丁石は昔の街道沿いに距離を示すために建てられた標識です。
一丁(町)の長さを単位としたポイントに建てられているので、丁石あるいは町石といいます。
いずれも 「ちょうせき」または「ちょういし」と読みます。
以下、距離表示のない標石も参考に道標として掲げました。
丁 石 | 一番多く見られるタイプの丁石です 距離のほかに行き先、方向(指差し、矢印)、建立した人の住所、氏名、年齢、祈願文、建てた年月などが記されたものもあります | ||
舟形の丁石 | 舟形の丁石にはお地蔵さんが彫られています お地蔵様の光背に"丁"を書かせていただいているのかも このタイプの丁石も多くみられます | ||
自然石の丁石 | |||
燈籠を兼ねた丁石 | |||
高野山の町石 | 桁外れに大きくりっぱなものです ひとつひとつに梵字が記されており、麓の慈尊院から壇上伽藍まで約22kmの道のりに180基、壇上伽藍から奥の院まで約4kmの道のりに36基が立っています この参道を町石道(ちょういしみち)といいます 町石は、皇族、貴族、有力武士等が寄進したものの他に庶民が共同で寄進したものもあります | ||
箸蔵街道の百丁石 | 大きな丁石です 箸蔵街道は讃岐の金毘羅と、阿波池田の箸蔵寺(金毘羅の奥の院と云われています)を結ぶ物流と信仰の道として栄えた旧街道です 往時の繁栄、賑わいが偲ばれます 丁石の左側面には、寄進者の住所「奥州行方郡」 (おうしゅうなめかたぐん)が彫られています 行方郡は現在の福島県南相馬市です | ||
真念の道標 |
宥辯真念(ゆうべんしんねん)は高知出身、大阪で活躍した修行僧です 20回以上の四国遍礼を行い、貞享4年(1687)に四国八十八ヶ所の案内書「四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)」を記し、四国遍路の父とも言われます 生涯に200基以上の遍路道標を建立したと云われていますが、現在、四国全体で37基の道標が確認されています この頃の道標は「標石(しるしいし)」と呼ばれていました | ||
武田徳右衛門の 丁石 | 武田徳右衛門(たけだとくえもん)は、寛政6年(1794)に四国八十八ヶ所丁石建立を発願し、文化4年(1807)に成就したと言われています 徳右衛門の丁石には、弘法大師像が刻まれ、その下に何寺まで何里と次の札所までの距離が記されています 丁石は現在四国内に130基余りが確認されています | ||
中務茂兵衛の道標 | 中務茂兵衛(なかつかさもへい)は、幕末の慶応から大正にかけて280回もの遍路を成し遂げ、道標を建立し続けました 道標は四国全体で230基余りが確認されており、これは群を抜く数の多さです 道標には次の札所名とその方向、それまでの巡拝回数などが刻まれています | ||
真新しい丁石 | 藤井寺から焼山寺への遍路道で見つけました つい最近建てられたもののようです 表面に記された「山」の下の数字の「5」に似た文字は「より」と読みます 「よ」と「り」を合わせた合字です | ||
金毘羅街道の丁石 | 古い丁石も残っていますが平成17年に建てられたもので「平成の丁石」と名づけられた美しいデザインの丁石です 右側が平成の丁石、左側は江戸時代の道標で「すぐ丸亀」と彫られています | ||
平成へんろ石 | へんろみち保存協力会により建てられたへんろ石です 記された距離は粁(km)あるいは米(m)です | ||
新しいへんろ石 | シンプルなデザインの標石です 記された距離はkmです | ||
「四国のみち」の道標 | 「四国のみち」は、環境省と国土交通省が定めた全長1,500km余りの長距離自然歩道です 四国霊場や、自然や歴史に親しみながら、四国を一周することができます 記された距離はkmです |
丁石は平地では道路が改良されて撤去されたり、移設されて余り見かけなくなっていますが、山間部では多くのものが昔のまま残っています。
「丁(町)」は昔の長さの単位(尺貫法といいます)です。
今の長さの単位に直すと1丁は約109メートルになります。
尺貫法 | メートル法の長さ | 参 考 に |
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寸 (すん) | 1寸 =3.03cm | ”少しの”とか”ほんの”という意味に使われています ”一寸(いっすん)の光陰軽んずべからず” ”一寸(いっすん)の虫にも五分の魂” 1分(ぶ)は1寸の十分の一の長さ 1分の十分の一を1厘(りん)、 1厘の十分の一を1毛(もう) 「分」「厘」「毛」は重さの単位としても用いられていました |
尺 (しゃく) | 1尺 =10寸 =30.3cm | ベニヤ板 3×6(サブロク)サイズは3尺×6尺の大きさで 90.9cm×181.8cmの大きさです 畳のサイズも地方によりいろいろありますが、ほぼこの3尺×6尺が基本となり決められています ”♪ アルプス一万尺 小槍のうえで♪♪・・・” 約3,000mのことです |
間 (けん) | 1間 =6尺 =1.818m | 日本建築は「間」を基準にして建てられています |
丈 (じょう) | 1丈 =10尺 =3.03m | 丈六(じょうろく)とは1丈6尺(約4.8m)のことで仏像の大きさのひとつの基準になっています 坐像の場合は半分の8尺の大きさの像を丈六といいます 広辞苑によると丈六以上の仏像が「大仏」と定義されていますが、それより小さくても「大仏」と称されているものもあります |
丁(町) (ちょう) | 1丁(町) =60間 =109.09m |
「町」は面積の単位としても用いられていました 1町≒1ha=10000u(100m×100m)です 長さの単位と間違えないように「町歩(ちょうぶ)」ともいわれました |
里 (り) | 1里 =36丁 =3927m | 織田信長の時代の前には1里の長さが36丁でない藩もありましたが、豊臣秀吉の時代にその標準化が図られて、1里ごとに塚が築き始められました そして徳川家康の時代には江戸日本橋を基点にして全国に一里塚が設けられ、一里の長さの統一が全国におよぼされました 一里塚奉行という役職もありました |
丁石の間の長さが109mでないルートがあります
・香川県丸亀港から金毘羅へ向かうこんぴら街道は3里約12kmを150丁
・徳島県12番札所焼山寺から13番札所大日寺へ至る遍路道は5里約20kmを250丁
・高知県土佐清水市の真念庵から38番札所金剛福寺へ向かうあしずり遍路道は7里約28kmを350丁
としてカウントして丁石が建てられています。
いずれも丁石の区間の長さは109mではなく80mとなっています。
丁石の並び順について
普通 三丁 ⇒ 二丁 ⇒ 一丁 と 目的地に向かって カウントダウン しています。
一丁 ⇒ 二丁 ⇒ 三丁 と 目的地に向かって カウントアップ していく丁石があります。
・丸亀から金毘羅に向かう丸亀街道の丁石
・四国八十八ヶ所のうち
第12番焼山寺から第13番大日寺へ向かう途中の丁石
第21番太龍寺へ向かう水井橋からの参道にある丁石
このほかに、まだあるようです。関心があったら探してみてください。
八丁坂
・第35番清滝寺への参道
・第45番岩屋寺への西側からの参道
・第88番大窪寺から白鳥温泉経由第1番霊山寺への途中 (東かがわ市長野)
(・石鎚山の成就社から頂上社への途中)
「丁」と「丁目」
・第81番白峯寺から第82番根香寺へのへんろ道
・第84番屋島寺への参道
昔の遍路道が国道になっているところでは、丁石はほとんど見かけません。
その代わりにポストがあります。
ポストは国道の起点からの距離を表示した標識で道路端に設置されています。
ポストには1km毎のキロポストと100m毎の百メートルポストの2種類があります。
キロポスト | キロポストには道路の起点からの距離、終点までの距離の他に四国のポストには次の札所までの距離が表示されているものもあります | |
百メートルポスト |
百メートルポストの区間を通過する時間(秒)を計ります。
かかった時間(秒) を10で割ります。
その商で36を割れば答えが時速になります。
国道を歩いていてキロポストの間隔が200mしかないところを見つけました。
徳島県海陽町浅川 栗ノ浦バス停手前(順打ち)です。
国土交通省河川国道事務所に聞いてみると、「バイパスやトンネルができて、国道の長さが短くなったとき、起点から終点までのすべてのポストを変更しなければなりません。それには多額の費用がかかるので一部にそのような場所が生じているのです」ということでした。
ところどころにあるようです。国道を歩いていてこの話を憶えていれば、探してみてください。
くれぐれも探すのは歩いているときだけです、自動車で探すのは危険です。