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2002年のカナダ・ツアー。日本でのBSE発生の影響で、サンフランシスコ空港で山下さんの鹿肉ソーセージを没収された。
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直近2回のピースボートでは、アメリカ領海での“食品衛生基準”とやらで、レストランから納豆・生卵が消え、ビュッフェ・スタイルが禁止され、居酒屋も臨時休業になった。
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そのアメリカでBSE発生。さぞかし厳しい対応処置が取られるだろうと思っていたら、余りにずさんな対応に呆れ、怒った。「我々を苦しめた、あの“食品衛生基準”はどうなったんだ!?
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食肉生産業者からの圧力だろう。そういえば、ブッシュも牛飼いではなかったか?
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しかし、アメリカの理不尽を責めるほど、この国がちゃんとしているわけではない。ある人が言った。アメリカは投資家のための民主主義、日本は官僚のための民主主義。……“民主主義”に幻想をもつことをやめなければならない。
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8月に続いて、12月3日〜22日まで船に乗ってきました。サンフランシスコ〜ホノルル〜東京という短いクルーズでしたが、本ニュースの遅れはこれも原因の一つです。深くお詫びするとともに、次号の報告で埋め合わせをしたいと思います(埋められるのか?)。
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現在『ヤイユーカラの森』のホームページを製作中です。もちろん私が作っているわけではありません。Sさんというその道のプロがやってくれているのですが、何せ私の不在が続き、Sさんの思惑通りに進行していないのが現状です。発破を掛けて(我が身に)第一段階を仕上げ、次号にはウェブサイトを紹介できるように頑張ります
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来年は事務所を守り、『森』事業を充実させ、将来展望をみれる年にしよう……と、思っています。それでも、カナダ・ツアーくらいは実現したいですね?
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そして来年は「国連・先住民族の10年」の最終年。何かと騒がしくはなりそうです。
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まず年明けは、映画『氷海の伝説』を観ることからはじめます。1月3日〜23日まで、「シアターキノ」(札幌市狸小路6丁目)で待望の公開。これは、いいですヨ!
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こんなにたくさん樹があったのか……?」と思わせる位、街中ポプラの綿毛が乱れ飛び、ハマナスが満開。初夏です。なんとか、遅れを取り返しました……。
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美しい初夏には似つかわしくない、醜怪な世情。「常識があったら政治家なんかやってられない」…けだし名言と言うべきか、語るに落ちたというべきか。その"非常識人"に、これまで歴代の宰相がやりたくても出来なかったすべての"懸案事項"をやらせた上で切り捨ててしまおうというのが、自民党のドンたちの思惑でしょう。"踊る阿呆"はともかく、"見る阿呆"の歴史的な責任を考え、行動しなければなりません。
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'96年フィジーでのNFIPで、ハワイイのソリさんが吐き捨てるように言いました。「資本主義国も社会主義国も口々に言う民主主義なんて、クソみたいなもんだ。ピラミッドのてっぺんに元首、以下順番に政治家・警察・行政がいて人民は最下位にいる。すべてのことは上から下へ電話一本で伝えられる"テレフォン・デモクラシー"だ!」と。同じ"名言"なら、これ位のことを言ってもらいたい。
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稚咲内キャンプ2日目の夜明け頃、うとうとしながら寝返りをうった瞬間、左上半身に激痛が。息もできぬまま寝袋から這い出して戸外へ。呼吸はできるようになったものの、一寸した動きにも痛みが走り、吐き気さえします。左腕には強い痺れがありました。「参ったなぁ!」……参加した皆さんに世話をかけながら日程をこなし、平島さんに運転を手伝ってもらいながら、何とか帰宅しました。
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翌日病院へ向かうタクシーのなかで、2年前のことを思い出していました。やはり左腕の痺れが続き、受診した整形外科で「頚椎のヘルニヤ」と診断されて、首を吊り上げるというリハビリーに通ったことがあったのです。一ヵ月ほど通った後忙しくなり、そのまま行かなくなったのですが、いつの間にか痺れは治まっていたのでした。「そういえば、1週間位前から左手が痺れていたっけ……」
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同じ病院で、前回とは違う医者の診断はやはり「頚椎の椎間板ヘルニヤ」でした。「安静に寝ていること。運転やパソコン操作はしないこと。できるだけ下を向いていること」と言われ、「首吊りはしないのか?」という質問には「やっても、気休めにしかならん」と。さらに「薬も欲しいだろうから出すけれど、効かないよ。2か月も我慢すれば治まるから……」という宣告でした。
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それから2週間、寝て本を読む(仰向きで本を支えているのは痛まない)生活を続け、痛みはなくなりました。現在も痺れはありますが、やがてこれも消えるのでしょう。先生のおっしゃる通りでした。つまりは、「2〜3年毎に出るよ」との言も正しいのでしょう。いやはや……です。
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8月下旬からの20日間、メキシコ〜カナダ〜アラスカ〜日本の行程でピースボートに乗ります。カナダの松井さんにも乗ってもらえそうで、楽しみです。アーサーたちに会えればいいんですが…。
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10月には、ブラジルからシャバンチが来ます。札幌と阿寒湖(マリモ祭り)で、1週間強の日程。エリザも含めて5〜6名の旅は、賑やかなものになるでしょう。お金を集めなければ……
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NFIP事務局PCRCからトンガ会議の決議(Resolution)が送られてきました。10テーマ・50決議で35ページに及ぶボリュームなので、掲載することができません。興味のある方は、ウェブサイト: www.pcrc.or,.fjでご覧ください。太平洋――つまりは世界の現実が、より鮮明にわかると思います。
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毎年のことですが、忙しい夏、短い夏がやってきました。
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いやはや、申し訳ありません。「トンガから帰ったら、ニュースを出して」という予定ではいたのですが……。予定は、希望に終わってしまいました。何やかや、いつも理由というものはあるものですが、3ヶ月遅れはひど過ぎる。深い反省とともに、43号ニュース(!?)をお届けします。「『ヤイユーカラの森』はつぶれたのでは?」とご心配いただいた方々には、とくに深くお詫びいたします。
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ほんとうに大砲が弾けました。この半年の世界のありようは、怖ろしいものがあります。そしてこの国の無様な有様も……。そこで右往左往している我が身が、情けなくなることがあります。澤地久枝が書いた『ファシズムは過去の、私たちに無関係の「怪物」ではない』を実感します。東京都知事選の300万票は、それが幻想ではないことを立証しました。都民を責める資格はありません
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ごく身近なところでは、浄土真宗本願寺派(西本願寺)がおかしくなってきています。「何をいまさら……」と思う人もいるでしょうが、本山の機構を変えてまでやろうとしているのは、何なのでしょう。その影響が早くも北海道教区のなかにも現われはじめました。教団内が“戦前”状態に戻ったら……怖ろしいことです。折りしも上野の東京国立博物館で「西本願寺展」開催。真宗王国の“美”が由って来るところを思い、寒くなります。北海道教区のことは、次号で……。
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王国といえば、トンガは面白い国でした。南太平洋最後の王国。人口十万人のほとんどがキリスト教徒で、日曜日は終日島中に賛美歌が響いていました。日曜は商店もタクシーも休み、海水浴も駄目、とにかく教会へ通うのです。「Keiraさん、教会へ行ってきたかい?」とロペティ、「いいや」「何故?」「ブッディストだから」「フーム……」われながら、「よく言うよ!」です。立憲君主制だが、31名の国会議員のほとんどは国王が指名し、内閣も然り。民主化運動が進んでいて、ロペティはそのリーダー。鬚を剃ったのは政界に出るつもりでは?という私の問いに、「いいや、国会議員うち27名は我々のメンバーだから、その必要はない」という答えでした。皆、王様が好きらしいのです。“田舎のいいところ”を絵に描いたような、トンガを再び訪れたいと思います。防虫剤とかゆみ止めを抱えて……。
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私が留守の間、事務所は珍客で賑わったようです。船に乗っている最中の11月に、国連人権委員会の特別報告者R.スターベンハーゲン氏が、トンガで会議をやっている最中には、映画『裸足の1500マイル』の原作者D.ビルキングトンさんが、いずれも「智子さんに会いたい」と訪ねてきたそうです。もちろん、それぞれ案内してくれる人がいての来訪ですが、「どうだった?」の問いに、「うん、おしゃべりができたよ」との答えでした。出かけなくても来てくれるんだから、オレより大物かぁ。
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『裸足の1500マイル』は、やっと最近観ることが出来ました。いろんな評価や受けとめ方はあるでしょうが、私は「よく、撮ったなぁ!」と感心しました。原作(メディアファクトリー刊)を読めば分かるように、決してドラマチックに描かれてはいない“逃避行”を、オーストラリアの赤い大地と果てしなく続くウサギ・フェンス、見え隠れする三人の少女たちによって描き出した映像世界は、腹の底に沁みこんできました。そして、アボリジニーの絶望感もまた……。2000年のP・Bで一緒になったアボリジニー女性ジョーン(彼女は母親によって幸運にも奪還されたのですが)の、ぬぐい難いトラウマを思い出します。アイヌにも「盗まれた世代」はありました。その影響は現在までも……。
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床田和隆・運営委員が、石垣島へ移転しました。これは、痛手です。「ヤイユーカラの森・石垣島支部を作ります」という床田さんの言を信じるにしても……。石垣島へヤイユーカラしに行きましょう。
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子供の頃―もう50年も前ですが―、私が住んでいた住宅地に響いた秋の音……薪切りと、「どん」。どちらもリヤカーで運んできた、薪切り機で廃材を切って薪にするのと、干とうきびや米を「どん」にするという、賃仕事でした。子供たちは、ほっかむりをした小父さんに「危ないから離れて!」と怒られながらも、周りを取り囲んで、飽きずに眺めていたものです。雪虫が飛び交うなかに漂ったおが屑の匂いと、カーバイトの香りも懐かしく思い出します。干とうきびのない我家から僅かの米を持って駆けつけ、その円陣に加わったチビの私でした。
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大砲のような鉄製の筒がぐるぐると廻り、中のきびや米が熱せられていきます。やがて、私たちが固唾を呑んで見守る中で大砲の先端が開かれ、「ドン……!!」。ふくれあがった「どん」が金のネットに飛び散ります。耳に指をあて、胸をドキドキさせて“その瞬間”を怖れとともに待っていた私。
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アメリカの対イラク戦、北朝鮮との問題、有事法制と改憲の動き、教育基本法改悪……それらのすべてがあの大砲の中で熱せられ、廻されながら爆発の瞬間へと向かっているような、そんな空気をいまこの国に感じます。加熱した密室から吐き出され膨れ上がった、どんな「どん」を私たちは見ることになるのでしょう? そして、私たちがそれを「見る」ことができるのでしょうか?
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ピースボートが札幌に事務所を開設しました。若者を中心に、“文化”の新しい形がこの地に根付くことを期待します。直接それと関係があるわけではありませんが、11月24日〜12月9日まで、シドニー〜東京間を船に乗ることになりました。決して、逃げ出すわけではありません……。
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10月15日〜18日、DPI(障害者インターナショナル)世界大会々場に詰めていました。智子さんが依頼された「アイヌ文化コーナー」での“チタラペ編み”実演で、付録のボランティア・スタッフです。大会事務局が立ち上げた2年前には、事務局へ行くこともあり、何かできることを……と考えていたのが、その後事務局運営のいい加減さに嫌気がさし、足が遠のいていました。とはいえ気にはなっていたのが、ひょんな形で手伝うことができ、安心しました。たくさんの人びとに会い、話すことができ、疲れに比例する満足感も得られた“ボランティア”でした。
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セクウェップムゥからアーサーたちが来、船に乗り、東京での作品展……間断なく続きます。鬼に笑われながら年が明けると、NFIPの会議にトンガへ。ちょっときついスケジュールになりました。私自身が大砲の中に密閉され、がらがら廻されながら焼かれているのかも……。
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それにしても……。現在の政治と社会の状況について、新聞のコラムに澤地久枝が書いています。『日本の「破綻状況社会」が一夜で変わったら、多分おそろしいことになる。ファシズムは過去の、私たちに無関係の「怪物」ではない』
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「アイヌ文化法」から5年。雑誌や新聞が―わずかばかりですが―記事にしています。コメントも求められますが、なかなか言い切れない部分もある。「よそ様のすることを云々するもんじゃあない」と、エカシたちの声がまだ耳に残っています。
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3月の「地対財特法」打ち切りが意味するものを、アイヌ(のみならず国内すべてのマイノリティ)は、もっと深刻に受け止めなければならないだろうに、そんな危機感はまったく感じられません。人権小国日本で、辛うじて“人権教育”が実践されていた同和教育に対する国の攻撃は、恐るべきものがあります。もっと「クニ」のことを真剣に考えなければ……。「国家を越えて……」などと、蜃気楼世界を模索するインテリの議論は、屁のつっぱりにもならないでしょう。
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叙勲が決まった三遊亭円歌のコメント。「長屋の八五郎が将軍さまからお褒めの言葉をいただくような気持ちです」……皮肉で言ったとしたら、円歌も大したものだがネェ……。
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4月のブラジル、東京、5月は沖縄、道東、6月に東北と、旅の連続でした。その合間に2回のキャンプをやり、パレスチナの若者を迎え、ハワイアンと交流し、あれやこれや……の日々でした。それぞれの旅には目的や役割りがあり、決して遊び歩いたわけではないのですが、何となく後ろめたさがつきまといます。やっぱり“楽しむ”ことが多かったせいでしょう。ブラジルと沖縄、4月の海で二度も泳いでしまったり……。
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ブラジル報告が、無駄に誌面を占領しました。けれども、次号はカナダの報告をしなければならず、これを片づけなければ気持ちの整理もできない(?)だろうと、我儘をしました。済みません。
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沖縄の金城さんは、このファシズム回帰の時代に沖縄人のなすべきことは? を熱く語った。そして「本土復帰30年」という欺瞞に対する抗議の『100メートルレリーフ展』だったろう。
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「本土」という言葉への引っかかりはアイヌにもある。ユーカラの主人公ポイヤウンペとは“小さな本土人”であり、アイヌにとって本土とは北海道島である。沖縄人にとっての本土は沖縄諸島であるはずで、アイヌにとっても沖縄人にとっても、「本土復帰」は未だ出来ていないのだ。
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「ところで……」とハワイアンのおばちゃん、「日本の軍事状況はどうか?」。「ひどく悪くなっている」「やっぱり……」「ハワイは?」「ひどい……とてもひどい」「9月11日以後か?」「そう、特に悪くなった……!」……歌と踊りの合間に小声での会話。ファシズムのしわ寄せは、いつも周縁に集まる。ハワイ、沖縄、そして北海道にも……?
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私の住む札幌市の南地域には、自衛隊のベースと演習場が集まっている。9月11日以降、辺りを走り回る自衛隊車両が無闇に増えてきた。実弾演習の砲声も響いてくるし、ヘリコプターも飛び回る。そして、徐々に慣らさせられていくのだろう。民間機に戦闘服の自衛官が団体で乗り込んでも、以前ほどの抵抗もなく、報道もされなくなってきたように……。軍国日本の市民が育っている。
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初めて回った東北(奥羽)の旅。「正保国絵図」に点々と「\村」とある津軽半島の海岸線と、下北半島を車で走った。正保2(1645)年にアイヌの村があったと記録されている辺りは、崖が海に突き出ているような厳しい環境の土地だった。下北の古刹では、正徳5(1715)年の過去帳に、アイヌの名前を確かめさせて頂き、古い墓石も見せて頂いた。濃い霧の中を走りながら、300年、400年の時の移ろいを思い、この地のアイヌの来し方を思い、感慨深いものがあった。
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近年盛んになった“東北・北海道史”研究が進んでいけば、“幻想のアイヌ像”からの脱却が可能になるかもしれない。等身大のアイヌ像を獲得するために、期待したい。
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サッカー・ワールドカップ、すべてを見ました。おもしろかった、です。判官贔屓―嫌いな言葉ですが―の俄かサポーターには、こたえられない毎日でした。何より、彼らのサッカーは良く分かった。“何やろうとしているのか分からん”試合をした時、日本は負けた。オリンピックでブラジルに負けた試合と同じでした。ヒデの苛つきと怒りが、分かったような気がしました。次回は、日本は予選落ちです。(1億総サッカー評論家の中の1人)
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有事立法こそ先送りになりそうですが、情報管理・統制がすすみ、我々はバーコードで管理され、ゆとり教育とやらで次世代は愚民と化し……なんとも悲惨な時代に突入していきます。宗教者はその歯止めになり得るのか? 先住民はじめ周縁に生きてきた人びとがその流れに抗して、新しい地平を獲得できるのか? ……“旅”の中からその方途を見つけたいと思います。
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気がついていましたか? この春から、北海道新聞の「卓上四季」がおもしろくなっています。これで当たり前なのですが、久し振りに新聞に“正論”が出ると安心し、嬉しくなります。道新の報道姿勢が同様に変わってくれれば何よりなのですが……それは無理なようです。
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