エピローグ







「……そして、聖暦1306年、ヴァレス防衛戦争を勝利に導いたファリナ=ヴァレスは、ヴァレス神聖王国初の女王として即位した。彼女の治世に、ヴァレス神聖王国は最盛期を迎えた」

 とある博物館を、一組の男女が訪れていた。仲良さそうに寄り添う二人は、夫婦だろうか。彼らはひとけの無い博物館に、静かに陳列されている展示物の前をゆっくりと歩き、説明書きを読み始めた。
 その展示物ひとつに設置してあった説明文を、女性が読みあげた。その隣で展示物を眺めていた男性がそれを聞き、眼鏡に触りながら、へぇ、と言った。
「かの有名な『隻腕の女王』ファリナといえども、最初からすんなりと即位できたわけじゃないんだね。初代女王として、それなりの実績を作らなければならなかったわけだ」
 男性の言葉に相槌を打ちながら、女性は説明文を読み続ける。
「そして女王ファリナは、防衛戦争の翌年、誠実さが取り得の臣下のひとりと結婚。……だそうですよ。なんだか、簡単な表記ですね。あまりにも簡単すぎて、ちょっと結婚相手が可哀想」
「そうだね。でも、当時から500年以上経った今もそうだけれど、王家の結婚なんて政略のひとつだよ。どこかの王族か、有力諸侯の誰かと結婚するのが当たり前な世の中で、無名の人間と結婚したんだから……まあ、いろいろとあったんだろうね。つまり、権力争いといった政争が背景にさ。その表記も、歴史的な省略だけじゃなくて、政治的な配慮の結果だと思うよ」
「でも、説明を見ると、夫婦ふたり最後まで仲むつまじく過ごしたみたいですよ。それは救いですね」

 そうだね、と眼鏡の男性は呟いて、展示してある懐中時計を眺めた。

 『ブルー・クィーン』と銘打たれているその時計は、かのファリナ女王直々の設計品だという。片腕を失い、趣味の時計組み立てができなくなった女王は、自ら時計設計を行う一方で職人を集め、時計製造を奨励した。結果、ヴァレス神聖王国は時計技術の国になり、その後、歴史の中で神聖王国は無くなってしまったが、500年経った今でも、ヴァレスは時計の一大産地になっている。
 当時の技術の粋を集められた『ブルー・クィーン』は、一般的な時計の機能の他に、午前午後・曜日の表示を移すからくりがあり、さらに定刻にはオルゴールのような鐘がなる機能が追加されている。そして、外装は、夕闇の紫の空のような、優美な青色をベースにして、光を受けて煌めくように縁に小さな宝飾があしらわれており、貴婦人が公式の場に用いるのに相応しい。

 薄暗い博物館で、暖色の光を受けながら『ブルー・クィーン』は静かにたたずんでいる。数百年前と同じように。ファリナ女王が好んだという、青色のままで。
 綺麗ですね、と女性が言った。そうだね、と男性が同意した。
 そのとき、ブルー・クィーンにつけられていた、もうひとつの説明書きを、女性が見つけた。
「あれ? このブルー・クィーン、今でも複製品が作られていて、誰でも買えるみたいですよ。それなら……」
 女性の声に、うっ、と男性がうめいた。
「そりゃ、買えるは買えるんだろうけど、とても普通のひとが買える値段じゃないよ」
「どのくらいなんです?」
「そうだな、1,000万デュカードぐらいかな」
「い、家が建っちゃいますね」
 残念、と女性が言って、またブルー・クィーンに見入り始めた。
 男性は、ほっとした様子で、同じくその青色の時計を眺める。そして、大昔のファリナという女性が、どんな想いでこの時計を作ったのかを想像して――諦める。結局、本人になってみないとわからないことだ。ただ言えることは、どんな出来事も行動も人物も、後から振り返ってみれば歴史の1ピースにしか過ぎないということ。けれど、その1ピースは、とても価値のある1ピースだ。常に、誰にとっても。



 ブルー・クィーンは、ただ静かに、刻をきざみ続けている。
 正しいことも正しくないことも。
 正しいのかそうでないのか、わからないことすらも。
 ただすべてを積み重ねて。
 秒を重ね、日を重ね、年を重ね。
 秒針は今でも止まることなく、確かに動き続けている。















<了>