牧師の書斎から
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12月28日 たんぽぽのように
クリスマスの諸行事を大半終わり、ようやくゆっくりと、書物を読む時間ができました。鍋谷有美子著「賀川ハルものがたり」を一気に読みました。
賀川豊彦については、『死線を越えて』などでキリスト者だけでなく、たいていの日本人は知っていますが、彼の妻「ハル」については、余り知られていませんでした。著者は
「地面の下深く根を伸ばし、踏まれても踏まれても気負わず立ち上がり、嵐や風にも倒れそうで、倒れないたんぽぽの生き方」と彼女の生涯を例えています。
そう言われてみますと、タンポポは、河内長野でも千葉でも、アリゾナでも、しぶとくて、なかなか根を抜いてしまうことができないやっかいな新春の野草でした。
21日夜、福良保育園と教会の合同クリスマス祝会が行われました。総勢130名余のにぎやかな集会でした。福良の町から姿を消してしまったように少数になった子供たちが、実は、しっかりとたんぽぽの根のように根を張って、福良教会に姿を現す日が来ると、希望を持ちました。そのためにこの一年ご苦労された保育園の先生方にも深く感謝をしたいと思います。それにしても、神戸の新川で貧しい人々のために献身する夫のために5人の子女を育てながら、彼の働きを黙々と助けた妻ハルの生涯には、鬼気せまるような激しさもありますが、与えられた持ち前の明るさとキリストの贖罪愛に燃やされて、明治、大正、昭和の激動期を生き抜いた女性のたくましさがあります。ハルは、豊彦のパートナーであっただけでなく、神学校を卒業し、自ら伝道者として立ち、豊彦の死後は、彼の事業の大半を受継いで豊彦の残した仕事を完成しました。偉大な伝道者の陰には、必ずタンポポの存在があります。(五島)
12月14日 星を動かした少女
「クリスマスのページェントで、日曜学校の上級生たちは、三人の博士や、牧羊者の群れや、マリヤなど、ぞぞれ人の目につく役をふりあてられたが、一人の少女は、誰も見ていない舞台の背後にかくれて、星を動かす役に当たった。
『お母さん、私は今夜、星を動かすの、見ていて頂戴ね』その後、堂に満ちた会衆は、ベツレヘムの星を動かしたものが、誰であるか気がつかなかったけれども、彼女の母だけは知っていた。そこに少女の喜びがあった。」
これは亡き松田明三郎先生の「星を動かした少女」という詩の一節です。クリスマスが来ると、私はこの詩を必ず思い出します。教会には、何と多くの隠れた奉仕者がいてくださることでしょう。クリスマスはキリストの与えてくださった救いの喜びとご愛を誰かにプレゼントする日です。それを主が喜んでくださることを知っているからです。
神様の独り子は、万物の主であるのに、最も貧しいものとして、飼葉桶の中にお産まれになりました。それを知って救い主に会うことができたのは、外国人の星占いをする人々と、羊飼いだけでした。
教会の働きも、伝道も人の目にはとまりません。しかし、神様がお喜びくださることを、私たちは知っています。
世界中に星を動かす人々が増えていったら、世界は変えられるでしょう。(五島)
12月7日 新米と関東炊き
遣わされた教会の思い出は、必ず懐かしい方々と一緒にいただいた食事の思い出に結びつきます。(大体牧師は食いしん坊です。)
それにしても、イエス様の天国のたとえの中には婚宴の話しがたくさん出てきますね。またイエス様ご自身が弟子たちや人々とよく会食をされたので、その飲み食いを「どうして断食をしないのか」とファリサイ派の人々に批判されました。
「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか」と主は答えられました。キリストと一緒にいることは、結婚式のお祝いの宴のように、楽しいものです。礼拝だって、天からのパンをいただく時ですから、とっても楽しいはずです。
福良教会も、事あるごとに食事を共にいただきます。先日の感謝祭のランチは、いただいた新米とおでんの素材を関東炊きにして、お腹いっぱいご馳走になりました。もう何年も行われてきた教会の年中行事の一つです。だから、福良教会には争いはありません。互いにイエス様の愛をもって労わり、助け合っています。お蔭様で、わが家の冷蔵庫は、白菜、大根、ねぎ、さつまいもなどいただいた季節の野菜でいつもいっぱいです。教会生活は、天国の生活のように、楽しいものです。ただ、元気で仲が良いだけでなくて、来年の感謝祭のランチには今年よりも一人でも多くの新しい仲間を加えたいものです。天国の宴会には誰でも招かれているのですから。
* 牧師の書斎と言いながら、世俗的なことばかりですみません。次回から、少しだけ本の薫りのするものもお届けします。(五島)
11月30日 ひとつの体だから
『先生、1週間で随分ふけましたね』ぎょっと、しましたが、こういう正直な言葉は、最近教会でもめったに聞けません。もし私が反対に信徒にこう言ったら、次にお会いしても口をきいていただくことすらできないでしょう。
実はこの会話は、スカイプでのことです。姉妹は、遠い関東にお住まいです。ところが、ご自分はカメラをつけずに、音声だけなのです。ずるいですね。私は、彼女の声から想像して、きっと若若しい顔なのだろうといつも思います。しかし、本当は皺(しわ)が深くて、もしカメラに映っていたら心配になるかもしれません。(これは
冗談。冗談。)
『だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは、互いに体の一部なのです。』(エフェソ4:25)
使徒パウロもこう言っています。教会の交わりは、真実で本音が良いと思いますが、余り正直すぎても相手を傷つけます。しかし、だからと言っていつも「先生はお若いですね。お年にはみえませんよ。」と言われていると、他のすべてが本当かしらと、疑うようになります。
教会は、本音と建前を使い分ける必要のない場所です。自分の体の一部なのですから、兄弟姉妹に対しても、悪い所や、直して欲しい点があれば、率直に注意すべきです。もちろん、思いやりと慎みは大事ですが。私の説教もお手柔らかにご批評ください。良いときはたくさん褒めて、
ぱっとしないときは、ほんの少しだけ、厳しく。(五島)
11月23日 野菜と果物をいっぱいいただいて、元気、元気
期限の切れる寸前の健康保険証の所在を探して2時間、ついにあきらめかけていたとき12月1日より有効の保険証が届いて、ほっとしています。考えてみると、こんなことが、福良に来て何度あったでしょう。「同じところに置くか、記憶の手帳に書いておいたら」と厳しく忠告されるのですが、問題はそれが定かでないということです。メガネしかり、病院の診察券、クレジット・カードまた然り。覚えておくことが多すぎるのです。
ですから、今年の感謝祭に、何を神様に一番感謝するかと聞かれたら、認知症寸前の私が、どうやら牧会を続けてこられたことです。福良教会の兄弟姉妹が足りない私たちを忍耐してお助けくださったおかげです。まず、週報の記載ミスはみなS先生がご訂正くださいます。パソコンの故障もN兄弟にお願いすれば直ちにご修理くださいます。
ところで、意外であったことは、小さな教会なのに、責任感の強い男性陣が多いこと。心強いです。それに女性陣は、私よりもご年配の姉妹が多いのに、皆さん記憶力抜群、行動力も旺盛な方々ばかりです。
都会で高値と聞く野菜や果物はふんだんにいただくので、その分食費は節約されて、肉や魚にもおかず代が回ります。よって、名コックのおかげで栄養のバランスもばっちり。血圧も安定。健康そのものです。こうして、福良での一年目は、真に祝福された、楽しい、平安な毎日です。主よ感謝いたします。(五島)
11月16日 パソコンのいたずら
先週の礼拝後、ある姉妹が優しく「先生私の主人は良い男と書くのです。」と週報の「良雄」を訂正してくださったのです。パソコンは時々予想しない文字変換をします。注意を要します。
ところが、先週礼拝前に役員会の議事予定を見て、二度仰天。「良男」にばかり気を取られて苗字をまちがっているでが変わっているではありませんか。もちろん大急ぎで修正しました。どう変換したかって?、それは
秘密。秘密。
ところが、役員会で、その姉妹が「私は今年米寿です。主人は95歳ですよ。信じられません。」とおっしゃったとき、「ああ彼女は、私の間違いを見通しておられたんだ」と思いました。これでお分かりですか。パソコンの文字変換のいたずらです。95歳の良い男に気をとられてとんだ失態をするところでした。
我々日本人は、名前については、とても敏感です。ですから、週報でも、とても氏名については、注意しているつもりですが、時々失敗します。7月に着任してから、ある兄弟を女性と勘違いして、出席簿をにらみ、今日もこの姉妹は欠席かしらと、心配してきました。その優しいお名前とは違って男性でした。彼は毎週誠実に出席です。ちなみに、私の長女の名はアメリカ名はRei ですが、私がRayと出生届けを出したために、彼女は長い間、男性と間違えられました。Raymondの短縮と思われたからです。
でも、神様は決してそんなミスはなさいません。あなたと同じ名前の人物が世界中に何人いても、あなたをはっきりと知っていてくださいます。今日も、私たち一人一人の名を呼んで、私はお前と共にいるよと言ってくださいます。イエス様のお名前は
「インマヌエル」(「神共にいます」ですね。そう、もうすぐクリスマスです。(五島)
11月9日 保育園とともに
「〇〇ちゃん、やりなおし、もう一度やりなおし」可愛い、元気な年長さんの声がします。まるで〇〇先生が子供たちに帰り支度を促す声とそっくりです。この書斎には子供の声も先生の声も良く聞
こえてきます。その元気な声を聞くととても幸せな気持になります。
「子供たちを、私のところに来させなさい。わたしのところに来ることを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」(マタイ19:14)イエス様の大切な御言葉です。
都心では最近、保育所の新設を、子供の声がうるさいと言って反対する人が大勢いるそうです。少子化が国の存亡に関わることだというのに????
福良保育園は、今宗教法人ではありません。社会福祉法人です。しかし、保育園は元は教会が建てたものです。ですから、毎月の誕生日会で、島田先生が聖書のお話をされることはとても大切です。そこに教会の祈りがあります。未来の夢があります。
かつて教会員のお子様方は、礼拝堂を走り回り、大声をあげて両親を困らせていたはずです。我々の子供たちも皆教会で育てられました。
いつの日か、きっと福良教会の礼拝に、若い両親に連れられた子供たちがいぱいになって「うるさくて、おちおち礼拝が出来ない」、と言われる日が来ると信じています。日本の将来にとっても、教会にとっても、保育園の子供たちはかけがえのない宝です。先生方と協力して、子供たちの成長のために祈りましょう。(五島)
11月2日 福ちゃんと仲良く
牧師館で生活するようになって、いくつかわかったことがあります。一週間の生活で、私たちが、教会員以外の人と接することは、ほとんどないということです。主は、「あなた方は、世の光である。地の塩である」とおっしゃいました。それは、私たちのような不完全な者たちにとっては、大変な責務を負っているということです。私たちの生活すべてによって神様の御名があがめられることだからです。(マタイ5:16)
牧師館から、駐車場に通ずる細い道の傍らに、一匹の犬がつながれています。福ちゃんです。めったにほえないのに、食料品を運ぶ時には、けたたましく吼えて、とびかかろうとします。普段は「福ちゃん、いい子だね」などとやさしく話かけるのに、つい、自分の本性が出て、「何だこの馬鹿犬」などと、どなってしまい、ハットします。犬を怖がらせているのは自分なのですから、本当は私のほうが失礼をお詫びしなくてはならないのに。
牧師館が、真に地域の光として、地の塩となるためには、まず牧師の品性がもう少し、柔和で,寛容にならないと、と改めて反省しています。まず、福ちゃんと仲良く。そして、奥様とも。(五島)
10月26日 声帯のリハビリ
加齢と共に、声が十分に出なくなるのは自然のようですが、折角苦労して準備した説教を会衆に聞いていただけないのが残念で、耳鼻咽喉科の医師に診てもらうと、いとも簡単に「ああ、これは年とともに声帯が痩せてきて左右がしっかり締まらなくなっているのです。手術をして痩せた声帯に脂肪をつければ、声はよくなりますよ。でも、お金もかかりますよ。もうご自分の年齢相応の声で満足されたらどうですか?????でも声帯を上手に動かしてリハビリはできますよ。」との診断でした。 教会員は、私の昔の美声を誰も知りません。何を言っても、言い訳になります。幸い、今のところマイクの助けを借りて、何とか御用をはたしています。それにしても10月19日の礼拝は最悪でした。ほとんど声が出ないのです。そこで決心をしました。家人も誰もいないとき、発生練習を始めることです。幸い福良教会の牧師館は頑丈な鉄筋三階建てですから、誰はばかることもありません。
そのリハビリですが、スプーンをしっかり舌で抑えて、口を左右にゆがめて声を出すのです。
何か、動物のうなり声のようです。知らない人が見たら、何とも滑稽でしょう。
しかし、私は断固今夜から実行します。さあて、来週の礼拝での成果はどうでしょう。「先生、説教は声ではなくて、中身ですよ。」という声が聞こえてくるようです。(五島)
10月19日 昇降機
教会は、五島牧師が階段からころげおちないように、と配慮してくださり、牧師館の二階と三階への階段に昇降機をつけてくださいました。小さな教会にとっては、大変な犠牲が払われたことになります。でも、おかげさまで、私は、夜中でも書斎に安全に降りることができます。ついでに台所で、好きなかりんとうをつまむこともできます。
礼拝で皆さんが
「共同の祈り」を祈られているのを見ると、「ああ、
『共同の祈り』は、教会員の信仰の安全を守るために、牧者が祈りに祈って作られた信仰の
「昇降機」だな」と微笑がわいてきます。信徒は一週間、誘惑や試練と戦ってきます。僅かな誘惑や危険にも信仰を失う危険にさらされてきたのです。うっかりすると、恵みから落ちて、不信仰な生活に転がり落ちる危険もあります。確かに礼拝の説教こそ、信徒の生活を導く道の光でしょう。しかし、疲れている時、余りにも厳しい重荷を背負ったとき、説教の途中で疲れて眠ってしまうこともあるでしょう。しかし、福良教会には、長年礼拝で用いられてきた
『共同の祈り』があります。とても簡潔で、信仰の基本的な要素である悔い改めと希望が込められた祈りです。
「誘惑に陥らぬよう、目を覚まして、祈っていなさい。」と、イエス様からゲツセマネの園で命じられたのに、弟子たちは眠ってしまいました。私にとって、
「昇降機」は、今なくてならないものになりました。
「共同の祈り」は、福良教会に残された信仰の遺産です。たとえ、礼拝中に居眠りをすることがあっても、
『共同の祈り』を心を込めて祈っていけば、また、祈りを一つにする信仰の友と共にいれば、一度躓いても、足を滑らせても、また立ちあがることができます。(五島)
10月12日 黒い鞄とスリッパ
島田和人牧師が愛用された黒い鞄とスリッパを頂戴して、礼拝時に使わせていただいています。多分どなたもお気づきではないでしょう。礼拝説教の原稿、聖書、賛美歌、式文をこの黒い鞄に入れて、毎週礼拝にまいります。今まで使ってきた鞄が傷んでしまったので、とても助かります。しかし、問題は説教の内容ですね。いくら格好をつけても説教の中身までお借りすることはできません。
黒い皮のスリッパは、少し抵抗がありました。何か先生を踏みつけているように感じたからです。でもエリシャはエリヤのマントで水を打ってモーセのように、川を渡りました。それを思い出して、私も先生のスリッパをはいて、すでに先人が開いてくださった川を渡ってゆきたいと思います。それには、足元だけでもシャンとしていないと、前に進めません。何しろ老人は足から弱りますから。
教会は確かに過去のよき伝統を受け継いでゆかねばなりません。しかし
ただ、前任者の鞄を大切に使い、スリッパをはいていればよいのではあり
ません。エリシャはエリヤに
「あなたの霊の二つ分を分けてください」
と求めました。そうして大預言者エリヤの召しと預言者学校を引き継ぎました。教会が受け継ぐべきものは、この霊です。パウロは、それを
「キリストを着る」と表現しました。自分で努力をするより、キリストの恵みのマントを着て、その霊を毎日いただいて一歩一歩前進したいものです。でも、あわてると、前のめりになります。ちょっとした段差にも足をとられます。(あわてないで、でも大胆に勇気を出して)(五島)
10月5日 机
8月31日、就任式を終えて、ようやく福良キリスト教会での牧会がスタートしました。富田林の住まいは小さなマンションと思っていたのに、引っ越しを終えて、その荷物の多いことに改めて驚いています。秀子は整理が大変。(一生引越し!!)
この書斎は、現在は撤去された本箱の跡だけが、教会をこよなく愛され、新約学者として厳しい学びをされたありし日の牧師の戦いのすさまじさを物語っています。先生は毎日夜半まで机に向かわれていたそうです。
さて、私はこれからこの机で何をしてゆくのでしょうか。いつも雑多な書類や筆記用具を積み上げて、何をどこに置いたか、捜すのに時間をとられるだけかも知れません。自分でも呆れながら????。けれども主の憐れみの御手にすがってありのままに歩んでゆくしかない、と腹をくくっています。皆さん。お祈りをして、応援してください。
とにかく、この書斎は一人で用いるには贅沢過ぎますので、これから、役員会、各部会、祈祷会に気軽に用いていただきます。
2000年9月に主任牧師が天に召されて以来、教会はある意味で、飼い主を失った羊の群でした。しかし、則恵先生を中心に嵐の中でも、
「恐るな」という主の御声を聴いて歩んできました。
「見よ、わたしは世の終わりまで、あなたがたと共にいる」との主の御言葉を頼りに進んできました。復活の主は、これからも福良教会と共に歩んでくださるでしょう。(五島)
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