千軒岳巡礼登山の想い出 《会員からの寄稿》

(東室蘭教会) 松岡 博子

 

 30年前、昔の出来事の手記ですみません。
1989年は蝦夷キリシタン殉教350周年の年でした。
当時室蘭教会におられたマイレット神父様から巡礼登山の呼びかけがありました。
室蘭からの26人の参加者の中にベネディクト修道院のシスター3人も加わっていただいて嬉しい登山となりました。  

 

 当別のトラピスト修道院の聖堂で登山の安全を祈り、晴れやかな気分でいざ出発。
一日目は高さ300メートルの所でテント泊。
翌日早朝5時30分から登り始め、高さ420メートルの金山番所跡に着き(下山の折この所で大勢の登山者と共にミサに与りました)、ここを通過して千軒岳頂上へと登っていきました。
登山道とは名ばかりのけもの道で、高く伸びた笹薮の壁、風のない暑さの中、前の人の背中を見つめつつ黙々と進みました。
見上げれば美しい青空でした。

 

 出発前に、「山には湧き水が出るところもあり“水は心配ないよ」という言葉を信じ、水を持参せず、愚かな私たちは、それは水の渇きとの戦いになってしまいました。
「谷川の水を求めてあえぎさまよう鹿のように・・・」の聖歌をかみしめつつ・・中千軒岳の頂上に大きな白い十字架を見た時の喜びは格別。
十字架の近くで大の字となり横たわっていました。

 

 そこから向こう側にある大千軒岳(高さ1072メートル)の岩肌が目に入り、水を汲んでいる人が見えたものですから、シスター上村に「あそこに水があります。
近そうなので行きましょう!そしてあの水を飲みましょう」と誘ったのは良かったのですが、近くに見えた山のなんと険しく遠かったことか。シスターも犠牲者にしてしまいました。  

 

 私は登山中に目のそば二か所を山ブヨに刺され、お岩さんの顔のように腫れあがり、ミサを捧げる地点に下山した時は、ミサに与るどころか、立っている気力もなく横たわっている状態でした。

 

 ミサを終え、下山を続けていくうちに川が見え始め、その水を飲みたいと思いましたが、「山の水は飲まない方が良い」といわれていたことを思い出しました。
しかし主人は川に手を伸ばし、飲んでいます。
私は「エキノコックス病になったら大変」と云いましたが、主人は「こんな時そんなことを言っていられるかい!」とごくごくと飲んでいました。
その主人はお陰様で今でも元気です。

 

 昔、この場所で信仰を守りつつ生きたキリシタンの方々の苦しみの一端を僅かながら体験した気がしました。
猛暑の中、水もなく登山した私たちでしたが、熱中症にもならず、落伍者もなく、無事帰ってこられたのは主のご加護であったと回想しながら感謝しております。