魚菜王国いわて

国家戦略は冷たい(人口と資源-5)

地球レベルで人間の消費する資源というものを考えると、どう考えても人間が多すぎて、資源が足りません。
この地球上には、国家がいくつあるのでしょう?
調べる気にもなりませんが、いずれの国家も、国民が生きていくための資源を確保することが、最優先となります。
森林を破壊する文明」を読むと、ギリシャからパレスチナの地では、「世界の神様」のゼウスやモーセ、ヨシュアの活躍した時代から、すでに森林の消失が起こるほどの資源争奪戦争があった、ということがわかります。
今も昔も変わりがないんですね。
国家の必要性は、「国境の存在目的」で論じたとおりで、複数国家の存在を否定できません。
よって、人間が生きている限り、“資源争奪の国家間の争い”が展開されることになります。

国家戦略の必要性
アメリカみたいな国は、テキトーに戦争を裏で仕掛けて、武器を売って、他国の人はある程度死んでもいい、というふうに考えていると私は思うんですよ。
背景には「どうせ人口問題は解決しないんだ」という考えがあるからです、たぶん。
漁師のつぶやき」に「人口問題に無関心なブッシュ、キリスト教右派」というものを、テキトー(いつもテキトーですが)に書いたんですが、その中に、UNFPA(国連人口基金)へのカネの拠出と取りやめたというのを、紹介しています。
これなどは、その一環であるとも言えます。

アメリカって、冷酷な戦略を裏側では練っているんだなあと、みなさんたぶん思っているんでしょうが、しかし現実的に考えて、わが日本も、資源小国で、しかも資源消費国に住んでいる日本人として、同じ生活を全世界の人ができると思います?
私はできないと思います。
表向きは“助けよう”。
しかし、実際には“できない”。
やはり自分が“一番”、自分の国が“一番”なんです。
ここに国家戦略が生まれる芽があります。

国家戦略の必要性は、副島隆彦先生が口うるさく主張していますが、これを悪く言えば、他国をどうやって陥れ、どう利益を得るか、ということなんです。
これがよく言われる国益というヤツですね。
日常生活でもよくありますよね。
競争社会ですから、心の中の半分は、ライバルの不幸を願っている。
これが国家レベルになったのが、国益です。

物騒な話
“資源争奪の国家間の争い”には、いろいろな方法があります。
原始的で極端なものが、戦争。
今みたいな、世界的な枠組みで平和を構築する以前は、戦争が国家戦略の重要な位置づけにありました。
しかし、それじゃ、将来に禍根ばかり残してしまい結果的にいいものではない、というのを、各国が悟り、一応、平和な社会が築かれています。

日本を取り巻く東アジアの状況はなぜか安定しておらず、資源小国として、将来に不安を残しています。
私が最重要視している六ヶ所村の再処理工場問題には、核配備という“戦争準備”が見え隠れしています。
あれほど不可解な政策を実行しようとしている裏側には必ず何かある。
核を持つことは、将来の選択肢の一つになっているのかもしれません。

仮に核爆弾を持ったとして、相手が北朝鮮であろうとも、日本から先制攻撃することは、まずあり得ません。
逆に、中国や北朝鮮が何発か、日本に向けて核攻撃した(北朝鮮はまだ核爆弾を開発していない。「原子力ミニコラム第79回」参照)として、その時点では、すでに日本の反撃というのは遅すぎます。
日本が核を持とうと持ちまいと、中国や北朝鮮が核を使うという意思さえあれば、日本はどっちみち被爆することになります。
その後というのは、当然、国際社会は黙っているわけがなく、いずれは、中国や北朝鮮は窮地に陥ります。

核武装はカネの無駄遣い
日本が核を持とうが持ちまいが結果が同じなら、持たないほうがいいに決まっています。
それによって、周辺諸国は警戒しませんし、彼らも安心して国交できます(でも、アメリカって、裏で謀略を練ってますから、何をやらかすのかわかりません)。
中国や北朝鮮が「核」「核」といって、勝手に核武装し、使いもしないものへ、どんどん国家予算を軍事に費やせば、それだけ国力は落ちていきます。
これはアメリカをみればわかることですが、アメリカでは、国内の鉄道から道路、病院、学校その他すべてのインフラ整備にかけた費用に匹敵するくらいのカネを軍事費に使ったとされています。
その結果、昨年のハリケーン被害のように、自然災害に対し、ものすごく脆弱になっていたのです。。
防災という観念は、対テロだけにしかなかったと言われても、反論できないほどです。

この圧倒的な軍事力を用いて、世界の石油を支配し続け、それが何を招いたかというと、先日のブッシュ大統領の一般教書演説で認めた、アメリカ国民の“石油中毒”です。
さすがに、「エネルギーを節約しよう」とは言わなかったようですね。
アメリカで発行された漫画の題名のように、アメリカは「戦争中毒」の結果、“石油中毒”にもなって、ドルは、いつ紙切れになってもおかしくないくらい、アメリカの財政も真っ赤っか(日本も財政も悪いが、アメリカも同じくらい悪い)。

使える軍事力を使ってさえ、この通りですから、どうせ使わない核など持つべきでない。
以上により、私は、他国の武力による脅威論というのを用いて核武装を煽る、ということには、反対します。

みんなと仲良く
世界の各国と仲良くしていって、うまく資源を獲得し続けることこそが、本当の日本の国益です。
このことは、誰が考えても、はっきりしていることです。
日本は、他国から叩かれやすい国ですが、まじめに克服していけば、強い国になります。
叩きたい国には、勝手に叩かせておけばいい。
そういう国は、他国を叩くことによって、自分の国の産業を過保護にしているのです。
彼らは、最終的に、叩かれて這い上がってきた国に敗れます。
これは、日本の製品を見ればわかるとおりで、いくら中国や韓国、東南アジアの、安い製品が出回ろうとも、クレームにまじめに対処してきた日本の製品が、世界的に優位に立っていることは現実です(そうでなかったら、日本は、とっくの昔に没落しています)。
中には、日本が世界最高レベルの生産技術を持っているのを見て、日本人の能力が優れていると勘違いしている人がいますが、日本人の真面目さや勤勉さが優れているだけなのです(この辺については、「技術競争物語」参照)。
製品だけじゃなく、国としても、同じようにクレームを甘んじて受け入れ、国際社会で対処していくことが最も重要だと思います。

世界の各国と仲良くする方法の一つに、日本文化の輸出があります。
特に東京には、オタク文化を代表とする、世界に類のないくらい多種多様な文化が存在するんだそうです。
これを使って、海外を頭脳汚染する。
とにかく日本に魅力を感じさせるものをどんどん輸出して、世界中をフニャフニャにし、日本の虜にする。
そうすれば、「日本のこれこれしかじかが好きだから、日本と取り引きしよう」という政府要人が出てくるかもしれません(ということはないだろうなあ)。
政府要人は大げさにしても、他国の一般国民に対して、この頭脳汚染は有効だと思います。
そうすれば、世界の世論は、日本を敵にまわす、ということを、選択しないのではないでしょうか。

日本とすれば、軟弱であろうが、バカにされようが、世界中の人たちと仲良くすることが、最も重要な戦略です(イスラム教国と全く正反対の性格です。こうなると、国がオタク文化を支援するため予算を組む事態になりかねませんね。笑)。

人口政策
ギリシャの大神ゼウスは、戦争を起こして人口問題を解決しようとしました。
人口抑制を問題にしていたのは、評価されますが、しかし、やり方があまりに乱暴です。
また、イスラエルの神様も、イスラエル人だけに肩を持ったりして、彼らに戦わせています。
生物界の掟」では、R・ドーキンスを引き合いに出し、福祉は人口問題の敵であるかのように私は書きましたし、福祉の濫用をしてはならないことは、「自由と平等の勘違い」から明らかです。
しかし、私たちが生活している現代では、何といっても福祉は目玉商品です。
弱者を“ある程度”守るためにも、福祉は必要です。(福祉政策を縮小すれば政治家は落選しますからね)。
一夫多妻制というのも、福祉を捨て去るより、もっと難しいでしょう(?。一夫多妻男事件はあれは何なんだ!)。

私は飽きるほど、「国内の少子化は放っておくべき」とし、「年金制度の運用は、政府の失策であり、少子化のせいにするのはおかしい」と今まで書いてきました。
“資源争奪の国家間の争い”がある以上、資源が少なく人口が多いというのは、致命的です。
ですから、少子化を放っておくというのは、正しいと思います(少子化予算は、カネの無駄遣い)。

一方、他国に対しては、人口抑制策を施すよう促す。
圧倒的人口を擁する中国やインドは、資源消費の脅威の対象ですから、そんな国には、女性の地位の向上を促し、女性に対する生き方の多様性を、日本から“文化輸出”します。
そうすれば、少子化できるかもしれません。
一夫一妻制の日本で、すでに少子化が実現しているのですから、これを詳細に分析し、輸出するのです。

私はうるさいように人口問題を話題にあげますが、それは環境問題の本質が人口問題だからです。
最終的に資源はなくなり、工業生産システムが役割を終える時が来ます。
このことは、「環境問題を考える」の「生きている地球」で説明されており、「『開放型の農業』に戻していくことが必要です。」として締めくくっています。
その時、人口が多すぎるということはどれだけ大変なことか、ということに、残念ながら、このサイトでは触れられていません。
先の示した「森林を破壊する文明」では、石油文明以前の環境で、いかに人間が自然を食いつぶすかが示されています。
正常な自然サイクルを乱すほど、人間の数が多いのです。
ですから、環境問題の本質は、人口問題なのです。

省資源、省エネ技術の輸出
アメリカみたいな“消費中毒”に陥っている国には、省資源、省エネ技術をどんどん輸出する。
この輸出は理にかなっています。
“資源争奪の国家間の争い”で、どんどん資源は減っていきますから、いずれ資源価格は上がっていきます(すでに上がっています)。
そうなれば、アメリカが“消費中毒”であればあるほど、省資源、省エネ技術を欲しがるようになります。
パフォーマンスが同じならば、技術によって省エネ性能の向上した製品は、アメリカ人の(消費的)満足を損なうことがないからです。
これはアメリカに限らず、全世界にあてはまることですから、日本の国内経済自体を大量消費型からの脱却を目指し、省資源、省エネ技術、リサイクル技術(これも省エネを伴わないと意味ありません)を中心とする産業に転換していかなければなりません。
国内で、厳しい競争にさらされれば、自ずと国際競争力も付くのです。

イランの核問題(謀略くさい。詳しくは「田中宇の国際ニュース解説」の「イラン核問題:繰り返される不正義」参照。これなど「ルーマア・ポリティックス」そのもの)、パレスチナ問題などで、一気に不安定な気配になっていて、原油はさらに値上がりすると思われます。
これは私的にも、大変なことになりますが、しかし、どの産業も省エネ化を選択せざるを得なくなり、かえってその技術が進歩すると思われます。
逆境を克服して、技術は磨かれ、産業は発展し、国は強くなります。
私たちの変革すべきライフサイクルのためにも、この原油高を受け入れていいと思います。
(2006年2月21日)

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