆は皆、演台へと登るファリナを注視した。そして知った。そうか、あれが妹姫のファリナ姫か。ぼそぼそと、隣同士で囁き合う。だが、聴衆の何人かが、違和感を覚えた。その違和感は、実は既視感でもあった。
 ついに、ファリナは歌い始めた。
 やや細いが美しい声だった。聖堂の壁や天井に声が跳ね返り、広く伝わっていく。
 やがて聴衆の間で、かすかなざわめきが起こった。
 演台で歌う今年の歌姫の違和感に、何人かが気がついたからだ。
 厳粛な雰囲気の中、大声を出す者はいなかったが、庶民階級の中に、彼女を指差すものも出始めた。
 彼女の歌が進むにつれ――儀式の最中のためにそのざわめきは決して大きくなかったが ――静かに、しかし確実に広がっていった。

            
 閉じた扇で口を隠しながら、2階席の貴族たちがひそひそと言葉を交わしている。
 ファリナ姫に幼い頃から仕えるシルフィは、その末席に連なりながら、きっと、今まさに歌姫を務めるファリナ姫のことが、話題になっているのだろうなと想像する。1週間、いや2週間はこのことは貴族たちのサロンで話題になり続けるだろう。そして、歌うファリナの姿を遠目に見て、シルフィは、こみ上げる頭痛を押さえるように手を額に添えるときつく眉根を寄せた。何か救いを求めるように、やや離れたところに立つ、王を見る。さすがに儀式を司る長だけあって、平静を装っていたが、よく見てみると、唇を噛み締めている。きっと立場が立場でなかったら、頭を抱えてうずくまってしまうところだろう。
 心の中で、深い嘆息を吐きながら、シルフィは演台のファリナを見遣った。

 本来、ファリナの髪はブロンドで、長さも首の辺りまでしかない。
 けれど今、演台で歌うファリナの髪は赤く、長さは背中まである。
 髪の二房が、両の鎖骨に垂らされて、白い聖衣の上に揺らめく炎のようだ。
 それは、背丈こそ違えど、今ここにはいないセレーネ姫の髪とうりふたつの姿だった。

(どうして、この儀式であんな仮装を)
 シルフィは思う。ファリナを知っているものは、みんな同じ疑問を持っているだろう。 そして疑問は噂へと変わり、小鳥のように頻繁にさえずる、口さがない貴族たちの格好の攻撃対象になるだろう。そして、ファリナ姫のただでさえ良くない評判は、さらに悪くなる。そして、「奇行姫」という評判は、ファリナの初お披露目である大ミサという国民的な舞台で、広く知れ渡り、確定してしまうはずだ。
「どうして……」
 ごく小さく呟くと、シルフィはそっと目頭を押さえた。なんだか涙が出てきた。
セレーネ姫に扮したファリナは、周囲のざわめきに気がついていないかのように――そんなはずは決してないのだが――最後の一節を何事もなかったように歌い上げ、この年の歌姫の役割を終えた。



                            ◆◇◆
                  


「どうしてっっ、こんなことをするんですか、姫様は!」
 後ろ手に扉を閉めて、シルフィはファリナを咎めた。
 ファリナのかつらの一件があったものの、その後大ミサはつつがなく終わった。ざわめきを残して多くの参加者たちが帰ったあと、役割を終えたファリナ姫が、着替えのために手伝いのシルフィとふたりきりになったときだった。
「こんなこと……って、これのこと?」
 言って、ファリナはずるりと赤毛のかつらを取った。そのかつらは、近くで見れば見るほどセレーネ姫の髪にそっくりだった。
 いつの間にこんなものを作っていたのだろう。
 シルフィがそう思うのと同時、ファリナが話し出す。
「苦労したのよ、これ。なかなか質感が出せなかったのよ。色みも結構微妙なものだし……色を一度抜いてから、なんども染め直したりしてね」
「聞いているのはそういうことじゃありません!」シルフィが割って入る。「どうして、こんなことをしたのかってことです!」
「王族が、民の求めるところを為すのは当たり前だわ」
 事も無げに、ファリナは答えた。愛されていたセレーネ姫がいなくなって、民衆は寂しがっている。セレーネを求めている。だから、せめてセレーネの格好をして皆を喜ばせようとした。その理屈をファリナは語った。
 こどもじみている。王がその場に居ればそう指摘しただろう。だが、その理屈をそのように感じるには、詰問するシルフィもまた子供でありすぎた。
けれど、シルフィはそうした次元とは違った、もやもやとした違和感を、胸に湧いた疑問を、そのままファリナにぶつけた。
「姫様がセレーネ様の真似をしてしまったら、姫様自身はどうなるのです。姫様はいったい、どうなってしまうのです。まるで……まるで、ファリナ様が居なくても良いみたいじゃないですか!」
「そんなこと……」
「そうですよ! 確かにセレーネ様は皆に期待されているのかもしれないですけれど、わたしはファリナ様に期待しているんですから!」
 感情が高まって、シルフィの黒い瞳からぼろぼろと涙が零れる。それでもきっと強く見詰めてくる視線に負けて、ファリナはうなだれた。
「……ごめんなさい」
「ほんとうに、わかっていらっしゃるのですかっ?」
「うん、その、本当に……ごめん」
 泣くのは反則だ、とは思いながらも、ファリナは素直に頭を下げた。



「セレーネ様が居なくなって、もう1年ですね。姫様は、セレーネ様がお戻りになられるとお思いですか?」
 赤く晴らした目をこすりこすり、シルフィが聞いた。ファリナの腕から服を抜き取ると、それを手早くたたむ。そしていつもの服に袖を通しながら、ファリナが言った。
「姉さまは、必ず戻ってくると思う。いつになるかはわからないけれど。でも、帰ってくるときは、新たな信念を持ってくると思う」
「信念……ですか」
「そう。あらたな何かを得てから、戻ってくると思う。何も得ずに戻ってくるようなひとじゃないわ、姉さまは」
 そうですか、とシルフィは顔を曇らせたが、すぐに顔をあげた。目には、いつものように必死な光を宿している。
「ファリナ様。せめて神様に、主にお祈りいたしましょう。セレーネ様のご無事を」
「ねえ、シルフィ。祈りが届いたとき、神様の声が聞こえるっていうけれども、本当?」
「本当ですよ。司教様がおっしゃっているではないですか。もっとも、わたしはまだ未熟者ですから、尊き御言葉をまだ聞いたことはないですけれども」
「祈って、何も答えがないと、つまらなくない?」
「祈りは、つまらないとか面白いとか、そういった物差しではかるものじゃありません」
 なんだか大人びた様子で言い切ると、シルフィは鏡の前に座るファリナの髪から、ヘアピンを手早く取り除いた。
「でも、答えがないと不安にならない? 本当に神様はいるのかなって」
「そんなことを言っては駄目です!」
 シルフィは手に持っていたブラシで聖印をきると、そのブラシごと両手を胸の前で組んで、天を仰ぐ真似をした。
「……シルフィ?」
「さあ大丈夫です。わたしがファリナ様のぶんまで神様に謝っておきましたから」
 そう言って、シルフィは慣れた調子でファリナの髪を梳かし出す。
「……ありがとう」ファリナが呟く。
「駄目ですよ、神様の存在を疑うなんて。不敬です」
「その……ごめん」
「わかっていただければいいんです」
 さあできました、とファリナの肩を軽くたたき、シルフィはブラシを置いた。



 結局、大ミサの仮装の一件について、ファリナは父王から大目玉を喰らった。父王は最初は怒鳴り、次に叱責し、そして最後はくどくどと愚痴めいた言葉を繰り返した。ファリナはシルフィの一件があったために強く反論はせず、一応、自分の意図を話すだけに留めた。その意図は、父王には理解されなかったが。
 説教のあと、ファリナはひとり王の私室を出た。そして渡り廊下を歩いていると、一人の兵が壁を背にして立っていた。その長身に、ファリナは見覚えがあった。彼は、ファリナよりは年上だが、そう離れた年齢でもないと聞いている。
「うげ」
 会いたくないときに会いたくないやつに出会った。ファリナはうめいた。
「お疲れ様です」
 兵はファリナの姿を認めると、踵を鳴らし、敬礼した。短く刈り込んだ銀髪に、浅黒い肌。ファリナを見る黒い目は相変わらず鋭い。
「ジークヴァルド……あんた、ずっとここで待ち伏せしてたの?」
「ずっと、というほどでもありません」
 ファリナがジークヴァルドと呼ばれた青年の脇を通り過ぎると、ジークヴァルドはファリナから後ろに2歩ほど離れた距離をたもって歩き始めた。
「やっぱり、ついてくるんだ……」溜め息混じりに、ファリナが言う。
「ええ。職務ですから」淡々と、ジークヴァルドが答えた。

 1年前、有望な後継者だった姉姫セレーネが出奔したことで、ヴァレス王は妹姫ファリナに新たにひとり護衛をつけることにした。だが、護衛とは建前で、実際はファリナが国を抜け出そうとしたときに、力ずくでも止めることができる人間を傍に置いただけという見方もあった。実際は、どうなのか。
 とにかく、ファリナの護衛として、ヴァレス神聖王国の近衛兵団から実直で腕が立つジークヴァルドが選ばれた。
 だが、いや、当然というべきか、ファリナはそれを嫌がった。もともとが自分の感情を隠しておけない姫なので、ジークヴァルドを露骨に煙たがったが、そこは年上の余裕なのかそれとも元来の性分なのか、ジークヴァルドは嫌な顔もせず淡々と日々護衛の職務をこなしている。

「あたしは今、機嫌が悪いの」
「大ミサの仮装の件ですか?」
 早足で歩きながら、姫と護衛が言葉を交わす。
「よかれとやったことなのに、シルフィには泣かれちゃうし、お父様には大目玉くらうし。苦労したのに、報われないわ」
「そうですか。残念でしたね」
「……アンタはどう思った?」
 仮装の件。そうファリナが水を向けると、ジークヴァルドは少し考える様子を見せ、
「斬新だとは思いました」
 ふん、とファリナはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あーあ。神様って、本当にいるのかしら」
「姫様。そうした発言はお控えになられた方がよろしいかと」
 静かに、諭すようにジークヴァルドが言った。
「でもジークヴァルド、貴方は疑問に思ったことはない? 神様が本当にいるのかって。もしいるのならば、どうして酷い目に会う前に止めてくれないかなあ」
「そのときの瞬間はそれが酷い目だと思っていても、実は意味があることなのです。あとあとにならないとわからないことですが」
「回りくどいことが好きなのね、神様は。まあ薄々感づいてはいたけど!」
ファリナはまた鼻を鳴らすと、自分の髪を払う仕草をした。そして城壁へと続く階段へと足をかけた。そのファリナを追うように、静かな声が狭く暗い通路に反響する。
「信仰には正否はありません。ただ信じることがあるのみです。そして、姫。貴方は、王家の人間です。この国の王は、神職の最高位である最高神祇官を兼ねています。だから、一般の人々は、王家は謹み深く信仰が厚いと思っています。そう思っているからこそ、人々は王家を尊敬し、敬うのです。……御身をお慎みくださるようお願い致します」
「それは、政治的に振る舞えってこと?」
「解釈は姫様にお任せいたします」
「貴方のそういうところ、気に入らないわ」
「と……言われますと?」
「言い方が回りくどい。それに、発言の責任を自分で持とうとしないところ。貴方、ひょっとして神様なの?」
「以後改めます」ファリナの皮肉には答えず、ジークヴァルドは頭を下げた。
「どこまで本気だか」
 次の瞬間、ファリナの前にオレンジ色の世界が広がった。絶壁に立つ城壁にはいつもと同じようにひと気はない。そして、そこから見下ろせるヴァレス王国の海に、今まさに夕陽が沈もうとしていた。空も海も街も人も、そしてファリナも、オレンジ色に一緒くたに染め上げられている。ジークヴァルドも遅れて、その世界に入った。
「ねえ」ファリナは城壁の矢眼に手を添える。「ひとりにして欲しいんだけど。お願いだから」
 その依頼にジークヴァルドは逡巡したようだったが、結局、
「階段の下でお待ちします」
 そう言い残して、もと来た階段を降りていった。

 ファリナは、城壁のへりにひとり腰掛けて、落ちる夕日を眺めた。
 少しずつ少しずつ、空の橙と紫とが交じり合って、青紫が陣地を広げていく。
 たととん、たととん。足をぶらぶら揺らし、踵でリズムを取る。
「神様……か。本当に、居ればいいのにな」
 呟いて、たととん、たととん、またリズムを取る。
 リズムのさなか、ファリナの膝元にぽたりと雫が落ちて砕けた。
 たととん、たととん。
 夕日が完全に海に隠れてしまうまで、その日ファリナはずっとそうしてリズムをとっていた。