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Grand Funk Railroad



■Concert ticket,Budokan,Tokyo,1975

・1975年5月22日(木)の日本武道館公演のチケット半券。保存状態が非常に悪い…。色は「黄色」。
学校の授業中、地窓(廊下側の壁の下にある扉)からこっそり抜け出して友人二人で観に行った。

■Concert ticket,Budokan,Tokyo,1975

・こちらは資料として2017年にオークションで入手したチケット半券。濃いめの色に見えるが、実際は「黄緑色」。


・これも資料として2017年にオークションで入手したチケット半券。色は「マゼンタ(濃い目のピンク)」。座席の種類によって色分けされているのか、まだ青や黒等の色のものがあるようだ。

GRAND FUNK THE SECOND VISIT TO JAPAN IN MAY, 1975
【CONCERT SCHEDULE】
・5月16日 グランド・ファンク来日(Second visit to Japan,May 16)
・5月18日 名古屋市公会堂(Nagoya,May 18)
・5月19日 京都会館第1ホール(Kyoto,May 19)
・5月21日 大阪厚生年金ホール(Osaka,May 21)
・5月22日 日本武道館(Tokyo,May 22)
・5月23日 日本武道館(Tokyo,May 23)

        

■1975年5月16日、グランド・ファンク来日(羽田空港)※Haneda Airport ,Tokyo,May 16,1975

・新メンバー、クレイグ・フロストを迎え、世界ツアーの一環として1971年に続き二度目の来日(羽田空港)。
一人置いて左からクレイグ・フロスト、マーク・ファーナー、メル・シャッカー、ドン・ブリューワー。

■1975 Concert program booklet

・1975年来日時のパンフレット。当時は小遣いが足りず買えなかったため、2016年にオークションで入手。

        

GRAND FUNK IN JAPAN in May ,1975

※シンコー・ミュージック刊「ミュージック・ライフ」誌1975年7月号より

■ 武道館の前で列をなして開場を待っている時、グランド・ファンクのメンバーが乗った大きなアメ車(マークとドンだけが手前に見えた)がゆっくり後方から左すぐそば(約15m)に近づいて来、自分たちのすぐ後ろにいたお兄さんもそれに気づいて、「おっ、グランド・ファンクじゃねえか?」と声を出した。マークはサングラスをかけていたと思う。列に並んでいた他のほとんどの人たちが気づかぬうちに、グランド・ファンクのメンバーの乗った車は入場者の様子をうかがいながら、ゆっくりと武道館の地下駐車場に入っていった。その後、入場時に歌手の布施明を見かけた。

そう言えば、本公演の整理券をもらいに予め有楽町のニッポン放送に行った際、エレベーター内でマネジャーらしき人物と一緒に乗り込んできた太田裕美と乗り合わせた。

■1975年5月22日(木)、14歳、中学3年の5月に武道館でのグランド・ファンクのコンサートに友人と観に行った。マーク・ファーナーはステージ狭しと動き回り、ハード・ポップなサウンドでご機嫌なロックンロール・ショーが展開された。このコンサートで前座を務めていたのはカルメン・マキ&OZ。前座だったカルメン・マキ&OZのドラマーのドラムセットがゴージャスで、ドンのシンプルなドラムセットがやけに貧弱に見えてしまいました。

1曲目の演奏開始直後、まず友人と交わしたのは、「デカいな…!」と「…デカいな…!」の一言ずつ。グランドファンクの出す音量は凄まじいものだった。ロック・コンサートは初めてだったこともあり、その後まる二日間耳鳴りが止まなかった。学校の授業中も家でもずっと「キ~ン…」という音が耳から離れなかったことを覚えている。

曲目、曲順ははっきり覚えていないが、「Caught in the Act」とほとんど同じだと思う。ただ、「アメリカン・バンド」を含めた3曲がメドレーで演奏されたように思う。「アメリカン・バンド」のイントロのカウベル・サウンドが大好きでドラムを覚える決心をしていたので大いにこれを期待していたのだが、メドレーの中でいつの間にか「アメリカン・バンド」が始まっていて、それが聴けず少しがっかりした記憶がある。

マークは演奏中、ドンやクレイグのすぐそばも含めてとにかくステージをあっちこっち元気よく動き回っていた。トレードマークで長かった髪の毛がバッサリ切られて短くなっていたのにはショックだった。

ステージ上部に映写用スクリーンがあり、メンバーの普段の様子や機関車などのフィルムが折々映写された。ステージ背部の電飾装置では花火や星条旗が点灯・点滅する。いずれも大映ビデオの「1974ライブ」に収録されているものと同じ。

最後のナンバーを演奏し終わって四人がステージに並び、手をつないでオーディエンスに挨拶をしていた。クレイグがちょっと恥ずかしそうにしていた。

GRAND FUNK RAILROAD LIVE IN LA 1974



■5月22日(木) 武道館公演でのプログラム
①Footstompin' Music
②Rock 'n' Roll Soul
③Closer to Home
④Heartbreaker
⑤Shinin' On
⑥The Locomotion
⑦Wild
⑧The Railroad
⑨We're an American Band
⑩ドラムソロ(T.N.U.C?)
⑪Inside Looking Out
・アンコール
⑫Gimme Shelter

※演奏時間:1時間20分(公演終了:午後9時8分)
※以上、「音楽専科」誌、1975年7月号より。

        

■Greco LSG-1200

・ギブソンL-5Sは値段が高いので、グレコのLSG-1200を1990年に購入。
・ギブソンL-5Sにそっくりで、音質も似ている。

■Greco LSG-1200 Specification
・Body:Maple
・Neck:Maple
・Nut:Bone
・Finger board:Ebony
・Fret:Wide Oval
・Scale:314・22F
・Machine head:MH-SG30(G)
・Joint:Set neck
・Pickups:Dry × 2
・Bridge:BR-LS
・Controls:2 Volume, 2Tone,Toggle switch
・Color:Cherry Red Sunburst
・Price:¥120,000
・製造年:1989年?

・「LSGは高度な手工技術を駆使して完成させたハイクラスなソリッドモデル。ブックマッチフレイムメイプル削り出しアーチドトップ&メイプルアーチドバックボディに、アバロンブロックインレイを施したエボニー指板がひときわ映える。」
※以上、グレコ・1990年1月版カタログより。
※1988年時点での型番は「LS-120」だったようだが、1990年1月版では「LSG-1200」、さらに同年6月版のカタログでは「LSG-120」に変更されている。

■1990年6月版に掲載された「LSG-120」のスペックには以下項目が記載されている。商品画像、及び商品紹介コメントは1月版と同じである。
・Body:Maple top & Back
・Neck:Maple + Walnut 5 piece
・F.Board:Ebony, 22F, 305R, 314 Scale
・Pick-up:Dry × 2
・Control:2 Volume, 2 Tone, 3 Way-Sw
・Finish:Urethane
・Color:CRS
・Price:¥120,000

■GIBSON L-5S

・1980年頃に入手したギブソンのプライスリストより。L-5Sは1985年頃に廃番となった。

Gibson L-5S guitarists
・Albert Jarvinen/Hurriganes:アールベルト・ヤーヴィネン/フーリガ ンズ
・Andrew VanWyngarden/MGMT:アンドリュー・ファン・ワインガーデン/MGMT
・Andy McCoy/Hanoi Rocks:アンディー・マッコイ/ハノイ・ロックス
・Bernhard Potschka/Nina Hagen Band:ベルンハルト・ポチュカ/ニーナ・ハーゲン・バンド
・Billy Butler/Soul, Jass Guitarist:ビリー・バトラー/ソウル、ジャズギタリスト
・Boz Scaggs/ボズ・スキャッグス
・Chris Karrer/Amon Duul:クリス・カーレ/アモン・デュール
・Dick Wagner/Alice Cooper Band:ディック・ワグナー/アリス・クーパー・バンド
・Frank Marino/Mahogany Rush:フランク・マリノ/マホガニー・ラッシュ
・George Tickner/Journey:ジョージ・ティックナー/ジャーニー
・Jeff Lyne/Electric Light Orchestra:ジェフ・リン/エレクトリック・ライト・オーケストラ(Recording only)
・John Lees/Barclay James Harvest:ジョン・リーズ/バークレイ・ジェームズ・ハーヴェスト
・John McLaughlin/The Mahavishnu Orchestra:ジョン・マクラフリン/ザ・マハヴィシュヌ・オーケストラ
・Jorma Kaukonen/Jefferson Airplane:ヨーマ・カウコネン/ジェファーソン・エアプレイン
・Keith Richards/The Rolling Stones:キース・リチャーズ/ザ・ローリング・ストーンズ
・Kevin Peek/Sky:ケヴィン・ピーク/スカイ
・Mark Farner/Grand Funk Railroad:マーク・ファーナー/グランド・ファンク・レイルロード
・Neil Schon/Journey:ニール・ショーン/ジャーニー
・Pat Martino/Jazz Guitarist:パット・マルティーノ/ジャズギタリスト 
・Paul Simon:ポール・サイモン 
・Ron Wood/The Rolling Stones:ロン・ウッド/ザ・ローリング・ストーンズ
・Tatrai Tibor/Blues, Rock Guitarist:タートロイ・ティボール/ブルース、ロックギタリスト

        

■グランド・ファンク 1975年5月 来日滞在記録
・5月16日(金):
ノースウエスト第7便で羽田空港に到着。夜、マーク、ドン、クレイグの3人、
スリー・ドッグ・ナイトの武道館公演を観覧
・5月17日(土):
11時30分の新幹線で名古屋に向かう。到着後、マーク、メル、クレイグの3人、買い物に出掛ける。
・5月18日(日):
午後2時30分より名古屋市公会堂でリハーサル。公会堂の4階で結婚式が行われており、
リハーサル時の音がうるさいとクレームがつく。夜、名古屋公演
・5月19日(月):
午後12時15分の新幹線で京都へ向かう。到着後、京都会館第1ホールにてリハーサル。夜、
京都公演
・5月20日(火):
マイクロバスを借り、グランド・ファンク一行総勢25名、
京都見物。金閣寺、竜安寺、三十三間堂をゆっくりと観覧。その後、メルとクレイグが河原町方面で買い物。
・5月21日(水):
午前11時30分、バスで大阪へ移動。バスには前座で出演しているカルメン・マキ&OZのメンバーも同乗。夜、
大阪厚生年金ホールで公演失神者7名が出て(オーケストラボックスで周囲から圧迫されたため)、グランド・ファンクのメンバーも驚く。第1部のカルメン・マキ&OZの演奏が始まる前、マークは自分が身につけていたネックレスをカルメン・マキにプレゼント。
・5月22日(木):
午前9時22分の新幹線で東京へ向かう。午後、リハーサルを行い、夜、
日本武道館で公演。公演後、六本木のスナックで飲む。メルとクレイグ、早朝4時まで飲み狂う
・5月23日(金):
アルバム、『世界の女はご用心』に対するゴールド・ディスク授賞式に出席。その後、放送、音楽誌等のインタビュー取材を受け、リハーサルへ。夜、
日本武道館での二日目の公演。公演後、カルメン・マキ&OZとのサヨナラ・パーティーを開催。クレイグを中心に朝8時まで飲み明かす
・5月24日(土):
夜9時30分、ハワイへと発つ。

■GFR in Kyoto ,May 20,1975

・5月20日に京都見物した際のショットだろう。

カルメン・マキ
『ライトミュージック誌(1975年7月号)』に、カルメン・マキ&OZのボーカリスト、カルメン・マキによるグランドファンクとの共演に関する記事が掲載されている。

「マークはすっかりアサヒ・ビールが気に入って、日本のビールは世界一だとしきりに言っていた。彼はアメリカ人の中ではかなりチビだけれど(私と同じくらい)、その筋肉たるやものすごく、OZのメンバー2人がかりで腕ずもうしたところ、ビクともしなかったそうな。ドンはマークそれにメルとは正反対の、2メートルもあるという大男で、そのわりには身のこなしが軽く、ちょっと見ない間にどこかへ行ってしまう、といったところがある。メルは小さくてやせている。でも一番ハンサムだと私は思う。食事をしに行った時、私のとなりに座ったのだが、私が英語に苦労していると、『心配するな。僕も日本語が話せないのだから。』と言って、励ましてくれた。とても繊細な神経の持ち主だという事がところどころに感じられた。新しくキーボードに加わったクレイグは、いたずら気のある明るい人で、ふだんしゃべっている時は、まるで酔っぱらいの黒人のおじさんみたいな声をしている。それがコーラスになると嘘みたいに高いきれいな声に変わるものだからびっくりしてしまう。」

※財団法人 ヤマハ音楽振興会発行『ライトミュージック』誌:1975年7月号より

        

マーク・ファーナーとメル・シャッカー:Mark Farner & Mel Schacher

・上の写真は「音楽専科」だったか、1970年代後半に発行された音楽雑誌の切り抜きです。「
メル・シャッカー」という表記が見られますが、レコードやCDのライナーノート、雑誌で、また、一般にも「メル・サッチャー」という表記・呼称で定着していたため、この「メル・シャッカー」は当然誤表記だろうと当時からずっと思い込んでいました。ところが、メルを含めた1997年のグランド・ファンク来日公演では、日本人の誰もかれもが皆メルに対して「メル・サッチャー」と呼ぶためか、マーク・ファーナーがメンバー紹介をする際に、敢えて日本人にもよく聞き取れるように「メル・シャッカー!」とはっきりと発音してくれていました。

「soccer」は英語では「サッカー」と発音されず、「サ」に強勢(
日本人の感覚よりかなり強めにアクセントを置く)が置かれ「サカ」に近い発音となります。さらに、英語には日本語の「ゲット」「カット」「ポテトチップス」のような明確な一拍の促音(つまる音)は存在しませんから、「Schacher」は英語本来の発音としては「シャ」に強勢が置かれ日本人の感覚よりかなり強めにアクセントを置く)、「シャカー」に近い発音になると考えられます。そのように発音すると、私たち日本人の耳にはごく微弱な促音が含まれているように「シャッカー」と聞こえますから、通常、アクセントを英語ほど強調して発音しない日本語に対応した表記としては、その発音に近い「シャッカー」として問題ないでしょう。ただ、「シャカー」と表記したり発音したりしても決して間違いではないということも付け加えておきます。

因みにイギリスの元首相マーガレット・サッチャーのスペルは「Margaret Thatcher」ですが、こちらももちろん英語では「サッチャー」というはっきりとした促音を含んだ発音はしません。「サ」に強勢を置いて日本人の感覚よりかなり強めにアクセントを置く)「サチャー」と発音すると日本人には「サッチャー」に聞こえる、ということになります。
※「サ」の発音記号は「thank」と同じ「シータ」による開始。

「Schacher」という綴りを見て、どうも「サッチャー」と発音するのは不自然だと昔からずっとすっきりせずにいましたが、やはりそういうことでした。「Schacher(シャッカー)」… 2004年現在、ネット上ではそのような表記は全く見かけませんが、さて、原音に近い読み方が定着するのは何年先のことでしょう。この先、気長に待ちたいと思います。

ドン・ブリューワー:Don Brewer

・「Brewer」の発音については、発音記号を日本語の五十音発音で表記すると「
ブルーアー」に近くなるのですが、実際の英語(アメリカ英語)では、「ルー」にアクセントを置き(日本人の感覚より強めに発音する)、また、「r」を発音するときの舌の独特な動きから、日本人には「ブルーワー」と「ブリューワー」のほぼ中間くらいの発音に聞こえます。ですから、日本語で表記する際にはこのどちらでも問題無いでしょう。

・14歳(中学2年生)の夏、ドラムを覚えようと決心させてくれたのは、ドンの叩いた「アメリカン・バンド」のイントロ4小節のご機嫌なフレーズでした。高校時代にバンドを組み、その後はドラムを叩く機会がなくなりましたが、2010年、「Gong」というバンドの曲、’Expresso’を課題曲としてドラムの再開を決意し、現在一生懸命練習中です。いずれ完成したら動画をアップするつもりです。

課題曲:’Expresso’ by GONG(1976)

■Gongのアルバム、’Gazeuse!’(1976年)に収録されている’Expresso’。ドラマーのピエール・モーレンは
12台のロートタムをそれぞれ音程の低いほうから「Lower C、Lower F、Lower G、C、G、A♭、B♭、Upper C、Upper E♭、Upper F、Upper G、Upper A♭」音階チューニングを行い、意図されたフレーズ構成によって鮮烈かつダイナミックなロートタムサウンドを炸裂させている。ギターは当時GONGのメンバーだったアラン・ホールズワース(2017年4月16日逝去)による演奏である。


・練習セット:レモのロートタム12台(3段積み)、ラディックのLM400、ラディックのスピードキング。連打の関係でセッティングを一部変更している。
・2018年5月22日(火)撮影

REMO ロートタムのページ
Ludwig LM400のページ

ドン・ブリューワーはラディック・スピードキングの愛用者

・上画像:1971年7月3日、ロンドンのハイドパークでのグランド・ファンク・レイルロードのライブを撮影した写真。
・ペダル本体は残念ながらほとんど写っていないが、黄色い枠内にビーターを固定するための特徴的な形状をした「蝶ネジ(ミッキーマウスの耳型)」と本体のごく一部、ビーターロッド等がかろうじて写っている。

拡大画像

・上画像:スピードキングの位置がかろうじてわかるだろう。

画像の重ね合わせ

・上画像:当方の所有するスピードキングを元の写真とほぼ同じ角度から撮影し、二枚の画像を重ね合わせた。このようにすればドン・ブリューワーがスピードキングを使用していたことが明白だ。

Ludwig スピードキング のページ

クレイグ・フロスト:Craig Frost

・クレイグのプレイするオルガンプレイはとてもセンスがよく大好きです。いつかまた、マーク、ドン、メル、クレイグの四人で日本に来て演奏してほしいです。


■1970年代後半、「銀座NOW!」というテレビ番組に清水健太郎による「男のバイブル」というコーナーがあったが、そのBGMにグランドファンクの「
ジュヌヴィエーヴ」が使われていたはずだ。

デニス・ベリンジャー:Dennis Bellinger

・1980年にグランド・ファンクが再結成した際にベースギタリストとして在籍していたデニス・ベリンジャー。


・1982年9月6日、日本武道館で開催されたコンサートに観覧に行きました。メルやクレイグは当時在籍していませんでしたが、マークやドンとの7年ぶりの「再会」が感無量でした。マークが曲の合間にトークを挟んだ際、自身の離婚について話題が及んだタイミングで、「ヒュー」だか「ホー」だか、大声ではやすバカがいたので、こういう行為は慎むべきですね。

・その後、1990年2月26日に渋谷公会堂で開催されたマーク・ファーナーのソロコンサート、1995年にはマークがメンバーの一員に含まれていた第3期リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドの日本武道館公演、1997年6月21日に赤坂BLITZで開催されたマーク、ドン、そして22年ぶりの「再会」となったメル・シャッカーを含めたグランド・ファンク・レイルロードのコンサートにも行きました。

・1997年7月3日の朝日新聞夕刊に掲載されたグランド・ファンク・レイルロードのコンサート評には次のようにあった。
「客席は中年にさしかかったサラリーマンが大半。こんなにネクタイ姿の客の多いロックコンサートも珍しい。ステージでは生え際の後退し始めたグランド・ファンク・レイルロード(GFR)の三人が、往年のヒット曲を演奏している。期せずして起きる客の大合唱。・・・中略・・・五十歳に手の届く年齢になったオリジナルメンバーのマーク・ファーナー、メル・サッチャー、ドン・ブリューワーの三人で再結成されたGFRの演奏には、衰えは感じられなかった。サポートミュージシャンが一人いたものの、大半の曲を三人だけで演奏し、約一時間半のステージを飽きさせなかった。サービス精神にもあふれていた。数々のヒット曲はほぼ昔通りのアレンジ。ギターソロのフレーズも昔のままだ。昔よりやや下がったキーも、客の合唱にはちょうどいい。だがその分、ドライブ感やスリルには欠ける。売り物の音量も、穏当なものだった。
かつての「暴走列車」は今や「通勤電車」になったのだろう。有名バンドの再結成コンサートには「集金ツアー」などの批判もあるが、上気して会場を出る聴衆にはそんな不満な表情はなかった。団塊の世代のロック同窓会。そんな一夜だった。(篠崎弘/6月24日、東京・中野サンプラザ)

・そう、ロックが本当にロックらしかったのは70年代の初頭までで、グランド・ファンクが本当にグランド・ファンクらしかったのもその頃までだったのではという気がする。時代が移り、時代の空気が変われば、ロック・ミュージシャンの精神性も聴衆の精神性も変わった。それもまた致し方ないことではある。

魂を揺さぶるMC5渾身の演奏(3曲):1970年7月16日収録

・1970年7月19日の収録。世界が激動し混迷するただ中にあり、ロックが最もロックらしかった時代の魂を揺さぶるMC5渾身の演奏である。ファッションとしてのパンクでもなければ、ポーズとしてのアナーキーでもない。若く純粋な「生きざま」そのものから発せられる爆発的エネルギーと激情だ。ちなみにドラマーのデニス・トンプソンが使用しているキックペダルも「Ludwig #201 Speed King Pedal」。

MC5(エム・シー・ファイヴ)・・・アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトを拠点として活動したバンド。「ロックを通じて文化革命を達成する」ことを標榜し、ベトナム反戦運動、黒人公民権運動の激しいうねりによって混迷を極め激動するアメリカにおいて、体制打破を扇動する危険思想を抱いた音楽集団と見なしたFBIやアメリカ政府から執拗な弾圧を受けた。当時のメンバーは、ウェイン・クレイマー(リードギター)、フレッド・スミス(リズムギター)、マイケル・デイヴィス(ベース)、ロブ・タイナー(ボーカル)、デニス・トンプソン(ドラム)の5名。
・1969年6月までMC5のマネジャーに就任していたホワイト・パンサー党の党首でもあるジョン・シンクレアは翌7月、FBIのおとり捜査にかかり、大麻2本を所持していたとして逮捕され、法外な9年半の懲役刑を受けて服役するが、1971年12月10日にミシガン州デトロイトのアン・アーバーにて「ジョン・シンクレア支援コンサート」が開催され、その三日後に釈放されている。このコンサートにはジョン・レノンも参加し、『ジョン・シンクレア』という曲をステージで披露している。

MC5 JAPAN

        

■70年代初期に若者達の心を奪い、時代をも担っていたグランド・ファンクであるが、彼らを、あるいはその楽曲を評して、「イモバンド」「演奏がヘタ」「本当は演奏できない」「アルバムは1~2曲を除いて他はクズ曲ばかり」「後楽園では実はテープを流していた(口パクだった)」「バカ丸だし!」… などとさんざんに言われ続けてきたものだ。さまざまなバンド、アーティスト、また、その楽曲と比較すればこうした評価が成り立つこともあるだろう。そして、70年代を代表するビッグなバンドの一つでありながら、これほどまでにバカにされたグループもなかったろう。

2016年にオークションで入手した、1971年の彼らの来日時に発行されたプログラムに各界で活躍する人士7名による対談記事があり、それによれば、アメリカのロックグループ、「CHICAGO」が同年に来日した折に記者会見でグランド・ファンクについて意見を求められた際、シカゴのメンバーが「
あれはアクロバット・チームみたいなもので、音楽性のかけらもない」、「(鼻の先でせせら笑うようにしていうんです)『グランド・ファンクなんて自分たちの音楽性のなさを、ボリュームを上げることと、ステージのアクションで補ってるんだ』」と発言していたそうだ。

グランド・ファンクに熱狂している若者達の存在をさえ暗に突き放し、見下すかのような「上から目線」での批評であるが、「音楽」というものに対する見方が当時はまだまだ保守的かつ一面的であり、アメリカのジャーナリズムだけでなく音楽界においても、
グランド・ファンクの存在を「認めない」「認めたくない」といった空気が支配的だったようだ。逆説的に言えば、当時の若者達にとってグランドファンクの登場は、時代を担い、既存の価値観を破壊する斬新でセンセーショナルなものだったということにもなるだろう。

人間の体内に発する原始的なビート、魂の雄叫びとエネルギーの爆発……。グランド・ファンクはその「クズ曲」と言われる曲にさえ時代の空気が満ち満ちていて、乾いたアメリカの大地と風の香りが漂っていて、そしてまた、不器用なロッカー達の生き様や息吹が伝わってきて、心の中に彩りを伴った激しい共振を引き起こす。
野外でボリュームを最大限に上げて、その爆風のような空間の中で、体を揺らし、大声で叫びながら、半ばトリップしつつ半狂乱のような状態で全身で感受しつつ聞くのが相応しい、そんなグランドファンクのサウンドなのだから、楽典に正しく則り、計算されつくした高尚な音楽性も演奏テクニックも無くてよかったのだ。

批判や中傷に対して目くじら立てるのも大人げない。グランド・ファンクはグランド・ファンク。それだけでいい。


・マーク・ファーナーの直筆サイン
「YOUNG GUITAR誌」1990年5月号の読者プレゼント(1名)当選品。同年2月、ソロコンサートのために来日した際のもの。「To Young Guitar,Lord Bless! Mark Farner」とある。マークの指紋つき。

       

GRAND FUNK RAILROAD LIVE IN JAPAN 1971
1971年の初来日の際、観客の異常なまでの熱狂と興奮の中、激しい雷雨に見舞われた東京後楽園球場での嵐の中の野外ライブの様子は、当時の若者文化を象徴するの社会事象の一つとして大いに話題になった。

ブリティッシュ・ロック全盛の1970年代初頭、アメリカの大地の匂いを漂わせたストレートで荒削りな、そして凄まじい大音量で演じられたロック・パフォーマンスは若者の魂を激しく揺さぶり、GFRは間違いなく時代を象徴するグループの一つになった。腰近くまで長く伸ばした金髪を振り乱し上半身裸でギターを弾きながら絶唱するマーク・ファーナーの存在もまた、多くの若者を魅了した。


■Concert ticket,Korakuen Stadium,Tokyo,1971

・オークションで入手した1971年の来日時のチケット。当時はまだ小学生だったのでロックに興味はなく、当然コンサートには行っていない。近所のある家で、掘っ立て小屋のような建物からバンドの練習をしているらしき大きな音が漏れてくることがあり、小学生だった自分と友だちがその時にたまたま通りかかると、さり気なく「あ、キチガイだ」と言って蔑んでいたものだった。


グランド・ファンク・レイルロード 1971年7月 来日滞在記録
・7月15日:日本航空71便にて午後3時35分、ハワイより羽田空港に到着。
・7月16日:午前中、東芝EMIスタジオにて、アルバム「サバイバル」より
シングルカット用に「ギミー・シェルター」と「アイ・キャン・フィール・ヒム・イン・ザ・モーニング」を編集(マーク・ファーナー、ドン・ブリューワー、テリー・ナイトの3人が編集作業に参加)
・同日、マークはミキシングの合間に買い物に出掛け、銀座で4チャンネルのテープ・レコーダーを購入(自宅での作詞・作曲用)。
・同日午後4時、マネジャーのテリー・ナイトにより、
グランド・ファンクが記者会見を行わない理由について説明するための「記者会見」! が行われる(ヒルトンホテル)。
・7月17日:マーク・ファーナー、原宿で買い物。夕刻、
後楽園球場でコンサート
・7月18日:新幹線で大阪へ向かう。夕刻、
大阪球場にてコンサート
・7月19日:離日。

※日付不明:マーク、ドン、メルの3人、
赤坂の日枝(ひえ)神社を散策
※以上、『ミュージック・ライフ』1971年9月号より。

■G.F.R. at The Hie Shrine,Tokyo,July,1971

・グランドファンクの三人、赤坂の日枝(ひえ)神社、正面階段にて。
「ミュージックライフ」誌、1971年9月号より。
・ビートルズが撮影したアビーロードの横断歩道のように、同じ場所でGFRのファンがメンバーと同じポーズをとって写真撮影する名所になるかも。。。


・こちらはザ・ベンチャーズ。ビートルズが撮影したアビーロードの横断歩道のように、同じ場所でベンチャーズのファンがメンバーと同じポーズをとって写真撮影する名所になるかも。。。

■1971 Concert program booklet

・2016年にオークションで入手した1971年来日時のプログラム。

絶唱! ハートブレイカー! 1971年7月17日・後楽園球場!(音声のみ)
HEARTBREAKER by GRAND FUNK RAILROAD at Korakuen Stadium July 17,1971

・Audio only:当時の演奏が決して「口パク」でなかったことがこれにより証明された。

Korakuen Stadium,Tokyo, July 17,1971
・写真:シンコー・ミュージック刊「blow-up」~ミュージック・ライフ誌1982年10月臨時増刊号より

■1971年7月17日 東京後楽園球場
聴衆6万人
ガードマン400人
騒乱に備え機動隊が待機
会場に入れなかったファンの一部が暴れだし
投石
放火
鉄柵を破壊し乱入
嵐の中
全身を雨に濡らし
マークと同じように
上半身裸になって
髪を振り乱し
歌い
叫び
踊る
爆音とも爆風とも区別つかない、激しく震動する空間の中で
グランド・ファンク・レイルロードと
一体となった夜
男も
女も


Korakuen Stadium,Tokyo, July 17,1971

・写真:アルバム(レコード)「We're an American Band」に付属していたライナーノートより。


Korakuen Stadium July 17,1971
・写真:シンコー・ミュージック刊「blow-up」~ミュージック・ライフ誌1982年10月臨時増刊号より

Grand Funk Railroad Live (The 1971 Tour) Full Album



■記事作成:2004年
■サイトリニューアル:2015年5月5日(火)
■追補・修正:随時

       






       












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