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ヤイユーカラパーク ごまめの歯ぎしり

VOL362001 04 30

天皇と国家の犯罪

旧日本軍――つまり日本国家の、慰安婦制度や性暴力を裁く民間法廷『女性国際戦犯法廷』が12月8日〜12日、東京で開かれた。数年前から準備され実現したこの法廷に、広島での仕事を終えて智子さんと二人で最終日12日の「判決」の日に参加できた。ここに到るまでの証言や告発を聞けなかったのは残念だが、やがて公刊されるであろう「記録」を待とう。

公判中の被害者証言のなかからいくつかの言葉を4人の裁判官が交代で読みあげた後、ガブリエル・カーク・マクドナルド氏が簡潔に読み上げた。「天皇ヒロヒトは有罪」。

一瞬の静寂の後、舞台前に座っていた各国から出席の元慰安婦とその支持者たちが立ち上がり、声を上げ拍手した。そして日本青年館ホールを埋めた私たち参加者も……。歓声と泣き声、拍手が続いた。

続いて日本政府も同罪であるから謝罪と補償を求めるという勧告がなされ、10ヶ条の勧告条項が読み上げられた。また東条英機以下25人の告発された戦犯については、この後犯罪行為を詳細に検証し、後日判決が明らかにされると報告された。

立ち上がり拍手する我々「日本人」を、"自虐的"であると指弾することができるだろうか?

否である。戦後「民主主義」のぬるま湯のなかで、自らが「国民」であることを消極的に忌避、否認しながら生きてきた後ろめたさから、やっと解放されるのだ。日本国民であることを引き受け、為すべきことを為すべく生きる道が示されたのである。仏教でいう共業(ぐうごう=社会・集団の業)を、ともに担っていく方途が明らかになったといえる。これを解放への指針と捉えられない「日本人」こそ不幸な人と言わねばなるまい。

そして、思う。「天皇ムツヒトはアイヌに対して有罪」と。

先住していたアイヌに対する一片の配慮もなくその土地を「無主の地」とし天皇の領土とした国家の頂点に神として君臨していた天皇睦仁は、理由なくアイヌの土地と資源を奪い取った罪において有罪である。さらにそれによってアイヌが困窮し、貧困の極に追いやられるという実態を知ろうとも、解消しようともせず、まして謝罪し、奪ったものを返還しようとしなかった人道上の罪においても有罪である。

ムツヒトに続くヨシヒト、ヒロヒト、アキヒトの各天皇は、先代からのすべての遺産を相続してその地位に居た(居る)にもかかわらず、ムツヒト同様アイヌに対していかなる謝罪も賠償も行なおうとして来なかったので、同様に有罪である。

今日までの日本政府はそれら天皇(達)の犯罪について知り得るべき立場にあり、彼らの犯罪行為とその継続を改めさせ、また主体的に改めるべきであったにもかかわらず、それを放置し、利用して今日に到らせた罪において有罪である。

アイヌが天皇と国家に対して謝罪と賠償を求めるべく『民間法廷』を開催することはできるだろうか?

もし実現すれば、世界中の先住民活動家が検事や裁判官として集まり、原告アイヌの証言をもとに裁定してもらえるのだろうが……。

年も明けぬのに、初夢をみた。

ともあれ、上記国際法廷に向けて作られた『2000年女性国際戦犯法廷・憲章』は、繰返し読むごとに、私たちに新たな示唆を与えてくれるだろう。

タイム・スリップ

ピースボートの旅を終えて帰宅したのが10月15日。10月19日の北海道新聞は、札幌市教育委員会による「日の丸・君が代」についての"職務命令"発令問題を報じていた。

9月に配布された市立小中高の校長宛文書には、「(日の丸掲揚、君が代斉唱を)全市立学校で実施することを命じる」「教職員が実力で阻止、排除を行った場合は処分の対象」「準備業務を拒否した場合、または式の不参加で式中の児童生徒の指導を行わない場合でも服務上の責任が問われることがある」とあると。

「日の丸・君が代」実施率の最も低い北海道が、広島県の次に政府・文部省による攻撃の標的になるだろうことは明らかだった。その先鋒が、全国の政令指定都市中最低の実施率である札幌市に切り込んできたのだ。

これについての森首相見解は、「国旗国歌法」には法的拘束力がある、というものだったらしい。法制定時の野中官房長官・政府の二枚舌がここでもあきらかになった。

これに抗していくには、現場で歴史の真実を教え、洗脳教育と闘える子どもたちを育てるしかないだろう。

しかし11月7日の北海道新聞は『歴史記述 大幅に後退』という見出しで、新しい中学校歴史教科書申請本の内容を一面トップで報じた。

2002年度から使用される歴史教科書の検定を求める"申請本"の内容から、「侵略」の言葉や三・一独立運動、七三一部隊など、旧日本軍の加害行為にかかわる記述が大幅に削除、簡素化され、「南京大虐殺」についての表現があいまいになったり「南京事件」と表現しているものもある。現在全社(7社)が取り上げている従軍慰安婦の記述が3社に減り、それらから「従軍」の言葉が消えているという。

また今回新たに「新しい歴史教科書を作る会」の提案で編集した教科書を検定申請した1社の内容は、「韓国併合」について「国際関係の原則にのっとり、合法的に行われた」と説明、先の戦争を「大東亜戦争」と表記し「日本の緒戦の勝利は、東南アジアやインドの人々、アフリカの人々にまで独立の夢と勇気を育んだ」と記述しているという。

ピースボートが初航海に出たのは1983年9月。その前年に起きた「教科書問題」がきっかけだった。教科書検定に際して、第二次世界大戦における日本のアジアへの軍事侵略を「進出」と書き換えるようにという文部省の指導に対して、韓国や中国、アジア諸国から非難の声があがり、大きな国際問題になったのだ。

このとき、教科書に疑問を感じ、日本人が過去アジアで行ってきたことを検証する必要を感じた若者たちによって、ピースボートが始められた。(その中心メンバーの一人としてその後も活動を続けた辻元清美は、現在社民党の衆議院議員になっている)

それから17年。30回の航海に参加した人々は12000人を超えた。今回の「南十字星クルーズ」では南太平洋の日本軍の戦跡もまわり、"戦後生まれ世代にとっての戦争責任"を考える講座やミーティングも行われてきた。我々は、幾分かの進歩を遂げてきたのではなかったのか?

この「タイム・スリップ」は『タイムトンネル』や『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のように、灯りがついたら元の時代・世界に戻れるという気楽さがなく、時代を後戻りさせる歯車を回しているのが我々自身であることが痛いほど分かるだけに、苦しく辛い。